首都編 16章
その日、十五時をもって開始されたセルーラ空軍の攻撃は、ボスト機甲師団の戦車、砲兵陣地をほぼ壊滅させ、大規模反攻に出たエイジア、セルーラ両陸軍は、トライアングルエリア内で戦闘状態に入った。十九時過ぎになって、FAXの作動音がやっと止まると、俺とF二五は安堵のため息をつきながら、送信されてきた大量のFAXと、電子メールをまとめる作業に入る。クリス大尉は、俺たちから回されるFAX、メールを確認し、ホワイトボードに戦況を書き込んでいく。
「まあ、国境線の回復には成功した、というレベルだな」二十一時を過ぎて、今日一日で情報部別室に届けられた情報にほぼ目を通し終えたクリス大尉はそう呟いて、椅子に腰掛け、背もたれに寄りかかる。
「おそらく、トライアングルエリアは数日中に膠着状態になる。あとは、グスタフにいつボストでクーデターを起こさせるか、だな」F二五に視線を向け、クリス少尉がそう言うと、F二五は微かに頷く。
「グスタフからは、断続的ではありますが仲介者を通して連絡が入ってきています。ボスト内務省警察局の掌握はほぼ終了しているそうです。あとは、ボスト陸軍をトライアングルエリアに釘付けにしてしまえば……」
「問題なく、クーデターを起こせる、というわけだ」クリス少尉は笑みを浮かべると、椅子から立ち上がり、大きく背伸びをする。
「あとは、ラシュディさんから提供された防空レーダーの無力化技術を早急に実用化させる必要があるな。ケビン大佐からの連絡では、あと一、二週間程度で、という所らしい」
「来月には、クーデターを起こせる、という認識でよろしいのでしょうか」不安げにそう聞いたF二五にクリス大尉は頷く。
「来月には、エイジア、セルーラ、ボスト新政府の三勢力で、攻勢に出ることができる。それまで、セルーラ国内で、ボストに妙なことをさせないように、ってのが俺たちの役目だ。万が一、セルーラの首都が機能停止になるような事態に陥れば、計画が大きく狂う」クリス大尉は厳しい目つきで、窓の外の捕虜収容テントや特殊作戦群の兵士たちを眺めながら、そう呟いた。
俺たちは、夜間待機の参謀府人員に引継ぎを済ませると、部屋から出て、三人で救護班テントに向かう。クリス大尉から、帰る前にアキの見舞いに行かないか、と誘われたからだ。夜の帳が降りた、静かな廊下を歩いていると、不意に昨日の戦闘が思い出される。右肩の傷が少し疼き、胃の辺りに圧迫感が広がり始めて、俺は軽くみぞおちの辺りを手のひらで押さえる。アキも同じように苦しんでいるのだろうか。
「アキ、寝ててくれればいいんだがな。昨日は全然眠ってなかったみたいだし」俺の前を歩いていたクリス大尉がそう呟いて窓の外に見える救護班テントを眺める。
「俺も、昨日は寝付けませんでした。敵兵相手でも、殺し合いっていうのは、尾を引くものですね」俺がそう言うと、クリス大尉は、そうか、と呟いて、ため息をつく。
「……なるべくなら、味方にも、敵にも死人を出したくありませんね」F二五が、前を向いたまま、そう言って、小さく首を振る。
「なるべくなら、な」クリス大尉は自分自身に言い聞かせるような口調でそう言って、俺に笑みを向けた。
救護班テントの警備兵に軽く挨拶をした後、アキの横たわるベッドに向かうと、アキは半身を起こし、ぼんやりとした目線を宙に向けていた。アキ、とクリス大尉が呼びかけると、アキはゆっくりと目線を俺たちに向け、静かに頭を下げた。
「頭なんて下げるなよ。お前らしくないぞ」クリス大尉がベッドの横の椅子に腰掛け、苦笑いを浮かべながらそう言うと、アキは目を伏せ、小さく首を振る。
「この、忙しい時期に、こんな……」
「いいって言ったろ。何度も言わせるなよ」クリス大尉が優しくそう言って、アキの謝罪を遮る。
「先生は何て言ってた?」しばらくの沈黙の後、クリス大尉がそう尋ねると、アキは目を伏せたまま、明日にはもう出勤してよいとのことです、と呟いた。
「よかったです。アキさんがいないと、仕事がもう、大変です」F二五がアキを優しく眺めながらそう言うと、アキはF二五を見て、微かに笑みを浮かべ、ありがとう、と小さな声で言う。クリス大尉の言っていた通り、アキはかなり精神的に参っているように見える。俺もそうだが、アキも実戦は初めてだった筈だ。俺と同じで、人を殺したショックや、軍務をわずかではあるが休まざるを得なくなった事が、尾を引いているのだろうと思う。
「まあ、明日、具合がよければ出仕しろ」クリス大尉のその言葉に、アキは小さく頷く。
「確かに、かなり参っているようですね」救護班テントを出て、寮までの道を歩きながら俺がそう言うと、クリス大尉は、そうなんだよな、と答える。
「あいつはもともと優秀だったからな。あんな風に怪我をしたり、仕事休んだりってのが、許せないんだよ。多分」そう続けながら、クリス大尉は後ろを歩いている俺とF二五を振り返る。
「ところで、話は変わるが、明日はお前ら二人、首都に行ってもらおうと思ってる。詳しい内容は明日話すが、ある団体を調査してきてほしいんだ」
「ある団体?」F二五がそう聞き返すと、クリス大尉は、ファルト教団って知ってるか、と呟く。
「あの、新興宗教ですか」俺がそう答えると、そうだ、と返事が返ってくる。ファルト教団というのは、三年ほど前に、セルーラの女性教祖が立ち上げた新興宗教だ。彼女がある日、神からの託宣を受けた、という触れ込みで、首都を中心に信者を集めていると言う話は聞いた事があった。
「F二五、お前がこの間、諜報部員のなかで消息が掴めなくなった連中のリストを持ってきてくれたよな。あの中に数名の信者がいた。参謀府の人事データと照らし合わさせたから、間違いは無いと思う」
「諜報調査の過程で、接触を持っていた、という程度ではなく、ですか?」F二五が怪訝そうな目をクリス大尉に向け、そう言った。クリス大尉は冷静な眼差しのまま、その質問に頷きを返す。
「そこはわからない。ただ、首都の真ん中で活動しているそれなりの規模を持った団体と、ボストに繋がりがあったであろう諜報部員に接触がある、というのが気にかかる。警察の連中も動いてはいるようだが、なかなか警察からこっちには情報が回ってこない。明日、ファルト教団は首都中心部で集会を行うという情報がある。そこに参加できれば、一番ベストだ。まあ、公開布教の一環らしいから、一般人の振りをしていれば、問題なく参加は出来ると思うけどな」クリス大尉はそこまで話すと、続きは明日の朝に指示するよ、と言って、俺とF二五に笑いかけた。
寮に帰るクリス大尉に挨拶をした後、俺は車に向かう。F二五は、少し事前に調べておきたい事があるので、と言い残し、また解析施設に戻って行った。俺は車のエンジンをかけ、明日は首都か、と思う。クリス大尉の懸念が、懸念のままで終わればいい。しかし、首都の真ん中で、信者を抱えた教団が暴走すれば、そして、それにボストが関与していれば、首都中枢部に深刻なダメージを負う事態になりかねない。不吉な予感を感じながら、俺はその予感が杞憂で終わる事を祈っていた。