廃都編 28章
「今日は、もう帰って良い。明日は遅れないように」
しばらくの雑談の後、ケビン大佐がそう告げた。俺たちはそれぞれ大佐に敬礼をし、部屋を出る。
「さて、今日はどうしようかな」
大尉がそう呟いてどこか軽やかな足取りで廊下を歩いていく。エレベータを下り、中庭に続くドアを開け、もう真っ暗になった外に出ると、ライトアップされた中庭に、二台のジープが停まっていて、ラルフ曹長、グリアム、ルパードがベンチに腰掛けているのが見えた。書類書きからやっと解放されたのだろう。
「曹長、悪かった。本当に反省してる」
大尉が両手をあわせ、曹長に頭を下げる。曹長は何かを悟ったような、それでいて呆れはてたような笑顔を浮かべ、首を振った。
「あなたの副官である以上、これくらいの事は織り込み済みですが……」
ベンチから立ち上がった曹長はそう言って笑った。グリアムとルパードは疲れ果てた表情でベンチに座り込んでおり、手が疲れるのかしきりに手のひらをひらひらさせていた。
「えっと、とりあえず明日の十八時にここに集合になった。それまでは自由時間ということで、各自実家に帰るなり、休憩するなり、好きにしてもらって構わない。レーダー基地に寮を準備してもらっているので、今日中にそこに入りたい人間は俺についてきてくれればいい」
大尉がそう指示をすると、ルパードとグリアムの顔に輝きが浮かぶ。現金な奴らだと思う。そうはいいつつも、おそらく俺の顔にも喜色は浮かんでいる事だろうが。
「大尉、それって……」
グリアムがそう呟くと、大尉は、明日の夕方まで休みってことさ、と答えた。
「次の休みはいつになるかわからない。曹長とグリアムは確かセルディスが実家だったろう? 顔くらい出しといた方が良いよ」
大尉はそう続けて、アキに視線を移す。アキは無表情な瞳を大尉に向けて、やがて小さく首を振った。
「お前は、レーダー基地に入るのか?」
大尉がそう尋ねると、アキは頷きを返し、ジープの助手席のドアを開け、荷物の確認を始める。相変わらず仕事熱心なことだと思う。
結局、曹長とグリアム、ルパードはセルディスの実家で休むということになり、レーダー基地に向かうのは、俺とアキと大尉の三人になった。荷物が積まれたジープにはアキと大尉が乗り込み、もう一台のジープには俺が乗り込む。基地までは一緒だが、俺はそのままブルームまで向かう。多分、日付が変わるか変わらないかという時間には帰る事が出来るだろう。おそらく、皆寝ているだろうけれど。
「じゃあ、また明日。……俺が言うのもなんだが、遅刻は厳禁ということで」
大尉がそう告げると、皆の顔に苦笑いが浮かぶ。明日も遅刻すれば、下手をすると処分だろう。それだけは避けたい所だった。
参謀府を出て数時間が経過し、前を走る大尉のジープの後をひたすらに走っていると、ジープのハザードランプが点灯し、停車するのが見えた。故障だろうかと思い、俺が車を止めて、大尉のジープまで向かうと、運転席に座っているアキが、気分が悪そうに俯いているのが目に入った。
「どうしたのですか?」
大尉にそう尋ねると、大尉は心配そうな表情でアキに視線を移す。
「アキがどうも気分が悪いみたいでさ」
「……大丈夫です」
アキがどう見ても大丈夫だとは言えない青ざめた表情でそう呟く。大尉は助手席のドアを開け、車を降りると、そのまま運転席の方に向かってドアを開け、アキを多少強引に車から降ろした。
「大丈夫だと……」
大尉の顔を見上げながらそう抗議するアキを無視して、大尉はアキの手を引く。
「いいから降りろ」
アキをそのまま道路脇のベンチに座らせた大尉は、荷物の中からミネラルウォーターを取り出し、封を切ってアキに渡す。申し訳なさそうに顔を伏せていたアキは受け取ったボトルを口に含み、一口二口水を飲み、小さく咳き込んだ。
「……ごめんなさい」
「今日はハードだったからな。しょうがないよ」
大尉が優しげな笑みを浮かべてそう呟く。アキの肩に軽く手を添えて、大尉が、気にするな、と続けると、アキはそのまま顔を伏せた。大尉は、ベンチから立ち上がり、ジープの後部座席のドアを開けると、荷物をトランクに移し、その荷物から取り出した数枚の毛布を後部座席のシートに敷き詰めた。手際が良い事だと思う。
「俺が運転するから、アキは後ろで寝てろ」
ベンチに戻ってきた大尉がそう告げると、アキは、首を振った。
「本当に、大丈夫ですから」
「大尉が言う通りにした方が良い。明日も仕事なんだからさ」
俺がそう言うと、アキは俺と大尉の顔を交互に見て、珍しく素直に、はい、と小さく呟く。
辺り一面が森に覆われた国道は、ベンチの側の街灯以外の明かりが無く、ろくに車も走っていない事もあって、酷く静かだった。ベンチで少しずつ水を飲むアキと、その横で心配そうにアキの様子を眺めている大尉の姿を見ていると、街灯の明かりで照らされたそこだけが、まるで何かの舞台のようにも見えた。時折、冬特有の乾いた風があたりを駆け抜け、ジープの暖房でほてった身体を、気持ちよく冷やしていく。
「カイル、お前は先に帰ってていいぞ。アキはちょっと風に当らせた方が良さそうだしさ」
大尉がそう言って俺を見た。そうは言われても、このまま二人を置いていくのもなんだか少し悪い気もする。
「付き合いますよ、俺も。基地についたら、荷物も運び込まなきゃいけないでしょう? 一人でやる気ですか?」
俺がそう答えると、大尉は、べつに良いよ、とのんびり呟いた。
「リーフちゃんも待ってるぞ、多分」
からかうようにそう付け加えた大尉は、アキの隣に座り、俯いたままのアキを眺める。
「アキもそう思うだろ?」
アキは、顔を上げ、多少はマシになった顔色で、同意するように頷く。
「ところでさ、お前、今日帰るってちゃんと連絡してるんだろうな? 家に帰ったけど誰もいませんでしたとか、そんな報告は聞きたくないよ? 俺は」
痛い所をつかれたものだと思う。
「実は、連絡できてないんですよ」
「どうして?」
「トライアングルエリアの電話は、通信制限で使用できませんでしたし、首都警備隊では電話借りるような雰囲気では無かったですし……」
「俺の責任も、少しあるってことか」
苦笑いを浮かべた大尉はそう呟くと、ポケットから士官用の携帯電話を取り出して俺にそれを差し出した。
「電話を入れとけよ。まだ起きてるだろう? この時間なら」
せっかくの申し出だ。俺は電話を受け取り、実家のナンバーをそれに打ち込んでいく。大尉に聞かれないように俺はベンチから自分のジープまで歩き、運転席のドアを開け、シートに腰掛けた。
「ルフォードベーカリーです」
結構長い呼び出しコールの後、懐かしいリーフの声が聞こえた。時計を見ると、もう十時を回っている。起きていてくれてよかったと俺は思う。
「リーフか?」
そう問いかけた俺の言葉に、しばらくの沈黙があって、カイル?、と少し明るくなった声が帰ってくる。
「うん。悪いな、電話ずっと出来なくてさ」
「……元気にしてるんだよね? 心配してたんだよ、私」
今にも泣き出しそうな声が、受話器のむこうから聞こえた。よくよく考えてみれば、トライアングルエリアに出発してからもう二ヶ月近くになる。手紙の一つも書いていなかった事を、今更ながら、俺は猛烈に悔いる。
「元気だよ。そっちはどう? 父さんと母さんはもう寝てるのか?」
「おじさんたちは、寄り合いでセルディスまで行ってるよ。今日は泊まりかもって」
行き違いになったってことか、と俺は思う。まったくタイミングが悪い。
「そうか。いや、実は、いま、そっちに向かっててさ。多分十二時くらいには着くと思うんだ」
「え?」
「今日帰るってこと」
「本当に?」
リーフの声が弾むように明るくなる。大尉の言う通り、電話をしてよかったと思う。
「もうずっと、こっちにいるの?」
「しばらくは、こっちにいる。またブルームから通うと思う。基地まで」
受話器の向こうで、小さく嗚咽する声が聞こえて、やがて、それが少しずつ大きくなる。リーフが泣いているんだろうと思う。
「……とりあえず、また後でな。できるだけ急いで帰るから」
「……うん」
ずっとリーフと話していたい気持ちを抑えながら、俺は電話を切る。後数時間で、リーフに会えると思うと、なんだか、良く出来た嘘のような気がした。心臓が少しずつではあるけれど拍動のテンポを増していく。大尉とアキには悪いけれど、やっぱり、先に帰らせてもらおうと、俺は思う。ひょっとすると、大尉は、リーフと話をさせれば、俺が先に帰ると言いだす事を見越していたのかもしれない。そうであったとしたら、さすが、作戦参謀だ。術中にあっけなく俺は落ちている。
「あの、大尉……」
電話を返しながら、ベンチまで戻った俺がそう切り出すと、大尉は間髪いれずに、いいよ、と呟いた。
「何もまだ言ってないんですが」
「先に帰っていいかってことだろ? いいよ。さっきも言ったろ?」
楽しげに大尉がそう答える。やっぱり俺は術中にあっけなく嵌ってしまったようだ。
「気にしないで」
大尉の横に腰掛けているアキが俺を見上げて、珍しく優しげな笑顔でそう呟く。
「じゃあ、あの、行きますね。俺」
「事故らない程度に急げよ? せっかく戦場で生き残ったのに、事故って死にましたとかシャレにならないからな?」
大尉がからかう声も、気にならない。俺は、じゃあ、と短く挨拶をし、おもわず駆け出したくなる気持ちを抑えて、早足でジープまで戻り、エンジンをかける。走り出したジープのバックミラーに映る大尉とアキの姿が遠ざかっていく。
帰路を急ぎながら、俺は、家で一人で泣いているであろうリーフの姿を思い浮かべる。もう少しで帰るからさ、と俺は思わず口に出して呟いていた。法定速度ぎりぎりのジープから小刻みな振動が伝わってくる。アクセルを注意深く踏み込み、俺はヘッドライトの向こうに広がる国道に視線を移す。まだ見える筈の無い実家の小さな明かりが、遠い街の明かりの中に見えるような気がした。




