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国境の空  作者: SKYWORD
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首都編 29章

 俺はいままで約二十一年間生きてきて、ホテルの洒落たレストランなんかで食事を取るというのは正直初めてだった。目の前の白いテーブルクロスの上にやたら糊をきかせたナプキンが置かれ、その両側に数組のナイフやフォークが置かれているのを眺めながら、これを一体どう使えばいいのかまるで解らない。ふと、横に座っているリーフを見ると、リーフも緊張した面持ちでテーブルの上に並べられた食器一式を見つめている。目を上げて、大尉、アキ、F二五を見ると、三人とも特に緊張している風でも無い。アキは多少ぎこちない表情を浮かべてはいるが、これはおそらく今朝の大尉との口論が尾を引いているのだろうし、大尉とF二五に至っては、既に幾ばくかの酒が入っているようで、リラックスした様子で楽しげに歓談している。

「あのさ、リーフ。俺、これどう使うのかさっぱり解んないんだけど」俺が小声で隣のリーフにそう囁くと、リーフは俺の顔を見上げて、こくん、と頷く。

「私も、わかんない」リーフはそう答えて、フォークやナイフをおそるおそる手に取って、一組でいいよね、普通、と呟く。全く同感だった。


 料理が運ばれてくると、俺はクリス大尉やアキ、F二五の手元を見ながら、どのフォークやナイフを使えばいいのか大体の検討をつける。リーフは俺の仕草をそのまままねているようだった。

「あれ、カイル、どうしたんだ?じろじろジョディの手元なんかみてさ」クリス大尉が俺の顔を覗き込んでそう言った。

「実は、初めてなんですよ。こういう所で食事するのが。作法とかさっぱり解んなくて」俺がそう答えるとクリス大尉は、適当でいいんだよ、適当で、と楽しげに言った。

「幸い、他の客もいない。夕食にはちょっと遅いしな。しかも平日だし。多少作法を間違えた所で、誰も何も言わないよ」大尉はそう付け加えて、リーフに視線を向ける。

「リーフちゃんもひょっとして初めてだったりすんの?」

「……はい」恥ずかしそうにそう答えたリーフを眺めながら、クリス大尉は、俺に視線を戻す。

「カイル、お前さあ、たまにはこういう所とか連れてってやれよ」呆れ顔でそう呟くと、大尉は、なあ、と同意を求めるようにF二五の方を見る。F二五は大きく頷いて、俺を見た、というより見据えた。

「こんな可愛い娘さんと一緒に住んでるのに、食事にも連れてってあげてないってどういうことなんでしょうね」F二五はいつもより楽しさで言えば五割増位の笑顔を浮かべながらそう言うと、大尉の方を向いて、本当にねえ、と付け加える。


 アキは黙々と食事をしている。無口なのはいつもの事なので、取り立て浮いているという訳では無い。時折、リーフが何か話しかけると、穏やかな表情をリーフに向けて、簡潔に答えを返していた。リーフはアキに会うのが久しぶりという事もあって、ブルームに来てからの日々をいろいろと話しているようだった。

「パンを焼くの、結構上手になったんですよ」リーフがそう言うと、アキは、そう、と短かく答える。

「本当に上手になったんだぜ。父さんも結構褒めてたし」俺がそう付け足すと、アキがしばらく沈黙した後、料理か、と呟く。


「……ビクセン軍曹は元気にしてるのかな」料理、と言う言葉で、国境を思い出したのか、リーフがそう口にすると、アキは無言のまま小さく頷いて、元気だと思う、と答える。

「ビクセンのおっさんは元気だぞ。こないだも電話で話した。アキもリーフも元気かって言ってたけどな」クリス大尉が、そう言うと、リーフは、ビクセンさんのご飯、また食べたいな、と目の前の料理を見ながら呟く。

「また、食べられるさ」俺がそう言うと、うん、とリーフは明るい笑顔を浮かべて頷いた。


 食事を終えると、とりあえず全員部屋に一旦戻って、屋上に最近作られたというサウナにでも行こうか、ということになった。部屋はシングルのそう広くない部屋ではあったが、煉瓦で覆われた壁に、大きな出窓があって、その出窓からはライトアップされた水路と、水神宮を囲む、広く深い森が見えた。小さな頃から良く通る道ではあるものの、こうして、ホテルの窓から見ると、結構違った雰囲気があるものだと思う。俺は煙草に火をつけて、一服してから、待ち合わせ場所の屋上サウナに向かう事にした。そう急ぐこともないだろう。

 

 ベッドに腰掛けて、煙草の煙をぼんやりと眺めていると、首都に来てからの日々がなんとなく思い出された。初めて敵を殺したこと、ヘリからの狙撃をかろうじてではあるけれど成功させたこと、リオやロイに会ったこと、そのそれぞれが、なんのかんので平和だった国境の日々とあまりに違いすぎて、俺はなんだか自分が、あの国境の日々から酷く離れてしまったような気がする。距離も、そして、自分自身のあり方や、考え方も。グリアムやルパードはどうなんだろう、と俺は不意に思う。エイジアで、あいつらもいろいろあっている筈だ。ひょっとしたら戦闘に巻き込まれたりしているかもしれない。戦争は、俺たちを否応無く変えていく。アキだってそうだし、大尉もそうだ。いつか戦争が終わった時、俺はどうなってるんだろう、と思った。人を殺す事や、銃を撃つ事に慣れてしまう日がくるのだろうか。

 夜遅くに実家に帰る度に、リーフが俺を迎えてくれると、俺はいつも自分が依る所を見つけたような、不思議な安堵感に包まれる。忙しく、そして、緊張感を強いられる日々の中、ほんの少しの夜の時間、リーフと話をしたり、リーフが練習で焼いたパンを食べたりする度に、俺は自分の中の変えたくない部分、多分、人間らしさとでも言い換えられるのかもしれないその部分が、穏やかにほぐされるような気がしていた。リーフがいるから、多分、俺はその部分を変えずにいられるんだろうな、と改めて思う。もし、リーフがいなかったら、俺は多分、戦いや敵の命を奪う事に、既に鈍感になっていただろう。

 アキは、どうなのだろう。あいつには、俺に取ってのリーフのような、拠り所になるようなものが、あるのだろうか。


 不意にノックの音がして、俺は煙草を落としそうになる。

「カイル?まだいる?」どうやらリーフの様だった。俺は煙草を灰皿に押し付け、ドアを開ける。


「あれ、アキは一緒じゃないのか?」俺は廊下に一人でぽつんとたたずんでいるリーフにそう尋ねる。

「アキさんはクリス大尉と話があるって、あと、ジョディさんは少し酔いを醒ましたいって言ってたよ」俺はレストランを出た時のかなりハイテンションになっているF二五の姿を思い出す。自分をジョディという偽名で通す事も危うい感じだった。日々偽名を使うああいう職種もストレスが溜まりそうだと多少気の毒になる。

「とりあえず、カイルと一緒にホテルの中でも見物してきてくれって、大尉は言ってたよ」なんだか、少し楽しげに、リーフはそう言った。

「……見物、か」俺がそう呟くと、リーフは、どうやらフロントからもらってきたらしいホテルのパンフレットを差し出す。

「四階にね、展望用のでっかいベランダがあるんだって。行ってみようよ」リーフは俺の顔を見上げて、目を輝かせる。

「そうするか。みんな時間かかりそうだし。なんか飲み物でも買って、ゆっくりしようか」俺がそう言うと、うん、とリーフが勢いよく頷く。


 フロントの自動販売機で、暖かい紅茶を二本買って、一本をリーフに渡すと、リーフはそれを両手で受け取り、あったかいなあ、と呟く。

「もう結構冷えるもんな。セルーラはまだあったかい方だからいいけど、他の所はもう雪とか降ってるらしいよ」俺のその言葉に、リーフはほんの少しだけ表情を曇らせる。

「……エイジアは寒いのかな」おそらく、ディルや、ラシュディさんの事を心配しているのだろう。リーフはそう言って、廊下に定間隔に設けられた出窓から、外の暗闇に視線を移す。

「ディル、寒がりだから。風邪とか引いてなければいいんだけど」リーフは外に目をやったまま、そう呟いた。俺は国境の食堂ではしゃぎ回っていたディルの姿を思い出す。ビクセン軍曹の作ったドーナツを喜んで食べている姿も。

「……いつか、戦争が終わったら、また、みんなでご飯とか食べたいね」リーフが視線を俺に移してそう言った。俺はその言葉に頷いて、天井を見上げる。

「なんか、ディルとかリーフとか、あと、うちの隊の連中とかさ、みんなで集まる場所って言ったら、俺、国境の食堂しか浮かばないんだよ。可笑しいよなあ」俺がそう言うと、リーフは、実は私も、と笑顔で言う。

「ビクセン軍曹に料理を作ってもらって、フルーツをいっぱい並べて、大騒ぎしたい」リーフは笑顔でそう言う。笑顔ではあるのだけれど、どこか、寂しげな影が混ざっているように俺には思えた。そんな日が、いつくるのだろう。俺はふと、そう思う。ラシュディさんとディルがエイジアから自由に動ける日がそうすぐには来ないであろう事は容易に想像できるし、カエタナに対する移民制限政策を取っているエイジアには、そもそも俺もリーフも入国すら危うい。また、会える日がいつになるのか、そもそもまた会えるのか、俺は少しだけ不安になる。多分、口には出さないけれど、リーフはもっと不安なのだろうと思う。俺よりも何倍も。

「……会いたいよな。ディルにも、ラシュディさんにも」俺がそう呟くと、リーフは目を伏せたまま、小さく頷く。


「戦争が終わったら、なんとか出来るように頑張ってみる。大尉も、ケビン大佐も協力してくれると思う。まあ、国境の食堂で、ってのは難しいと思うけどさ」リーフは俺のその言葉に、ありがとう、と小さな声で答え、俺の右手に自分の左手を添える。俺はリーフの差し出された小さな手のひらを優しく握る。

「……カイルは、ちゃんと帰ってきてね。どこに行っても、ちゃんと」リーフがそう呟く。俺がリーフの方を見ると、リーフは微かに目を潤ませているようだった。

「帰ってくるよ。ちゃんと。返事だってまだ聞いてないんだからさ」俺が明るくそう言うと、リーフは頬を微かに赤らめて、目を伏せる。

「元気で帰ってこないと、聞かせてくれないんだろ?あの返事はさ」

「うん。……カイル、返事、気になる?」

「当たり前だろ。すごく、気になってる」俺はそう言って、もし断られたらどうしよう、と少し思った。いまのこの状況を見る限り、断られる事は無いと思うが、はっきりリーフから返事を聞きたいという気持ちは確かに強い。


「……カイルが、がっかりするような返事じゃ、無いから」リーフは、恥ずかしいのか目を伏せたままそう言うと、握っている手に僅かに力を込めた。俺もその手にほんの少し力を込める。

「ありがとな。楽しみにしてる」俺はそれだけ答えて、エレベーターのボタンを押した。エレベーターの階数を示すランプが四階から一階に向けてゆっくりと移動していく。そのランプが一階に着いて、ドアが開くまで、俺とリーフは手をつないだまま、無言のままでいた。

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