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【最善を選ぶ覚悟】

 イリスとエリックが保健室で会話した日から、数日後。


「い、イリスちゃん学徒になる事になったの⁈ 同級生で、しかも同じ学科⁈ やったぁ!」


「ちょ、抱きつかないでよ危な……だぁもうっ!」


 研究室で『イリスが自分と同時入学する事になった』と聞いた紫苑は、全身で喜びをあらわにしてイリスに抱きつき──ふたりして床にひっくり返っていた。

 少女たちの無邪気な戯れを眺めながら、ジェシカとエリックはガラス窓を挟んだ教授室でコーヒーを堪能している。


「……そうですかぁ。イリスちゃんは、研究室(うち)で面倒を見る方向になったんですねぇ」


「あぁ。他研究室の教授には、彼女の『体質』そのものについては説明していない。現時点で協力を仰いでいるのは、オーウェル教授のみだ。彼女には、昨日のうちに手紙を送っている。五日もすれば学院に戻るだろう」


 現在は学院都市外に出ている、同研究室の教授について軽く言及する。そんなエリックに了解の意を示し、ジェシカは言った。


「それは、うわさの伝播でんぱを避けるため……ですかぁ?」


「あぁ」


 エリックは頷いた。

 教会支援者の娘を放し飼いにしている、などという噂が学院中に広がったら収拾がつけられない。

 下手に情報を流布できないというのは当然の事だった。


「残念だが、教会への内通者は教師の中にもいる可能性が高い。全ての教師を信頼できない現状だからな、君も気を付けてくれたまえ」


「はぁい。お任せください」


 頭の回転が早い助手(ジェシカ)は、余裕のある笑みのまま力強く頷いた。

 

「でも、驚きましたぁ。まさかイリスちゃんが、こんなに厄介な『体質』持ちだったなんて」


「……戦闘の後、稀に生じるという吸血(・・)衝動。

 瞳の変色に、直射日光の嫌悪……これらの特徴が当てはまる体質というものは、そう多くない」


 思い浮かべられるのは吸血鬼や人狼といった、おとぎ話の姿を借りて語り継がれてきた異形の生物たち。

 彼らに噛まれた人間は彼らの同族、あるいは眷属となり、神の恩恵を受けられない異形へと成り果てる。


 その言い伝えを、人々は『異形化』と呼び恐れてきた。

 科学の恩恵がなかった近年まで、人畜共通症である『犬化病』の感染者がこれに混同され、教会の処刑人に首を落とされてきたという過去がある。


「だが、彼女は犬化病ではなかった。犬化病は、発症後すぐ脳に到達する細菌性の病だ。

 話を聞いてすぐに検査を行ったが、彼女からその細菌は検出されていない。

 ……吸血衝動を抑える為か、戦闘後に迷宮の魔物をろくに調理もせず食べるという暴挙を行っていたらしく、寄生虫はたんまりとみつかったがな。そちらは商会謹製の即効駆虫剤で殲滅しておいた」


「あぁ、それでイリスちゃんずっとトイレに……た、大変だったでしょうねぇ」


 即効駆虫剤の副作用で生じる腹痛に少女が悶絶する地獄絵図を想像したジェシカは冷や汗を垂らすが、エリックは当然の処置をしたまでとすまし顔だった。


「でも、犬化病じゃなかったって事は、つまり……」


 エリックは、マグカップを机の上に置いた。

 カップの底に残った黒い液体が、ジェシカの不安そうな表情を映して揺れている。


「あぁ」


 エリックは、目を伏せて真実を告げた。


「彼女の異形化は、本物(・・)のようだ」


「……っ!」


 ジェシカの手が震える。多種多様な人種が集う街で生まれ育ち寛容。偏見がほぼない事で有名なラフェンタ人の特徴を体現したジェシカでさえも、恐れる事態。

 エリックはそれを告げながら、思い出していた。少女イリスの言葉を学院長に報告しに行った、先日の夜の事を。


「彼女は接触したのだ。リセルト人達が神の民と(たた)え、我々が異形と恐れる『あの生物』に。そして──」



◇◇◇



「──彼女は、自身が殺した『妖獣』に呪われたと、そう言っていました」


 時を遡り、ここは先日の学院長室。エリックはイリスから聞いた話を伝える為、夜のうちに学院長室を訪れていた。


妖獣(フォモル)族か。死者の肉を喰い、生者の生き血を飲み、霧や獣に姿を変える……おとぎ話の産物だと思われていた、かの異形たち」


 人魚(マーフォーク)鳥人間(セイレーン)吸血鬼(ヴァンピール)人狼(ウェアウルフ)

 人に似て非なる生物。知性ある異形の存在は、帝国においては誇張された伝承の産物だと思われていた。


 しかし近年、国土を拡大し異教徒リセルト人を制圧した帝国は気付いたのだ。

 リセルト人は、森の奥深くに住まう存在を信仰している。

 彼らを『白き神の民』『始原の民』と呼び、部族によっては生贄すら捧げている。


 『彼らの怒りを買ってはならない』と止められたにも関わらず、帝国兵は彼らが住まうという森の奥地へと足を踏み入れた。

 しかし一団は、いつまでも帰ってこない。別の隊が捜索に入った時、目の当たりにした物は。


 古の神を祀る神殿跡。

 無造作に打ち捨てられた、血を吸われ干からびた死体。

 錯乱し、味方同士で争う兵。彼らの瞳はみな血のような赤に染まり、最期まで正気に戻る事はなかったという。


 この事件が起こったのとほぼ同時期に、新たに取得した北方の地で驚異的な発見がなされた。

 

 人に類似した文化を持つ種族の存在。

 彼らは人によく似た外見を持ちながら、段違いの星沁干渉力を持つ生物だった。

 また彼らは生き血を好み、獣や霧に姿を変える事さえできる。

 呪いの扱いにも長け、人の目を見つめただけで思い通りの行動をさせることができる『邪眼』を有していた。


 その生き様は、おとぎ話に語られる『異形』そのものだった。

 彼らは獣が化けた魔物、『妖獣族』と呼ばれ帝国全土で恐れられている。



「教会は『妖獣族』の根絶を宣言し、皇室もその意見を支持している。

 学院(われわれ)が彼らと接触を持つ事は許されなかったが……そうか。

 あの娘は、リセルト人の殲滅を行う過程で、リセルト人が信仰していた妖獣族と接触したのだな。接触し、過去の例と同様に」


「怒りを買って、呪いを受けた」


 学院長は沈黙した。エリックがイリスから初めてその話を聞いた時と同じように。

 

「それが、彼女が教会から逃げた理由なのだな。

 根絶対象である妖獣はもちろん、彼らによって『異形化』した人間もまた、伝承に(のっと)り処刑人に首を落とされる運命にある」


「ええ。呪いを受けた事が判明すれば、戦死に見せかけて存在を抹消されると危惧した。

 それで、真実が露見する前に逃走したという経緯のようです」


「……」


「彼女の『異形化』がこのまま進行し、露見してしまうような事があれば、さすがに我々でもかばい立てする事はできない。

 あの娘が異形の呪いを受けているというのなら、それだけで教会の異形審問の対象になってしまうからな」


 学院都市の権限で教会から保護できる人材は、あくまで優秀な『異端』や『異教徒』、『混血』などの帝国民たち。

 魔物である『異形』や、その影響を受けた人々を対象にするには至っていない。


「それでもお前は……あの娘を自分の学徒として育てる事を望むのか?」


 全てのリスクを説明した上で、学院長はそうエリックに問うた。

 それに対し、エリックは。


「……。彼女を教会に引き渡したとしても、学院に残る利益はありますまい。

 あの子は異形化が露見した時点で戦死(・・)病死(・・)でこの世を去る事になり、学院は将来有望な若者をただ失う事になる」


 一歩前に進み出て、学院長に己の考えを告げた。


「しかし、あの子の学習意欲はずば抜けています。うまく育てれば相当優秀な学徒になるでしょう。

 それに、彼女の身体を(むしば)む呪いに向き合う事は、我々が妖獣族について知るチャンスにも繋がる」


 情報を遮断されている学院(われわれ)は、妖獣について知る機会がない。

 イリスは優秀な学徒候補であり、また妖獣に関する貴重な資料にもなり得る。エリックは力説した。


「異形の呪いを解く方法を学院が見つけた。その技術が呪いに蝕まれた一人の少女を救い、その子は一人の学徒として立派に成長した。

 ……異教徒の侵略や、異形の呪いに怯える帝国民にとって、この物語は希望に満ちたものになるでしょう」


 エリックは自分の言葉が、少女を政治の道具として語るものである事だとは理解していた。

 だがなりふりは構っていられない。感情論だけで動くほど、世界は甘くないのだ。


「お前の言いたい事は分かった、エリック。あの娘には入学枠を用意しよう。だが、最後にこれだけは聞かせてくれ」


「はい」


「もし異形化という現象が、伝承にあるように人間(ひと)を『けだもの』に変えてしまうような現象だったとしたら。お前は、あの娘の事を──」



◇◇◇



「エリック先生?」


 ジェシカに声をかけられ、エリックは追憶から意識を引き戻した。


「いや、すまない。少しボーッとしてしまったようだ」


 日の当たる窓辺で、二羽の小鳥たちが戯れている。その様子をじっと眺めながら、エリックは言った。


「ジェシカくん。すまないが、この件はきみ以外の室員に協力を仰げない。秘密を知っているものは少ない方が良いからね。だが……」


 引き出しから木箱を取り出し、エリックは続けた。


「最悪の事態が起きた場合、術師ではない君では対処しきれないかもしれない。これを渡しておく、肌身離さず持ち歩いてくれ」


 大きさと比例しない重さの木箱。中身を察したジェシカは、表情を歪め……そして言った。


「私もこの学院の一員です。学院の不利益となる局面に向かう事は、全力で避ける義務がある。

 『これ』が必要な局面が来たのであれば、躊躇わず使いましょう。でも、どうか……」


「あぁ」


 窓辺の小鳥たちが、立ち上がるエリックの動きに反応し飛び出した。

 その小さな身体には広大すぎる蒼穹へ、臆したり、迷う事はなく舞い上がる。


「求めるのは、それを使わずに済む未来だ。最善を選択するために、道を模索さがし続けよう」


 小鳥たちが青に溶けるまで見守ったエリックは、眼鏡に手を当て宣言した。


 

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