首都編 35章
ブルームで過ごした穏やかな休日から一週間後、俺のトライアングル行きの日が来た。出発の朝を迎えた俺は、必要最低限の荷物だけを詰めた小さなリュックだけを抱えて、屋根裏部屋から玄関に向かう。朝の冷たい空気が、肌を刺すように染み渡っていく。もう、冬が訪れようとしている。
「手紙とか、電話とか、出来るんだよね」リーフが心配そうにそう言って、俺にパンの入った紙袋を渡す。父さんと母さんも同じく、心配そうな目を俺に向けて、かける言葉をずっと探しているような仕草をしている。
「……リーフも、父さんも母さんも、そんなに心配しなくていいよ。電話も出来るし、手紙も送れる。ちゃんと連絡するからさ」俺のその言葉が、リーフや親の不安や心配を打ち消すことが出来たのかどうかは解らない。けれど、その言葉で、やっと、ぎこちないながらも皆の顔に笑顔が浮かんだように思えた。
別れの挨拶を長くやるのは嫌だった。必ず帰ってくると約束しているのだから、そんなものを長時間続ける必要なんて無いんだと、俺は何度も自分に言い聞かせながら、玄関の前に横付けした車に向かう。ふと後ろを振り返ると、リーフだけが、玄関の外まで出て、俺の数歩後ろを歩いていた。
「リーフ、あのさ……」俺が足を止めてそう口を開くと、リーフは俺の横まで足を進めて、俺の右手にいつもと同じように手を添えると、無言で地面を見つめたまま、立ち止まる。
「渡しとく物があるんだ」俺は自分の右手にはめられていた軍用の腕時計を外して、リーフの細い手首にそれを移した。リーフは自分の腕に付けられた女の子が付けるには無骨すぎるその時計をしばらく眺めた後に、やっと顔を上げる。
「時計、覚えててくれたんだね」リーフの不安や、寂しさが入り交じった複雑な表情に、ほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。
「首都で買う予定だったんだけど、店なんか行く暇がなくてさ。帰ってきたら、一緒に買いにいこう。首都まで行って」言い訳がましい俺の言葉にリーフは、小さく首を振って、ありがとう、と囁くように言った。
「……この時計がいい」リーフは愛おしそうにその時計に視線を移すと、そう呟いて、俺の手に触れたまま、また足を進める。
名残惜しさを振り切るように、俺は車に乗り込んで、リーフに、行ってくる、と短く告げて、エンジンを掛けた。軍用ジープ独特のかすれたエンジン音が響いて、その音の中で、リーフが、いってらっしゃい、と告げる小さな声が聞こえた。
走り出したジープのバックミラーに映ったリーフの姿がどんどん小さくなって、やがて見えなくなってしまうと、俺は、基地に向けて、ジープを法定速度ぎりぎりのスピードで走らせる。流れていく景色が、色を変えていく。森の緑に山肌の灰色が混じり、やがて、基地の味気ないゲートが見えてくるまで、俺の頭では、手を振り続けるリーフの姿が何度も繰り返されていた。
基地について、車を降りると、解析施設の玄関の前に所在なげに座り込んでいる二人組が見えた。筋肉質の大男と、中背の優男。変わらないままのたたずまいでなにやら楽しげに語り合っているのは、ルパードとグリアムに違いなかった。
「カイル」グリアムが俺に気付いて、大声でそう呼びかけると、ルパードが立ち上がり、大きく手を振った。
「久しぶり。元気にしてた?」グリアムはそう言って、俺の肩を叩いて、国境で別れた時と変わらない屈託の無い笑顔を浮かべる。
「元気っていえば元気だけどさ……」そう答えた俺に、ルパードが、聞いたぜ、と口を開いた。
「侵入してきたボストの連中やら、ファルト教団の過激派やら、大変だったんだろ?」
「まあ、な。そっちはどうだったんだ?エイジアはセルーラよりかなり酷い有様だったって聞いてるけど」俺がそう尋ねると、ルパード、グリアム共に顔を見合わせて、ルパードがグリアムに説明する役を譲るように手を差し出す。
「エイジアでは、僕たちは戦闘には巻き込まれなかった。ディルとラシュディさんの警備が仕事だからね。でも、空軍基地がやられた時はさすがに覚悟したよ。セルーラに帰れないかもって」
「グリアム、おまえ、なんかディルみたいなしゃべり方になってるぞ。自分の事、僕なんて言ってなかったろ?」俺がそう指摘すると、グリアムは、ああ、これか、と呟いて、苦笑いを浮かべる。
「向こうでディルの教育係っていうか、世話役みたいな生意気な女がいてね。しゃべり方を矯正された。子供が真似するでしょうって」
「俺と曹長はそいつの前でだけ言葉変えてたんだけど、グリアムはそのまんまになっちまった」ルパードが呆れたようにそう呟いて、軍人が僕ってのもなあ、と続けると、グリアムは、好きでなったわけじゃない、と抗議する。
「まあ、いいや、話を続けてくれよ」このままほったらかしておくと、しまいにはその世話人の女の愚痴まで聞かされそうな気がして、俺はグリアムにそう促す。
「ディルとラシュディさんは元気にやってる。ディルは向こうの学校に編入したし、ラシュディさんも厚遇されてる。ただ、ディルは国境のほうが楽しかったって何度も言ってたよ」
「飯がまずいんだとさ。まあ、あそこに比べるとなあ」ルパードがそう付け足して、俺に同意を求めるように、なあ?、と呟いた。
「確かにな。でもあそこは別格だろ?」俺がそう言うと、グリアムもルパードも同意するように大きく頷く。
とりとめもなく近況を伝えあっていると、玄関のドアが開き、アキと、ラルフ曹長が姿を現した。ラルフ曹長は俺に視線を移すと、しばらく無言でいたが、やがて笑みを浮かべて、見違えたな、と一言呟いた。
「さすがに、と行った所だな。お前、自分で気付いているか?」ラルフ曹長からの問いにどう答えていいのか解らずに俺が答えを探していると、曹長は、顔だよ、と続けた。
「兵士の顔つきになっている。アキもそうだが」
「そう、ですかね?」俺が多少の戸惑いを覚えながらそう答えると、自分では解らんかもしれんが、と曹長は言う。
「俺たちはどうなんですかね?」そう口を挟んだルパードに、曹長は、お前らは変わらん、とからかうように答えた。
「ひでえなあ」そう言って不満げな顔を浮かべたルパードを眺めながら、俺は、ふと、変わるという事が良い事なのかどうか、疑問に思う。人を殺したり、戦闘を経験したりという事が、俺を兵士の顔に変えたのだとしたら、そんな変化は無いに越したことはないような気もする。
数時間後、基地の中央広場に到着した輸送ヘリに俺たちが乗り込んでしまうと、あとは大尉の到着を待つだけとなる。俺は目の前に座って静かに目を閉じているラルフ曹長に、声をかけた。
「ちょっといいですか」ラルフ曹長は目を開けると、どうした、と静かな声で答える。
「俺の顔、兵士の顔になったって、言ってましたよね」
「言ったが」
「それは、良い事なんでしょうか」俺の問いにラルフ曹長は怪訝そうな視線を向け、しばらく無言でいたが、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「戦闘を経験すると、大体、三つのタイプに別れる。俺が見た限りで言うと、だがね」ラルフ曹長は窓の外に視線を移し、窓の外の兵士達を眺めながら、そう呟く。
「一つは、忘れようとして銃を握れなくなる奴、もう一つは、人を殺す事に鈍くなる奴、そして最後が、人を殺す事に鈍くもならないが、銃も置かない奴って所だな」
「……」自分が何処に当てはまるのか、よくわからないまま、俺が無言でいると、ラルフ曹長は、お前は最後のタイプだよ、と付け加える。
「銃を握れなくなれば軍人としては終わりだ。人殺しに鈍くなれば、ただの殺人機械としか呼べん」
「俺は、そうじゃないということですか?」
「そう言うことになるな」
「曹長は、どうだったんですか?」俺のその問いに、曹長は若干驚いたようだったが、やがて、顔にいつもの穏やかな笑みを浮かべると、俺も同じだよ、と答えた。
気がつくと、俺以外の連中も皆、ラルフ曹長の話に耳を傾けていた。皆が、真剣な表情で視線を向けているのに気がついたラルフ曹長は、全員を見渡し、背もたれに寄りかかると、ヘリの無骨な天井に視線を移した。
「お前ら全員に言える事だ。戦場に行く以上、人殺しは避けられん。全員が、セルーラの刃である事を忘れるな。例え仲間が殺されても、私怨で敵に向かうな。一日でも早く、戦争を終わらせるように、全員がそれぞれの職域で努力しろ」それだけを言ってしまうと、ラルフ曹長は再び目を閉じて、眠りにつく。
大尉が数十分遅れで、ヘリに乗り込み、全員が揃うと、回転するローターの轟音が辺りを包み、やがて、ヘリが浮遊する感覚が全身を覆っていく。窓の外に目を向けると、視線の先には、ブルームの水神宮と、その側に小さく佇んでいる実家が見えた。遠ざかるその景色の向こうに、両親とリーフがいる。必ず、あそこに戻るんだ、と俺は改めて決意する。これからの日々が、どれだけ、過酷な戦場であったとしても。
あの暖かくか細い、リーフの手に、もう一度触れる為に。
あとがき
首都編がやっと終わりました。次からは、戦場に向かう彼らの姿を書いていきます。やっと戦記っぽくなりますね(笑)
ということで、次回からは 廃都編 になります。
これからも、国境の空をよろしくご愛読の程、お願い申し上げます。