廃都編 24章
トライアングルエリア奪還作戦が成功に終わり、セルーラ、エイジアはトライアングルエリアのほぼすべてを支配下に置いた。ボスト陸軍は国境線から遥か後方まで撤退。ほんの僅かなひとときの平穏がトライアングルエリアに訪れている。
前線基地本部に戻った後も、相変わらず忙しい様子のクリス大尉は、殆どテントに戻って来ない。大した仕事も無い俺達下っ端の伍長連中は、毎日訓練に明け暮れていた。朝はマラソン、昼は格闘訓練、夜は夜間戦闘訓練といった具合だ。あのボストとの戦闘で、それぞれ思う所もあったのだろう。皆、かなりの運動量にも関わらず、黙々と日々のスケジュールをこなしている。
「皆さんは、相変わらず元気ですね。いいことです」
訓練を終え、皆が思い思いに共有スペースでくつろいでいると、久しぶりに訪問してきたF二五がそう言って笑った。
「ボストの様子はどうですか?」
俺がそう尋ねると、F二五は、そっちも相変わらずですね、と呟く。
「クーデターが起きたのは良いものの、ロシュビッチの排除まではできてません」
F二五がそう言ってため息をつくと、アキが熱いコーヒーをF二五の前に置く。F二五はそれを口に含み、目を閉じて、また大きなため息をついた。
「……ため息ばっかりですね」
俺が笑いまじりにそう言うと、F二五は、ですね、と呟き、天井を見上げる。
トライアングルエリアでの戦闘終結から二日後、ボストでは、ボスト内務省が主体となったクーデターが勃発。軍の一部もこれに加わり、ボスト首都はほぼ一日でクーデター軍の手中に落ちた。現大統領のロシュビッチは、クーデターの動きを察知するや、秘密裏に首都を離脱。トライアングルエリアから撤退してきたボスト陸軍部隊と合流し、クリス大尉が予測していた通り、ボスト北部カダラートに避難した。クーデター軍と、ボスト陸軍は、カダラートと首都を結ぶ線上のちょうど中間で対峙し、北部のロシュビッチ政権、南部のクーデター政権双方が、それぞれの持つ兵力をボスト中央部に集中させつつある。
セルーラとエイジアはクーデター軍への支持を表明。表立っての動きはまだ無いものの、特殊部隊によって編成された軍事顧問団をボスト内務省に派遣した。現在のセルーラ、エイジア、クーデター軍の勢力を併せれば、数量的にはロシュビッチ政権軍を凌駕している。おそらく、戦闘になれば、片がつくまでにそう時間はかからないだろう。
「クーデター軍の代表は、なるべくボスト国内での戦闘を避けたいと言ってきているのです」
「……まあ、それは、そうですよね。やればやるほど自分の国がダメージを負う訳ですし」
グリアムがソファーから立ち上がりながらそう答えた。F二五は、グリアムに優しげな視線を向け、ほんの少し哀しげな表情を浮かべた。
「市街戦が何をもたらすか。それは私たちセルーラが一番良く知っている。それを避けたいという気持ちはよくわかります」
F二五のその言葉に、アキが顔を上げる。
「……ジョシュア」
アキの口からこぼれたその地名は、俺たちが廃都と呼ぶ町だ。かつてのボストの侵攻で、住民の殆どが死に、そして、町ごと捨て去られた廃墟。アキの家族も、その犠牲になっている。
「ボストの内陸部は、中核となる市街が多いのです。ここで戦闘などを起こせば、おそらく、市街地の大半は廃墟になるでしょう」
壁に貼られた大きな連邦地図を眺めながら、F二五が目を細めた。しばらくの間そのままの姿勢で固まっていたF二五は、やがて椅子から立ち上がると、それでは、と軽く挨拶をして、テントの外に出て行く。
「カイル、やっぱり、俺たちもボストに行くのかな?」
ソファーに寝転んでいた俺に、グリアムがそう聞いた。どうなのだろう、と俺は思う。ボストの状況次第と言った所だろうが、今のクリス大尉の忙しげな様子から想像するに、そう遠くないうちにどこかに異動になる事は予測できた。
「いつまでもトライアングルエリアってことは無いだろう。多分一回はセルディスに戻って、そこから何処に行くかは大尉次第だろ」
俺はソファーから身を起こして、テーブルの上のミネラルウォーターを手に取る。ぬるい真水を飲み干して立ち上がると、テーブルで書き物をしていたアキと目が合った。
「……セルディスに、戻りたい?」
アキが、俺になのか、それともグリアムになのか、そう聞いた。
「まあ、ここよりは、いいかな」
グリアムはそう答えて、俺の方を見る。どうやら、俺の答えも期待されているようで、アキも無言のまま俺を見つめていた。
「一回くらいは帰っておきたい。親にも会っときたいしさ」
もちろん、リーフにも。今度もし俺たちが戦場に向かうのであれば、それは間違いなくこの戦争の最後を締めくくるものになる筈だった。どういう形になるにしろ、もう一度、会っておきたかった。
「そう」
アキは素っ気なくそう答えると、再びテーブルの上の書類に視線を移す。
「お前は、どうなんだ?」
俺がアキの目の前に置かれた空のカップにコーヒーを注いでやりながらそう聞くと、アキは、文字を書く手を止め、俺を見上げた。
「……父には会っておきたい」
アキが視線を再び書類に戻しながら、そう呟く。
煙草を吸う為にテントの外に出ると、ルパードがぼんやりと曇った夜空を見上げながら煙草を吸っていた。俺の姿を見つけたルパードは人懐っこい笑顔を浮かべると、軽く右手を振る。
「寒いな、やっぱり」
俺はコートの襟を立てながら、そう呟く。ルパードは同意するように頷くと、夜は特に、と返した。
「最近、強くなったよな、お前」
ルパードが不意にそう言って、俺の方を見る。最近の格闘訓練の事を言っているのだろうかと俺は思う。確かに、ルパードやグリアムとの模擬戦であれば、殆ど俺が一本取れるようにはなっていた。もちろんナイフでの話だ。レスリングや、徒手格闘戦の訓練であれば、体力の無い俺はルパードに一蹴されることだろう。
「ナイフだけだろ? レスリングじゃルパードが圧勝だよ」
俺が煙草に火をつけながらそう答えると、ルパードは、そう言うのじゃねえよ、と煙草を踏み消しながら答える。
「何て言うか、気の持ち様ってのかな。そう言うもんだ」
「気の持ち様?」
俺はまったく強くなった実感の持てない、自分の気の持ち様というものについて、少しの間考え込む。ルパードから見ると、そう見えるのだろうか。
「……ナイフやら銃やら、振り回してると、なんか、ボストの連中の死体とかが浮かんできやがるんだ」
立派な体格とは裏腹に繊細な所があるルパードからすれば、当然の事だったのかもしれない。ルパードに限った事ではなく、多分、アキもグリアムも同じだろうと俺は思う。もちろん俺も同じだった。訓練の間の僅かな時間、ナイフを握ったままの右手や、肩から掛けた狙撃銃を見る度に、また、これを使う日が来るのだろうかという考えが何度も頭をよぎる。訓練用のラバーナイフを振るう腕が、鈍くなる事だって一度や二度ではなかった。
「多分、俺も一緒だよ。ルパードと」
「そうか?」
「表に出にくいだけだ。俺も夢に見るよ。死体乗せたトラックが走ってく夢とかさ」
俺は煙草を消して、灰皿代わりのバケツにそれを放り込む。
「……さっさと終わんねえかな。そしたら、国境のビクセンのおっさんが作った肴で酒盛りでもしてえよ。みんなでさ」
ルパードがそう呟く。俺もまったく同感だった。
テントに戻ると、グリアムとアキはもう寝てしまったのか、共有スペースには誰もいなかった。ルパードもまっすぐに自分のスペースに戻っていく。時計に目を向けると、もう十時を回っていた。寝る時間だ。すくなくとも正常な精神状態の人間なら。
「おやすみ」
ルパードにそう声を掛けると、振り返ったルパードは、早く寝ろよ、と言って笑顔を浮かべた。