【教会の使者】
小さな礼拝堂を、静寂が包んでいる。
それは決して、神に祈る空間である事だけが原因ではない。
学都チチェリットの礼拝堂を訪れる学徒は、この礼拝堂の中で歌や楽器を奏でたり、進路の悩みを司祭に打ち明けたりする。
学都にとっての礼拝堂は、祈りの場であると同時に憩いの場でもあるのだ。それが異様な静寂に包まれている、その理由は──
「ふむ……手入れはされていますね。しかし小さい。供物も少ないようだ。あぁあ、街に異教徒が多い影響でしょうか?」
──礼拝堂の視察に来ている教会本部の審問官。そしてその背後に控える、亜麻色の髪の女性の威圧感だ。
彼らが礼拝堂を見て回るあいだ、たまたまその場にいた学徒たちは窓越しにおそるおそる様子を眺めるか──審問官への敵意を隠さず、じっと睨みつけている。その二択だった。
(男女一組、合計ふたりか……随分と少人数だな)
入り口付近の壁に寄り掛かり、黒服のふたりをじっと観察するのはエリック教授だ。
教会監査に対する案内人に指名され、ともに街の礼拝堂に繰り出したのだ。
以前はもっと大人数の審問官が、高圧的な態度で学都を練り歩き睨みを効かせようとしていたものだが。
「──まぁ、及第点でしょう。問題ないと本部に通達させていただきます。
お付き合いいただきありがとうございました、学院の皆様に女神アラディルの御恵みあらんことを」
今回の審問官はやけに物腰が柔らかい。しかし教会の本部から派遣されてきたのだから、それなりの実力者なのだろう。
教会にとって学都は敵地であり、下手な動きをすれば学都と争いになる。使者として選ばれたこの男は、波風を立てず事を運べる──そう判断されてここに送り込まれたのだろう。そう考えるのが自然だ。
(油断ならない蛇……といったところか)
この男──物腰の柔らかさの奥に、油断ならない目の光を感じる。若草色の瞳の奥に暗く揺れる、この炎は……
「……おや、どうかしましたか?」
審問官が気付いて、こちらを振り返った。
査察とやらはもう終わったらしい。
「──いや。何でもありませんよ」
エリックは身を起こし、肩を竦めた。
外の広場で、オリーブ色の肌をした放浪民の子供が遊んでいるのが見える。
子供たちの笑い声は、礼拝堂の中まできゃっきゃと響いてきていた。
「……遠路はるばるご苦労様でした。長旅でお疲れでしょう。学院の客室を空けさせていますよ」
「いえ、お言葉ですが……我々はこの教会に、一晩の宿を求めたいと思っております。
教会都市イスカリオンを遠く離れようとも、我らは神に仕える身。常に神と共にあらねばならぬのです」
「それはそれは……では、審問官殿のお好きなように。何か不便があれば学院にお申し付けください。
この学都におられる間は、あなた方も我々の客人ですからな」
目を細め微笑みかけると、審問官も笑みを返して来る。
張り詰めた空気が、バチっと火花を走らせたような気がした。
「あ……」
そんな中、ふいに可憐な女性の声が響く。
審問官の背後に控えていた、大人しそうな女性だ。青い瞳を細め、窓の外を見ている。
「どうかしましたか、姉妹ディアナ」
「見つけたの。イングリッド様」
その目に宿る爛々とした光を見て、エリックは危険を悟った。
勝手に行動させてはまずい、そう思った瞬間には──
「先に行きます、なの」
目を鋭く細めた女性は、エリックのわきを通り扉をすり抜けてしまった。
その黒ずくめの背中は、何かをめがけて一直線に走っていく。どう見ても、戦闘訓練を受けている人間の身のこなしだ。
(あの女、ただの審問官ではないな)
教会が異形狩りに用いるという特殊戦闘部隊、〈闇夜の烏〉……その一員だ。
「審問官殿、彼女は何を──!」
振り返ったエリックに、審問官は満面の笑みで応えた。
「ご安心を。我々の不祥事を、我々の手で片付けるというだけの話です」
「あなたはいったい、何を言っておられるのだ」
「教授殿、あなたはイングリッド・フォン・バルヒェットという娘をご存知ですか?」
──イングリッド・フォン・バルヒェット。
学院都市、そして学院の対抗勢力である教会関係者の中に、その名を知らぬものはいないだろう。
バルヒェット家は、皇室付きの近衛将校を輩出してきた騎士の家系にして大貴族。現皇太子妃もこの家の出身だ。
そしてこの家は、イウロ人至上主義を掲げ、異教徒殲滅を支援している教会の支援者でもあった。
その中でも、現当主の末娘である『イングリッド』という少女は有名だ。
わずか十一歳の身でありながら、初の『術師将兵』として活躍。
北東アナストリア内戦の鎮圧に貢献し、教皇から聖騎士の称号を得た英雄として世間に名をとどろかせたのだ。
教会支援者は彼女を『幼き身でありながら神の寵愛を受けた使徒だ』と称え、学院関係者は『殺戮兵器に仕立てられた哀れな子供だ』と称した。
しかし彼女はアナストリア内戦鎮圧と同時に姿を消し、それ以上の噂が伝わる事もなかった。
戦死した事を隠すために、バルヒェット家が真相について口止めしていたと言われていたが……
(生きていたのか。生きていて、教会から逃げ出したのだな)
教会の傀儡にされる事に嫌気がさしたか。兵として生きる事に疲れたのか。それとも……
エリックの思考を、陶酔したような審問官の声が遮った。
「そのイングリッド様が、この街に冒険者として訪れているという噂がありましてね。あぁあ、早く見つけられて良かった。これも女神アラディルのお導きでしょう」
「……。」
彼女の扱う術式は規模こそ小規模だったが、驚異的な術式展開の速度を有していた。
またその機動性と圧倒的な知識量を以って、敵の先手を打つ作戦も数多く立案。
内戦鎮圧において、多大な功績を挙げたと言われている。
そういった噂が本当なのであれば、彼女は教会の内部について……見てはいけないものを、見てしまったのかもしれない。
「その子の身柄を確保したとして、あなた方はその子をどうしようと言うのです」
「あなた方には、関係のない事です」
柔らかな笑みを浮かべて、審問官は返答を拒否する。
お前たちには関係のない事だ。そもそも身内をこちらで処理すると言っているだけの話だから、お前たちに出る幕はないぞ──そう告げてきた審問官を、エリックはにらみ付けた。
「ここは我々の街だ、審問官殿。この街の全ての住人は、我々学院によって保護されている。この街に来た時点で、そのイングリッドという子も学院都市に属す者となった」
「……」
「貴方がたの好きにさせるわけには、いかないな」
不敵に笑って、エリックは駆け出した。




