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国境の空  作者: SKYWORD
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首都編 33章

 水神宮に向かう参道を、俺とリーフは、二人で歩いている。森に囲まれた参道には目の細かい砂利が敷かれ、俺とリーフが砂利を踏む微かな音だけが、森の静寂の中に響いていく。リーフは俺と手をつないだまま、多少疲れたのか、額に僅かな汗を浮かべている。俺も人の事を言えたものではない。久しぶりに歩く参道は、思ったよりも体力を使う。時折よろめくリーフをその度に支えながら、俺とリーフは参道の向こうの水神宮の本宮まで、歩みを進めていく。

 

「これは、大尉とアキは来なくて正解だったよな」俺がそう呟くと、リーフは顔を上げて、同意の頷きを返した。

「……つらそうだったもんね」リーフはそう答えると、砂利に足を取られて、俺の腕にしがみついた。急に腕を掴まれ、俺もバランスを崩し、二人して転んでしまいそうになる。

「少し休むか?」俺が参道の脇に設けられたベンチを指差してそう言うと、リーフは俺の腕にしがみついたまま、頷いた。


 アキと大尉は、結局何度起こそうとしても起きず、昼過ぎになってやっとアキだけが目を覚ましたが、どうも二日酔いが酷かったようで、悪いけれど、少し休ませて、とリーフに告げるとそのまま部屋に引っ込んでしまった。大尉は大尉で、起きたとたんにトイレに駆け込み、二日酔いどころかまだ酔いが完全に残っているような有様だった。F二十五は二人を介抱する損な役回りを何故か嬉々として引き受け、結局、俺とリーフだけが当初の予定の水神宮に向かうことになった。

 

「リーフ、大丈夫か?」俺が、ふくらはぎを小さな手で何度も押さえているリーフにそう尋ねると、リーフは顔を上げて、大丈夫だよ、と答えた。

「……おぶっていってやろうか?」俺が半ば本気でそう提案すると、リーフは首を振って、大丈夫、と繰り返す。

「私、結構体力はあるんだよ?」なんだか勝気にそう言い張るリーフを見ていると、思わず笑みが浮かんでしまう。


 石段と砂利道を幾つか抜け、シンプルな木造の本宮と、その周りを巡る水路が見えてくると、リーフは、わあ、とちいさな感嘆の声を漏らす。本宮自体はそう大きな物ではないが、その周りにまるで何かの結界のように何重にも張り巡らされた水路はいつ見ても圧巻の一言に尽きる。本宮の前の小さな広場には、森から切り出された白木が複雑に積まれている。

「カイル、あれ、何なの?」リーフが広場に積み重ねられた白木を指差しながら、俺にそう尋ねる。

「祭りの時に使うんだ。櫓を組んで、その上まで水を引いてさ、上からじゃんじゃん水を撒くんだよ。大体今の時期から準備するんだ」俺がそう答えながら、広場の方に足を向けると、リーフはその後を追いかけるようにして小走りに歩いてくる。俺はリーフの疲れを考えずに早足で歩いてしまっている事に気付き、足を止めると、リーフが追いついてくるのを待ち、歩調を合わせて、白木が積まれた広場に向かう。


 広場に着くと、リーフは積まれた白木に興味を惹かれたようで、手を伸ばしてそれに触れようとする。俺がリーフの手にそっと手を伸ばして、その手を制止すると、リーフは怪訝そうな表情を浮かべて、俺を見上げる。

「神官の人以外は触っちゃ駄目なんだ」俺がリーフにそう言うと、リーフはあわてて手を引っ込める。その仕草がなんだか酷く幼く見えて俺は思わず笑ってしまう。

「……どうしたの?」

「なんか、子供みたいだからさ」俺がそう答えると、リーフは、まだ子供だもん、と開き直ったように答え、手を触れないように注意しながら、組木細工のように複雑に積まれた白木を観察し始める。


「カイルは、お祭りって見た事あるんだよね?」リーフにそう尋ねられて、俺は最後に祭りにきた時の事を思い出す。確か十九か二十歳の頃だった様な気がする。

「あるよ。子供の頃から何回も見てる」俺がそう答えると、リーフは、いいなあ、と羨ましそうに呟いた。

「夏になったら、リーフも連れてきてもらったらいい。多分、嫌って言っても母さん辺りが無理矢理連れて行くと思うけど」

「カイルは?」リーフが不意に俺の方を振り向いてそう尋ねる。尋ねられて、俺は来年の夏に、こうしてまたリーフと一緒にここを歩けるのだろうかと考える。戦争がそれまでに終わっていれば、と言う所だった。

「……戦争が終われば、かな。夏までにさ」俺がそう答えると、リーフは、表情を少しだけ曇らせて、そうだね、と呟く。

「……いつか、お祭りの時に、ちゃんと連れてきてね。来年じゃなくてもいいから」俯いたまま、そう言ったリーフの肩に、俺はそっと手のひらを乗せる。


 広場でひとしきりいろいろと見て回った後、俺とリーフは本宮の建物に向かう。水神宮には他の宗教の様に、本宮に銅像や、十字架が祀ってある訳ではない。ブルームに張り巡らされた水路の水源が、この水神宮の周りにあり、その幾つかの水源と、この広大な森自体が水神様のご本尊なのだと、俺は小さな頃に教わった。広場と水路はかなり昔からあったそうだが、本宮が出来たのは俺が生まれた頃だと聞いている。

 

 本宮の建物の中に設置されたちいさなベンチに俺とリーフは腰掛け、人気の無い本宮に吹き抜ける心地よい風を感じながら、広場を流れていく水路の水音に耳を傾ける。リーフは、しばらく興味深げに辺りを見回していたが、やがて自分の膝に視線を戻すと、いいところだよね、と小さく呟いた。

「だよな。俺も好きだよ」小さな頃から、俺は水神宮の広場で駆け回って遊んでいた。休みの日には弁当代わりに持たされたパンを鞄に詰めて、水路に飛び込んだりしては、怒り狂った神官に説教をされたりしていた。


「水神様って、どんな神様なの?」リーフが本宮の壁にかかれたレリーフを指差しながらそう尋ねた。

「もともと、水神様っていうのは、人間だったんだ。このあたりの領主の人で、あんまり真面目な領主じゃなかったらしい」俺は小さな頃に神官から聞かされた話を思い出しながら、話を続けていく。

「領民もあんまり領主には懐いてなくて、年貢を納める度に揉め事ばっかり起きてたんだ。で、領主もこんな所の領主なんてさっさと辞めてしまいたいとかそんな事ばかり考えてる人だったらしい」

「……なんだか、意外」リーフはそう言って、レリーフから俺に視線を向ける。

「だろ?でな、その領主は若い男だったそうなんだけど、ブルームを訪れたカエタナの旅芸人の娘に惚れて、領民をほったらかして、旅芸人に付いていこうって思ったらしくてさ。旅芸人の一座に加わって、この森で領主の証でもある剣なんかを捨てちゃったんだ」

「なんか、大尉みたいな人だね」リーフがおもわず呟いた一言に俺は吹き出しそうになる。確かに、大尉みたいな人だ。あの人ならこんなことをやらかしそうな気がする。

「で、領民は領主が居なくなった事に気付くんだけど、もともとあんまり役に立っていた訳でもないし、まあ、いいやってことになったらしくてさ。特に追っかけたりもしなかった。領主はそのまま、旅芸人の一座に加わって、何年もセルーラの国中を回って、そして、その旅芸人の娘との間に子供が出来た頃、ブルームを訪れたそうなんだ」

「それで、どうなったの?」

「領民は、薄情な事にもう領主とか忘れてるし、領主もさらに薄情でいちいちそんなことには触れないし、普通に芸をやって、さあ帰ろうって時に、旅芸人の一行はまた、あの森を通ってブルームを出て行こうとしてたんだ。で、そのときに、領主は、あの時に捨てた剣はどうなったんだろう、って思ったらしい。領主になんて戻る気はさらさら無かったんだろうけど、一応先祖代々伝わっていた物だし、気にはなってたんだろう。で、森に入って休憩をしている時に、領主は辺りを探して、そのときに地面に突き刺さって錆び付いている剣を見つけたんだ。で、その剣を領主が引っこ抜くと、その穴から綺麗な水が湧きだし始めた」

「それが、水源?」

「そう。で、領主はとりあえずがんがん湧きだす水の量に驚いて、旅芸人の連中を連れてきて、どうしようかって話になった。とりあえず水が湧いてるってことは悪い事じゃないし、ブルームの連中も別に喜びこそすれ、怒りはしないだろうってことになった。で、ブルームの領民と、その旅芸人の連中とで、何年か掛けて水路やら、ため池やらを作って、結局旅芸人の一座もそのまま、ブルームに落ち着いちゃったんだ」

「その水路が、この水路なの?」

「ああ。で、領主が年取って、死んでしまった後に、なんか、この水路の周りで、死んだ筈の領主が歩き回ってるって話がでてきたらしくて。最初はみんな気味悪がってたんだけど、なんだかいっつも笑いながら楽しげに歩いてる幽霊だったらしくてさ。領民もまあ、害はないし、良いかって話になって、しかも領主の幽霊を見た後は、豊作になったりとか、子供を授かったりとか、良い事ばっかり起きるようになったみたいでさ」

「……そうなんだ」リーフは笑いをこらえながらそう呟く。

「なんか、馬鹿みたいな話なんだけど、そのうち、領主の幽霊を幽霊って呼ぶ領民は居なくなって、ご利益があるからってことで、水神様って呼ばれるようになったんだ。普通神様って真面目なもんなんだけど、ブルームの水神様っていうのはそういう神様なんだ。ちゃらんぽらんで楽しい事好きの神様なんだってさ」

「その領主の子供の人ってどうなったの?」

「ブルームに住んでるカエタナは、その領主と旅芸人の間の子孫だって言われてるんだ。だから、ここではカエタナって差別されてないだろ」

「……なんだか良い所だね、ブルームって。私、またブルームが好きになった」リーフはレリーフに書かれた領主と旅芸人の娘の姿を眺めながらそう呟く。


 しばらくの間、本宮やら、広場やらを見て回った後、俺とリーフがホテルに戻ると、リーフはさすがに少し疲れたようで、フロントのソファーに座り込むと、俺の顔を見て、少し笑った。

「疲れたろ?」俺がそう尋ねると、リーフは笑みを浮かべたまま頷いて、でも楽しかった、と答えた。

「大尉とアキさんは大丈夫かな?」

「まあ、大丈夫だろうと思うけど、ひょっとしたら、大尉もアキももう一泊するかもな。いまから基地なんて戻ってもどうせ寝るだけだし。そうなればジョディさんも残るだろうし。どうしようか、そうなったら、もう一泊するか?」

「でも、パンの仕込みもあるし……」

「ま、大尉次第だよな。ちょっと、見てくるよ。リーフはここで休んでていいからな。また戻ってくるから」俺はそう言い残して立ち上がり、とりあえず大尉の部屋に向かう。


 エレベータを下りて、大尉の部屋に向かうと、何やら部屋の中から大きな笑い声がした。嫌な予感を感じながら俺がドアをノックすると、アキがドアを開けて、どうしたの、と尋ねてくる。部屋の中を眺めると、F二十五も大尉もいる。しかもいい感じで酔っぱらっている様子だった。

「……あのさ、ひょっとしてまた飲んでたのか?」俺がそう聞くと、アキは、そう、と短く答えた。

「迎え酒だよ、迎え酒。どうせ今日も休みだし。基地には明日の朝に戻れば良いし」大尉が俺の姿を見つけるなり大声でそう言いながら、つまみの鶏肉をおいしそうに口にしている。


「アキ、お前、止めろよ。真っ昼間から酒なんてさ……」俺が大尉とF二五に聞こえないように小声でそう囁くと、私は飲んでない、とアキは半ば憮然とした表情で答えた。

「息抜きだって、必要」さらにそう付け加えたアキは、俺の顔を見上げて、同意を求めるかのように俺の目をまっすぐに見る。

「……まあ、そうだよな。最近、大変だったからな」俺が半ば押し切られるようにそう呟くと、アキは無言で頷く。

「リーフも連れてくる。なんか、つまみとかいるなら買ってくるけど」

「いらない」アキはそう答えると、部屋の一隅にあるテーブルを指差す。どこから調達したのかそこには大量の料理が乗せられていた。レストランに無理をいって作らせたのかもしれない。

「カイルと、リーフの分もあるから」そう言うとアキは、俺を見て、微かに表情を緩ませた。無表情で解りづらいが、どうやらアキは結構状況を楽しんでいるようだった。


 リーフに事情を話し、実家に電話をかけて、俺はリーフを連れて、また大尉の部屋に戻る。リーフと俺の姿を見た大尉は、大声で、とりあえず食べろ、と言い、俺とリーフをテーブルの横のソファーに無理矢理座らせる。目の前の料理はまだ湯気が立っていて、香ばしい香りが食欲を刺激する。

 

「リーフちゃん、カイルに妙な事されたら、すぐにアキに言うんだよ?アキがやっつけてくれるからさ」大尉が楽しそうな表情でそう言うと、リーフは顔を赤らめて俯いてしまった。また、妙な事を口走ってくれたもんだと、俺は思う。

「お前、まさか、本当になんかしたんじゃないだろうな」大尉はそのリーフの様子を楽しげに眺めながら、からかい半分で俺にそう言うと、俺の背中を明らかに強すぎる力でばんばんと叩いた。

「カイルさんに、そんな度胸はないですもんね」いい感じで酔っぱらったF二十五がさらに追い打ちをかける。しかも、リーフに酒が入ったグラスを渡して、ろれつの回らない口調で、さあ、飲んで、などと口にする始末だ。


 大尉とF二五に完全にからかわれ続ける俺とリーフを、アキは楽しげに眺めていた。お前が止めてくれなかったら、だれが止めるんだよ、と思いつつも、たまにはこういう風にばか騒ぎするのも悪くないな、と俺は感じていた。たとえそれが、戦争の間のほんの一時の休息であったとしても。

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