廃都編 22章
戦闘行動が開始されたのは、予定通り、午前五時。俺達は皆、緊張感で彩られた表情で中央のテントに入り、通信機から吐き出される通信電文や、有線通信を纏めていく。丘陵部、敵正面に展開したセルーラの囮部隊に対して、ボストは明らかに反応しており、互いの部隊の距離は確実に縮まっていく。
「敵高射砲部隊に対する工作が開始されました」
横の席から、アキがそう報告するのが聞こえる。俺の前に置かれた通信機からは、セルディスからの通信電文が吐き出されていく。
「ACSが問題なく稼働。敵防空レーダー網のジャミング開始まで後三十分」
俺は後ろに固まって座っている参謀達に向かってそう報告する。大尉が俺に少しだけ視線を向けて、小さく頷くのが見えた。
午前六時。敵高射砲部隊施設の停止工作をセルーラ、エイジア両軍の特殊部隊が無事完了させると、そのほんの数分後に、空軍基地から飛び立った戦闘機が轟音をまき散らしながら敵陣地に攻撃を開始した。空軍の奇襲攻撃は的確に敵陣地を壊滅させていき、通信機からは大量の戦果報告が届く。幾分興奮気味にそれを伝える俺たちに、大尉は冷静な表情のまま、頷きを返している。
「戦果確認機を飛ばすよう空軍に連絡。確実に破壊を確認するように伝えろ」
大尉がルパードに紙片を渡しながらそう伝えた。テントの中の数人の参謀達が喜色を浮かべ、勝てるぞ、と言葉を交わしている。その中にあって、ただ大尉だけが表情から厳しさを崩さないでいる。
「空軍より報告。戦果確認機による報告では、敵陸上部隊の施設について約八十%を破壊とのことです」
グリアムが席を立って、参謀達に大声で報告する。大尉はその言葉を聞くと、椅子から立ち上がり、有線通信機のマイクを手に取った。
「トライアングルエリア方面軍、作戦参謀のクリスだ。陸上部隊をそろそろ侵攻させたい。準備は?」
「……準備は問題なく終了。指示あり次第作戦を開始します」
通信機の向こうから、かすれたノイズまじりの声がそう答える。大尉はマイクを置くと、参謀達の座っているテーブルに戻り、方面軍司令官の前に立つ。
「司令。敵陣地に一度偵察機を飛ばしたいと思います。目的は敵陸上部隊の動向確認。機数は五機。ボスト陸軍展開地点を確認させます」
大尉のその言葉に方面軍司令は、白髪まじりの髪を掻きあげながら、いらんだろう偵察は、と意外そうな表情を浮かべながら呟いた。
「お言葉を返すようですが、敵が地下もしくは、近隣の森林地帯に潜み、施設占拠に動く我が軍を待ち伏せている可能性もあります。偵察機の高精度カメラで敵陣地を撮影させ、確実に敵人員も含めて打撃を与えているかどうかを判断した方が賢明です」
言葉こそ丁寧ではあるが、鋭い視線を向けたまま、大尉はそう反論する。喜色を浮かべていた参謀達が表情を改め、司令官と大尉のやり取りを緊張した面持ちで眺めていた。
「偵察の結果を待っている間に、機を逸する可能性もある。八十%の破壊であれば、もう、少数の残敵掃討で済むと思うが……」
「ボストの連中が施設を空にして周辺に人員を温存させている可能性もあるとは思いませんか?」
大尉が目に幾分の力を込めて、そう言い放つ。
「……わかった。偵察機を飛ばすよう空軍に連絡しろ」
不機嫌そうな表情を浮かべた司令官はそう答えて、クリス大尉から目を逸らし、ため息をついた。
飛ばされた偵察機からの報告を待つまでの間、俺たちは次から次へと舞い込む空爆の成果を地図に纏めていく。トライアングルエリアに設置されていたボストの主立った施設の殆どが破壊され、地図と報告で見る限りでは、ボスト陸軍部隊を収容しうる施設は、ほぼ壊滅と言ってよかった。
「作戦成功、ってことか」
ルパードが俺たちにしか聞こえないくらいの声でそう呟く。
「まだ、終わりじゃない」
そう答えた俺に、アキが同意の頷きを返すのが見えた。
「陸上戦が、残っている」
グリアムが真剣な面持ちでそう呟く。おそらく兄のラルフ曹長の事を考えているのだろうと思う。ラルフ曹長は今回参戦する陸上戦闘部隊に配置されている。残敵掃討程度の戦闘で済めばいいが、本格的な陸戦になれば、こちらもそれ相応の損害は被るだろう。グリアムがそれを心配しているのは表情からもよく伺えた。
「……偵察機部隊から報告。敵部隊は撤退の兆候あり。トライアングルエリア後方を西方に向けて撤退する部隊を確認。また、破壊された施設周辺では敵の救援活動とおぼしき行動が見られるとのことです」
「有線は繋がっているか?」
アキからの報告に、大尉が素早くそう答えた。アキが有線通信機のマイクを差し出すと、地図を手元に引き寄せながら、大尉はそれを受け取り、素早く各地域の偵察状況を確認していく。やがて、大尉は通信を切ると、司令官の元まで歩き、侵攻の指示を、と短く告げた。司令官は不機嫌な表情のまま立ち上がり、侵攻を始めろ、と参謀達に告げる。
午前八時。陸上戦闘が開始され、各部隊からは次々と施設、陣地の占拠報告が入る。その度に地図の上のボストの陣地を塗りつぶしながら、参謀達が歓声を上げた。それらの参謀の輪の中には入らず、少し離れた場所にある椅子に腰掛けた大尉は、テーブルの上に置かれた地図に視線を落とし、時折、俺たちに通信の指示をする以外は、何も口を開こうとしない。苦々しいとしか形容できない厳しい表情のままで。
「……クリス。どうやら、勝ったようじゃないか。さすがは辣腕の作戦参謀といった所かな?」
司令官が皮肉の入り交じった口調でそう告げた。クリス大尉は顔を上げ、司令官をまっすぐに見る。
「辣腕かどうかは知りません。まだ結果は出ていない。油断は禁物です」
敬意や遠慮といった言葉からはほど遠いクリス大尉の返答に、司令官は表情を厳しくする。大尉はその司令官の表情をまるで気にする事なく、各部隊から届く報告に素早く目を走らせていく。
午前十一時を回った頃には、殆どの戦闘が終結した。ボストは撤退を始め、エイジア、セルーラ連合軍は、トライアングルエリア内のボスト領をほぼ占拠という戦果をあげている。参謀達はそれぞれの部隊の再配置と、警戒態勢の指示を始め、司令官は迎えに来たジープに乗り込んで本部に戻っていく。
「戦闘の報告は、もう無いか?」
俺たちのテーブルまで歩いてきた大尉が疲れの混じった表情でそう言って、力無く笑った。
「いまのところは。野営地の設営と、警戒態勢の実施に各部隊とも入っているようです」
アキが手短にそう答えると、大尉は、そうか、と短く返答を返し、俺たちのテーブルの側まで椅子を持ってくると、そこに腰掛ける。
「後は、グスタフに頑張ってもらわないとな」
やっと緊張が解けたのか、大尉はそう呟いて、軽く背伸びをした。
「前線部隊の確認に行く。全員武装の上、準備してくれ。アキ、装甲車を一台回すように本部に連絡」
「了解」
アキがそう答えて、本部に連絡を入れる。装甲車が到着するまで約二時間、という本部からの返答をアキが大尉に伝えると、大尉は椅子から立ち上がって、装甲車到着まで全員休憩の指示を出し、テーブルに突っ伏して顔を伏せた。
俺たちは、とりあえず一時間の休憩を交代で取る事にした。アキと俺が最初の一時間、グリアムとルパードが次の一時間だ。俺とアキはテントの外に出ると、どちらが言いだすでもなく顔を見合わせる。アキの顔には安堵と、若干の不安、そして、あきらかな疲れが見て取れた。俺も似たようなものだろうと思う。
「勝った、のかな」
俺がそれだけを呟くと、アキは表情に僅かな笑みを浮かべた。
「……これで終われば」
アキが前を向いてそう呟く。確かにその通りだ。ボストが撤退したと言っても、それは一時的な物に過ぎない。こちらに隙があれば、また、トライアングルエリアは戦火に覆われるだろう。そして、ボストは多分、これくらいの敗北であきらめる程、甘い国ではない。グスタフの進めるクーデターが成功し、ボスト大統領のロシュビッチが排除されない限りは、いつまでも戦争は続く。ここで気を抜けば、次に敗北するのはセルーラとエイジアかもしれない。そして、その敗北が決定的な敗北になることも、十分に考えられた。そうなれば、俺たちも、そして、後方にいる市民も、無事には済まないだろう。
「被害が、出ている」
アキはそう呟いて、腰掛けるのにちょうど良さそうな切り株に座った。
「……やっぱり、無傷ってわけにはいかないか」
俺がアキの横の地面に腰掛け、そう答えると、アキは、ポケットから紙片を取り出し、俺に差し出した。紙片を開くと、そこには各部隊の死傷者数、損害が書き連ねてあった。こちらの死傷者が約二百人。ボストは多分もっと多くの死傷者を出しているだろうと俺は思う。殺す側、殺される側、その違いは僅かなものでしかない。ほんの少しのミスや、状況次第で、俺たちも殺される側にいつ回るか解ったものではなかった。
互いにそれきり口を開く訳でもなく、俺たちはぼんやりと酷く晴れ渡った青空を眺める。時折、飛んでいく航空機のシルエットを眺めながら、戦闘機特有の癖のあるエンジン音が響く中で、俺は、戦闘中、少しも笑顔を浮かべる事無く働いていた大尉の姿を思い浮かべていた。他の参謀達が浮かれている様子を隠さないでいる中で、大尉だけはある種の沈痛さを伺わせる表情のままでいた。自分の立てた作戦が、まるでベルトコンベアのように敵味方に死傷者を生み出していくことを、あの人は憂いていたのかもしれなかった。