廃都編 7章
光が差し込んでくる感触を、閉じられた瞼越しに感じて、俺は目を覚ました。身を起こすと、そこはコンクリートで四方を囲まれたシンプルな狭い部屋で、俺が横たわっているベッドを除けば、家具らしい家具もない。ベッドから起き上がろうとして、俺は右足に厚く巻かれた包帯に気付き、あの滑走路沿いでの戦闘を思い出す。今俺がいるこの場所は死後の世界には思えない。助かったんだという実感が心の底からわき上がってくると同時に、また、敵を殺したんだという重い罪悪感がこみ上げてくる。
ゆっくりとベッドから出て、窓まで歩くと、窓の外には、ヘリポートと滑走路、そして、格納庫が見えた。滑走路には何機もの戦闘機が並び、その中にはセルーラのジャギュアも駐機している。どうやら敵の排除には成功したようだった。俺は窓枠に手をついて、白い病衣に覆われた自分の姿を確認する。セルーラを出発して僅か二日間でこのざまだ。今回は運良く生き残ったが、次の戦闘で同じように生き残ることができるのだろうか。
「ベッドから出るな。まだ駄目だって先生が言ってる」
不意にドアが開いて、部屋にそう言いながら入ってきたのはルカだった。言われた通り、俺はベッドに再び横たわり、どうなった?、と問いかける。
「特殊部隊が来て、敵は殆ど逃げた」
簡潔にそれだけを答えると、ルカは折り畳み式の椅子をベッドの横に置いて、そこに座り、まったく、と呟いた。
「一人で戦うってのは別に良いけどさ、大けがして死にかけたら何にもならないだろ。あんたのとこの上官だって無理すんなって言ってたのにさ」
ルカは不機嫌そうにそう続け、馬鹿だよ、と繰り返した。
「……いきなり、だな」
俺がそう呟くと、うるせえ、と即座に返事が返ってくる。
「あんたを見つけたのはあたしなんだからな。感謝して欲しいよ」
「そうか、……悪かったな」
俺はそう呟いて、ルカに頭を下げた。あの出血量から言って、おそらく発見が遅れていれば俺は死んでいたに違いなかった。
「みんなして、死に急ぎやがってさ。本当に馬鹿じゃねえの」
ルカはそう言ってしまってから、顔を伏せて、目の辺りをごしごしと擦る。
「みんなしてって……」
「班長も、警備兵の連中も、同期の奴も、沢山死んだ」
ルカは堰を切ったようにそう言うと、顔を伏せたままでいる。
「班長って、お前の所の班の、俺に食事をくれた班長か」
俺の言葉に、ルカは頷きだけを返す。
ルカはそれから、一言も口をきかず、ベッドの脇の小さなテーブルに食事を準備すると、黙って部屋を出て行った。俺は食事をとりながら、窓の外の滑走路に並ぶ戦闘機と、その向こうに停まっている俺たちの部隊のヘリを眺める。右足が鈍く痛み、俺は目を伏せ、手のひらを開き、そこに視線を落とす。
俺が殺したあの兵隊。歳も同じくらいだった。あの兵隊が託したあの封筒には何が入っていたのだろうと、俺は思う。俺は右足に負担をかけないように立ち上がり、部屋の隅に置かれた籠に入った、汚れたままの制服を広げる。制服からは、泥と、雨と、そして血の匂いがして、俺は微かにこみ上げる吐き気を堪えながら、ポケットの中のずぶ濡れの封筒を取り出した。
封筒を開けると、そこには一枚の写真と、便せんが一枚入っていた。写真には、俺が殺したあの兵士が満面の笑みで映っていて、俺はその笑顔から、無意識に目を逸らしてしまう。便せんは、ユリへ、という一行から始まる手紙で、俺は、悪いとは思いつつも、託された責任感と、罪悪感の入り交じった複雑な気持ちを抱えたまま、その手紙に目を走らせた。
『ユリへ
この手紙は、敵地に向かう車の中で書いています。とうとう僕の部隊にも、出撃の命令が来て、詳しくは言えないけど、敵地に向かう事になりました。
ボストの家を離れて、君と会えなくなってから、もう半年が経ちますね。ユリは元気にしていますか?
もうすぐ、冬がくる事を、くれぐれも忘れずにいてください。ただでさえ君は身体が弱いのだから、きちんと薬を飲んで、ちゃんと栄養のある物を食べて、暖かい部屋で、きちんと眠るようにしてください。
先日の手紙で、君が、心配で良く眠れないと書いていたのを読んで、忙しさにかまけて、手紙の一通も書いていなかったことに初めて気付きました。本当に悪かったと思っています。これからは、なるべく時間を見つけて、君への手紙を書いていこうと思います。
だから、心配で眠れないなんて事を言わずに、ゆっくりと、ぐっすり眠ってください。僕は怪我一つなく、元気に過ごしていますから。
家に帰れたら、そして、戦争が終わったら、軍を辞めて、君の側で看病をしながら出来る仕事を探そうと思っています。
出発の日、君は、しきりに自分の病気のことを気にしていたけれど、先生は、必ず治る病気だと言っていました。
出来うるなら、僕は、君が回復して、普通の生活が送れるようになるまで、そして、君が望むなら、そのさきの生活にも寄り添っていきたいと思っています。
そして、もし、僕が帰れなかったとしても、必ず、君だけは身体を治して、どうか幸せな人生を送ってください。
フォード リステルより』
手紙はところどころが泥と雨と血で滲んでいた。俺はその手紙を読んでしまってから、そっとそれを畳み、耐えようのない罪悪感と、胃の底からわき上がってくる痛みに襲われる。こうして俺は生き残る為に何人もの生活や幸せを奪い続けて、不幸のどん底に幾人もの人を叩き落としながら戦っていくのか。人の幸せや命を奪い続けた手で、もう一度リーフの手をなんのためらいもなく握れるのかと、何度も自分自身に問いかける。軍人という職業を選んだ事を、これほど悔やんだ事はなく、必ず帰るという約束の為に、幾人もの命を奪っていかなければならない事を、これほど実感したことはなかった。コンクリートの壁に俺は握った拳を打ちつけ、そこから走る鈍い痛みを感じる。いまさら戻る訳にも、逃げる訳にもいかない。それだけを俺は頭の中で繰り返していた。
数時間をベッドに横たわったまま、何もする事がなかった俺は、ただぼんやりと窓の外に視線を向けていた。幾人かの兵士が滑走路を走り、その度に、戦闘機が離陸していく。対地ミサイルが積まれた何機もの戦闘機が戦地に向けて飛び立っていく光景に目を奪われていると、ドアから小さなノックの音がして、返事を待たずに開けられたドアの向こうには、心配そうな表情を浮かべた大尉が立っていた。
「……怪我はどうだ?」大尉は、ベッドの横の椅子に腰掛けて、そう呟くと、微かに笑みを浮かべた。
「大丈夫……だと思います。まだ歩いたり、走ったりって訳でもないので、断言は出来ませんが」
「今回の件は良くやってくれた。ラルフ曹長も褒めてたよ。一人であれだけやれれば上出来だとさ。ヘリも無事だった。まあ、あとはお前が無傷なら百点って所だったけどな」
大尉のその褒め言葉を、俺は素直に喜べない。俺の表情を見て大尉もそれを察したのだろう。ため息をつくと大尉は立ち上がり、まあそんなところだ、と小さく呟く。
「トライアングルエリアには、いつ発たれるのですか」俺のその問いに、大尉は微かに苦笑いを浮かべる。
「お前の回復を待ちたい所だ。二週間の滞在を打診しているが、エイジア側、セルーラ側双方とも、とりあえずお前をここに残して、トライアングルエリアに発てと言ってきている。正式な返答は来ていないから何とも言えん」
「返答次第、ですね」
「そうだな。まあ、どちらに転ぶにしろ二週間後には俺もお前もトライアングルエリアだよ。多少の差は問題じゃない」
大尉はそう言って俺の肩を軽く叩き、休暇と思え、と小さく呟く。休暇、というその言葉は、酷くこの場に似つかわしくない物に思えた。心の底から休める日なんてものは、多分、戦争が終わってしまうまで、この場の誰にも訪れない。俺は、大尉と雑談を交わしながら、俺が殺したあの兵士の事を思い浮かべていた。それでも、まだ、いつか戦争が終わる日まで生きていられる希望があるだけ、俺たちはまだ幸せなんだと思う。そして、今の自分に、その幸せを享受する資格があるのだろうかと、俺は何度も自問する。右足の鈍い痛みが走り続ける中で。
思いっきり間が空いてしまいました。更新まで……。
しばらく離れていた間に高い評価を頂いていたりして、本当に励みになりました。ありがとうございました。読者の方々にはただ感謝です。
最近やっと、ここから先のプロットが固まりましたので、これから何回かはスピーディに更新できると思います。
これからも「国境の空」を宜しくご愛読の程、お願い申し上げます。