廃都編 18章
寝不足を絵に描いたような表情のアキが、通信記録用のレポート用紙を無愛想に並べ、その横でルパードとグリアムは通信開始までの僅かな時間をコーヒーを飲む時間に充てていた。俺は三人の様子を眺めながら、どうにもはっきりと開かない目を持て余している。昨日、あんな時間に寝たせいだ。俺は通信機の電源を入れ、森林地帯の近くに展開している数個の部隊に警戒を依頼して、椅子に座り込む。コーヒーを可能な限り苦くして一気に飲んでみたが、喉と口の中を無用に痛めただけで、眠気は一向に去らなかった。
「大尉は?」
俺がそう口にすると、グリアムが、もうすぐ帰るってさ、と元気そうな顔で答えた。結局昨日は本部に泊まり込みだったのだろう。大尉の疲れきった顔が目に浮かぶような気がした。
「あと一時間、か」
俺は時計を見上げてそう呟く。最初の通信開始までの僅かな時間を、何に充てたものだろうか。
「カイル、もしよかったらさ、僕のライフルを見て欲しいんだけど」
グリアムがそう言いながら、自分のライフルを銃架から取り出し、俺の椅子まで歩いてくる。そう言えば昨日、引き金に若干抵抗があるんだ、と聞いていたような気がした。
「いいよ」
気晴らしにはなるだろう。ひょっとすると目も覚めてくれるかもしれない。俺はグリアムの銃を受け取って、各部分のチェックを開始する。
グリアムの銃を分解して、引き金と撃鉄を結ぶ細いラインに挟まった砂やゴミを丁寧に取り除く。それでも引き金に若干の抵抗は残った。ひょっとすると部品が歪んでいるのかもしれない。
「整備班に持って行った方が良いかもな。これ、清掃でどうにかなるレベルじゃなさそうだ」
俺が組み立て終わった銃を渡しながらそう言うと、だよねえ、とグリアムは答える。
「カイルなら解るかと思ったんだけど、無理か」
残念そうにグリアムが呟く。
「さすがに部品の歪みはね。下手にいじると危ない。ちゃんと整備してもらった方がいい」
俺は煙草の箱を取り出し、テントの外に移動しながら、グリアムにそう答えた。
煙草に火をつけると、多少は目が覚めたような気がする。横で俺の煙草に付き合っているグリアムは、この煙草はいまいちだね、と言いながら、支給品の煙草の箱を取り出す。
「同感だ」
俺がそう言うと、グリアムは軽く笑って、煙を吐き出すと、なんだかぼんやりと俺の顔を眺めた。
「どうした?」
「いや、アキとカイルが二人ともすっごい眠そうだから、どうしたのかなと」
「三時まで報告の再確認。いろいろあってさ」
三時?とグリアムは聞き返して、仕事熱心だよねえ、と呟く。
「熱心っていうか、まあ、気になってさ。気になると眠れなくなるだろ。そういうのって」
「そうだね。確かに」
グリアムはそう答えて、兄のラルフ曹長に良く似た目元を細めながら微笑む。
「曹長は元気なのか?」
「なかなか連絡は取れないよ。無線も電話もプライベートでは使いづらい。あれだけ混んでるとさ」
グリアムが本部を指差しながらそう言った。確かにそうだ。俺も何度かリーフに連絡しようとしたが、少ない電話機は軍務で殆どが使用されていて、とてもプライベートに使わせてくれなんて言える雰囲気ではなかった。
「ここよりももっと前線だね。多分。兄貴がいるのは」
グリアムは、煙草を踏み消すと、吸い殻を灰皿代わりのバケツに捨てた。
「前線か。でも、曹長は怪我とかあんまりしそうじゃ無いな」
「……兄貴は、強いから。実際。大尉もそうだけど」
「まあ、あの二人は別格だろ?」
俺がそう答えると、グリアムは、別格だねえ、と繰り返す。
「こないだの戦闘の時、二人ともすごかったよ。兄貴はがんがん突っ込んでいくのに怪我一つしないし、大尉が指揮を取り出した途端に戦況は有利になるし……」
「グリアムも名誉の負傷だろ。住人庇って、怪我までしてさ」
俺がグリアムの背中を軽く叩くと、グリアムは、まあね、と照れくさそうに笑う。
「でも、兄貴や大尉なら、怪我なんてしなかったと思うよ」
グリアムの呟きには、どこか、自信なさげな響きがあった。怪我をしたという事もあるのだろうが、優秀な兄弟が身近にいるというのは、実際は結構つらいものなのかもしれないと俺は思う。
「……兄貴や大尉はあのときかなりの住人を助けてる。僕は一人だけしか助けられなかった」
笑みを消したグリアムはそう言って立ち上がると、非力だよ、と呟く。
「……一人も助けられないよりはマシだろ?」
俺のその言葉にグリアムはどこか寂しげな笑顔だけを返して、テントに戻っていく。
大尉が戻ってきたのは、九時の通信整理がちょうど終わった頃だった。疲れを隠せない様子ではあるが、笑顔で、相変わらずの明るい口調のまま、お疲れさん、と皆に告げた大尉は、椅子に座って、大きく背伸びをした。
「九時の通信では、異常はありません」
アキが大尉にコーヒーを差し出しながらそう報告する。森林地帯周辺を警戒させた部隊からも、異常なしというシンプルな報告しか上がってこなかった。
「そうか。今日は午後から偵察に出る。晩には戻ってくると思う。特殊作戦群の連中と一緒だから、警備はいらない。本部にはその旨連絡しといてくれるか?」
大尉はアキに口早にそう告げると、椅子を幾つか並べて、そこに横になった。行儀の悪さは、とても士官とは思えない。
「……昨日、殆ど寝てない。特殊作戦群が来るまで少し仮眠を取る。何かあったらすぐ起こしてくれ」
そう言うが速いか目を閉じた大尉は、無線機のコール音や、テントの外を轟音をまき散らしながら走るジープのエンジン音を物ともせずにほんの数分で眠りにつく。俺たちは四人ともあっけにとられた表情で、気持ち良さそうに眠る大尉を眺める。
アキが自分のスペースから毛布を運び、大尉にそれを掛けた。椅子に座ったアキは、呆れ顔で大尉をもう一度見ると、ベッドで寝れば良いのに、と呟く。確かにアキの言う通りだと俺も思う。
「まあ、寝かせといてやろうよ。疲れてるんだろうしさ」
グリアムが気を利かせたのか、小声でそう言った。ルパードは、やれやれと言った表情で立ち上がると、無線機のボリュームを絞る。
「この人はなんのかんので変わんねえな」
「良い事だよ。他の部隊では多いらしいよ?ノイローゼ気味の士官とか。僕らは恵まれてる。まだ」
グリアムがくすくすと笑いながらそう言うと、アキがほんの少しだけ笑みを浮かべる。
「……確かに。グリアムの言う通り」
「だな」
俺もそう同意する。戦場で、性格に多少の問題はあるにしろ、大尉のような優秀な上官がいるということは、おそらく幸せな事だろう。
十二時を少し過ぎた時、ジープのエンジン音が俺たちのテントに近づき、停止する。やがてテントの入り口が捲られ、体格の良い兵士が数人テントに入ってきた。左胸の剣と鷲をあしらった徽章、特殊作戦群の兵士だった。
「クリス大尉はどちらに?」
「大尉、皆さん来られましたよ?」
俺がそう声をかけると、大尉は欠伸をしながら身を起こし、特殊作戦群の兵士達に向かって右手を上げる。
「ごくろうさん。今日はよろしくな」
大尉は立ち上がり、銃架からライフルを取ると、コートを羽織る。大尉の顔色が良くなっているように思えるのは俺の気のせいでは無いだろう。短い時間でも睡眠というのは大事なものだ。
「じゃあ、行こうか」
その言葉に、特殊作戦群の兵士達が敬礼を返す。大尉は俺たち四人を振り返ると、行ってくる、と短い言葉を掛け、テントを出て行く。
「アキ?」
俺はアキにそう声をかけた。アキは俺から声をかけられた事に気がつかないようで、何かを強く願うような視線をテントの入り口に向けたまま、微動だにしない。
「アキ、どうした?」
俺はアキの肩に手を触れて軽く揺らす。驚いた様子でアキは俺を見上げた。
「珍しいな。お前がそんな風になるとか、さ」
俺の言葉に、アキは目を逸らして首を振る。
「……心配してるのか?」
そう尋ねた俺に、別に、とアキは俯いたまま答えた。
「……」
グリアムが黙ったまま立ち上がると、四人分のコーヒーを準備してテーブルに並べる。ルパードは煙草の箱をポケットから取り出すと、アキの肩を軽く叩き、テントの外に出て行く。
「……大丈夫だよ。大尉は」
「わかっている」
何かに言い聞かせるようにはっきりとアキがそう答えた。俺は椅子から立ち上がり、テントの外に出る。太陽は厚い雲に隠れ、灰色の空が広がっていた。また少し雪がちらつき始めている。
「……晴れねえな。なかなか」
煙草を吸いながら、ルパードがそう呟く。雪が溶けるくらい、思いっきり晴れればいい、と俺は思う。太陽の光と青い空が、妙に恋しかった。