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【夜のとばりに】

 

 藍色に染まりつつある空に、星が瞬き始めた夕刻。


「これで荷物は最後ねぇ?」


 部屋の入り口に本を数冊置いて、ジェシカは微笑んだ。


「ええ、それで最後よ。ありがとうジェシカ」


 自身ではトランクを運んでいたイリスは、あてがわれた部屋を見回した。

 学徒用の専用宿舎、その一室。貴族学徒が使用する事もあって、かなり余裕のある作りになっているようだ。

 備え付けの机はふたつ。ベットも二段になっていて、この部屋が二人用である事を示している。


「えへへ……嬉しいなぁ。部屋も同室にしてもらえるなんて」


 上機嫌の紫苑が身体を揺らすたびに、チリン、チリンと鈴が踊る。

 そんな紫苑を眺めていたイリスは、少女に気付かれない位置でため息をついた。


(冒険者宿から宿舎ここに移されたのは、監視の意味合いが強いんでしょうけど……まぁ、別に良いわ)


 これだけ上機嫌な少女が隣にいるなら、悪い気はしない。動きが大げさで少々うざったいから、たまに苛立って蹴飛ばしてしまうかもしれないけど……その時はその時だ。


「でも……イリスちゃんってば、本当に荷物少ないね。ほぼ本だけだよ」


 イリスの手に下げられているのは、小さなトランクひとつのみ。街に来てから購入した冒険者用の外套や、古本屋で入手した本だけジェシカたちに運んでもらったものの、それ以外の荷物を彼女は所有していなかった。


「ま、これから少しずつ増やしていけば大丈夫よぉ。あ、荷物を置いたらついてきてぇ。シャワー室の使い方とか、ひと通り説明するわぁ」


 慣れた様子で、ジェシカは廊下を歩き出した。その後をイリスはついて行く。跳ねるような足取りの紫苑も、鈴を鳴らしながらあとを追う。


「そういえば紫苑ちゃん。その鈴って……」


 ふいに、ジェシカは口を開いた。常に身に付けている竜牙鈴について触れられて、紫苑はきょとんと首を傾げる。


「はい?」


「……んーん、やっぱ何でもないわぁ」


 しかし、ジェシカは何も訊ねる事はなかった。怪訝そうに眉をひそめるふたりをよそに、ジェシカはいつも通りの微笑みをまとって壁の案内図を指で示す。


「イリスちゃん、この案内図見てくれるぅ? この廊下を曲がった所が食堂ね。で、洗顔所とシャワー室はこっちをまっすぐなんだけど……」


 窓の外は既に暗くて、街には橙色の明りが灯っている。対岸に見える山脈のふもと、真珠色に輝く迷宮の門だけが、昼と変わらない輝きを見せていた。


 そして、街の郊外に位置するとある下宿屋では。



 

「イングリッド様が異形に(けが)されている……それは確かなのですか?」


 学院との交渉を終えた審問官たちが、うす暗い部屋の中で複数人の学徒に囲まれていた。


「戦闘中、彼女は己の星沁を制御する事にやたらと気を取られ、聞いていたほどの戦闘力を発揮していなかったの」


 イリスと交戦した烏、ディアナが数人の学徒たちを振り返りながら言葉を続ける。


「怪訝に思って、彼らの情報と併せて考えたところ……その可能性が最も濃厚なのではないか、という結論に至ったの。そういう事なの」


 ここに集まっているのは、みな学徒を装った教会支援者だ。ディアナの背後に集った支援者たちは、ディアナの言葉にそれぞれ哀しみの反応を示していた。


「イングリッド様が、リセルト人に飼われていた妖獣に傷付けられた……といううわさは本当だったのですね。あぁ、おいたわしい」


「我々はどうすればよいでしょうか、審問官様。本部からの命令は、彼女を穏便に保護(・・)する事。しかし、このままではその目的を果たせません。

 ……学院(やつら)は屁理屈をこねるのが得意だ。このまま言いがかりをつけて、イングリッド様を学院で拘束する気かもしれません。どうにかして本部からの支援を要請し、彼女を保護しないと」


「無駄なの」


 ディアナは、支援者の言葉に首を振った。


「ど、どうしてですかディアナさん! このままでは、敵地であるこの場所にイングリッド様は拘束され続けて」


「これからわたしたちが北へ帰って事情を説明し、上の方々に支援を要請するとしても、最低ひと月はかかる……でも、きっと、イングリッド様はそれまでの間に壊れてしまうの」


「えっ?」


 ディアナの淡々とした言葉に、支援者たちは声を失った。ろうそくの光が、不安そうに闇の中を揺らぐ。


「……学院という組織は、かつて教会に仕えていた者たちが離反した結果生まれたもの。

 そして学院として独立してからは、知能ある異形にほとんど接触していない。我々がさせませんでした」


 対する我々は、異形に携わる全権を皇室から賜わり、常に接触してきた。異形に関する知識には、我々の方が精通している。

 前提を述べた上で、審問官ジョージはうなだれて結論を告げた。



「……異形化を止める手段はただひとつ。呪いを掛けた妖獣に、その呪いを解かせる事です。

 イングリッド様に呪いを掛けた妖獣が処分されている以上、あの方の異形化を止める手段はありません」



 異形に呪われた人間は、やがて太陽の下を歩く事が叶わなくなり。常に喉の渇きに苦しみ、人の生き血を求めるけだものになり下がる。

 それは、異形化した人間の浄化を何百年も試みてきた組織が出した、残酷な結論だった。

 

「そ、そんな……」


「あの方が人間(ヒト)の心を保っている間に、その魂を女神アラディルの御許おんもとへお返しして差し上げましょう」


 審問官が下した結論に、ひとりの支援者がよろめいた。魂を女神の元へ。その言葉の意味を解さない人間は、ここにはいない。


「あの方は、アナストリアの町を解放した英雄。そして、女神アラディルの恩寵を受けたひとりです。

 それなのに、待ち受けているのがこんな結末だなんて……あぁ」


 両手を顔に当て、その支援者は崩れ落ちた。背を丸め、嗚咽をこぼし始めるその支援者に……審問官ジョージは、優しく寄り添う。


「あぁあ、嘆いてはいけません。この世に満ちているのは、悲しみばかりではないのですよ」


 肩に手を触れ、そっと抱き起す。集っている支援者たちを見回して、審問官はにこりと微笑んだ。


「あなた方に伝えるのは、これが初めてになりますね。

 実は……北東アナストリア内戦で捕獲したリセルト人が、〈鍵〉の在り処を吐いたのです」


 〈鍵〉──端的でありふれた単語に、その場の人間は露骨に反応する。半分以下に溶けたろうそくが、興奮を映して揺らめいた。


「多くの犠牲を出したアナストリア内戦でしたが……当初の目的通り、教会が探し求めていた〈鍵〉の情報は入手できました。

 あぁあ、彼らは〈救済の刻〉を迎える為の、聖なる礎となったのです」


 情報の為に、内戦を扇動した。

 死者は、教会の礎になる前提だった__聞くものが聞けばいきり立ちそうな情報を示唆しつつ、審問官は声に熱を帯びさせる。


「〈鍵〉がこちらの手に渡りさえすれば、迷える人々を〈救済の刻〉へと導くことができます。

 時間は残されていない。我々は〈救済の刻〉までに、〈恵みの御子〉となり得る存在を一人でも多く保護(・・)しておかなくてはなりません」


「し、しかし!」


 支援者は、慌てたように言葉を挟んだ。


「我々の当初の任務……イングリッド様の保護は叶わなくなりました。

 それどころか、彼女は我々自身が手にかけなくてはならない。我々は、いったいどうすれば」


「その件は、心配要らないの」


 ディアナが、ふわふわの前髪をいじりながら言った。


「この街で、新しい〈恵みの御子〉を見つけたから」


「それは……」


 ディアナは微笑んだ。子供のように無垢な笑みが、ロウソクの炎に怪しく光る。


「イングリッド様の事は残念だったけど、あの子を代わりに連れて帰りましょうなの……すべては女神アラディルの導きのままに」


「「女神アラディルの導きのままに」」


 悲壮であった支援者たちの表情が、いくぶんか明るくなった。それを見た審問官は微笑み、ディアナの隣で言葉を続けた。


「今日はもう遅い、作戦を練るのは後日にしましょう。ひとまずは、学院の警戒を解かなくてはなりません。我々がこの街を出たという、偽装の記録を用意しなければ……協力していただけますね?」


「はい」「もちろんですとも」


 支援者たちが頷き、部屋はせわしないささやき声で満たされる。

 暗闇から人々を守るろうそくの明かりは、尽きかけていた。


「では……今夜も女神アラディルに、祈りのことばを捧げましょう」


 審問官は宣言し、首にかけていた紋章を人々の前に掲げた。それを見た支援者たちは、いっせいにひざをつき手を胸に当てる。

 古ぼけた汚らしい部屋は、祈りに満ちた神聖な空間に早変わりした。


「今夜の祈りは、あの小さな英雄のために。

 あの方は今回(・・)の生で、大いなる偉業を成し遂げられた。次回(・・)の生では、誰よりも幸運な未来が与えられる事でしょう……」


「どうか、イングリッド様に幸せな転生を」

「彼女が新たな生を授かるその時までに、我らが平和な世界を実現できていますように」

「この世界に平和をもたらせますように」


 人々の願いが、祈りが部屋に満ちる。ろうそくは大きすぎる自らの炎に耐えられず、皿の中で溶け、沈みつつあった。


「どうか……」

「いくつもの犠牲を越えた先に」

「未来を。悲願の遂げられた世界を」


 月が雲に隠れる。星影が霞に隠される。溶けた自らの身体に沈んだ炎は──

 


「「我らの代で、この世界に〈救済の刻〉をもたらすために」」


 

 ──その明りを絶やし、帝国の夜は何よりも暗い闇へと沈んでいった。


 

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