首都編 12章
その日の正午、ボストは連邦からの離脱と、エイジアへの宣戦布告、セルーラへの警告を正式にメディアを通じて発表した。クリス少尉、俺、アキは部屋にある古いテレビに映るロシュビッチ、ボスト大統領の演説を眺めている。年齢の割には黒く、多い髪をオールバックにし、えら骨の張った、太い顎を忙しく動かしながら、ボストの正当性を訴え続けるその姿は、俺たちセルーラに迫りつつある危機を一身に体現しているように見えた。
「われわれ、ボスト共和国は、エイジアの度重なる挑発にも耐え、連邦からの不当な要求にも同じく、耐え続けてきました。しかし、これ以上の忍耐は、我々ボストを緩慢な破滅へと追いやるものであると、私は判断しました。本日を持って、ボストはエイジアに宣戦布告し、不当に占領され続けているボスト固有の領土、トライアングルエリアの奪還に向けて、努力する事を国民の皆様に発表いたします」そう言って、演説を締めくくった大統領が、演壇から降りるまで、テレビはその姿を追い続ける。
「なんとでも、言いようはある。過去の戦争に於いても、正義を振りかざすのは常に双方だった」クリス少尉が真剣なまなざしでそう呟く。アキは無言のまま立ち上がり、大量に送られてきているFAX用紙の束を抱えて、書類が散乱した机の上にそれを置くと、黙々と目を通し始める。俺も、アキの持ってきたFAX用紙の半分を自分の机まで持ってくると、その書類に目を通す。
初戦の奇襲のせいもあり、エイジア軍は苦しい戦闘を強いられている。各地から入ってくる情報は、どれもエイジアの苦戦を伝えていた。一方、セルーラはボスト特殊部隊の殲滅をほぼ完了させ、破壊されたレーダーサイトの復旧にもほぼ目処がついた状況だ。いまのところ、セルーラ国境付近では、ボストとの戦闘は起きていない。嵐の前の静けさ、という言葉がこれほど似合う状況も無かった。おそらく、ボストの精鋭はほとんどがエイジアに向けられたのだろう。クリス少尉が言っていた通り、俺たちが無事でいられるのは、エイジアが、いわば、盾となっているからに過ぎない。本格的にセルーラがエイジアと共に参戦すれば、厳しい戦いを強いられる事は明白だった。
夜になって、首都からF二五が戻ってくると、俺たちはF二五の机の周りに集まる。F二五が首都で手に入れてきた政府の動向を知るためだ。クリス少尉はF二五に、おつかれ、といいながら、ミネラルウォーターのペットボトルを渡す。F二五は封を切って、一口だけ口を付けると、俺たちの方を見て、口を開く。
「連邦本部は、もう機能していません。ボストは代表部を引き上げ、エイジアも連邦本部を通じたすべての交渉を中止したようです。一方、エイジアからセルーラへは、半ば懇願に近い形で、空軍の支援要求がありました。セルーラ政府はこれを受諾。明日にも第一次支援空爆を行うようです」
「支援空爆、か。目標は」
「トライアングルエリア後方のボスト陸軍師団陣地です」
「おそらく、それが、セルーラとボストの間の本格的な引き金になるな」クリス少尉はそう言って、目を閉じ、下唇を噛む。
「ラルカス、アーベルの動向は、見えない状態です。両国とも沈黙しています。国連は、連邦内の内戦とこれを定義しました。ボストの独立を承認した諸外国はまだありませんが、内戦が長期に及べば、周辺国、特に、アメリカによる油田開発を快く思わない国が、ボストを支援する可能性があります。諜報部の判断では、おそらく、中国、ロシアの二国が、ボストの支援に回る可能性が高い、ということです」
「アメリカはどうだ。エイジアへの支援を検討している様子はないか」クリス少尉が閉じていた目を開いて、そうF二五に聞くと、F二五は目を伏せて、首を振る。
「残念ながら、アメリカは内戦状態への懸念を発表したのみです。セルーラにも、エイジアにも、連邦本部にも、働きかけはありません」
「と、言う事は、中国や、ロシアがボストへの支援を決める前に、短期間で、ボストを制圧する必要がある、ということだな」
「そうです。我々も同じ結論に達しました。そちらのケビン大佐と諜報部は、近いうちにグスタフ達ボスト反政府組織にもう一つのボスト政府を樹立させることを検討しています」
「トライアングルエリアにボストを釘付けにして、その背後で、新政府を立ち上げさせる、と言う訳か」クリス少尉がそう呟くと、F二五は頷く。
「明日の支援空爆が無事に終了すれば、ボストはトライアングルエリアに大量の陸軍を集結させるでしょう。もちろん空爆を防ぐための防空兵器も。その背後で、ボスト首都は手薄になる。ボスト内務省警察局はその治安維持人員のほとんどを首都に持っています。彼らは軍部に抑圧されていることもあり、グスタフ達反政府組織とかなり上のレベルで協力関係にあります。おそらくは、これらの警察力で、首都を制圧できるでしょう。あとは、国境地帯でどの程度ボストの陸軍を消耗させられるか、というところでしょうね」F二五がそこまで話し終えると、クリス少尉は、これが役に立つかもな、と言いながら、一枚の紙片を散らかった机の上から取り出した。
「エイジアにラシュディさんが話した機密の内容のうち幾つかが、先週、セルーラに提供された。エイジア側からの礼、といったところだろうな。これを元にケビン大佐が、軍技術者による解析チームを発足させて実用化に向けて動いている」そう言って、クリス少尉はその紙に書かれた内容をホワイトボードに書き写していく。
「遠隔ネットワーク侵入技術と無力化技術」クリス少尉はそう呟いてホワイトボードから目を離すと、俺たちの方を見る。
「なんですか、それ」俺は思わずそう呟く。クリス少尉はため息をついて、俺を呆れたような目で見る。
「連邦にもし、他国が侵略してきたら、どうなるか。連邦本部で、連邦各国の軍を掌握する本部が設立される、ってのは知ってるよな。あとは、レーダーや、軍事活動に必要な通信回線を互いに連結する必要がある訳だが、連邦内の五国は、ご存知の通りあまり仲はよろしくない。今に至っては内戦状態になっている始末だからな。そこで、必要な時にだけ、互いの国の回線を解放するようになってる訳だ。具体的に言うと、TCP/IPにかなりの修正を加え、各国の暗号化モジュールを組み込んだプロトコルで、各国の拠点を接続している」俺と、アキと、そしてF二五もコンピュータには徹底的に疎いのだろう。三者三様、目が点になっている。そんな俺たちを気にする事無く、クリス少尉は話を続けて行く。
「で、普段は、これらの回線は遮断されているわけだ。ただ、有事の際に接続を迅速に行うために、回線に不調がないか定期的にテストデータを送信しあって、自己テストを行うようになっている。ラシュディさんが開発した技術というのは、この際に互いが送信するデータにある種のウイルスを仕込むものらしい。本来なら起こりえないバッファオーバーフローを引き起こし、先方のシステムの管理者権限を奪う種類のものだ」クリス少尉はそう言って、すごいだろう、と続ける。クリス少尉以外の三名は俺も含めて、何がすごいのかさっぱりわからない様子でいた。クリス少尉は怪訝そうな目つきで俺たちを眺め、どうした、と呟く。
「少尉、申し訳ありませんが、もう少し、解りやすく話してくださいませんか」F二五がためらいがちにそう言うと、アキがその隣で頷く。
「お前らさあ、今時ITに疎いってのは致命的だぞ。F二五、お前諜報の仕事してるんだろ」クリス少尉があきれ顔でそう言うと、F二五は不機嫌な表情になる。
「諜報というのは、人と人の全人的なつながりを重視するものです。ITは関係ありません」そう答えて、F二五は頬を膨らます。
「……至極簡単に言うと、ボストのレーダーとか、通信とかのシステムを駄目にしてしまうってことだ。ボストから離れたエイジアやセルーラから動かずに」クリス少尉がため息まじりにそう言うと、アキが、最初からそう言えばいい、と呟く。
「あのな、物事ってのはなんでも簡単にすりゃいいってもんじゃないんだぞ」クリス少尉が出来の悪い生徒に教え聞かせる教師のような口調でそう言うと、アキは、少尉が回りくどいだけ、と返す。クリス少尉が、そんなことねえよ、とさらにアキに言い返すと、アキは目を逸らして、どうやら不機嫌になってしまったようだった。
「少尉、その技術はいつ完成するのですか」俺は、女性二人と険悪な空気になって多少の困惑の色が見えるクリス少尉に、そう聞いた。クリス少尉の目が救いを求めるかのように俺に向いていたからだ。
「あと、もう少しってとこらしい。ボストでクーデターを起こさせるなら、この技術が完成してからのほうが良くないかって言いたかったんだけど、な」クリス少尉はそう言って、すっかり不機嫌になってしまったF二五を見る。F二五はクリス少尉と目を合わせずに、わかりました、とだけ答える。
「とりあえず、ケビン大佐には、明日面会してこようと思っている。この件も含めて、幾つか意見具申をしてこようと思う」クリス少尉はその言葉に、じゃあ今日はこれで、と付け加えて、机の上の書類をかき集めると、部屋を出て行く。逃げ出すようにして。なんとなく気持ちはわかるような気がする。
残された俺と、アキと、F二五は、しばらく無言のまま、それぞれの残務処理をする。三十分ほど、書類をめくる音だけが部屋には響いていたが、いきなりF二五が、あっ、と声を上げ、静寂を破った。俺は驚いて、手にしていた書類を落とす。アキが冷静に、どうしたの、とF二五に問いかける。
「ケビン大佐からの伝言をクリス少尉に伝えてませんでした」F二五が焦った様子でそう言った。
「さっき報告してた内容以外に、まだ、何かあったんですか」俺がそう聞くと、F二五は、状況に支障が出るようなものではないのですが、と言って口ごもる。
「どんなこと?」アキのその言葉に、F二五は顔を伏せて、クリス少尉が大尉に昇進されるんです、と呟いた。
「別にいいでしょう、明日で」俺が若干拍子抜けしつつそう言うと、アキも、そう、と呟いて同意するように頷く。F二五は、そうですよね、大丈夫ですよね、などと、自分に言い聞かせるように繰り返す。
「それにしても、すごいよな。二階級特進か。戦死したと思われるんじゃないか」俺の言葉に、アキが少しだけ表情を崩して笑う。
「正直、諜報部内でも、クリス少尉の評価は高いです。今回の件でも、殆ど犠牲者を出さずにボスト特殊部隊を制圧することに成功していますし」F二五がそう言って俺たちを見る。
「昔から、あんまり変わりませんけどね。なあ、アキ」俺がそうアキに振ると、アキは、変わらない、と繰り返す。
「昔から、軽い」アキがそう付け加えると、F二五が、酷い言い様ですね、と笑いながら言う。
「でも、ああいう上官というのは、うらやましいところもあります。知ってますか、諜報部って暗い人、多いんですよ」F二五がまるで重大な機密を暴露するかのようにそう続ける。今はそんな印象は無いが、F二五も最初会った時は暗い印象がした。あれは、部署特有のものだったのか、と俺は内心納得する。
「そう言えば、F二五さんに最初会った時、ちょっと暗い人なのかなって思ってました。いまはそんな事無いですけど」俺がそう言うと、F二五が、私がですか、といかにも心外だといわんばかりに言った。
「……移るんでしょうね、そう言う雰囲気って。諜報部はいっつもしかめっ面な人ばっかりだし。四六時中笑ってろとは言いませんが、たまには笑顔くらい浮かべてもいいのに、っていつも思っていました」しばらく何かを考え込むような仕草を見せた後、F二五はそう続ける。
「まあ、明るいのが取り柄ですから、あの人は」俺がそう言うと、F二五は、私にも移ったんでしょうか、と少し嬉しげに答えた。アキはそのやり取りを黙って聞いていたが、F二五がそう言うと、口を開いた。
「クリス少尉は、どうなるか、ではなくて、どうするか、を考える人だから」アキはそう言うと、書類に視線を戻して、再び残務処理に戻る。
F二五は、そうかあ、と呟いて、何やら感心していたが、やがて、席を立つと、また明日、と言い残して部屋を出て行く。どうなるか、ではなく、どうするか、を考える人。確かにその通りだと俺も思う。あの人が、どうなるんだろう、とか言いながら悩んでいる姿というのは見た事が無い。いつも、どうするか、どう動くべきなのか、を第一に考えて行動している。ちゃらんぽらんな態度はともかく、見習うべき点は多い。
「終わった?」アキがそう言って、俺を見る。F二五が帰ってから、もう一時間ほど経っていた。今日の分の書類精査と、情報整理は殆ど終わっている。
「終わったよ。帰るか?」俺がそう聞くと、アキが頷く。電気を消し、部屋を出て、鍵を閉めると、俺とアキは暗い廊下を並んで歩く。階段を降り、玄関まで来たところで、不意にアキが立ち止まる。
「どうした」俺がそう言うのとほぼ同時に、アキは俺の口を手で塞ぎ、俺の頭にもう一方の手を当てると、一気に床に俺を引き倒した。アキも床に伏せ、玄関の向こうを鋭い目線で睨んでいる。俺は口を塞いでいるアキの手をなんとか外し、アキが視線を向けている先を見る。
見慣れない制服を着た二人組の男が五百から四百メートル先にいるのが見えた。いや、見慣れない、というのは正確な表現ではない。その制服を俺は見た事があった。それも今日。ボストの捕虜達が着ていた制服と同じものだ。目立つ武器は持っていないように見受けられるが、おそらく拳銃、ナイフくらいは携帯しているだろうと俺は推測する。
「残党か」俺が小声でそう呟くと、アキがホルスターから拳銃を抜く。
「気づかれないように、背後に回る」アキはそう言うと、音を立てないように静かに立ち上がり、姿勢を低くしたまま、玄関から飛び出すと、近くの茂みまで移動し、また、身を伏せる。俺は、アキが移動する間、不審な男達がアキに気づいた素振りはないかを観察する。どうやら気づいてはいなさそうだ。視線をアキに移すと、アキは茂みから俺の方を向いて、手首の動きだけで俺に移動を促すサインを送る。俺はアキがやったのと同じように、姿勢を低くして音を立てないように移動する。
これが俺の初戦になるのだろう、俺は緊張で汗ばんだ手で拳銃を握りながら、そう感じていた。