伝説の勇者…の、末裔
むかーしむかし、あるところに、悪い魔王がいました。
魔王は悪逆非道のかぎりをつくし、人々はその魔王を怖れました。
そんな時、一人の青年が立ちあがり、女神の加護を受けた聖剣を振るい、死闘の果てにとうとう悪い魔王をやっつけました。
こうして、世界には平和が戻ったのでした。めでたしめでたし。
…この世界、ロンドルツに生まれたものであれば、誰もが知っている伝説。
確かにこの世界は100年ほど前に、一度魔王とその手下に滅ぼされかけ、勇者フォルテによって救われている。
だが、それも現在を生きる人たちにとっては遠い昔のことで、若者の中には、おとぎ話だとすら思っている者もいるのだろう。
しかし勇者フォルテが実在していた事は事実であり、今の世にだって、彼の子孫はいる。
だが、彼らは自身が勇者の血を引く者だと大っぴらに語る事はしなかった。
勇者フォルテは魔王を打ち倒しはしたが、その配下である魔族や魔物までをも滅ぼしたわけではない。
自分が勇者の血を引いている事が知られれば、報復として魔族たちに狙われるかもしれない。
ただ、勇者の子孫であるというだけで、特別戦うための力を身に付けているわけではなかった彼らはそれを恐れ、普通の市民として、慎ましく生きることを選んだのだ。
…だが、これもまた、勇者としての血を引く者の定めなのだろうか。
束ねていた魔王が倒れた事によって、魔族や魔物の大半は、自分と対等以上に渡り合える人間という存在を警戒し、山や森の奥深くなど人気のない所に隠れ住むようになっていたのだが、近年になって彼らは再び人前に姿を現すようになり…ある年、偶然なのか、はたまた意図的なものだったのか…自分達の住んでいる村を、群れを成して襲撃してきたのだ。
村のみんなの為、家族の為に…勇者の子孫である男は、己の体に流れる血に突き動かされるように、武器を手に勇敢にも魔物に立ち向かって………そして、妻と、一人の娘を残し、その命を落とした。
…それは、今から5年ほど前の話である。
「……ファイアー、ボール!」
まだ僅かに幼さの残る少女の声が響くと、かざした手にゴウっと音を立てて火球が生まれた。
それは人の頭くらいにまで大きさを増し、それを作り出した少女が放つように手を前へと突きだすと、真っ直ぐに正面へと飛んでいった。
火球は魔物の形を取った的に直撃して、的を打ち付けていた後ろの木ごと炎上させ、大きな松明を作り上げた。
ごうごうと燃え上がる木を見上げながら、少女は満足げな笑みを浮かべる。
「…うん。下級の魔法だったら、だいぶ様になってきたかな。」
そう一人呟いて頷くと、後ろでまとめた背中まで垂れる栗色の髪が、馬の尾のように揺れた。
「…大きな音と炎が見えたと思ったら…ピア、あんた、またそんなことしてるのかい?」
背後から、非難の色を含んだ声がかけられる。
ピアと呼ばれた少女が振り向けば、三十半ばから四十前後くらいの女性が、少し離れたところで悲しげにこちらを見つめて立っていた。
少女とどことなく似た顔立ちに雰囲気。恐らくは母親だろう。
「…何?母さん。別にいいじゃない。戦うための力を身に付けて、何が悪いの?
最近になって、魔物もますます活発になってきてる。身を守るための力は、必要でしょ?」
母の態度に、ピアは頬を膨らませながら言い返す。それでも母は、不安そうにピアのことを見つめるだけだ。
「自衛のために、なら、私だって構わないわよ。
……ピア。私はね。あんたが力をつける事で、父さんみたいに、有りもしない使命感に突き動かされて、半端な実力で無茶なことをしないかが心配なんだよ。」
「……っ。」
図星を突かれたのだろうか、ピアの顔にあからさまに動揺の色が広がる。
それを誤魔化すように、腰に下げていた木剣を構え、そのまま今度は素振りを始めだした。
「…あんた、さ。あんたなりに、今の魔物たちが蔓延ってる状況を、なんとかしたいって思ってるんじゃないのかい?
…隠したってわかるよ。もう、17年、あんたの母親やってるんだから。そもそもあんたは嘘がつけるような性格じゃないしね。
そりゃあ、私は父さんやあんたと違って、勇者の血を引いてるわけじゃない。
……けどね、勇者の子孫だからって、背負わなくてもいいものまで、背負うことなんかないだろう?
そういうのはさ、もっと強い人達に任せておけばいいじゃない。」
黙ったままのピアに、さらに続けて言う。
母親としては、自分の娘が戦うための力をつけると言うのは、決して好ましい事ではないのだろう。
必要に迫られれば、命のやり取りをするような場所に、その身を投じかねないのかもしれないのだから。
「…そういうわけには、行かないよ。今の状況を見れば、何かが起きてる事は確かなんだ。
そりゃあ…私に何が出来るのかはわかんないけど、それでも私に何か出来ることがあるかもしれない。
そう思ったら、人任せにして、大人しくしてることなんて、出来ないよ。
…それに、5年前、村が魔物に襲われた時にわかったんだ。
私は…勇者の血を継ぐ者は…こういう時、魔族や魔物たちと戦う運命にあって、それからは、きっと逃れられないんだって。
だから…逃げられないなら、私は、立ち向かいたい。」
うつむき、木剣を持った手を降ろして、ぽつり、ぽつりと区切るように話す。
ピアの静かな、だけど確かな決意を聞いて、母のその表情に、憂いの色がさらに濃くなったのが見えた。
「…そう、かい。…もう、そこまで決めていたんだね。
止めて聞くようなあんたじゃないのはわかってたけど…あてはあるの?」
諦めたように苦笑する母に、胸にちくちくとした痛みを感じながら、それでもピアは、まっすぐに母を見えた。
「…昔、父さんに聞いた事があるんだ。勇者フォルテの使っていた、女神の加護を受けた聖剣が、とある村に託され、隠されてるって。
この先必要になることもあるかもしれないから、とりあえず力をつけながらそこを目指そうと思ってる。」
「…ああ、確か、ここからだと十日くらいの距離にある、ダンテ村だっけ。
その話なら、私も父さんに聞いたことがあるよ。
…こんな日が来るかもしれないことを、予感してたのかもしれないね。
…なにもさ、今すぐ出発しようってわけでもないんだろう?もうしばらくは、修行なりしていくんだろう?」
少しでも長く、この場に引き留めたいと言うのが明らかな母親の様子に、また、胸がちくりと痛む。
それでも、ピアはゆっくりと首を振った。
「…独学じゃあ限界があるし、これ以上は、実践も必要だって、思ってた所だったから…
それに、確か今って、丁度村の宿に二人組の冒険者が泊まってたよね。男の人と女の人の。
その人たちにお願いして、一緒に行けるところまでは行けたら、最初はその方がいいかなって。
母さんだって、誰かと一緒の方が安心できるでしょ?」
出立できるのならば明日にでも。
言外にそう告げるピアに、母はやはり悲しげな表情を見せるばかりだ。
「…いつか、絶対に、帰ってくるんだよ。」
「…うん、もちろん。わかってる。」
しばらくの沈黙の後、お互いに一言だけ、短く鉄よりも固い約束を交わす。
「…さ!話が決まったら、私もそろそろ夕飯の支度しないとね。今日はあんたの好きなオムレツにしよっか。」
「……うん。嬉しいな。」
努めて明るく振る舞おうとする母に、ピアもなるべくそうあろうと応えようとするが、うまく笑えることは出来ただろうか。
……ともあれ、こうして今、一人の若き勇者の冒険が、始まろうとしていた。