首都編 28章
俺が通勤に使っている軍用車は、俺とF二五、アキと大尉が乗り込んでそれぞれの荷物を載せると、空いているスペースが殆ど無くなった。狭い後部座席にはF二五とアキが乗り、運転する俺の横には、昨日の夜更かしが効いているのか、眠たげな表情でぼんやりとしているクリス大尉が座っている。
「寝ててもいいですよ。着いたら起こしますから」俺はエンジンをかけながら、三人にそう告げる。
ブルームまでの道のりは、何の特徴も無い山道が殆どを占めている。景勝地や、物珍しい物がある訳ではない。基地を出てから、三十分も経つと、運転している俺を除く三人は眠りについていた。クリス大尉が予約しているホテルはブルームの外れにある。水路に囲まれ、水神宮の参道に面したそのホテルは、小さいが雰囲気が良く、俺が小さな頃はよく新婚旅行などで利用されていたらしい。料理もかなりのレベルの物が出るという事だ。よくよく考えてみれば、こっちに来てから、殆ど休みらしい休みも取っていない。久しぶりの休みを、思い切り楽しもうと俺は思う。
水神宮の参道を抜け、煉瓦作りの小さなホテルの前に車を停めると、アキが既に目を覚ましていたようで、後部座席から、俺に声をかけてくる。
「……着いた?」どことなくまだ眠たげな声だった。
「着いたよ。荷物、下ろさなきゃな」俺がドアを開けて、トランクに向かうと、アキも目をこすりながら車を降りる。
「大尉とF二五は良く眠ってるな。起こすのが悪い気がするよ」俺は窓越しに、気持ち良さそうに眠るF二五とクリス大尉を眺める。二人とも疲れきっているのか、起きる気配が毛頭ない。
「疲れてんだろうな。最近大変だったから」俺がそう言うと、アキは、そうね、と呟くように答える。
「私は、軍人に向いていないと、思う?」荷物を降ろしている俺に、不意にアキがそう問いかけた。俺はアキの顔を見る。アキの顔には不安げな、どこか思い詰めたような表情が浮かんでいた。
「そんな事は無いと思う。逆に、軍人以外には向いてないような気がするけどな」俺がそう答えると、アキは、そう、と短く答えた。
「……一回、大尉と良く話せよ。けんか腰じゃなくてさ」
「私は冷静。大尉が悪い」微かに笑みを浮かべてアキはそう答える。その笑みに、俺が、そうかあ、と返すと、アキは、そう、とほんの少し語気を強めて言った。
あらかたの荷物を降ろしてしまったころ、クリス大尉とF二五はようやく目を覚ました。ホテルの従業員が四人分の下ろされた荷物をフロントに運んでいく。
「じゃあ、俺はリーフを迎えにいってきますから」俺がそう言って、再度車に乗り込むと、クリス大尉が右手だけを軽く上げて、気をつけていけよ、と笑顔で言う。
俺が実家の前に車を停めると、ちょうど、父さんが店のシャッターを下ろそうとしていた。車から降りてきた俺に、父さんは、お疲れ、と声を掛けてくる。
「リーフは?」俺がそう言うと、父さんは玄関の方を指差して、苦笑いを浮かべる。
「母さんが、いろいろ服を用意しててなあ。しかし、リーフちゃんは何着てもよく似合うな。母さんが大喜びだよ」
「……あのさ、また、母さんが趣味に走った服とか、着せてないだろうね」俺がそう言うと、父さんは、さあ、と首を傾げる。
「自分で確かめてみたらいいさ」何だか思わせぶりな笑顔でそう言った父さんは、ほら、早く行ってこい、と俺の背中を少し強すぎる力で叩いた。
おそるおそる俺が実家の玄関を開けると、そこには、真っ白なワンピースに、薄いブルーのカーディガンを羽織ったリーフがいた。髪も、いつか俺がサンドシティで買ってきたカチューシャで纏めている。薄く化粧もしているようで、なんだかいつもよりもリーフは大人びて見えた。素材がいいだけに、こうして普通の女の子らしい格好をしていると、正直、相当可愛らしく見える。
「……あの、ええとさ、ただいま」俺がリーフの出で立ちに少し驚きながらそう言うと、リーフは、おかえり、と穏やかな笑顔を浮かべた。俺は、その笑顔を眺めながら、体から、力がふっと抜けていく様な、静かな安堵感を感じる。
「あんた、ただいま、だけ?少しは褒めてあげなさい。こんなに可愛らしくなったのに。ねえ、リーフちゃん?」リビングから大きな紙袋を抱えた母さんが歩いてきた。衣類や、その他のこまごまとしたものが入っていると思われるその紙袋をリーフに渡しながら、おそらくは新しく買ってきた様子の白いコートをリーフに着せようとしていた。
「夜はもう大分冷えるから。これ、着ていきなさい、ね?」母さんは嬉しそうにそうまくしたてる。白いファーのついたそのコートはとても暖かそうで、リーフの銀髪に良く似合っていた。
「……似合う、かな?」コートを羽織ったリーフは俺の顔を見上げながら、そう尋ねる。
「似合ってる」俺は気恥ずかしさもあって、目を逸らしつつも、そう答えた。リーフはその俺の言葉に、よかったあ、と小さく呟く。
「じゃあ、行くか。母さん、明日の夜には戻ってくるから、悪いけど、店の方は……」
「はいはい。ちゃんとリーフちゃんは休みにしてるから。ゆっくり楽しんできなさい」母さんは俺の言葉を遮って、そう言った。俺は、リーフを連れて、玄関を出ると、見送りに出てきた父さんと母さんに軽く手を挙げて、車に乗り込む。少し遅れて、リーフが助手席に座る。俺はリーフがシートベルトを付け終わるのを確認してから、車を発進させる。
「なんか、こういうのって初めてだから、緊張するね」窓の外の流れていく風景を眺めながらリーフが楽しげに呟く。
「俺も、初めてだな。ブルームでああいう所に行くのってさ」俺のその言葉に、リーフは満面の笑みを浮かべる。もう外は暗く、車には何の明かりも差し込んでいないのに、リーフの周りだけ、心なしか明るくなったような気がした。
ホテルの駐車場に車を停めて、俺とリーフは煉瓦作りのホテルの洒落たオーク材の大きなドアの前まで、二人で歩いた。リーフは四階建てのホテルの建物を見上げながら、俺の右手に自分の左手を重ねようとする。
「あのさ、手とか、つないでると、多分、クリス大尉とかにからかわれそうな気がするから……」俺がそう口にすると、リーフは俺の手を半ば強引に掴んで、嫌?、と悪戯っぽく聞いた。
「嫌じゃない。ただ、ほら、少し恥ずかしいかな」俺がそう言うと、玄関までだから、とリーフが小さく呟く。
ホテルのドアを開けると、フロントの前に設けられた歓談用のスペースにF二五と、クリス大尉が座っているのが見えた。クリス大尉は俺の姿を見つけると、大きく手を振る。
「思ったより早かったな。あ、リーフはアキと一緒の部屋にしてたけど、いいよね?」クリス大尉が俺とリーフを交互に見ながら、多少テンションがいつもより上がった口調で話しかける。
「アキさんと一緒なら、私も楽しいです。今回は、ありがとうございます。私まで誘ってもらって」リーフがそう言って頭を下げると、クリス大尉は、カイルがリーフと一緒じゃなきゃ嫌だって言うからさ、と答える。
「ちょ、大尉、そんな事言ってないでしょう?」
「言ってなくても、態度に出てるよ。お前だけ誘ったら、確実にお前は、自分は実家に泊まります、とか答えてたと思うね。違うか?」
「私もそう思います」F二五までくすくすと笑いながら一緒になってそういう事を言う。
「初めまして、リーフさん。私は別室でカイルさん達と一緒に仕事をさせてもらってるジョディといいます。想像していた通りの感じの方なのでびっくりしました」どうやら、ここではF二五は偽名を名乗る方針のようだ。F二五から挨拶されたリーフは、頭をちょこんと下げて、こちらこそ、宜しくお願いします、と挨拶をする。
「カイルが、毎日、可愛い、可愛いって言ってるんだよ。もう、仕事にならなくてさ」クリス大尉はどうやら、ある事無い事をリーフに吹き込む方針のようだ。
「あの、大尉、言ってないですよね、そんなこと」
「態度に出てるっていったろ。口ほどに物を言う感じで部屋中に幸せオーラを振りまかれたら解るって」俺と大尉のそのやり取りを眺めながら、リーフは可笑しそうに笑っていた。からかわれるのは正直、多少頭に来なくもないが、リーフの楽しそうな笑顔を見ていると、そういうことはどうでも良いような気がした。
「まあ、いいや。今日は楽しんでいってな。ご飯もおいしいのを用意してもらってるからさ」クリス大尉はそう言って、背伸びをすると、歓談スペースのソファーにだらしなく寄りかかる。
「大尉、アキはどうしたのですか?」アキの姿が見えないことが少し気になって、俺はそう尋ねてみる。
「アキは、食堂に行ってもらってる。お前らが来る時間が解んなかったんで少し食事を出すのを待ってもらおうと思ってさ」
「そう、ですか」アキの様子が、俺は気になっていた。今日の朝のクリス大尉との口論もそうだが、何となく最近のアキはナーバスになっているような気がしていたからだ。クリス大尉も、アキも、お互い腹を割って話させたほうが良いような気がする。
「……ちゃんと、アキと話さないと駄目ですよ」俺がクリス大尉にだけ聞こえるように小声でそう言うと、解ってるって、とクリス大尉が呟いた。
「連れて行くにしろ、置いていくにしろ、きちんと話し合うよ」クリス大尉が、しょうがないなあ、と言った感じの表情を浮かべて囁き声でそう続ける。
「喧嘩、しちゃ駄目ですよ。大尉の方が大人なんですから」俺が余計なお世話と知りつつもそう付け加えると、大尉は、そうなんだけどなあ、と言いながら、小さく頷いた。