第8話「娘さんが世界を掌握しているようなものなのに」
この作品、VRMMOをテーマにはしているけどMMORPGっぽくはないなあ、と今更のように思っていたのですが、アニメ『ネト充のススメ』第1話を鑑賞して大変安心いたしました。あくまでアニメ版1話を見ての話ですが。
ある日の大学。そろそろ帰宅かなという頃。
「えー、電車こんなに遅れるの!?」
「うわー、こんな時間ならダチのアパートに泊まらせてもらうかなあ」
民族資料研究会、民資研の先輩方が携帯端末を見ながら叫んでいる。電車遅延の通知を受け取ったらしい。電車って普段は予定時刻通りだけに、いざ遅れると困るよね。
「春香ちゃん、お願い!まだ電車が動いている駅まででいいから!」
「でも、万が一、事故があったら…。大学側は同乗禁止とか、してないけど」
「大丈夫、車で数分のところだから!このキャンパスからだとバス路線ないのよ!」
はー、まあ、それならいいかなあ。街中とか高速とかじゃないから問題は少ないだろう。事故フラグじゃないよ?
というわけで、私の車で二人の先輩を無事に該当駅に送り届ける。報酬は、学食のクリームシチューって言っていたけど、丁重にお断りした。『あーん』攻撃はもうこりごり…。
ふと、両親のことを思い出す。そういえば、ふたりも遅延の影響を受けるよね。かなりの遠回りになるけど、今日くらいは職場に迎えに行ってもいいかな。住所は知ってるし。
「ここからだと…お母さんの職場の方が、近いか」
そうして私は、車の向きを変える。
◇
母親の働いている郊外の化粧品チェーン店に到着する。ここで事務職として働いていると聞いている。そろそろ退勤時刻のはずだ。
駐車場に車を停め、店の入口に向かう。あ、もう閉店なら入れな…あれ?開いてる。
「だからー!この写真のようになれる化粧品を教えてよー!」
「お客様、これはさすがに無理かと…」
「んなことねえだろ、これ、すっげえ綺麗じゃん?」
私はあれか、クレーマー遭遇率が高いのか。といっても、前は旧FWO本社の受付の荒くれ者だったか。もうずいぶん前だなあ。
店員さんが3人がかりで困り果てている。この客がふたりして駄々をこねているから入口開けたままなのか。しょうがない、ここで少し待って…
「ですのでお客様、VRゲームのアバターと現実は違いますので…」
「なんでだよ!めちゃくちゃリアルだろ、このケインの造形!」
「そうよそうよ!あのリーネの力作だって言ってたわよ!」
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我が力作が大変御迷惑をおかけしております。もちろん、化粧品店の店員さんにね!ていうか、FWOでの攻略とスローライフが、こんな形でリアルに影響しているとは…やり過ぎたのかなあ。
などと、ひとり反省しているのもあれだ、少しは責任を取ろう。
「あの、失礼します」
「あ、ごめんなさいお嬢ちゃん、もう閉店…!?」
「なんだよ…うぇ!?」
「え、え、なんで…!?」
あら、みなさん、私がリーネやってる人物ってことに気づいたかな?なら、話は早い。でも、『うぇ!?』はないでしょ。
「突然失礼いたします、佐藤春香です。別件で来店しましたが、少々口を挟んでよろしいでしょうか?」
「え、あ、は、はい、ど、どうぞ!」
「では、失礼して…。お客様、店員の方が話されたことは事実です。FWOアバターの造形で用いる化粧データと、現実に存在する本物の化粧品とは全く異なります」
「そ、そう、か…」
「そう、よね…」
なんでこんな当たり前のこと言わなきゃいけないんだろうなあ、と思いつつ、話を続ける。
「ですので、現実の化粧品を用いるのでしたら、こちらやこちらをおすすめ致します」
「「「…え?」」」
「お、現実でもいけるのか!」
「いいわねいいわね!」
いやあ、ケインの造形を考える時、一応、現実の化粧品も参考にしたんだよ。男物だから苦労したけど、パンフレットの記載事項から成分とかも割り出して、FWO内アイテムとの比較をしたりしてね。
現実に勝る存在感はなし。これは、主砲とかのアイテムに限らず、アバター造形でも同じだ。現実の綺麗な化粧を目指してFWO内で試行錯誤すれば、そりゃあリアリティが増すってもんだ。
「店員さん、これらの試供品はありますか?お客様さえよろしければ、この場で私が少し化粧をして差し上げますが」
「は、はい、あります!」
「おう、頼むぜ!」
「これが、あの『現界』能力なのね…!」
いやいやいや、そんな厨二病的な代物じゃないですって。…ないよね?
◇
そんなこんなで、無事お帰り頂いたお客様。いや、私がお客様とか言うのはものすごく変だけど。でもまあ、おかげで結構な量の化粧品を買っていってくれた。サインは断ったが。
「あ、あの、ありがとうございました!」
「いえ、差し出がましいことをしてしまい、申し訳ありませんでした」
「そんなことありません!先程の化粧品の組合せは、本部に送って活用させていただきます!」
なるほど、そういう商売もあるか。でもこれ、対象がケインっていうVRアバターだから成り立つ話だよね。現実の芸能人だとどうにもならない。それは既にプロがいるか。
「そ、それで、当店にどのような御用件でしょう?」
「べ、別件で来られたということは、化粧品を、お、お求めではないのですよね?」
「しょ、商談ということでしたら、本部にお越しいただかないと…!」
えーと、店員のみなさん、なんでそんなにビクビクしてるんですか?取って食ったりしませんよ。むしろ私の方がコンパクトで食べやすいですよ!なんでやねん!
「あら、春香?」
「あ、お母さん」
「「「お母さん!?」」」
すっかり帰り支度の母親が、奥から出てきた。いやちょっと、店員さん達が大変だったのに、奥で何してたのよ。
「さ、さ、佐藤さん!?え、え、え、」
「えるさるばどる?」
「違います!どこから出てきたんですかその国名!佐藤さん、FWOグループ代表の佐藤春香さんの母親だったんですか!?」
「ええ、そうよ?」
お母様、店員さん達にもボケボケ対応されてらっしゃるのですか…なんというか、申し訳ありません。
「そ、そんなこと、ひとことも!」
「でも、春香がそういうのになったのって、最近よ?ねえ、春香?」
「3か月くらいしか、経ってないかな」
そうなんだよねえ。ああでも、リーネとしては更に数か月前から知られていたかな?どちらにしても、1年も経ってないね。『放浪者』としては…いや、今は忘れよう。
「えええ…佐藤さん、娘さんが世界を掌握しているようなものなのに、ここで事務職を続けているんですか?」
ちょーーーっと待ったあ!!なんだその魔王みたいな表現は!!私は世界を掌握とかしてないぞ!?そりゃあ、こないだ各国首脳陣と今後の世界の行く末とかを集中討議したけど、かなり平和的なものだったぞ!ラブ&ピース!!
「あら、春香、あなた、世界を掌握してるの?」
「まさか」
「そうよねえ。私もいつも通り、ここでお仕事よ」
「でも佐藤さん、お給料、私達より少ないですよね…」
あら、そうなんだ。事務職だとそんなものか。
「それで春香、今日はどうしたの?」
「電車が、遅延している。迎えに、来た」
「そうなの?知らなかったわあ」
お母さん、携帯端末持ち歩かない主義なのよねえ。この仕事に必要ないからって。お父さんもだけど。
これはあれか、放っておいたら駅でずっと呆けてて深夜帰宅のパターンだったか。致命的な話ではないとはいえ、我が母親ながら…。
「あら、それじゃあ、お父さんも迎えに行かないと」
「そのつもりで、来た」
「そう。じゃあ、一緒に帰りましょ!」
あらためて、店員さん達に挨拶する。
「これからも母をよろしくお願いします。それでは失礼いたします」
「じゃあみんな、また明日♪」
「「「は、はい…」」」
はあ…お母さん迎えに来ただけでどっと疲れた…。お父さんのところではすんなりいくといいなあ。