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【ためらう理由】

 

 ガラス越しの陽光に照らされて、振り子時計が穏やかに時を刻んでいる。

 ちょっとした広間に近い保健室の中にはいくつものベッドが並び、それぞれの周囲には純白のカーテンが垂れ下がっている。

 ほとんどのベッドが空席、カーテンが壁際に押しやられている中で──ひとつのベッドに、金髪の少女が横たわっていた。


「…… 」


 射し込む光に、年相応のあどけない寝顔を晒すイリス。

 彼女は街で意識を失ったまま、ずっと目を覚ましていなかった。


「イリスちゃん……」


 ピクリとも目を覚まさない少女。医者が言うには、イリスは電撃術式で神経回路を混乱させて、強制的に自分の意識を落としたそうだ。

 その目的は分からない。ただ、自分で気絶する前のイリスは明らかに様子がおかしかった。

 そう、何より『おかしい』と感じたのは……


「……」


 周囲をきょろきょろと見回し、医務の先生と教授が離れた場所で話し込んでいる姿を確認する。こっちを見ている人は誰もいない。


「ごめんね、ちょっとだけだから……」


 小さく呟いて、イリスのまぶたに手を掛ける。色白なイウロ人のわりには日焼けした肌、その薄い膜を持ち上げて、紫苑はイリスの眼球を覗き込んだ。


(金色……初めて会った時と同じ色)


 金色をした瞳は、若草色の瞳が一般的なイウロ人には珍しい色だ。初めて目にした時も、その後も、印象に残っていた。


(私が最後に見た時、気のせいでなければイリスちゃんは)


 己の記憶と照らし合わせながら、もう片方のまぶたに手を掛けようとした時──。


「……何やってんのあんた」


 ──まぶたを掴まれたイリスが目を覚ました。


「い、いいっ、イリスちゃんっ⁈ これは、えっと、その……」


「これは故意よね。前回のは事故だから容認したけど、これは故意の行動よね?」


 紫苑の手を引きはがし、起き上がる。開かれた両の瞳は金色。紫苑を映して、不機嫌そうに細められていた。


「えう、あの、確かにわざとなんだけどそれは、その……」


 イリスに睨まれた紫苑は、謝罪を口にしようとしてやめた。

 つっつかれた頬を風船のように膨らませて不満を露わにし、イリスに詰め寄る。


「イリスちゃんだって、良くなかったもん! 急にあんなことするなんて!」


「それは……」


 紫苑が怒るとは思っていなかったのだろう、イリスは張り手されたような表情で口を開いた。


「わ、私にもやむを得ない事情ってやつが」


「私もだもん。びっくりしたんだから。イリスちゃんが、急に、急に……」


 自身に刃物を当てる。その行為が、一般人の紫苑にとってはどれだけ恐ろしく見えた事か。そして……


「……イリスちゃんの目ね。あの時、赤く見えたの」


 紫苑は言った。端的なその言葉を聞いて、動きを止めたイリスは。


「なんだ。結局、見られたのね」


 寂しそうに笑った。首を傾けた拍子に、金の髪が日光に反射する。

 喧嘩っ早さに応じた戦闘力を誇るはずの少女(イリス)が、光の中に溶けて消えてしまいそうに映った瞬間だった。


「イリスちゃん……」


「忘れなさい。その方があんたの為になる」


 耳元で囁いて、イリスは紫苑の背後を見据えた。

 イリスが起きたことに気付いたエリック達が、こちらに近付いて来ている。


「目が覚めたようで良かったよ。イリス(・・・)くん」


「……どうも」


「紫苑くん、先生ドクター。少し席を外していただけますか。この子と話があるのです」


「分かりました。さ、キミ、少し外に出ていようか」


 医師に促され、紫苑は立ち上がらざるを得なくなる。銀の鈴が、チリンと名残惜しそうに鳴り響いた。


「あ、あの!」


 扉から押し出される瞬間、紫苑は振り返りイリスを見据えた。


「何、どうしたのよ」


「あの時……かばってくれて、ありがとう。迷惑かけてごめんなさい」


 言い損ねていた、言うためにずっと待っていた言葉。

 うつむきがちに様子をうかがう紫苑をまじまじと見たイリスは……やがて、困ったように笑った。


「私が巻き込んだんだから、あんたが謝る事じゃないわよ……これで貸し借りはなしね」


 貸し借りがない。それはつまり、縁が切れてしまう事を意味するのだろうか──。

 そんな思いを抱いたまま、半泣きの紫苑は部屋を押し出された。



♢♢♢



「不思議ね、あの子。鈍くさいし、不手際でこっちまで足引っ張られるのに、一緒にいて悪い気がしない」


「君にそう思ってもらえているのを知ったら、あの子は小躍りしてしまうだろうな」


 閉ざされた出口を眺めながら、教授と少女は静かに会話する。

 色硝子ステンドグラスを通した陽光が、彼らの足元で虹色に踊っていた。


「……どこまで知ってるの」


「あの審問官に、君の名前を聞かされた。それで大体の経歴は把握したつもりだよ。

 君が唐突に、自分へ術式を当てて気絶した理由には繋がらないがね」


「そう……」


 目を閉じて、イリスは天井を仰いだ。金色の瞳が、今は見えない遠い空を求めるように細められる。

 

「ちょっと厄介な体質を持っててね、あぁするしかなかったの。

 でもあなた達には関係ないわね。私は明日にでも、ここを発つから」


「ずいぶんと急だね」


「本当はここじゃなくて、南のラフェンタに行こうとしてたのよ。ラフェンタはいろんな人種の人たちが集まっているし、すねに傷がある人間も少なくない。

 閉鎖的で規模が小さいこの街より、紛れ込みやすいから……満足できたら、すぐ移動するつもりだった」


「満足?」


「……この杖を作った人たちの街を、直接見てみたかったの」


 イリスはベットサイドに置かれていた短刀杖を手に取り、いとおしそうに柄を撫でた。

 丁寧に手入れしてきたのだろう、その鞘は使い込まれた皮製品特有の艶を帯びている。


「その短刀杖は……【星夜術刀(シュテルン)七八式】だな。この街で開発された機巧付き杖(テクノワンド)の一種だ」


「ええ。過去に支給された教会支給の宝珠は、星沁干渉力頼りのただの宝石だったから……私には使いこなせなかった。

 あなたにはすぐ見抜かれたけど、私は生来の星沁干渉力がそこまで高くないの」


 数少ない術師になれるだけの資質はある。だが、その中での生来の才能は劣っている。

 訓練を初めてすぐに気付かされた、と少女は語った。


「だけどこの短刀杖を使うには、術式を早く組み立てる技術さえあればいい。大規模な術式を使いたいなら、あらかじめ星沁を蓄積しておけばいい。

 この星夜術刀(シュテルン)七八式があったから、私は生まれつきの資質なんて関係なしに戦えたの」


 技術さえあれば良かったとイリスは簡単に言っているが、術式を自力で組み立てる技術は非常に高度なものだ。

 内容があまりに膨大で複雑すぎるため、学徒の間にも完全普及させることができずにいる程には。


「その短刀杖は、どうやって手に入れたのかね?」


 エリックは短刀杖を指差して訊ねた。


「大量に出回っている品ではないし、ていねいな説明書が付いているわけでもない。扱うのには苦労しただろう」


「私が宝珠を使いこなせずにいたのを見て、姉がくれたの。こっそりとね。

 説明書がわりに、学院教授が書いたっていう技術書も何冊か貰ったのよ。あなた達が体系化した構築式を初めて見た時は衝撃を受けたし、夢中になったわ」


「学院の技術書は、ここの高位学徒や帝国の技術者向けに書かれたものだぞ。あれを読んだのかね」


 ぎょっと目を剥くエリックに、イリスは肩をすくめて応えた。


「そりゃ難しかったけど、星夜術杖を使えるようになりたかったから何とかしたわ。

 エリック・オードランって人の著書が一番わかりやすかったから、私の術式は『オードラン式』をベースに組むようにしてるの」


「ほ、ほう」


「そうしたら、星沁干渉力が高いからって私を見下してた連中の目の前で、そいつらよりずっと精度も展開速度も速い術を組めるようになったの。

 『あなたには信仰心が足りないから祝福の恩恵が使えないのだ』とか言ってた連中の間抜け面ったら! 額縁に入れて保存しときたいくらいだったわ!」


 目の前の人間が『エリック・オードラン』だと知らないイリスは、喜々として『オードラン式』の良さを語る。

 エリックは今すぐ正体をばらしたいという誘惑に堪えつつ、質問を重ねた。

 

「……。実際に来てみてどうだったかね、学問の街チチェリットは。君の期待に応えられる街だったかな」


「こじんまりとした街だけど、良いところだったわ。迷宮に入るのにやたら規制が付いてたのは想定外だったけど、それ以外で困るような事はほとんどなかったし……」


 金眼を細めて、少女は寂しそうに笑った。


「この街の学徒には、知りたいことをいくらでも調べられる自由がある。才能がない人でも、努力で補う事ができる環境が、道具がたくさん揃ってる。

 それって、とても素晴らしい事よ。私も、初めから……こちら側に属していれば良かったのに」


 少女の願いは、切実な思いのこもったものなのだろう。

 短刀杖を握る少女の手が、ぎゅっと強く握りしめられる。


「……。君の居場所は、教会側に割れている。いま学院都市を出たら、君はすぐに連れ戻されるだろう。もう少し留まっていたらどうかね」


「教会は、あなた達を失脚させるための理由を常に探している。私は、その理由になりたくないわ」


「学院都市は、君が思っているほど脆弱ではないよ、イリスくん。それに……」


 エリックはとある書類をイリスに渡した。イリスが偽名登録した冒険者組合の書類と、イリスが所有している短刀杖のデータ、冒険者や学院関係者からの情報一覧などが一括にまとめられている。


「……え。なにこれ」


 自分の事が事細かに調べられているとは思っていなかったのだろう。

 唖然とするイリスに対して、エリックは書類を指差して言った。


「先日の教授会議の事だ。『とある若齢冒険者をスカウトして入学枠を用意するかどうか』という議論があった。その冒険者の名はイリス・デューラー」


「……私?」


 イリスは弾かれたように顔を上げた。

 自分が学徒になるという可能性については、まるで考えていなかったようだ。


「あぁ。君がまだ他の冒険者とパーティを組んでいたころの噂が、複数の教授の耳に入ったのだよ。

 高位学徒でもめったに使いこなせない、機巧付き杖を使いこなす少女がいるとね。

 ……その噂は、その杖の機巧を開発したエリック・オードラン本人の耳にも入った」


「……!」


「学徒として迎え入れたいという話題が上がるのは、自然な流れだったのだよ。そういうわけで、学院は君の素性について調べ始めていたのだ」


「私が……学徒に……」


 書類を手にするイリスの手は震えていた。しかし、彼女はすぐ諦めたように首を振る。


「気持ちはありがたいけどダメよ。さっきも言ったでしょ、私は」


「学院が学徒としてスカウトした迷宮冒険者の名はあくまで『イリス・デューラー』だ。

 イングリッドという少女について、我々は関知していなかった」


 エリックは、にやりと笑って言葉を続けた。


「教会がその身柄を渡せた言って来ても、できない相談だな。

 なぜならその子は旅人ではなく学院で保護するべき『学徒』であり、罪人や異教徒、『異形』でもない。

 ……引き渡せというのなら、その子がなぜ教会から逃げ出した、どのような人物なのかを詳細に通知されなければ承知できない」


 学院が描く筋書きはこうだ。


 学院が『イリス・デューラー』を学徒として引き入れたのは、教会の使者が来るより前の事。

 この娘は『イリス』であり、すでに学院の保護下にいる。

 『イングリッド』などという少女は知らない、とあくまでシラを切るのだ。


 それでも教会が『学徒イリス』の身柄を引き渡せというのなら、『英雄イングリッド』が逃げたという事実を世間に晒し。

 さらにはその英雄が活躍したのは、学院の技術の賜物だったと世間に公開してやればいい。


「教会は、信者が離れる事を何よりも恐れている」


 エリックはイリスを安心させるように微笑んだ。


「君が『イングリッド』ではなく『イリス・デューラー』のままでいるなら、無理に連れ帰ろうとはしないだろう。

 ……心配なのは、君の家の方が心配されているかもしれないという事だが」


「それは大丈夫よ。問題ない」


 イリスは短く、しかしはっきりと答えた。

 家には未練もない。家の方も、妾の子である自分が駒として役立たなくなったなら容赦なく捨てるだろう。

 教会と学院、という二勢力のみで物事を考えればいい。そう説明した上で、イリスは「でも」と首を振った。


「だけどね。いくらあなた達でも、私を学徒として受け入れるのは無理よ。だって、私は……」


 己の胸元を掴んで、イリスはうつむいた。

 彼女は、新しい可能性を前にして迷っている。しかし学院に迷惑をかけたくない──そんな思いを、エリックは感じ取った。


(素性のことが問題ないとすれば……この子は何をためらっているのだ)


 うつむいている少女を見下ろして、エリックは可能性に考えを巡らせた。

 少女との会話を遡り、思い当たる単語を──


「……。体質」


「っ!」


「迷いは、君の特殊な体質とやらが原因なのかね?」


 エリックの指摘に、イリスの肩がびくっと跳ねた。どうやら図星だったらしい。


「話してくれないか。君も知っての通り、この学院には帝国の最新技術が集っている。協力できる事もあるはずだ」


「でも、私はっ!」


「私が信用できないかね?」


 少女の警戒を解くには──そろそろ、ネタばらしをしても良いタイミングだろう。

 エリックはすかさず名刺を取り出し、少女の前に差し出した。


「そもそも、私は君に名を明かしていなかったからな。条件が平等ではなかったようだ。

 私の名はエリック。術式文化学研究室のエリック・オードランだよ」


「…………えっ? オードラン?」


「うむ」


「『祈りの科学的考察』とか『迷宮文化』、『術式構築手法』と『異邦の民に学ぶ』の著者?」


「そうだね」


「星夜術刀の機巧を構築した術師?」


「いかにも」


「この杖の製作者ぁっ⁈ 」


「そういう事になる」


 杖を抱いた少女は、目をキラキラと輝かせて身を乗り出した。

 その勢いは、怪しげな魔導(うすい)本を手に悶えているジェシカにやや似ているところがある。


(年頃の女の子に共通の仕草なんだろうか……)


 劇物的な反応にやや引いてしまいそうになりながらも、エリックは膝をつきイリスに視線を合わせた。


「君の噂を聞いて、学徒に推薦したのも私だ。だから……どうか私を信用して話してはくれないだろうか。

 なぜ君が教会から逃げ出し、そして念願の学院都市に辿り着いたのにも関わらず、学徒になる事もためらっているのか」


「……分かったわ。でも」


 イリスは頷き、しかし迷いを振り切れない曖昧な表情で続けた。


「私が本当の事を話したら、あなた達はためらうと思う。やっぱり学徒として受け入れられないって、そう思うかもしれない。だから、話すより先に……」


 差し出される高級紙。エリックが渡したばかりの名刺の裏だ。

 まるで辞表を差し出す企業戦士のような面立ちで、少女は宣言した。



「……先に、サインだけ貰えない?」


 

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