廃都編 11章
迎えの輸送ヘリが到着するのは正午だという。朝、食事を持ってきてくれたルカが、少しゆっくり出来るな、と言いながらそう教えてくれた。俺は、ベッドに寝転んだまま、整理した荷物の入ったバックパックを眺める。戦闘服はどうしようもなく汚れてしまった上に、とても再利用できるレベルでは無くなってしまったので、今俺が着用しているのはセルーラ陸軍の正装だ。久しぶりにネクタイなんかを締めたせいで、なんだか落ち着かない。
時計を見ると、針は十一時を指していた。天気もいい事だし、もう挨拶を済ませて、ヘリポートで待機しておいたほうが良いかもしれない。俺は荷物を持ち、ベッドのシーツや、毛布を出来うる限り綺麗に畳むと、廊下を歩いていた警備兵に正午までヘリポートで待機したい旨を伝えた。
「ファルク少尉の許可を取ります。いましばらくお待ちを」
融通の利かなそうな返答が返ってきて、俺は少し憂鬱になる。走り去っていった警備兵がファルク少尉を連れて戻ってきた姿を確認して、さらに憂鬱が増した。
「カイル伍長、もう出られるのですか?外は寒いというのに」
心配しているような言葉を発しながらも、ここまで誠意の感じられない話し方というのも珍しいと思う。
「はい。お世話になりました。輸送部隊もあまり長居はできないでしょうし、出来ればヘリポートで待機したいと思います」
俺は出来うる限りの愛想笑いを浮かべながら、そう答える。
「まあ、そう言う事であればしょうがありませんね。滑走路通行、並びに、ヘリポートへの移動については問題ありません。ただ、この部屋と基地本部へはもう立ち入れませんが」
カエタナだから、ってことかと、俺はうんざりする。いちいち細かく嫌みを混ぜ込んだ会話というのは、正直、気が滅入る。
「かまいません。それではここで失礼します」
セルーラ軍礼法に従った敬礼をすると、ファルク少尉も姿勢を正し、答礼した。一応敬礼というからにはお互いにある程度の敬意を表しているものだとは思うのだが、今この場でかわされた敬礼程、互いの敬意が感じられないものも珍しいのではないかと俺は思う。
「申し訳ありません」
一緒に滑走路を歩いている警備兵がそう口を開いた。何の事だろうと俺は思う。
「謝られるような事はしていないと思う」
俺がそう答えると、その警備兵は立ち止まり、俺の顔を見た。
「ファルク少尉の事です。我々全てが、あなたに対して悪意を持っている訳ではありません。基地を守って戦っていただいた方に、あのような……」
よく見ると、警備兵はまだ若い。俺よりも多分年下だろうと思う。
「気にしなくていい。いい人の方が多いのは解ってる。先生にしても、ルカにしても、本当に良くしてもらったし」
「ルカ、というのは、うちの整備兵の事ですか?」
「そう。いろいろ面倒見てもらった」
「……失礼な言動が多かったのではないですか?」
躊躇いがちにそう口にした警備兵の様子が、なんだか可笑しくて、俺は笑ってしまう。
「いい娘だった。確かに口は悪かったけど、本当に良くしてもらったよ」
「それならばいいのですが」
警備兵がまた歩き出し、俺はその後についていく。滑走路を渡り、監視塔の脇を抜け、格納庫の並ぶ中を歩いていくと、時折酷く冷たい風が吹いた。正装で良かったかもしれないと俺は思う。少なくとも、戦闘服よりは防寒性が高い。
「ここまででいいよ。あとは、一人で行ける」
ヘリポートの手前で、俺は警備兵にそう声をかけた。警備兵は、姿勢を正して敬礼をすると、基地に向かって戻っていく。
ヘリポート脇の小さなベンチに俺は腰掛け、空を見上げる。地平線から天頂まで綺麗なグラデーションを描きながら青空が広がっていて、そこには雲一つなかった。ブルームも、こんな風に晴れているのかな、と俺は思う。もし同じように晴れていれば、きっとリーフも、空を見上げただろう。店の看板を拭いたり、玄関の掃除をしたりしながら。
空から滑走路の方に目を向けると、背の低い人影がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。おそらく、ルカだろう。格納庫からの細い道を歩いてくるルカは、寒さが堪えるのか、時折震えているように見えた。
「挨拶もなしで行く気かよ」
ベンチの横まで歩いてくると、ルカは不満げにそう言った。
「昼まで部屋にいると思ったら、もう出たとか言われるし」
「天気がいいから、外に出たかったんだ。最近、こうやって昼間に外を歩くって殆どなかったからさ」
俺がそう言うと、ルカは、そうだった、と何かに気付いたかのように呟いた。
「ずっとあの部屋だったもんな」
「……良いのか?仕事は」
そう尋ねると、ルカは、許可はもらってる、とベンチに座りながら言った。
「新しい班長は、元の副班長だからさ。まあ、やりやすいよ」
「そっか」
「そう」
会話が途切れて、その沈黙の間を、冷たい風が何度も吹き抜けていく。あまり防寒性の高くなさそうな整備服しか着ていないルカはその度に震えている。俺はコートを脱ぎ、ルカに渡す。
「着ておいた方が良い。風邪引くぞ」
ルカは物珍しそうにセルーラ軍の制式外套をしばらく眺めていたが、やがて、それを羽織ると、ありがとう、と小さく呟いた。
「結構、見た目の感じが違うもんだね」
そう言って、ルカは俺を眺める。おそらく、この制服の事を言っているのだろうと思う。泥まみれの戦闘服と、ネクタイを締めた正装では確かに感じは違うだろう。
「だな。俺も慣れない。ネクタイなんて何の役に立つんだろうな?」
「止血、とか」
ルカが、思いついたようにそう口にした。
「なるほど、止血、か」
俺は思わず笑ってしまう。確かにそれくらいにしか役に立たないだろう。
「笑うなよ。真面目に考えてんのにさ」
「いや、納得した。そう考えればネクタイってのも悪くないな」
俺がネクタイをつまみ上げながら、そう呟くと、ルカは、だろ、となんだか得意げに答えた。
俺とルカが、とりとめのない話をしていると、低いヘリのローター音が聞こえてきて、やがて、地平線の向こうに見慣れたセルーラ空軍の輸送ヘリが姿を現す。
「……ちゃんと持ってるか?」
ルカがそう言って、俺を見る。
「お守りだろ。ちゃんと持ってる」
俺がそう答えると、ルカは、効き目があるといいな、と空を見上げて呟く。
「効き目は、あるよ。きっと」
「……」
ルカは、黙って目を伏せると、コンクリートで舗装された地面に視線を移す。
「ありがとうな。いろいろ」
「いいよ、別に。たいしたことしたわけじゃないし」
顔を伏せたまま、ルカは早口でそう言った。ヘリのローターの音がどんどん大きくなって、やがて、ヘリポートの上空でホバリングを始めると、俺とルカのまわりを凄まじい風が吹き荒れていく。
着陸したヘリのハッチが開き、軍服を着た女がそこから俺の方に向かって歩いてくる。制服を着ているのでかなり近くに来るまで気がつかなかったが、どうもF二五のようだった。
「迎えにきましたよ。カイルさん」
なんだかおどけるようにF二五はそう言って、笑った。
「すいません。お手数をかけてしまって」
俺がそう言うと、F二五は、何をいまさら、と言わんばかりの表情でため息をつく。
「もう、慣れました。大尉も、あなたも、アキさんも、本当に手間がかかります」
笑いながら、冗談まじりにそう口にするF二五はなんだか嬉しそうに見える。F二五はベンチに座っているルカに視線を移すと、あの娘は?、と聞いた。
「エイジア空軍の、ルカ上等兵です」
俺がそう紹介すると、ルカは立ち上がり、F二五に向かって頭をぺこりと下げる。
「いろいろお世話になったみたいですね。うちの部隊は本当にもうあたりかまわず迷惑をかける人ばっかりで……」
「いや、あたしは、べつに……」
ルカは照れたのか顔を伏せたまま、F二五に目を合わせようとしない。F二五はその様子を面白そうに眺めていたが、やがて、俺に視線を移すと、行きましょうか、と言った。
「了解」
俺がそう答えて荷物を持ち上げると、ルカは羽織っていた俺の外套を脱ぎ、目を合わせないまま、それを俺に差し出す。
「ありがと。これ、温かかった」
「格納庫に急いで戻れよ。このまま外にいたら、絶対風邪引くぞ」
俺がそう言うと、ルカは、大丈夫だよ、と呟く。
「あたしはこの基地来てから風邪ひいた事なんてないし」
ルカは、そのまま、踵を返して格納庫に向かって歩いていこうとする。
「ルカ」
そう呼びかけると、ルカは立ち止まり、振り返った。俺は姿勢を正して、ルカに向かって敬礼をする。軍人同士の別れである以上、この場に最もふさわしいのは、やはり敬礼のような気がした。ルカは少し驚いたようだったが、やがて姿勢を正すと、俺に答礼を返す。あまり慣れていないのかぎこちない敬礼で、ただ、それでもそこからは確かな誠意が感じられて、俺は少しだけ嬉しかった。
「じゃあ、また」
俺がかけたその言葉に、ルカは綺麗な笑顔だけを返して、格納庫に向かって走っていく。
「セルーラ空軍二三四〇回転翼機から、エイジア管制塔へ。ヘリポートにて、カイル伍長の搭乗を確認した。いままでの保護を感謝する」
F二五が手短に無線に向かってそう告げると、間髪を置かずに、了解、とスピーカーから返答が響く。ゆっくりとローターが回転を始め、エンジンの小刻みな揺れが全身を覆っていく。
「ほっとしましたよ。あの女の子だけで」
「え?」
「昨日、軍用無線で話した、たしか、ファルク少尉とかいう人でしたか、本当に感じが悪くて。ヘリポートにいたら拉致してやろうかと」
「……冗談ですよね」
「冗談ですよ?もちろん」
笑顔で、そう答えるF二五の口調は笑ってはいたが、なんだか冗談には聞こえなくて、ファルク少尉が来なくてよかったと俺は心から思った。
「でも、わざわざ見送りにきてくれてるって、どんな関係の人なんですか?」
「向こうの医務室で治療してる間、食事やら着替えやら運んでくれてた人ですよ」
俺がそう答えると、F二五は意味ありげな含み笑いをする。
「なんですか?」
「いえ、なんでも。リーフさんに言えないようなことはしてないですよね?もちろん」
「あたりまえでしょう。何考えてるんですか」
俺の抗議に、F二五は、冗談ですよ、と弁解するように答える。
「なんだか、あの娘、寂しそうだったから」
「……」
なんとも答えに詰まる問いだった。もっともF二五も答えなど期待はしていないだろうが。しばらくの沈黙の後、ヘリは高度を上げ、加速感と浮遊感が俺たちの身体を覆っていく。遠ざかる空軍基地を俺は丸窓から眺める。俺が毎日病室の窓から見ていた滑走路には数機の戦闘機が停まっていた。格納庫に向かって歩いている小さな人影は、多分ルカだろう。ルカが渡してくれたお守りを、俺はそっと握る。銀の冷ややかな感触が手のひらに広がっていく。俺だけではなくて、ルカも守ってくれるようにと俺は思う。神様なんてものを信じている訳ではないのだけれど。