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国境の空  作者: SKYWORD
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首都編 15章

 父さんや母さんが朝の仕込みで起きてくる寸前の時間になって、リーフは俺の首に回した両腕の力を緩めた。時計は五時を指していて、うっすらと窓の外が明るくなり始めている。俺は、リーフを最後にもう一度だけ抱きしめて、ありがとう、と呟く。リーフは俺の頬に軽く唇を当てて、俺の腕の中から離れる。

「今日も、遅いと思う。眠かったら、無理して起きてなくていいからな」

「無理してない。いつもカイルが帰ってくるまで寝てるもん」リーフがそう言って悪戯っぽく笑う。

「じゃあ、なんで帰ってきたのがわかるんだ?」俺がそう聞くと、内緒、とリーフは短く笑顔を浮かべて答えた。


 リーフが部屋から出て行った後、俺は右肩の血の染みを隠す為に制服の上から私物の上着を羽織り、リビングに向かう。とりあえず、熱いお茶と、食事が欲しかった。心が晴れた訳では無かったけれど、食事を取って、いつも通りの軍務に就けるくらいには、俺の精神状況は改善されているようだった。納屋のドアを開け、朝日を浴びながら庭を歩き、玄関を抜けてリビングに到着すると、父さんと母さん、そしてリーフがそれぞれ思い思いに開店前の短い時間を過ごしている。

「無事なら、電話くらいよこしなさい」母さんがそう言いながら、俺の分の朝食を用意してくれる。父さんは俺の顔に少し目線を向けて、気をつけろよ、と一言だけ呟く。俺は、わかってるよ、と簡単に返事をし、母さんの用意してくれた朝食に手を付けた。よく考えれば、昨日の晩から何も食べていない。一口パンを齧って、お茶を飲んだ瞬間に猛烈な空腹感が襲ってきて、俺が殆ど数分で、用意されたスコーンや食パンを食べてしまうと、俺の横で、同じメニューを食べていたリーフが、黙って自分の分のスコーンを一つ俺の皿に載せようとする。

「リーフちゃん、カイルの分はまだあるから大丈夫。ちゃんと食べないと。まだ若いんだから」母さんからそう言われて、慌ててリーフは俺の皿に載せようとしていたスコーンを自分の皿に戻す。その様子が悪戯が見つかったときの子供の様で、俺も母さんも思わず吹き出してしまう。

「カイル、あんたが物欲しそうに見るからでしょ」母さんは何故か俺を見て、そんな事を言う。

「見てないよ」母さんの言葉に俺がそう抗議すると、母さんは俺の皿に焼いたばっかりの食パンを乗せて、可笑しそうに笑う。


 母さんがいつものように首都のホテルに納品に出発し、父さんが店でパンを焼き始めると、リーフは店の外に出て看板の水拭きを始める。俺は時計を見て、まだ少し時間がある事を確認し、雑巾を一枚取って、リーフの側まで歩く。手伝うよ、と俺が言うと、リーフは無言で微かに微笑んだ。

 

「昨日は、ありがとう」俺が看板を拭きながらそう言うと、リーフはバケツで雑巾を洗う手を止めて、俺を見上げる。

「……いいよ。気にしないで」リーフはそう言って、立ち上がると、俺の右肩に触れた。

「痛くない?」父さんに聞こえないように気を遣ったのか、小声でリーフが囁く。

「昨日よりは、大分いい」俺の答えに安心したのか、リーフは安堵したようなため息を漏らした。

「怪我、しないでね。もう」心配そうな表情で呟くリーフに、俺は、気をつけるよ、と笑顔で答える。


 車を飛ばし、基地に到着すると、解析施設前に設けられた大きな仮設テントが目についた。昨日クリス少尉が指示していた捕虜収容用のテントだろう。周辺を幾人もの特殊作戦群兵士が巡回していた。俺が横を通ると、巡回の兵士一人が、昨日はごくろうさん、と声をかけてくる。階級章は軍曹。俺が敬礼すると、その兵士は照れくさそうな笑みを浮かべて、首を振った。

「つい、この間まで俺も伍長だったんだ。やめてくれよ、敬礼とかは」

「捕虜の、テントですか?」俺がテントを見ながらそう言うと、兵士は、そうだ、と短く答える。

「お前、昨日、ボストの特殊部隊のやつと戦闘になったんだろ。ガルフ隊長がえらく褒めてたぞ。見所があるって」俺はその兵士の言葉に恐縮して、そんなことは無いです、と慌てて答える。見所どころか、今朝方までリーフに縋り付いていたなんてことがわかれば、特殊作戦群のほぼ全員から失望されることだろうと思う。

「国境では、誰に訓練を受けてたんだ?」気さくにその兵士は俺に話しかけてくる。

「ラルフ曹長、です。ご存知ですか」

「ラルフ曹長、か。そりゃつらかったろ」同情するような口ぶりで兵士はそう言った。

「ご存知なんですか?」俺がそう聞くと、ご存知も何も、と兵士は語りだす。

「あの人、昔、国境でさんざん活躍してるんだ。ジョシュア侵攻の時もすごかったらしい。ガルフ隊長がよく言ってたよ。有名だぜ」

「そうなんですね」俺はそう答えて、少し驚く。まさか特殊作戦群の中にまでラルフ曹長の名前が響いていようとは思っていなかった。

「お前、下手したら、特殊作戦群でも大丈夫かもな」半ば真剣にそう言いだしたその兵士に、俺は、曖昧な返事を返して、簡単に挨拶をすると、情報部別室に急ぐ。あんなところに放り込まれたら、体が幾つあっても足りそうにない。解析施設の階段を小走りに走りながら、俺は、久しぶりに名前を聞いたラルフ曹長の姿を思い浮かべる。エイジアからはいつ帰ってくるのだろうか。そしてグリアムやルパードはどうしているのだろうか。俺みたいに、危険な目にあっていたりしないのだろうか。そんな事を考えていると、何故か、国境で過ごしていた、平和だった日々の事が思い出される。ずいぶんと昔の日々のような気がした。


 ドアを開け、おはようございます、と挨拶をすると、F二五の静かな挨拶だけが返ってきた。部屋にはクリス少尉の姿が無く、F二五が一人だけ、なんだか寂しそうに席に座っている。FAXや、書類の整理に着手していたようだったが、昨日の騒ぎを知っているのか、俺を心配そうな目で見て、怪我の具合はいいのですか、と声をかけてくる。

「俺は大丈夫ですが、アキが頭を打っているので、少し心配です」俺がそう答えると、F二五は小さくため息をつく。

「クリス少尉、ああ、すいません、もう大尉、ですね。大尉はアキさんの所に行かれています。少し様子を見たい、とのことです」F二五はそう言いながら立ち上がり、いつもより二倍近くは多い書類の束を俺に渡す。アキがいないということは、当然その分仕事量も増える、ということだろう。ふと、F二五の机を見ると、彼女の机の上にもいつもよりはどうみても多い書類の山が出来ていた。俺は自分の机まで書類を運び、今日の仕事に着手することにする。さっさと始めないと、また今日も遅くなってしまいそうだった。


「クリス大尉、大丈夫でしょうか」俺とF二五が書類をめくる静かな音だけが響く中、不意にF二五が口を開いてそう言った。俺が手を止めて、顔を上げると、F二五はさらに言葉を続ける。

「お二人が怪我をされて、かなり気にされておられるようです。今朝も落ち着かないのか、部屋の中をずっと歩き回っていました」F二五は整理の終わった書類を抱えて立ち上がり、クリス大尉の机の上にそれを乗せると、俺の机の側まで歩き、側にあった丸椅子を引き寄せて腰掛けた。

「クリス大尉は、優しすぎるところがあります。ああ見えて」俺は昨日血相を抱えて救護班テントに駆け込んできたクリス大尉の姿を思い出す。確かにそうかもしれないと思う。ああ見えて、あの人は結構優しいところがある。ラシュディさん達に対してもそうだったし、俺やアキに対してもそうだ。

「あなたも、そうですけれどね」F二五はそう付け加えて、笑みを浮かべて俺の顔を覗き込む。俺は首を振って、それを否定する。

「俺は、違います」そう答えた俺に、F二五は、違いませんよ、と呟く。


 俺は立ち上がって紅茶を準備し、F二五に差し出す。もうすぐ正午。少し早いが、休憩を取ろうと思った。F二五は、ありがとうございます、と笑顔で言い、紅茶を一口啜る。二人だけになってしまうと、なんだか妙にこの部屋は寂しかった。クリス大尉が電話口で怒鳴る声や、アキがそれを迷惑そうに眺めながら、俺の二倍近いスピードで書類を処理して行く姿が無いと、なんだかひどく落ち着かなかった。

「何か、落ち着きませんね」俺がそう言うと、F二五は同意するように小さく頷く。


 俺たちが短い午後の休憩を過ごしていると、いきなり、結構な勢いでドアが開けられ、クリス大尉が帰ってきた。クリス大尉は俺の姿を見ると、唇の端に笑みを浮かべ、もう大丈夫みたいだな、と嬉しそうに言う。俺は立ち上がり、敬礼の姿勢を取る。

「大尉昇進、おめでとうございます」俺がそう言うと、クリス少尉は苦笑いを浮かべる。

「大尉になったとたん、お前は怪我するし、アキは怪我するし。縁起が悪いよ。二階級特進ってのは」そう呟いて、クリス大尉は席に着いて、俺とF二五を眺める。そして、いつもと変わらないよく通る大きな声で、ミーティングを始める、と宣言した。


「まず、現状の説明をする。セルーラ空軍は本日十五時をもって、トライアングルエリアに進行中のボスト陸軍部隊機甲師団を攻撃する。参加飛行隊は三つ。おそらくこの攻撃を境に、ボストと、セルーラは正式な交戦状態になる。セルーラ政府からの正式な宣戦布告は十四時三十分。おそらくセルーラ国内での破壊活動はもう無いとは思われるが、引き続き、我々は特殊作戦群と共同の上、レーダーサイト防衛と、国内の不審な情報の収集、分析を行う。今後の戦況は、トライアングルエリアで、どの程度セルーラ空軍部隊がボストに打撃を与えられるかというところで大きく左右されるだろう。現地からのわずかな報告、情報も見落とす事の無いように」クリス大尉は一気にそこまで話してしまうと、座っていた席から立ち上がり、俺の机の横の丸椅子まで歩いてくるとそこに腰掛ける。そしてF二五に手招きをし、側に近づくように促した。


「で、固い話は、ここまでなんだが、ここからは俺たち、情報部別室のプライベートな話だ。まず、アキの状態だが、軽い脳震盪で済んでる。まあ、あと二日は寝とくようにって軍医からは言われてるんだけどさ。あいつ、ほら、責任感が強すぎるだろ。今回の件もなんかすごく気にしてるんだよ。口を開けば、すいません、って言うし、しかもいつもみたいに冷たい感じじゃなくて、なんか弱々しいし。まあ、昨日はしょうがないとしてもさ、今朝も相変わらずそんな感じなんだよ」

「そんなに気にしてるんですか?」俺がそう聞くと、クリス大尉は大きく頷く。

「まあ、お前も昨日は結構精神的に参ってたみたいだけど、ほら、お前は家に帰ればリーフちゃんがいるだろ。でもアキはさ、気晴らしできないだろ」多少否定はしたい所ではあるが、実際のところは確かにリーフのおかげで俺は立ち直っている。俺は、まあそうですけどね、と渋々ではあるが同意する。

「もっと、否定するかなって思ったんだけど、そうでもないね」クリス大尉はそう言って面白そうに俺を覗き込む。俺が、先を続けてください、とクリス大尉を突き放すように言うと、クリス大尉はもっと突っ込みたかったのか、残念そうな表情を浮かべる。


「F二五、カイルの実家周辺に妙な動きはあるか?」クリス大尉からいきなり話を振られて、F二五は慌てたのか、少し吃りながら、大丈夫です、と返答した。

「リーフに対してなんらかの危害を加えるメリットが無いからでしょう。実際周辺を警戒させている諜報部員からも、不審な情報は上がってきていません」F二五のその報告を聞くと、クリス大尉は何度か頷いて、俺の顔を見る。

「問題ない、か。カイル、二日後、何も緊急事態が起きなければ、アキをお前の実家に連れて行こうと思ってるんだが、嫌か?」

「嫌ではありません。軍務に支障が出ないのであれば、問題ないと思います」俺がそう答えると、クリス大尉は、よし、と呟いて頷く。

「二日後に緊急事態が無ければ、夜間の引き継ぎを終えた後、別室メンバー全員で、ブルームに行こう。お前ら最近休暇を全然取ってないだろう。特殊作戦群の連中でも二週に一日は休暇を取ってる位だ。俺たちも一日くらい羽根を伸ばす。反対か?」反対の理由なんて少しも無い。俺もF二五も、賛成です、と口を揃えて言った。


「じゃあ、それで決定だ。仕事残して残業なんて事にならないように、二人とも気合をいれて業務にいそしむように」楽しげな口調でクリス大尉はそう言うと、勢い良く立ち上がり、自分の席に戻っていく。俺はその背中を見ながら、F二五の、クリス大尉は優しすぎるところがあります、と言う言葉を思い出す。俺が目を上げて、F二五を見ると、F二五は俺の目線に気付いたのか、静かに微笑んで、小さく頷いた。

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