首都編 11章
眠りについてから何時間が経ったのだろう。俺は普通の生活をしている限りは聞く事の無い凄まじい大音響で目を覚ました。地面の底から響くような、アフターバーナーの音。ベッドから駆け下りて、窓に走り、まだ夜明け暗さが残る空を見上げると、そこには五機の戦闘機が編隊を組んで飛行していた。三角形の青いシルエット。陸軍の俺でも知っているセルーラ空軍の主力戦闘機、ジャギュアのシルエットだった。午前五時十五分。時計を見て、俺は唇を噛む。スクランブル発進に違いない。
「ボストか?」俺がそう呟くのが早いか、枕元の軍用携帯電話がけたたましく鳴りだす。通話ボタンを押すと、クリス少尉の怒鳴り声が聞こえた。
「すぐに基地に来い。朝早くに悪いが、緊急事態だ」
「何があったんですか」そう聞いた俺に、話す時間がもったいないんだ、とクリス少尉が叫ぶ。
「いいから、すぐに来い。あと、親にリーフを外に出すなと伝えておけ。大丈夫だとは思うが、ボストが狙わないとも限らん」
「了解しました」俺はそう答えて、軍服を取り出し、上着のボタンもかけずに部屋を飛び出す。
リビングに行くと、親もリーフも起きていて、駆け込んできた俺を一斉に見つめた。俺は手早くリーフを外に出さないように、と伝える。親は俺の勢いに圧倒されたのか、無言のまま頷く。俺はリーフに近づき、不安を隠せずにいるその顔を覗き込む。
「何かあったら、すぐに連絡するんだぞ」俺がそう言うと、リーフは、何かを言おうとして、口ごもる。もっと言葉を交わしておきたい気持ちを抑えて、俺は家の外に飛び出し、車に乗り込む。法定速度を大幅にオーバーさせたスピードで、俺は基地に向かう。
基地に到着すると、周辺から散発的な銃声と、特殊作戦群の兵員が銃を持って山間部に走って行く姿が見えた。俺はレーダーサイトを眺め、破壊されていないその姿に安心する。車から降りて、いつもの情報部別室まで俺は全速力で走る。唇を無意識に噛みながら、俺は確信する。侵攻が始まったことを。
荒々しく別室のドアを開けると、既にクリス少尉と、アキがいた。クリス少尉は電話口に向かって大声で話している。
「ボストか」俺がアキにそう聞くと、アキは険しい表情で頷く。
「ここは大丈夫みたいだな。他のレーダーサイトは」
「二つはやられた。あとの五つは大丈夫」アキは壁に貼られたセルーラの地図を指差してそう言った。その地図にはレーダーサイトが赤で、空軍基地が青でマーキングされており、赤でマーキングされているレーダーサイトのうちの二つに大きく印がついていた。
「あの二つか」俺がそう呟くとアキが頷く。
「空軍の基地は大丈夫なんだな」
「いまのところは。防空識別圏に侵入した国籍不明機の迎撃のために、各空軍基地から戦術飛行隊がスクランブル発進している」俺はアキのその言葉に安堵のため息をつく。セルーラの唯一の優位点である空軍をとりあえずは失わずに済んだらしい。
電話を終えたクリス少尉は俺を見て、始まったよ、と呟く。俺は頷いて、状況を教えてください、と返す。クリス少尉は、F二五が来てから始めよう、と答え、窓の外を見る。窓から見える集落の中心部の広場には見慣れない制服を着た何人かの兵隊が、後ろ手に拘束されて、特殊作戦群の兵員に囲まれていた。おそらく、捕縛したボスト特殊部隊の人間だろう。
「特殊作戦群はさすがだな。お前らの調査も役に立った。予測されていた侵入経路にボストはそのまま突っ込んできやがったからな。ほぼ総数を確保したと思う。こっちの被害は三人の負傷で済んでる。死人が出なかったのは幸いだな」クリス少尉が俺の視線に気づいたのか、俺にそう教えてくれた。
「海軍の監視網はどうなったのですか。確か、海路で兵器がボストに運び込まれるまでは侵攻はない、と」
「わからない。海軍はおかしな船舶を検知していないからな。陸路、かもしれん。考えたくはないが、ボストと国境を接するラルカス、アーベルのどちらかが、ボストと手を組んでいるのかもしれない。エイジアは空襲されて、レーダーサイトの半分、空軍基地の三割が大破したそうだ。セルーラ空軍はやられずにすんでいる。今のところは」クリス少尉はそう言ってため息をつく。
「グスタフ、のおかげですね」俺がそう言うと、クリス少尉は頷く。
「まったくだ。あの男の情報のおかげで、俺たちは万全の警備体制が敷けた。他のレーダーサイトでもボスト特殊部隊の捕獲作戦はほぼ成功しているそうだ。破壊されたレーダーサイトにしても、修復が効くレベルで済んでいる」
「空軍の迎撃はうまくいっているのですか」
「国籍不明機、まあ、ボストに間違いはないけどな。殆どの侵入機を叩き落とした。こちらも何機かは落とされたが無視できるレベルの損害で済んでいる」口早にそう語るクリス少尉の表情は険しいながらも、微かな笑みを浮かべている。初戦は、こっちの勝ちだ、と呟いたクリス少尉は椅子に座り、目を閉じる。疲れ果てている様子ではあるが、気力は充実しているようだった。
F二五が部屋に到着すると、クリス少尉は立ち上がり、状況を説明する、と短く言って、口を開いた。
「本日午前四時三十分に各レーダーサイトにボスト特殊部隊が侵入した。それとほぼ同時に国籍不明機が国境より飛来している。現在時刻午前六時三十分の時点において、レーダーサイトの損害は二拠点。セルーラ特殊作戦群は侵入したボスト特殊部隊のほぼすべてを殲滅。迎撃に発進したセルーラ空軍は国籍不明機のほぼ総数を撃墜した。一方、エイジアの状況はセルーラよりも悪い。現在、特殊部隊はまだ殲滅までにはいたっておらず、空軍基地は三割が壊滅。国境トライアングルエリアに侵攻したボスト正規軍との戦闘が始まっている。セルーラと違い、エイジアは混乱状態にある。エイジア空軍はトライアングルエリアの支援まで手が回らず、破壊されたレーダーサイト周辺に飛来した国籍不明機と鬼ごっこの最中だ」クリス少尉はそこまで話すと、なにか質問はあるか、と短く聞いた。F二五が立ち上がり、質問ではありませんが、と断った上で口を開く。
「これで、開戦と言うことになります。本日四時四十五分、戦闘開始とほぼ同時にボストからは外交部を通じて、非公式ではありますが、連邦からの離脱、エイジアへの宣戦布告、セルーラへの恫喝を併せて行ってきています」
「恫喝?」怪訝な表情をしてクリス少尉が言う。
「これ以上の攻撃を受けたくなければ、手を出すな、と。あと、ボストからの亡命者を送還しろ、ということです」
「偉そうに」クリス少尉がそう言って皮肉混じりの笑みを浮かべると、F二五はそれを諌めるように口を開く。
「我々は特殊部隊の一部と、奇襲してきた空軍の一部を撃退しただけです。ボストの正規軍が本格的に侵略してくれば、セルーラ単体では抑えきれません」
「わかってるよ。エイジアと連携して対峙するしかない。いまさら傍観を決め込んだところで、どうにもならん。あんたら諜報部もそこは同意見のはずだ」
「私のボスと、ケビン大佐の会談では、ほぼ同意見ということになったそうです」F二五がそう言うと、クリス少尉は、やっと会ったのかあの二人は、と呆れたように呟く。確かに面会の斡旋をクリス少尉がF二五に依頼したのは二週間前の事だった。いろいろとあるのです、上は、とF二五は言ってため息をついた。
「セルーラ首相府は、ボストの提案を蹴るはずだ。そうだろ」クリス少尉が目を細めて、F二五に笑いかける。F二五は驚いた表情でクリス少尉を見た。
「よくご存知ですね。その通りです。セルーラ首相府は提案を蹴り、エイジアとの攻守同盟を検討しています。エイジア側もそれを望んでいるようです」
「と、すれば、俺たち軍部に来る命令は三つと言うことになる。おそらくな」その言葉に同意するようにF二五は頷く。
「国内にいるボスト残党の掃討と、国境での部隊展開、そして、空軍をエイジア支援にまわす、と言ったところでしょうね」
「そう。トライアングルエリアを奪還するのが第一目的。そして、国境線を侵犯させないのが第二目的だ。俺たちももちろんそこに組み込まれる。今のところ、俺たちに来ている命令は国内ボスト残党の掃討作戦への参加、だけどな」そう言ってクリス少尉は立ち上がると、窓の外の捕獲されたボスト特殊部隊残党を眺める。
「あいつらに会ってみるか。正直に何でも話すような連中じゃないだろうが」クリス少尉はそう言いながら部屋の扉を開ける。俺と、アキ、F二五もその後ろについて行く。
建物正面の広場に、二十人ほどの特殊部隊員が後ろ手に縛られ、座らされている。セルーラ特殊作戦群の兵員がその捕虜を監視しながらライフルを構えているのが見えた。クリス少尉は捕虜の一団に歩み寄ると、セルーラ陸軍大尉の階級章をつけた特殊作戦群の指揮官らしき男がクリス少尉の側まで駆け寄ってくる。背がルパード並みに高く、腕も足もログハウスの丸太材のようだ。頑丈そう、としか形容しようの無い男だった。
「おう、クリス。お前の調査は大したもんだな。わずか一時間で制圧ってのは、例がねえよ」頬に大きな傷跡が付いたその指揮官はクリス少尉の背中をばんばんと勢い良く叩きながら大声でそう言った。
「彼らの調査あってのことです」クリス少尉はつまらなそうな顔でそう答えると、俺とアキ、そしてF二五を指差す。指揮官は俺たちをひとしきり眺めて、精悍な笑みを浮かべた。そして、軽く右手を上げて、謝意を示す。
クリス少尉、指揮官、そして俺とアキ、F二五が捕虜達の前に立つと、捕虜達の中でも一番年配に見える男が小馬鹿にしたような目つきで俺たちを睨む。
「初戦がたまたまうまくいったからって、調子に乗るなよ?」その男はそう言って、なぜか俺に目を向けた。
「セルーラってのは人材不足もいいところだな。カエタナに、女、か。いざ実戦って時に役に立てばいいけどな」男が俺を見ながらそう言うと、他の捕虜達も吹き出して笑い出す。その様子を見ていると、ボスト内で、カエタナがどんな扱いを受けていたかよくわかる。最初に会った時にリーフが銀髪を隠そうとしていた理由も。
「まあ、彼らは後ろ手に縛られて、捕虜になるような事にはならないよ、多分ね」クリス少尉が男より数段酷く小馬鹿にしたような口調でそう言うと、捕虜達の顔色が変わる。
「何に目がくらんだかは知らんが、ゴキブリみたいに人の国に忍び込んで、破壊活動か?」さらにクリス少尉がそう続けると、俺に侮蔑の言葉を発した男が後ろ手に縛られている事も忘れて立ち上がろうとする。バランスを崩して倒れ込んだその男にクリス少尉は真剣な表情で語りかける。
「私は参謀府のクリス。一応、名前と階級を聞いといてやるよ。名乗る勇気があれば、だけどな」
「……ボスト特殊部隊第十二作戦班、デビッド中尉だ」男が苦々しい表情でそう名乗った。
「うちは捕虜虐待の習慣もないし、別にお前らから聞かなくても大体の侵入理由は解る。こんな危険な作戦を、どんなやつがまかされているのか見ようと思っただけだったんだが、まあ、お前みたいなやつで、セルーラは助かったよ。カエタナだの女だのと、開口一番それだからな。人を見る目がまるで無いような連中なら、戦いやすい。ウィーン条約は遵守して、終戦まで捕虜としては扱ってやるよ。せいぜい頭を冷やして、敗北感に浸ってろ」クリス少尉がそう言い捨てると、捕虜達から一斉に憎しみと殺意がこもった凄まじい視線がクリス少尉に集中する。クリス少尉はそれを微塵も気にしていない様子で、捕虜達に侮蔑の視線を返す。
「収容所は、おそらく国境近辺に設置される。設置終了までは、この場所に簡易テントを設営の上、彼らを監視してください」クリス少尉が特殊作戦群の指揮官にそう言うと、指揮官はため息を一つついて、解ってるよ、と答える。
「しかしお前、性格が微塵も変わってねえな」俺たちと一緒に建物に戻りながら、指揮官の男はクリス少尉にそう言った。クリス少尉は、なにをいまさら、と言わんばかりの表情を指揮官に向ける。
「部下を馬鹿にされました。ウィーン条約なんてなければ、実力行使にも出れたのですが。まあ、あの程度で済ませてあげました」俺は半ば呆れつつも、クリス少尉のその言葉を嬉しく思う。指揮官の言う通り、性格は悪いとは思うが。
「部下達が周辺の山間部を捜索しているが、今のところ、残党は見つかっていない。おそらくあれで全部だとは思う。あいつらが戦闘準備に入る前にほぼ不意打ち出来たからな」指揮官のその言葉にクリス少尉は、助かりましたね、と答える。
「おそらく、ですが、ボストの優秀な連中はエイジアにまわされたのでしょう」そう続けるクリス少尉に指揮官が頷く。
「確かにな。あまりに手応えが無さ過ぎた。忍び込んで隠れるのはうまくても、戦闘はいまいちだった」指揮官が顔の傷跡をなでながらそう答えた。
部屋に入り、クリス少尉が席に着くと、指揮官は余っていた椅子をクリス少尉の机の真ん前に移動させ、そこに座った。俺とアキ、そしてF二五も席に着いて、クリス少尉の指示を待つ。やがてクリス少尉は大きくため息をついて口を開く。
「国内に侵入したボスト残党の殲滅にしばらくは従事する。カイルは今まで通り家から通う形で構わない。お前の実家には警護をつけるが、夜はお前もそれに加われ。大丈夫だとは思うけどな。昼間はアキと情報整理と調査活動」まず、俺とアキにクリス少尉はそう指示をする。
「諜報部内で、今朝より幾人かが消息不明になっています」不意にそう発言したF二五に皆の視線が向く。
「ボストと内通していた連中か?」そう聞いたクリス少尉に、F二五が頷く。
「何人かはかねてから我々が疑っていた人間のリストと一致します。しかし、一致しない人間も多数存在します。どうやら諜報部内でのあぶり出しに気がついたようです」
「都合がいい、と言えば都合がいいな。居座って妨害されるよりもましだ」そう呟くクリス少尉に、指揮官が口を開く。
「特殊作戦群の人間が何人か割けるぞ。そいつらの探索に回したらどうだ」F二五が指揮官のその言葉に困惑したような表情を向ける。
「そんなに困った目でみるなよ。姉ちゃん。ボストの残党と組んで徘徊してたら、お前らの手には負えんぞ。荒事は俺たちに任せろ」そう言って指揮官はF二五に笑いかけた。F二五は、調査部長にそう打診してみます、と小さな声で答える。
「おそらく、今日の昼から、忙しくなるぞ。ボストはマスメディアを通じて正式に連邦の離脱を表明するだろうし、セルーラも正式にエイジアとの同盟を発表するだろう。エイジアと組む以上は、俺たちもいずれは戦線に投入される。各自、心構えをしておくように」いくつかの事務的な連絡事項を話し終えた後、クリス少尉はそう言った。指揮官は面白そうにクリス少尉のそんな様子を眺めていたが、やがて、様子を見てこようかね、と呟き、席を立つ。俺はあわてて、指揮官を呼びとめ、訝しむアキの手を引いて、指揮官の前に立つ。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。クリス少尉の部下のカイルと申します。こちらはアキです」俺がそう言って、指揮官に挨拶をすると、指揮官は相好を崩して、俺とアキを眺める。
「クリスの部下にしては、丁寧なやつだな。俺はガルフ。特殊作戦群第二班の指揮官だ。あいつの元上官でもある」クリス少尉を指差しながら指揮官はそう言った。クリス少尉は興味無さげに書類を手に取り、目を通し始める。
「しばらくは一緒だな。宜しく頼む」指揮官のその言葉に、俺とアキは頭を下げる。
廊下に出て、指揮官を見送ると、アキが俺を見上げて、何かを言いたげな目線を向ける。
「あの捕虜の男」アキはしばらくの沈黙の後、そう呟いて外を見た。
「あの男がどうしたんだ」俺がそう聞くと、アキは制服の胸に固定されたナイフに手を触れて、目つきを鋭くする。
「なにかを企んでいるかもしれない。わざと捕まった、と言う可能性も捨てきれないと思う」そう呟いて、アキは俺の制服の胸に固定されたナイフに触れる。
「基地内の業務だからといって、油断しない方がいい。そうではないとは思うけれど」アキの言葉に俺は頷く。確かにそうだ。あの男の事だ。卑劣な手でも平気で使いそうな気はする。
「クリス少尉にも伝えて、俺も気をつけるようにするよ。ありがとう」俺がそう言うと、アキは照れたのか目を伏せて、礼をいわれるようなことじゃない、と呟いた。