首都編 27章
レーダーサイトに移ってきてから、初めて俺はこの基地の食堂に来ている。昔いた国境の食堂の数分の一しかない規模の食堂ではあったが、それなりに味は良く、クリス大尉のとりとめも無い雑談を聞きながら、量が少しばかり多すぎる感のある食事を俺は取っていた。
「正直、国境のビクセンのおっさんの飯に比べたら、ちょっと見劣りがするよなあ」そう呟いたクリス大尉は、目の前のトレイに並べられた食事を残念そうな表情で眺める。
「あれは、レベルが高すぎるんです。比べたらかわいそうですよ。これ、それなりにはおいしいですし」
「向上心っつーかさ。なんかひと味足りないんだよね」クリス大尉はフォークに刺さった炒めた鶏肉を眺めながらそう呟く。
「そう言えば、ロイとリオはどうなったんですか?まだ基地にはいるんでしょう」俺がそう尋ねると、クリス大尉はフォークの鶏肉を皿に戻し、俺の方を見る。
「リオは明日ロイと一緒に首都警察本部まで護送する。護送担当は確かガルフ隊長だったかな。リオもこれからがつらいだろう。教団はほぼ壊滅。危険団体の認定はほぼ確実だし、解散命令も多分明日には裁判所から出る。取り調べだってあるしな」
「そうですか……」そう呟いた俺の顔をクリス大尉が面白そうに覗き込む。
「リオって、お前の好みの感じだよな。カイルはああいう感じの娘と何かしら縁があるよね」
「何なんですか、その滅茶苦茶な論法は」俺が呆れ果ててそう答えると、クリス大尉は背もたれに寄りかかって、滅茶苦茶かなあ、と呟く。
「昨日、宿舎に戻る前に、一応リオとロイには、ヨハンを殺さずに済んだって伝えたんだけどさ。お前の話もしたら、リオがすごく感謝してたぞ」
「リオが、ですか?」
「ああ。兄妹そろって、カイルさんには助けられました。ってさ」
「そう、ですか。なんか、報われた感がありますね。そう言う話を聞くと」俺がそう言うと、クリス大尉は、だよなあ、と応えてグラスに入った冷たい水を飲み干した。
「まあ、ヨハンに頼まれてた件もあるし、リオはなんとかしてやらないとな。あ、そういえばブルームとかどうだろう。お前の所のパン屋にリーフと一緒に働かせるってのは。いいなあ。看板娘が二人になって客が増えるぞ、多分」放っておくと、本当にそう言う事になりそうだったので、俺はあわてて口を挟む。
「うちはリーフだけで十分です。出来ればよそをあたってください」
「お、なんだ。お前リオには冷たいね」
「冷たいも何も、どうしてパン屋にこだわるんですか」俺はリーフとリオが実家のパン屋で働いてる様子を想像する。確かに客は増えそうな気はした。
「他の働き口とか、知らないからさ。大変なんだよ。あ、でも本当にどうしようかな。これ、真面目な話で、お前の実家に頼めないかな」
「ちょっと、大尉。本気で言ってるんですか?」俺がそう尋ねると、クリス大尉は、駄目かな、と呟く。
「嫌とかそう言うのじゃなくて、俺、親に説明しないといけないんですよ?どうせ、この間のリーフの時みたいに嘘八百並び立てるんでしょう。うちの親も馬鹿じゃないですからね。それに、人を増やすほど儲かってる様子でもないですし」
「金は、ほらリーフの分があるからさ。お前の親父さんは受け取って無いじゃん。軍からの援助。こういうのはどうだ。リオにあの援助金を回してさ、ブルームでアパートでも借りさせるんだよ。それで、パン屋志望の女の子ってことにしてさ、お前の家で安く雇ってもらうと」いかにも名案を思い付いたという感じでクリス大尉は得意げにそう言った。俺はいきなり話が現実味を帯びだした事に驚きつつ、呆然とする。
「そうすれば監視とか警護も楽なんだよ。今、リーフの警護で何人かブルームに回してるだろ。あいつらをそのまま使えるからさ」
「リーフを狙ってる奴は少ないですけど、リオは別でしょう。教団の残党とかが探し当てたりしたらどうするんですか?それに、予算を流用するのはまずいでしょう。どう考えても」俺がそう言うと、クリス大尉は、大丈夫だって、となんだか勢い良く答えた。
「ケビン大佐に許可をもらえると思うし。その辺は問題ないよ。もともとリーフの時の援助金ってのも機密費から捻出してもらってるから、議会とかにもバレないしさ」
「……警察だって黙ってないでしょう」俺がそう言うと、クリス大尉は、そうだよなあ、と呟いて天井を見上げる。
「警察がどう出るかだよな。公安も監視下に置きたがるだろうし。公安への根回しもしとかなきゃな。大佐にやってもらおうかな」俺はクリス大尉のこういう時の頭の回転の速さを本当に恨めしく思う。次から次へと良く頭が回る。
「とりあえずは、この件は保留だな。まあ、お前の実家を危険な目に遭わせそうな要因があれば、俺だってこの件は進めないからさ。でも、もし、危険要因を排除できて、公安にも話がついたら、ちょっと検討してみてくれよ。リオを放って置いたら危ない事くらい解るだろ?」
「それは、解りますが……」俺は昨日のリオの弱々しげな姿を思い出す。別に好みとかそう言う訳ではないが、確かに放っておく訳にはいかないというクリス大尉の気持ちも解らないでも無かった。
「ヨハンとの約束もあるし、とりあえず、警察の意向を大佐から探ってもらうからさ。それから考えよう。それで、いいよな?」
「いいも何も……」
「お前の実家に危険が及ぶようだったら、すぐに止めるからさ、な?」
「うちの親が何と言うかは保証できませんよ。それでもいいんであれば、検討するくらいは構いませんが……」俺が半ば押し切られて、そう呟くと、大尉は嬉しげに大きく頷く。
「よし、じゃあ、根回しだな。午後に大佐に連絡入れて、あとロイにも動かさせよう」独り言の様にクリス大尉はそう呟いて、あれやこれやと根回しの方法を検討し始める。俺はその様子を半ば呆れつつ眺めながら、心中で大きなため息をつく。どうやら大尉を本気にさせてしまった様だった。
食事を終えて、俺と大尉は別室に戻り、また、いつもより数倍静まっている部屋で、仕事を再開する。ふと、アキを見ると、アキはあらかた仕事を片付けてしまったようで、俺やF二五や、そしてクリス大尉の分の書類をそれとなく処理し始めていた。こういう時に、アキは恩着せがましい態度を取ったりはしない。さりげなく、それでいて的確にフォローしてくれる、といった所だ。俺はそんなアキの姿を眺めながら、クリス大尉がなぜアキを連れて行かない事にしようとしたのか、何となくではあるが、解るような気がした。アキは責任感が強い分、無理をする傾向がある。これは国境にいた頃からそうだったが、ここに来てからはその傾向が強い。デスクワーク中心の別室なら、多少無理をした所で命に関わるような事にはならないが、前線はおそらく違う。少しの無理が、命に関わる可能性がある。アキが、戦闘でも、通常の軍務でも人一倍優秀な事は、俺も、そして、大尉も認めている。いざという時の度胸の据わり具合にしてもそうだった。ボストの特殊部隊の連中と戦闘になった時でも、アキは少しも怯えたり、ためらったりしなかった。
夕方になって、アキのサポートも功を奏してか、俺たちの仕事は殆ど終わっていた。就業時間の終了まで後、数十分といった所だ。どうやら、皆でそろってブルームに行けそうだった。
「カイル、リーフには連絡したか?」クリス大尉がそう言うのを聞いて、俺は焦った。よくよく考えてみれば、俺は今日と、明日の事を全くリーフに伝えていなかったからだ。俺の様子を見て、クリス大尉は大体の状況を察したのだろう。呆れ顔でため息をついた。
「おまえ、女の子はいろいろ準備とかあるんだよ?そういうのは前もって言っておかないと」クリス大尉がそう言うと、F二五もそれに同意するように頷いていた。
「カイルさんは、なんというか、こう、そう言う所が抜けてますよね」なんだか楽しげにそう呟いたF二五は、電話の子機を俺の机まで持ってくる。
「はい、どうぞ」F二五から差し出された電話の子機を受け取って、俺はため息をつく、ふと顔を上げると、アキと目が合った。アキは特に何も言いはしなかったが、心中は大尉やF二五と同じようで、無表情にほんの少しの呆れを混ぜたような表情で俺を眺めていた。
就業時間の終了と同時に、俺がリーフに連絡を入れると、リーフはひとしきり驚いたあとで、どうやらかなり喜んでいるようだった。
「本当にいいの?私も一緒で」電話口の向こうから嬉しげな声が響く。俺は思わず笑みを浮かべそうになるが、電話をする俺をクリス大尉とF二五がにやにやと笑いながら眺めているのに気付き、慌てて表情を引き締める。
「じゃあ、準備、しとけよ。まあ、一泊だから、そんなにたいそうな荷物とかは要らないと思うけど」俺が思わず浮かびそうになる笑みをかみ殺してそう言うと、電話口の向こうからは、はい、と元気のよい返事が聞こえた。