首都編 26章
心地よい風が、頬を撫でていくのに気がついて俺が目を覚ますと、ヘリは基地への着陸を終えていた。ハッチは既に開け放たれ、特殊作戦群の隊員達は全員ヘリから降りている。まだ眠りから覚めない様子のクリス大尉を俺が起こすと、クリス大尉はゆっくりと目を開けて、着いたか、と呟く。着きました、と俺が答えると、ため息を一つついてから、クリス大尉は立ち上がる。
整列していた特殊作戦群の隊員達に、ご苦労だった、とクリス大尉が声をかけると、それを合図に特殊作戦群の隊員達はそれぞれの宿舎に引き上げていく。
「さて、俺たちも帰るか」クリス大尉がそう呟いて、俺を見た。大尉は、どうやらまだ目が完全には覚めていないようで、開きらない目で何度も瞬きをしている。
「大尉はいいですよね。宿舎がすぐそこですから」俺がそう言うと、大尉は、そうだったな、と呟いた。大尉は、ぼんやりとした眼差しをヘリに向けたまま、しばらく無言でいたが、やがて俺に向き直ると、口を開く。
「お前、今日は宿直室を使ってもいいぞ。今から帰った所でどうにもならないだろ。寝る時間無いぞ。多分」どうする、とクリス大尉は半分塞がったままの目を向けて俺に問いかける。
「そうさせていただきます」俺がそう答えると、警備の連中には伝えとく、と短くクリス大尉は言い、宿舎へ歩いていった。
クリス大尉も特殊作戦群の隊員達も、ヘリのパイロットもそれぞれ宿舎に戻り、一人残った俺は、ヘリの側の縁石に腰を下ろしたまま、何をするでも無く火が落とされたヘリをぼんやりと眺めていた。肩にはまだ対物ライフルを撃った衝撃が残っているようで、鈍い微かな痛みが時折走る。引き金を引いた指の感触や、スコープの向こうに見えた装甲車の姿が、まだ俺の体には何かの残像のように、薄く残っているようだった。
どのくらいそうしていたのだろうか、気付くと、F二五が俺の方に歩いてくるのが見えた。俺が手を振ると、F二五はそれに応えるように微かに笑みを浮かべた。F二五は俺の隣まで歩いてくると、先刻まで俺が腰掛けていた縁石に腰を下ろす。
「首都はどうでした?」俺がそう尋ねると、F二五は笑顔のままで微かに頷いた。
「スムーズでしたよ。殆どの信者は、抵抗らしい抵抗をしませんでした」F二五はそう言って、ヘリに視線を移す。
「聞きました。ヘリからの狙撃、うまくいったそうですね」
「運ですよ。もう二度とやりたくありません」俺がそう答えると、F二五は、そうですか、と呟いて、視線を足下に落とす。
「……アキさんは、元気がありませんでした」
「クリス大尉が、酷い事でも言ったんですかね」俺のその言葉に、F二五は首を振る。
「多分、逆でしょう。優しくされる方がつらい時もありますから」
「……あいつ、真面目ですからね」しばらくの沈黙の後、俺がそう言うと、F二五は、そうですね、と呟く。
「とりあえず、休んだ方がいいのでは?明日は早く仕事を終わらせないと、カイルさんだけ置いてけぼりですよ」
「そう、ですね」俺が立ち上がりながらそう答えると、F二五は柔らかな笑みを浮かべて俺を見上げる。
「そうですよ。そうたくさん眠れる訳ではありませんが、それでも睡眠は大事です」
「了解しました」俺はF二五にそう答えて、立ち上がった。確かにF二五の言う通り、少しでも眠っておかないと明日の仕事に相当差し支えそうだった。
翌朝、体が眠りをしつこく求めてくるのをなんとか振り切って目を覚まし、私服から軍服に着替えた俺は情報部別室に向かう。眠気はまだ残ってはいたが、なんとか仕事はこなせそうなレベルではあった。俺は板張りの廊下に足音を響かせながら、別室のドアに手をかける。いつものようにノブを回そうとしたその時、中からおそらくは大尉の怒鳴り声が聞こえた。驚いた俺は思わずノブから手を離す。
「何度も言ってるだろう。怪我もそうだが、今のお前には前線は任せられない」
「ラルフ曹長も、グリアムも、ルパードも行くのでしょう?もちろんカイルも。なぜ私だけこのまま別室勤務なのですか?納得できません」
アキが大きな声を出しているところなど、そう滅多に見られる訳ではない。俺はためらいつつもノブに再度手をかけ、ドアを開けた。
「おはようございます」俺がそう挨拶をすると、クリス大尉もアキも、不機嫌な表情のままで俺に視線だけを向けた。
「……席を外した方が良ければ、そうしますが」俺が小さくそう言うと、その必要はないよ、と大尉が表情を微かに和らげて答えた。
「お前の意見も、聞いておきたい。実は、今日参謀府から、前線参謀本部への異動の話があった。俺は幕僚として赴任し、その補佐として、来週にはこっちに戻る予定のラルフ曹長、グリアム、ルパード、そして、お前を連れて行こうと思っている。アキには別室にて参謀府との連絡と情報調整を担当してもらおうと思ったんだが……」
「私は、納得がいきません」クリス大尉の言葉を遮るようにアキは口を開いた。
「……なにもお前の能力を過小評価している訳じゃないんだ」クリス大尉が口調を和らげてそう言うと、アキは不満げな表情のまま、椅子に腰掛ける。
「……私は、役立たずですか?」絞り出すようにそう呟いたアキに、クリス大尉は何か言葉をかけようとして口ごもる。気まずい沈黙が部屋に広がっていく。
「情報調整、連絡役は私で十分でしょう」いつのまにか部屋に入ってきていたF二五がそう言って沈黙を破る。相変わらずF二五は気配が薄い。部屋に入って来たことに俺も、アキも大尉も、言葉をかけられるまで気付かなかった。
「お前がそう言ってくれるのは有り難い。ただ……」
「危険なのは、軍にいる以上、避けがたい事です。別室にいたとしてもそれは変わらない。であれば、大尉が側で見ていた方がいいと思いますが」F二五は穏やかな口調を変えないままでそう続ける。
「役立たず、などと思っている訳ではないのでしょう?」そう問いかけるF二五に、大尉は苦りきった表情を向ける。
「……もう一度、検討させてくれ。来週、ラルフ曹長達が戻ってくるまでには、結果を出す。アキ、それでいいか」
「わかりました」憮然とした表情のままで、アキは大尉に目を合わせずに、そう答えた。
全員が沈黙したまま、数時間が過ぎ、俺たちはいつもよりもかなり速いスピードで業務を進めていた。いつもは大尉が雑談を始めたりしてそれに巻き込まれたF二五と俺の担当箇所が遅れ、アキが無言のままそれを手伝っていたりするのだが。
「カイル、たまには食堂に行くか?今日は弁当は無いんだろ」正午のベルが鳴った後に、クリス大尉がそう言って立ち上がる。
「ご一緒させていただきます」俺がそう答えて立ち上がると、アキが僅かに顔を上げて俺を見た。その視線が何か少し寂しげに見えて、俺はこのまま食事に出ていいものかどうか、逡巡する。
「行くぞ」大尉がドアに手をかけてそう言った。俺は後ろ髪を引かれる気持ちで、廊下に出て行く大尉の後ろに続く。
「アキは、大丈夫だと思うか?」食堂に続く暗い廊下で、クリス大尉は立ち止まると、俺の方に振り向いてそう尋ねた。
「前線に行っても、と言う事ですか?」
「ああ」
「問題は、無いと思いますが。あいつ役には立つと思いますよ。仕事全般さばけますし。大尉は書類関係まるで駄目じゃないですか。命令書だの、報告書だの、殆どアキが手伝ってるでしょう。今も」俺はアキがため息をつきながらも、どこか楽しげに大尉の手伝いをしている様子を思い出しながらそう答える。
「それは、そうなんだが」
「大尉は何を心配されているんですか?」俺がそう尋ねると、大尉は目を俺から逸らして、天井を見上げる。
「あいつ、どうして軍に入ったか知ってるか?」
「……確か、家族が死んだ後で、入隊したと聞きましたが」
「あいつの家族を殺したのはボストだ。そして、俺たちが今から前線で対峙するのも、ボストだ。冷静に敵に向き合えなかったら、前線では命取りになるんじゃないか、と俺は思ってる」クリス大尉はそう答えると、視線を俺に向ける。
「あいつは、能力的には全く問題はない。むしろ、付いてきてもらった方が助かると思う。ただ、俺はあいつが冷静さを失った時が怖い」
「……俺が、思うにですが、アキは前線で復讐に我を忘れるなんてことは無いと思いますよ。その辺を押さえる冷静さは持っていると思います」
「俺も、お前も、アキも、実戦はこの戦争が初めてだ。戦場の緊迫感、緊張感がどの程度の物なのか、体感した事が無い。ある程度の想像はもちろんつくよ。ただ、さ……」クリス大尉が、言葉を止めて、窓の外の、特殊作戦群のテントに目を向ける。
「不安な点、っていうのは、できれば少なくしておきたかったんだ」
「それは、解りますが……」どう答えたものか俺は戸惑う。連れて行けというアキの気持ちも、大尉の心配する気持ちも、両方解らないでも無いだけに、どちらが正しいのか、俺にも判断がつきかねるといった所だった。
「大尉、話は変わりますが、今日はアキも連れて行くんですよね。ブルームには」
「そのつもりだよ。来るとは言ってたぞ」
「一回、アキと話されてみてはいかがですか?今俺に話したような事は、アキには話してないんですよね?」
「話しては、いないな」
「理由を明確に告げるべきです。お互いにしこりが残ったままでは、連れて行くにしろ、残すにしろ、後に尾を引きます」
「お前、簡単に言うけどさ……」大尉は困惑した表情で口ごもる。
「大尉は、上官な訳ですから。多分、お互い正直に話すのがベストだと思いますよ。洗いざらい」俺がそう言うと、大尉は苦笑いを浮かべて、歩き出した。
「了解。そうしてみるよ。貴重なご意見、ありがとうございました」照れ隠しなのか、おどけたような口調で大尉はそう答える。今日の晩なのか、それとも明日の休暇中なのか、それは解らないが、出来れば、俺は、大尉もアキもわだかまりだけは残さないようにして欲しかった。後顧の憂い無く、ボストと戦う為にも。