表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
国境の空  作者: SKYWORD
93/96

廃都編 36章

 ボストへの出発に向けての準備期間という訳でもないのだろうが、今日から出発日前日までの期間、俺達は通常訓練業務への移管を命令された。参謀府の命令書をひらひらさせながら、大尉がその旨を俺達に告げ、それを聞いた俺達はほっと安堵のため息をつく。

 窓の外には雪がちらつき始め、俺達はやたら火力だけは強いが、なぜだか暖房能力が少々欠如しているストーブの入った部屋で、それぞれの机や、ロッカーの整理を始める。用意されたダンボールに私物を放りこみ、整理すべき書類を、基地に残す物と参謀府に送付するものに分けていく。もともと物の少ない俺の机の整理は一時間程度で終わり、俺よりもずいぶん早く整理を終えていたアキとグリアムは、混沌としているとしかいいようのない大尉の机の整理を手伝っていた。

「……おい、アキ。それ、一応俺の私物なんだけど」

アキが勢い良くゴミ袋に放り込んだ小物類を取り出しながら大尉がそう呟く。最初は幾分機嫌よく手伝いますなどと言っていたアキだったが、手伝い始めて数分後には表情が冷たくなり、大尉が必死で隠そうとしていた机の一番大きな引き出しを開けた時には、あからさまな苛立ちの表情を浮かべていた。無言で睨み返したアキの表情に怯えたのか、大尉は、その私物を改めてゴミ袋に放りこみ、大量の書類の選別にどことなく気落ちした様子で取り掛かり始める。

「整理整頓。大尉も今後は気を付けないとなあ」

その様子を可笑しげに眺めていたラルフ曹長がそう呟く。


 発生した大量のゴミ袋を、巨体を活かしてルパードがどんどんと部屋の外の廊下へ運んでいく。俺が二往復で運んでしまう量とほぼ同量のゴミをルパードは一往復で軽々と運んでいた。太い木の幹のようなルパードの腕を感心しながら眺めていると、俺の視線に気づいたのか、ルパードが俺に笑いかけた。

「ゴミの半分は大尉のヤツだぜ。まったくよう……」

呆れたようにそう呟きながら、ルパードはゴミ袋を指さす。そのゴミ袋には、いったいなぜそれを机の中に入れておく必要があるのかまったくわからない多種多様な小物類が所狭しと詰まっていた。 

「アキが怒ってたからな。最初はこれはどうしますか? とか聞いてたのに」

積まれたゴミ袋の中から、比較的重そうなものをいくつか選んで、俺とルパードは屋外にそれを運び出す作業にとりかかることにする。


 外の寒さは想像以上で、瞬く間に指の先が冷たく痺れ始めた。ふと、二階の窓を見上げると、かすかにアキが大尉になにか小言を言っているのが聞こえる。

「頼むからそれだけは捨てないでくれ。な、ほら、今日はなにか奢るからさ」

大尉の懇願の声が外まで響いて来た。

「まったく、なにをやってんだかなあ」

ルパードが呆れつつも楽しそうな声でそう呟き、同意を求めるように俺の方を見る。

「アキは整理整頓の鬼だからな。国境にいる時からいつもそうだっただろ?」

俺がそう答えると、違いねえ、とルパードが応じる。

「最初はみんな散らかし放題だったんだけどよ。アキが来てからは片っ端から放り捨てられたからな。こう、ゴミ認定された物は」

「ゴミ認定ってのもすごいよな。まったく男所帯は……」

最初に国境の基地宿舎に赴任したときのことを思い出しながら、俺はそう呟く。


「……国境か。なんかずいぶん時間が経ったような気がしねえか?」

焼却炉にゴミ袋の中身を放りこみながら、ルパードが俺の方を見る。確かにずいぶんと昔の事のように思えた。まだ国境から離れて数ヶ月しか経っていないのに。それだけ密度の濃い数カ月を俺達が過ごしてきたということだろう。平時の兵士が経験する何倍もの量の経験を積んだことが、僅かでも自分の成長に繋がっていることを信じたいと俺は思う。


 ちょうど十三時の鐘がなるころに書類整理は終了し、積まれた書類のダンボールとがらんとした机のみが残る部屋で、俺達はそれぞれ大尉から配られた命令書に確認のサインをする。二週間後に迫ったボストへの移動命令書だ。移動先に書かれたボスト派遣軍事顧問団第三駐屯地という文字を眺めながら、未だ見たことのないボストの地を俺は想像する。

「みんな片付けも終わったことだし、今後のスケジュールを説明しておく」

大尉の言葉に皆が顔を上げる。

「明日からは通常訓練業務だ。朝九時にこの部屋に集合し、アキとグリアムはナイフを中心とした格闘訓練を、ルパードとラルフ曹長は素手での格闘訓練を、カイルは屋外射撃訓練場での射撃訓練を行ってくれ。時間は四時間。ちょうど昼までだな。で、昼食休憩が三十分だ。午後からは諜報部のF二五からボスト国内の政治、経済、軍事についての基礎レクチャーをやってもらう。これは大体、二時間程度を予定している。その後、十八時までは合同訓練を行う。基本的には歩兵操典の後方潜入任務教本に沿う形だな」

ホワイトボードに書かれた指示内容を簡単にメモにまとめ俺が顔を上げるのとほぼ同時に、大尉はホワイトボードの前から自分の椅子に戻り、皆を見回した。

「ま、そういうことだ。必要なのは二週間後までに体調、精神面、両方を最良の状態に整えておくこと。オーバーワークも、怠慢もダメだからな。特にお前らの場合はオーバーワークで体を壊さないように」

わかったかアキ、と最後に付け加えて大尉が笑みを浮かべると、アキは、大丈夫です、と素っ気なく返答する。余計な気遣いをするなと言わんばかりの目線を向けられた大尉が苦笑いを浮かべているのが見えた。


 午後はそれぞれ自由行動。帰りたい奴は帰ってもいいと大尉に告げられ、俺はとりあえず六時までは射撃訓練にその時間を当てることにした。ロッカーから狙撃銃を取り出し、射撃訓練に行く旨を皆に告げると、グラウンド横に併設された訓練射撃可能距離二百メートルほどの射撃訓練場に向かう。

 木造の古い射撃訓練場には、あまり人が訪れることもないのか全体的にうっすらと埃が積もっていた。比較的埃の少ない射撃ブースの一つに俺は陣取り、首都で狙撃兵訓練を受けた頃から何度も繰り返してきた一連の確認作業を終え、二百メートル先に立てられた直径三十センチほどの的に狙いを絞る。

 いくつかの制式弾を切り替えながら訓練を繰り返していくうちに、最初は的の中心から若干外れがちであった弾丸が、少しづつ的の中心に集まり始めた。

 かつて、首都で装甲車を狙撃したときから実感として感じ初めていたことがある。それは人間の体というものは完全な静止状態には出来ないという事実だ。心臓の鼓動から全身にめぐらされる血液の流れは、常に僅かな揺れを指先にもたらし、その結果、銃口は常に揺れ動くことになる。そのなかで大事なのは、かつてアキにも指摘されたことではあったが、その揺れのリズムを掴むことだ。自分の拍動が生むリズムを認識し、引き金を引くタイミングを計る必要がある。


「腕が上がったようだな」


いきなり後ろから声を掛けられ、俺は幾分の驚きとともに振り返る。邪魔だったか、と笑みを浮かべながらラルフ曹長が俺の肩をかるく叩いた。

「大した集中力だ。しかし、人が近づいてきたのに気づかないようではまずいんじゃないか?」

「戦場であれば、後ろには、アキやグリアム、ルパードが居てくれます」

俺がそう答えると、ラルフ曹長は、それもそうだ、と呟く。

「……今回の件。おそらくお前の狙撃が必要とされる可能性が高いと俺は見ている。ここで見る限りでは、少なくとも敵との距離を三百メートルから四百メートルまで詰めればほぼ確実といった所だな。心強い限りだ」

「そう言われると恐縮です。もっとも、ここは訓練場ですからあまり結果をあてにはできませんが」

俺が苦笑いを浮かべてそう答えると、そうでもないさ、とラルフ曹長が応じる。

「あとは、お前の背後を守れるようにアキとグリアム、ルパードを鍛えておけばいいということだ。お前が確実に的を外さない距離までな」

幾分の冗談と、幾分の真剣さを交えた表情で、ラルフ曹長は俺に笑いかける。ありがたさと心強さで、俺の心中にくすぶり続けている不安がほんの少し軽くなったような気がした。


 ラルフ曹長からのアドバイスを貰いながらの射撃訓練を終えて、グラウンドに出ると、アキがルパード、グリアムを同時に相手にしながらラバーナイフを捌いているのが見えた。動きの素早さは最初に国境で見たときと変わらない鋭さを保っていて、遠目から見るそれはまるで完成された剣舞のようでもある。

 ナイフの訓練の指導に入ったラルフ曹長を置いて、一足先に部屋に戻ると大尉が自分の私物の入ったダンボールを寂しげに眺めていた。かなりの量の私物が捨てられ、懇願の結果残してもらえた私物類を眺めているうちに寂しさがつのってきたのだろうか。

「とんだ災難だったよ……」

俺の姿を認めると、大尉はため息をつきながらそうこぼした。

「日頃からちゃんと片付けておかないからですよ。アキが手伝いに来たのが運の尽きでしたね」

俺がそう答えると、大尉は、お前までそんな事言うのかよ、と呟く。

「アキも酷いけどさ、グリアムも酷いんだよ。いや、むしろ大事な物をぽんぽん捨ててくれていたのはグリアムの方だったかもしれない」

未練がましく大尉がそう続ける。

「まあ、あんまり未練がましくしていると、またアキの機嫌が悪くなりますよ。いまはナイフの訓練で機嫌よくなっているでしょうから、戻ってきたら食事にでも連れていってあげたらどうですか」

「奢るって言っちゃったからなあ……。首都にでも連れて行くかな」

未練を振り切るようにダンボールを閉じ、厚手のガムテープでそれに封をすると大尉はそう呟いて椅子に戻る。

「ところで、大尉。エイジアに行ったラシュディさんとディルの事って、なにか近況とかわかりますか?」

「ん? 何か気になることでもあったのか?」

大尉がダンボールから俺に視線を移す。

「実は昨日からリーフが熱を出してまして……。よい近況なら、伝えてあげれば元気になる助けになりますから」

俺がそう答えると、リーフちゃんのためかあ、と幾分のからかいを込めたまなざしで大尉が呟く。

「先日のエイジアからの報告では、悪い報告はなかったぞ。ラシュディさんはエイジアの軍産共同研究センターに勤務し始めてるって事だったしな。ディルは近くの小学校に問題なく通っているそうだ。……今度の会議の時に外務省の奴にもっと詳しいことは聞いておくよ」

大尉はそう言って、俺に一枚の写真を差し出す。

「国境で写真に撮ってた奴がいたみたいでな。昨日部隊宛に届いてた。これ、ディルも写ってるし、持って行っていいぞ」

写真には、ビクセン軍曹の料理を前に、もくもくと食事をとるアキと俺、ディルにグレープフルーツを食べさせているリーフの姿が写っていた。

「リーフが喜ぶと思います。ありがとうございました」

俺がそう言うと、大尉は、アキから捨てられるのを必死で守った中の一品だからな、と冗談交じりに呟き、そういうことなら早く帰ってやれよ、と笑みを浮かべる。

「どうせ、気になって仕事にならないだろ?」

大尉の言葉にうまく反論できる言葉もなく、俺はしばらく逡巡したあとに、そうします、と苦笑いを浮かべる。言われた通り、今日は早く帰ってリーフにこれを渡してやろうと思った。きっと喜んでくれるだろう。リーフの喜ぶ笑顔を、俺は早く見たかった。ボストに旅立ってしまうまでの間になるべく多く。離れていてもいつでも思い出せるくらいに。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ