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国境の空  作者: SKYWORD
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廃都編 23章

 僅かな休憩の後、到着した装甲車の中に俺たち五人は乗り込む。数十分の走行の後、小さな窓の向こうに破壊された幾つもの建物と、忙しく走り回るセルーラとエイジアの兵士達が見えた。

「……ここでいい。降ろしてくれ」

クリス大尉がそう言って、車を止めた。後部のハッチが開き、俺たちはそこから前線に降り立つ。所々から黒い煙が上がり、何か魚を焼くような匂いがした。魚、というよりももっと何かを焦がすような、どこか生理的な嫌悪感を感じさせるその匂いが、砲撃で焼かれたボスト兵の死体の匂いだと、俺は気付く。無意識に口元を押さえた手から、長いため息を漏らすと、強く閉じた瞼の向こうから、幾人もの死体が透けて見えるような気さえした。


 クリス大尉は、ゆっくりと破壊された建物と、その周辺に無秩序に散らばった戦車や砲の残骸を眺める。誰も口を開く者は無く、皆がただ無言のまま、見渡す限りの残骸と、死体の中で立ち尽くしている。路上や、潰された建物の間から、力無く垂らされた腕や足。黒い砂に血を染み込ませたまま、地面に横たわる若い兵士。朝から、今に至るまでのほんの数時間で、この地獄のような光景は生み出されて、今、俺たちの前にその姿を晒している。

「……少し歩くぞ」

クリス大尉が平坦な小さい声で俺たちにそう告げる。


 歩みを進める度に、目の前に広がっていくのは、ただ荒涼とした風景だった。建物も、乗物も、兵器も、そして、兵士も、全てが圧倒的な火力で破壊され尽くされている。作戦として、敵を徹底的に、圧倒的な火力で叩くというのは、誤ってはいないだろう。そうする事で、セルーラもエイジアも最小限の損害で、トライアングルエリアを取り戻している。ただ、俺はこの光景の中で、戦う事すら出来ないまま、手の届かない空の上から、潰されるように殺された敵の姿に、釈然としないものを感じ続けていた。

「……卑怯、だな」

クリス大尉が自嘲するようにそう呟いて、大きなコンクリートの破片に腰を下ろす。

「……手すら汚さずに、命令、爆弾一つで敵を殺すというのは」

大尉の言葉に、俺は言葉を返せない。目を逸らすように動かしても、その先には、必ず破壊の痕跡と死体があった。

「……まともにぶつかれば、我々は勝てなかったでしょう」

アキが大尉をなだめるようにそう呟く。大尉はその言葉には何も答えずに、やがて立ち上がると、また、歩みを進めていく。


 どのくらい歩いただろうか、大きな広場が目の前に見えて、そこにセルーラの軍人達が固まっているのが見えた。おそらく、戦闘に参加した歩兵連隊の連中だろう。彼らは、参謀肩章を付けたクリス大尉の姿を認めると、一斉に敬礼の姿勢を取った。クリス大尉は立ち止まり答礼を返すと、指揮官は、と短い問いを放った。若い兵士が広場の向こうに駆け出し、やがて、汚れた士官服を着た指揮官が、大尉の元まで歩いてくる。

「第三連隊所属、第一二歩兵小隊長のハミルトンと申します」

敬礼とともに、士官はそう告げた。士官学校出ではない叩き上げの士官なのだろう。階級の割には、歳を取っているように見えた。

「戦闘の様子を知りたい。敵の抵抗はどうだった」

幾分視線を和らげ、大尉がそう言うと、ハミルトンと名乗った小隊長は、表情を曇らせ、やがてゆっくりと口を開く。

「敵は組織的な抵抗能力を失っていたように思います。ただ、少数ながら、抵抗は激しくありました」

「……捕虜は?」

「殆どの敵兵が投降しませんでした。収容した捕虜の殆どは意識も無いような重傷者です」

大尉は、無言のまま小さく頷くと、ご苦労だった、と小隊長に告げ、後ろに並んでいた俺たちを振り返った。

「救護所が設営されている筈だ。アキとカイルは救護所に移動。敵負傷兵で会話が可能な人間がいるか確認してくれ。グリアムとルパードは各連隊の陣地設営状況を確認するように」

大尉の指示に俺たちはそれぞれ短く返答を返す。俺は、歩き出したアキの後ろについて、二百メートル程先の、大きな赤十字の文様が描かれたテントまで歩いていく。


 救護所の中には、負傷した兵士達が何十人も横たわっていた。その中を忙しく走り回る軍医達の間を縫って、俺たちはボストの負傷兵を捜す。セルーラ、エイジアの負傷兵の区画から離れた、隅の一画に警固兵が立ち並んでいる。おそらく、敵負傷兵のいる一画だろうと俺が見当をつけ、その警固兵の元まで移動すると、彼らから訝しむような視線が俺に向けられた。

「参謀府クリス大尉付きのカイル伍長です。敵負傷兵の状況確認をしています」

俺がそう言って、IDカードを見せると、警固兵は、やっと表情を緩める。

「……ご覧の通りだよ。話せるような捕虜はいない」

警固兵が指差した先には、手や足を失い、全身に包帯を巻かれた兵士達が横たわっている。血が滲んだ白い包帯が痛々しい。

「……外に出よう」

俺の後ろから、小さくアキの声がした。俺は同意の頷きを返し、テントの入り口まで無言で歩く。


「カイル、アキ」

テントを出た所で、俺たちを呼び止める懐かしい声がした。振り返った先には、笑みを浮かべたラルフ曹長が立っている。戦闘服は砂に塗れてはいるが、怪我は無いようだった。俺はこの頼りがいのある上官が無事でいてくれた事に、何故か心から感謝していた。誰に、と言う訳でもないのだけれど。

「久しぶりだな。カイル。怪我は良いのか?」

ラルフ曹長は俺の肩を叩きながらそう言った。俺は笑みを返し、もう大丈夫です、と答える。

「視察か?」

曹長のその言葉にアキが頷きだけを返す。曹長は救護所のテントを振り返りながら、中を見たか?、と俺たちに問いかけた。俺たちは互いに顔を見合わせ、無言のまま頷く。曹長は俺たちのその様子を優しげな眼差しで眺めていたが、やがて、まあ座れ、と短く告げると、救護所の前に設けられたベンチに腰掛けた。俺とアキは促されるまま、曹長の向かいに置かれたもう一つのベンチに腰掛ける。


「大尉は、落ち込んでたろう」

しばらくの沈黙の後、曹長はそう話を切り出した。落ち込んでいたか、と言われると、また違うような気もした。ただ、大尉の表情は、何かに憤りを感じているような厳しい表情であった事は間違いが無かった。どう返答したものか戸惑う俺に、アキの視線が向けられている。おそらくアキもどう答えたものか戸惑っているのだろう。俺たちのその様子を見ていた曹長は、笑みを浮かべたまま、ため息を一つついた。

「……参謀は参謀で辛いだろう。あまり、現場なんて見ない方が良いのかもしれない。参謀は」

俺たちから目を逸らし、空を見上げながら、曹長がそう呟く。

「どうしてですか?」

俺の問いに、曹長はほんの少し苦笑いを浮かべた。

「この作戦で敵が死ぬだろう、兵士が何人も犠牲になるだろう、そういう風に考える事は悪い事じゃない。ただ、それが過ぎると……」

なんとなく、曹長が言わんとする事は解らないでも無かった。あの光景を見ながら、大尉は確かに胸を痛めていただろうと思う。ましてや、それが自分の作戦によってもたらされたものであれば、尚更だろう。


「大尉の作戦立案能力は大したものだ。今回の作戦も、ボストの隙をついて、僅か数時間でトライアングルエリア全域の占領を可能にしている。こちらの損害も少ない」

「だから、敵の死体なんか見ずに、良い作戦だけ考えていれば良いと?」

無言だったアキが、幾分感情の込められた強い口調で曹長にそう言った。曹長は、そう聞こえるか?、と優しげな笑みを崩さないまま、アキに問いかける。

「必ず前線に行こうとする。そして、自分の作戦が何をもたらして、何を奪ったのかをきちんと見ようとする。俺は大尉のそう言う所を尊敬している」

「だったら……」

「だからこそ、その結果を、どこまで受け止めていけるのか心配している。人間はそこまで強くいられる訳じゃない」

曹長は真面目な表情でそう言うと、アキに、そうは思わないか?、と続けて問いかけた。

「俺が止めても、大尉は、そこから目を逸らす事はしないだろうがね。言って聞くような従順な性格じゃない」

ため息まじりに曹長はそう呟くと、俺とアキの顔を交互に見た。

「ああいう士官は、少ない。どうせ、他の参謀連中は浮かれてただけだろう? わざわざ前線まで来てるのは、大尉だけだ」

曹長の言葉を聞きながら、俺は、戦闘中にクリス大尉が他の参謀連中から距離を取って地図を眺めていた光景を思い出す。前日のミーティングの時に俺たちに向かって得意げに作戦内容を説明する姿と、テントの中で厳しい表情のまま報告を受け取り続ける姿。そして、敵の死体を見ながら、自分は卑怯だと呟いた姿。そのどれもが、曹長の言葉が的確である事を裏付けているように思えた。


 頭を上げると、雲一つなく晴れ渡った空が見えた。この澄み切った空の下で、俺たちは命を奪い合い、地上を血で汚していく。それは赦されることなのだろうかと俺は思う。多分、大尉もその思いを抱きながらこの前線を歩いている筈だった。そして、それはアキも、グリアムも、ルパードも、そして、曹長もきっと同じだったろう。


 


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