首都編 30章
ホテルの四階に着いた俺とリーフは、廊下の案内板でベランダの位置を確認し、そこまで二人で手をつないだまま歩いていく。
「夜景、きれいだよ多分。さっき部屋の窓から見たらすごく綺麗だったもん」リーフが弾んだ声でそう言った。
「そうだよな。俺も部屋から見たよ。ちょっと意外だった」俺がそう言うと、リーフは、ずっと住んでたくせに知らなかったの?、と少し呆れたように問いかける。
「だって、こんなとこ泊まりにこないだろ、普通。家があるんだしさ」俺の言葉に、リーフは穏やかな笑顔を返す。
廊下を歩いていくと、ベランダに向かう小さなドアの前で、誰かがベランダを覗き込むようにして立っているのが見えた。俺はリーフの手を離し、その人影に目を凝らす。人影は俺とリーフに気がついたようで、ゆっくりと俺たちの方に近づいてくる。
「ジョディさん?」リーフが呟く。人影をよく観察すると、それは確かにF二五のようだった。
F二五は俺たちの前まで来ると、人差し指を唇に当て、静かに、と囁くように言う。
「どうしたんですか?」俺が声を落としてそう聞くと、F二五は、大尉とアキさんがいるんです。と答える。そして俺とリーフについてくるように促すと、またベランダの入り口まで向かう。少しだけ開かれたドアの向こうには、何やら深刻な表情をしたアキと大尉が見えた。
「あの、盗み聞きっていうのは少し……」そう言いかけた俺の口をF二五が素早く塞ぐ。
「……黙っていてください。気付かれます」F二五は静かな声でそう告げた。やがて、静かになった廊下に、ベランダから、アキと大尉のやり取りがうっすらと聞こえてくる。幾ばくかの罪悪感を抱えながらも、俺はそのやり取りに耳を傾けていた。
「……大尉がおっしゃる事はよくわかりました。要は、私が戦場で、ボストに対して私情で動くのではないか、と、それを心配されている訳ですね」アキがそう言って、冷静を絵に描いたような表情のまま、クリス大尉に問いかける。クリス大尉は、まあ、そういうことになるかな、と気まずそうに答えた。暗くてよくは見えないが、ベンチに落ち着いて座っているアキとは対照的に、大尉はそのベンチの前に立って、落ち着かなげに体を揺らしている様だった。
「私が同行を希望しているのは、ボストに復讐するためではありません。もちろん、彼らに対して少しも思う所が無いか、と聞かれれば、そうでないとは言えませんけれど」
「勘違いしてほしくはないんだが、お前を過小評価してる訳じゃないし、使えないとか、役立たずとか思ってる訳でもないんだ。たださ、心配っていうか、俺も実戦経験って言うのは無い訳だし、そう言う所で、人がどうなっちゃうかってのが解んないんだ。だから……」
「大尉、私たち一般兵は、まずセルーラの刃たれと教えられます。それは士官学校でも同じなのですか?」いきなりアキに話題を変えられて驚いたのか、大尉はアキの方を振り向くと、怪訝そうな眼差しをアキに向けて、同じだよ、と答える。
「大尉も、そうあるべきと考えておられる、という認識でよろしいのですか」
「ああ。俺個人ではなくて、セルーラによって振るわれる刃であろう、とは思ってるよ。まあ、口にすんのは簡単だけどな」大尉はそう答えながら、アキの隣に座る
「……大尉、私は、セルーラの刃であろうとは思っていません」しばらくの沈黙の後、アキが口を開いた。
「いくら言葉を飾った所で、結局、セルーラの統一された意思というものは存在しません。議会や、首相府の決定が、必ずしも民意を反映した物ではないでしょうし、国民すべてが賛同する意思など、所詮幻想に過ぎません」
「いきなり、だな」クリス大尉が困惑の響きが混ざった声で、そう呟く。
「結局は、我々は、首相なり、議会なり、参謀府なりの誰かの意思によって振るわれる刃なのです。私のような一般兵であれば、上官の意思によって、その上官は、更に上の意思によって。いくら、セルーラの刃と言った所で、人が、組織を動かす限りは」アキは淡々と言葉を続けていく。
「まあ、言われてみれば、そうだよな。確かに」大尉は感心した様子でそう口にする。
「だからこそ、私は……」アキはそう続けると、なにか言葉を探すように、口を閉じ、視線を落とした。
「だからこそ?」クリス大尉がそう言って、アキの顔を覗き込む。アキは視線を落としたまま、口を固く閉ざしている。沈黙がベランダを、そして、俺たちがいる廊下を、覆っていく。やがて、アキは立ち上がると、クリス大尉の前に立ち、アキを見上げるクリス大尉の目をまっすぐに見た。
「私は、あなたの刃でありたい」
発された言葉を、大尉はどう受け止めていいか戸惑っているように見えた。アキは大尉を見据えたまま、視線を逸らそうとしない。
「……私が言いたいのは、それだけです。あとは、大尉がご判断してください」アキはそう言うと、再び、クリス大尉の横に腰掛ける。大尉は無言のまま、ベランダの石床に視線を落とす。
「……外しましょう」俺がそう言うと、F二五は俺を見上げて気まずそうな表情で頷く。これ以上の盗み聞きは、気が進まなかった。俺たちは音を立てないようにドアを閉め、エレベータまで戻ると、とりあえず、下の階に向かうボタンを押し、エレベータの到着を待つ。
「なんだか、悪い事をしました」F二五がそう呟く。
「だから、盗み聞きは良くないって言ったじゃないですか」俺がそう言うと、それはそうですけど、と弁解するようにF二五は言う。
「気になるじゃないですか」
「とにかく、一階のカフェにでも行きましょう。あそこは開いてるでしょうし」俺がそう言うと、F二五は、そうですね、と答えて頷く。
降りていくエレベータの中で、何故かリーフは無言のまま何かを考え込んでいた。俺がリーフの肩に手を触れると、リーフは少し驚いた様子で、俺を振り返る。
「どうしたんだ?黙りこくって」
「……アキさんのこと、考えてた」リーフはそう言うと、俺の顔を見上げて、カイルはどう思う?、と続けた。
「どう思うっていってもなあ。まあ、信頼できる上官の下に居たいってのはよくわかるって感じだな」俺はそう答えて、ベランダでのアキと大尉のやり取りを振り返る。
「相変わらずというか、鈍感ですねえ」F二五はそう言って、呆れ顔でため息をついた。いきなりの言葉に、俺は反論する。
「鈍感って、俺がですか?」俺の言葉に、F二五は、はい、と短く断言した。ふと、リーフを見ると、リーフもその言葉に同意するように頷いている。
「リーフさんも大変ですね」F二五がそう言って、リーフを見ると、リーフは俺に少し視線を向けてから、躊躇いがちにまた頷く。
「なんか、落ち込むな」俺は結構本気で落ち込みながら、そう呟く。
「まあ、男の人はそんなものかもしれません。カイルさんだけではないですよ」F二五が慰めるようにそう言った。
一階のフロント近くに設けられたカフェは、まだ開いているようだったが、何分平日という事もあって、客は一人もおらず、店員が一人だけ退屈そうにジュークボックスを操作しながら、ぼんやりと窓の外を眺めている。
「まだ、大丈夫ですか?」俺がそう声をかけると、店員は、笑顔を向けて、いいですよ、と答えた。どうやら相当退屈だったのだろう、やたら機嫌良く店員は俺たち三人を席まで案内すると、俺たちが注文した内容を意味も無くハイテンションで復唱し、カウンターに小走りで戻っていく。
「それにしても、あの二人、戻ってくる気配が無いですね」注文した飲み物を飲み干し、一時間ほど経った頃、F二五がエレベータの方に目をやりながらそう言ってため息をつく。
「大尉も、アキも納得いくまで話し合った方がいいんです。二人ともなんのかんので頑固ですし」俺がそう言うと、F二五とリーフは顔を見合わせて笑う。
「確かにそうですね。このところ、ゆっくり話す暇なんてあまり無かったでしょうし」F二五はそう言いながら、俺とリーフの顔を交互に見て、意味ありげな笑みを浮かべる。
「そう言えば、お二人も同じですね。ゆっくり話す時間が無かったのは」F二五はそう言うと、席を立ち、伝票を手に取る。
「ここは、私が払っておきます。カイルさんとリーフさんも、ゆっくり話しておいた方がいいです。ごゆっくり」F二五はそう言ってなんだか優雅な笑みを浮かべると、俺たちを置いたまま、カフェを出て行く。
「……気を遣ってくれたのかな」リーフはそう呟いて、テーブルの上に置かれたままの空のグラスに視線を落とした。
「まあ、大尉もアキも長そうだし。ゆっくりしようか?」俺がエレベータに向かって歩いていくF二五の後ろ姿を眺めながら、そう言うと、リーフが、そうだね、と嬉しげに答えるのが聞こえた。