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国境の空  作者: SKYWORD
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廃都編 15章

 翌朝、大尉とF二五が視察に出てしまうと、テントの中には俺とアキの二人だけになる。アキはいつものように俺と自分の分のコーヒーを用意すると、椅子に座り、コーヒーを口に含む。朝の通信開始までの短かな時間に飲むコーヒーというのは良いものだと思う。特に寒気が増しているこの季節では、暖かいコーヒーは本当に貴重なものだ。

「リーフに連絡はしている?」

不意にアキがそう呟いて、俺は驚く。

「連絡って、手紙とか電話とかってことか?」

俺がそう尋ねると、アキは黙って頷く。よくよく考えてみれば、やっとセルーラの基地に戻ってきた訳で、電話も本部に行けば使えるだろうし、もちろん、手紙も出せるだろう。

「連絡できる時に話しておいた方が良い」

アキはそう言ってコーヒーを飲む。確かに、いつ、どんな事が起きても不思議ではない前線にいる以上、アキの言う事はもっともだと思えた。


 俺が通信記録の整理に慣れてきた様子を、アキも感じたのだろう。昼過ぎに仕事が一段落つくと、俺に大きな地図を一枚渡し、カイルはここからここまで、と言って、その地図の真ん中にまっすぐな線を引いた。

「分担ってわけか」

「そう。グリアムとルパードが帰ってきたら、四等分にする」

アキは昼食の入っていた空トレイを片付けながら、そう答える。時計を見ると、まだ少し休憩時間は残っていた。俺は煙草の箱を取り出し、テントから出て、入り口の近くに置かれた灰皿代わりの空き缶の側に腰掛ける。煙草に火をつけ、煙を吸い込むと、身体が少しだけ落ち着きを取り戻してくれるような気がする。

「……一本、吸わせて欲しい」

気がつくと横にアキが歩いてきていて、そんな事を言う。どういうつもりだろうと俺が訝しげな表情を向けると、アキは、駄目?、と畳み掛ける。

「いや、駄目じゃないけどさ。あんまりメリット無いぞ。煙草って」

俺のその忠告を聞いているのかいないのか、アキは俺の横で黙ったまま視線をそらさない。俺はしょうがなく内ポケットから煙草の箱とライターを取り出し、アキに渡す。

「初めて、じゃないよな?」

俺がそう聞くと、アキは、初めて、と短く答えた。取り出した煙草を興味深げに眺め、やがてそれをくわえると、アキはライターでそれに火をつけようとする。

「火をつけたらすぐに少し吸わないと、火が消える」

アキは無言で頷き、煙草に火をつけると、意を決したかのように息を吸い込んだ。アキの顔に何とも言えない表情が浮かび、やがて、大きく何度も咳き込んだアキは、喉をさすりながら、気持ちが悪い、と呟く。

「だから言ったろ?メリットないぞって」

俺はアキの背中を軽くさすってやる。何度も咳き込んだせいか、アキの目には少し涙が浮かんでいた。

「……落ち着くと聞いた。大尉から」

「人によるよ。慣れもいるし」

俺はテントに戻ると、共有スペースの棚から私物のミネラルウォーターを取り出し、外に戻ってアキにそれを手渡す。アキは軽く頭を下げると、封を切ってそれを口に含む。

「私には、向いてない」

落ち着きを取り戻そうとして、アキもいろいろと試行錯誤しているのだろう。その努力には頭が下がるが、少しピントがずれているような気もする。

「とりあえず、煙草はやめとけよ。試してみてわかっただろ?」

ミネラルウォーターを口に含みながら、アキは申し訳無さげに頷いた。


 二十一時の最後の通信が終わると、俺は地図にまとめた情報を書き込み、アキの方を見る。アキは俺よりも大分速く仕事が終わったようで、書類の束を綺麗に揃えて片付けながら、小さくため息をつく。いつもアキにばかり用意させているのも悪いので、俺はカップを用意して、コーヒーをそれに注ぐ。アキにそれを渡すと、アキは、ありがとう、と呟き、一口それを含んでから、目を閉じて、背もたれに身をよりかからせた。疲れているのだろう。なにか気晴らしが出来るといいのだがとは思うが、ルパードもグリアムもラルフ曹長も居ない以上、俺たち二人で仕事を回すしか無い訳で、休みを取ったり、仕事を減らしたりというような事は、今の段階では望むべくもなかった。

「疲れてるな。お前」

俺がそう言うと、アキは目を開けて、少し、と答える。少し、と言うようにはとても見えなかった。

「ルパードとグリアムが帰ってきたら、一日ぐらい休みを取れよ?」

「……」

無言のまま、アキは頷く。その様子を見ながら、大尉から無理矢理にでも一日休みを取るように言ってもらった方がいいのかなと思う。おそらく自分からは休みをくれなんてことを言いそうになかった。


 大尉とF二五は、二十二時過ぎに帰ってきた。俺とアキが共有スペースでぼんやりとコーヒーを飲んでいると、大尉は椅子に腰掛けながら、本部に行ったか?と問いかける。

「本部?」

思わずそう問い返していた。少なくとも本部に行くような用事はなかったような気がする。

「入浴は二日に一回。本部にてって聞いてないか?うちの部隊は今日になってる」

大尉はそう言って、アキの方を見る。

「……すいません。伝えてませんでした」

アキは申し訳無さげにそう呟く。大尉は時計を眺めると、まだ大丈夫だな、と呟く。

「緊急で通信がくれば、俺とF二五が見とくよ。二人で行ってこい」

大尉の言葉に、俺とアキは頷く。こういう細かな所に意外と気がつくというのは、大尉の大きな美点だと思う。


 基地本部の浴場は女用と男用に大きく分けられている。エイジアやボストでは女性兵士用の施設が少ないというような話を聞いた事もあるが、セルーラは女性兵士の割合が割と多い事もあって、こういう施設は意外と充実していると思う。

「三十分後に本部前で集合、でいいよな?」

俺がそう問いかけると、アキは、構わない、と答えて、女用の浴場に歩いていく。後ろ姿が何だか酷く弱々しく見える。いままで一人で気張っていたのが、俺が戻ってきた事で、気が緩んで疲れが一気に出てきているのかもしれない。

 シャワーを浴びて、身体を素早く洗ってしまうと、俺はすぐに脱衣場に向かって、タオルで乱暴に髪の水気を取り、誰かが忘れていったふるいドライヤーを拝借して髪を乾かす。時計を見るとちょうど二十分が経過していた。制服を着て、外套を着込むと、身体が少しは暖まっているのか、なんだか心地よい暖かさが身体を包んでいるのが解る。大尉に感謝だな、と俺は思う。


 本部の入り口で、アキを待ちながら、俺は煙草に火をつける。三十分を少し過ぎた頃、慌ただしく誰かが走る足音が聞こえた。廊下の向こうに歳の若い女兵士が顔を出し、俺の姿を認めると、まっすぐに俺の元まで走ってくる。

「カイル伍長、ですか?」

「そうですが、何か?」

階級章を見ると、上等兵。最近配備になったのだろうか、所属基地の徽章は、セルディス首都警備隊のままになっている。短く揃えた黒髪が、少し揺れていた。全力で走ってきたのだろう。息を切らせながら、浴場を指差す。

「アキ伍長が気分が悪いみたいで。出来れば連れて帰っていただけると有り難いのですが」

女兵士はそう言うと、ついてきてください、と短く告げ、まっすぐに廊下を戻っていく。


 浴場の入り口で待っていると、女兵士に肩を借りながら、真っ青な顔をしたアキが歩いてきた。俺はアキの前に屈んで、背中に負ぶさるように促す。

「いい。歩ける」

「よくない。無理すると、本当に病気になるぞ」

俺がそういうと、しぶしぶといった様子でアキが背中に負ぶさる。湯を浴びて血の巡りが良くなりすぎて、目眩を起こしたのだろう。いずれにせよ、速い所休ませた方が良さそうだった。

「ありがとう。後はこっちでやるからいいよ」

心配そうな表情を向けたままの女兵士に俺はそう告げて、あまり揺らさないように気をつけながら、基地本部の玄関まで歩いていく。


 外の空気はまた一段と冷えていて、背中に背負っているアキが少し身震いするのが解った。俺の首筋に触れるアキの髪は少し濡れているようで、風邪を引かなければいいけれど、と俺は思う。

「アキ」

「何?」

「俺のコートの右ポケットにタオルが入ってる。髪を拭いておいた方がいい」

俺がそう言うと、アキは俺のポケットに手を入れて、小さなハンドタオルを取り出す。あまり身体を冷やさないように、熱が残っているうちにテントまで戻りたいところだった。

「カイル」

しばらく歩いた所で、アキがそう呼びかけた。俺は足を止めずに、歩きながら、どうした、と返事を返す。

「……大尉には黙っていて欲しい」

「倒れた事か?」

「少し疲れただけだから」

俺は、大尉に報告した物かどうか、正直迷っていた。下手に報告なんかしたら、後方にアキを戻してしまうかもしれないし、そんな事になれば、アキはまた大尉と喧嘩になるだろうと思う。かといって黙っていれば、またアキは一段と無理をしそうだった。

「一つ約束してくれるなら、大尉には黙っとく」

俺がそう答えると、アキは、何、と小さな声で呟く。背中に背負っていなければ聞こえないくらいの小さな細い声だった。

「無理しないってことだ。戦場だから、多少の無理はみんなするだろうけど、お前の場合は無理し過ぎだと思う」

「でも……」

「今日戦闘が起きたらどうする気だ?体調管理だって大事な仕事だと思うんだけどな?」

幸いといっていいものかどうか、数百メートル先に見える俺たちの部隊のテントまでの道には人影が見えなかった。俺が黙っていれば、多分、大尉の耳には入らないだろうとは思う。さっきの女兵士には、後からアキに口止めをさせておけば問題ないだろう。

「約束、できるか?」

無言のままでいるアキに、もう一度そう問いかける。

「……わかった」

しぶしぶといった様子でアキの返事が返ってくる。


 テントの手前、十メートル程の所で、アキは、もう歩ける、と言って、なかば強引に俺の背中から降りた。確かに目眩はもう収まっているようで、足取りは思いのほかしっかりしている。

「約束、守れよ」

しつこいかとは思ったが、俺はもう一度そう問いかける。解ってる、という無愛想な返答を聞きながら、俺たちはすっかり熱を奪われた身体で、テントに向かう。雪が少しちらつき始めていて、空を見上げたアキが、積もらなければいいけれど、と呟く。

「早い所、ケリをつけないとな」

俺がそう言うと、アキは無言で頷く。春が来るまでに、戦争が終わればいい、と俺は不意に思う。戦争が長期化すれば、国力差が顕著になる。そうなれば、エイジアはともかく、備蓄の少ないセルーラは厳しい戦いを強いられるだろう。忌々しいこの戦争を、春まで持ち越すことは、できれば避けたい所だった。

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