国境編 3章
訓練が終わった後、俺は我が班の兵舎を案内された。案内してくれたのはアキ。短い簡潔な説明だけを淡々と行っていく。
「この兵舎は我が班の専有。自炊場の使用は休日の前のみ許可。休日は班ごとに決まっている。我が班は週に一度、水曜日と、月に二回シフトによって決定された休日がある」質問はないかという目でアキは俺を見ている。
「個室なんだな。首都警備隊はすし詰めだった。ありがたいよ」俺はなんとなしにそう呟く。
「鍵を渡しておく」アキは軍用の迷彩タクティカルベストから鍵を取り出し、俺に渡す。
「この兵舎は一二九号兵舎と呼称されている。個室は八室。一は士官室でクリス少尉。二はラルフ曹長。三はグリアム、四はルパード、五は私」ってことは俺は六号室か。鍵を眺めながら、そう思う。
「共有スペースでは、就寝前の1時間のみ飲酒が許可されている。酒類は総合基地本部にある売店で購入できる」
「あの入り口のところのでかい建物か」
「そう」アキは俺を少し見上げるようにして答える。
「……念のために伝えておく」すこし、沈黙が続いた後、アキは無表情ながらも若干ためらいがちに話しだした。
「ルパード、グリアム、ラルフはそうでもないが、クリス少尉、そして私は酒癖が悪い」俺はいきなり個人的な話になって少し驚く。
「は?」
「いきなり絡まれても何のことだかわからないだろうから、事前に伝えている」アキは目をそらして答える。
「ナイフで斬りつけたりする訳じゃないんだろ。多少の愚痴くらいなら問題ないけどな」
「……酒類を飲むときはナイフ類はラルフ曹長の部屋に預けている」アキは少し顔を赤らめている。まさか本当に斬りつけたりしたことがあったのか。
「あの、本気で斬りつけたりしたわけじゃないよな」そう聞きながら、酔ったこいつが斬りつけてくるところを想像する。あの速さで。死ぬな。間違いなく。俺はそう思う。
「別の隊にいたとき、酔った私にナイフでの戦闘を吹っかけてきた上官がいた」アキはあからさまに顔を赤らめた状態で、目をそらしたままだ。これで愛の告白などをされているのであればいい場面だと思うが、話しているのはナイフで喧嘩した話だ。ギャップが凄まじい。
「三秒で上官のナイフを跳ね上げて、危うく頸動脈を切断するところだった」話している内容が、ほほを赤らめて話す内容ではないだけに信憑性がある。
「外したのか」言ってから俺は何を聞いてるんだと思った。
「いや、正確に。外さない自信はある」アキは俺の目を見て、そこだけはしっかりと断言した。大した自信だが、ここは自慢するポイントではない。こいつのナイフの腕はいやというほど味わっただけにそのかわいそうな上官に俺はかなりの同情をした。
「上官がテーブルにつまづいたおかげで、私は殺さずにすんだ」アキはまた目をそらして、そう締めくくる。俺はどう答えていいものか言葉も見つからずにしばらく呆然としていた。
「……いや、まあ。なんと言ったらいいか」俺はやっとのことで言葉を探す。上官を殺しかけた女性兵士など初めて聞いた。しかもナイフで。
「翌日にすぐに辞令が出た」冷静さを取り戻した表情でアキは言う。
「で、ここか」
「上官には国境なら好きなだけナイフを振り回せるぞと言われた」すたすたと俺の前を歩きながらアキはその言葉に、
「外さなければよかったと思った」と付け足した。
「冗談だよな」そうに決まっているのだが俺は一応聞いた。
「……冗談」妙な間を持たせてアキが答える。こいつはどうにもこうにも発する言葉が冗談なのだか、本気なのだかわかりづらい。
「食事は六時からになっている。中央食堂で全部隊員が一斉に食事を取る。あと三十分は自由時間。質問がなければ案内はこれで終了」アキはそういい残すと、自分の居室のドアを開け、こちらを振り向いた。
「よくわからないようであれば同行してもよい」俺はできれば一人でゆっくりと食事をとるのが好きなたちなのだが、なんとなくさっきのナイフの話が思い出されて、
「お願いします」と敬語で返答していた。
十分後、俺はアキの後ろについて、結構な距離がある兵員向け食堂まで二人で歩いていた。アキは背を伸ばしたやたら姿勢の良い歩き方で俺を先導している。兵舎が何十と並ぶ中を、国境地帯特有の砂まじりの風が吹き抜けていく。砂が目に入らないよう俺が目を覆うと、目の前を歩いていたアキが立ち止まった。
「狙撃」そう呟く
「ん?」俺はその問いかけが自分に向けられたものだと気付くのに少しばかり時間がかかった。アキは視線を前に向けたまま、言葉を続ける。
「狙撃手は死亡率が高いと聞いたことがある」
「ああ。待ち伏せして、隠れて敵を一人で狙う訳だから、当然、狙撃された奴やら、それを見てた敵からすれば狙撃手から撃たれたことは一目瞭然だろう? 恨みを買いやすいだけに捕虜になる前に殺されちまうんだろう」捕まった狙撃手が生きて帰ってくるパーセンテージは確かに低い。一般の戦闘であれば、誰が誰に撃たれたかなんて特定できないが、狙撃手は違う。誰に誰が殺されたのか。それがはっきりしているのが狙撃手の戦闘だ。
「何故?」表情が見えないのでアキがどういう意図でそれを聞いているのかわかりにくい。
「殺される理由か?」
「違う。あなたが狙撃手になった理由」俺はひとしきりの自分の軍歴を振り返る。もともと、俺は志望する兵種はなかった。単に教育隊の訓練の中で一番点数が良かったのが射撃だったということくらいが狙撃手を選んだ理由と言えば理由かもしれない。
「まあ、銃とか機械ものは昔から好きだったし、ナイフを振り回したり、アサルトライフルで敵陣に突っ込んでいくよりは、集中して標的を狙うって言うのが向いてるような気がしたんだ。それに、俺はどっちかっていうと臆病だからな。遠距離からって言うのがよかったのかもな」俺は理由にもなってない理由をところどころつまりながらアキに答えた。
「あなたは、臆病ではないと思う」アキが振り向いて言った。さらに続ける。
「ナイフの訓練。あなたには怯えたそぶりはなかった」
「そりゃあ、ゴム製のナイフもどきだからな。怖がる方がどうかしてるだろ」俺は答える。あれが本物のナイフだったら、アキのあの構えを見ただけで俺は逃げ出したろうと思う。
「実際、君が本物持って立ってたら怯えると思うぞ」
「私を呼称するときはアキでいい。君という二人称は複数人での会話の際に意思の疎通の齟齬を招く」アキがそう訂正する。俺は多少躊躇しながら
「……アキ、が本物持って立ってたら、怯えると思うぞ」と言い直す。
「怯えている人間は、ナイフが偽物でも、本物でも関係ない。動きを見ればわかる。私はナイフを使用する近接戦闘が専門。たぶんカイルより多くの相手と対峙していると思う。臆病な人間も、そうでない人間も見たことがある」
「そうか」俺は適当に相づちをうつ。
「臆病な人間はあのようには動かない」その言葉を聞いて俺はどう答えていいものか当惑する。
「力の差が、構え見ただけでわかったからな。一か八か突っ込むしかなかったんだよ。セオリーを外して、まあ、驚かすしか手がないんじゃないかってさ」
「あと半歩。あなたが動けていたら、私は避けれなかった」アキはそう言う。
「その半歩が力の差だろ。今やってもその半歩は縮まらないと思うぞ」
「必要なのは訓練。筋は悪くない。今は届かなくても、そう遠くないうちに届くと思う」そうかなと俺は考える。ナイフでの近接戦闘。俺はいままで大した訓練をしていた訳じゃない。せいぜい教育隊で基本的なところを習ったくらいだ。そのときも誰もそんなことを俺に言ってきたりはしなかった。
「まあ、俺は狙撃手だからな。ほどほどにしとくよ」俺はそう答える。
「狙撃手だからこそ」意外な返答に俺は驚く。アキが続ける。
「殺される可能性が高い狙撃手だからこそ、銃に頼らない戦闘手段を身につける必要がある。弾が無くなっても、生存の可能性を捨てずにすむ」俺はこいつの会話を聞きながら、戦争というものに対して、首都の警備隊と国境の警備隊で全くと言っていいほど、認識が異なることを実感した。アキは、いや、アキだけはなくクリス少尉や、ラルフ曹長、ルパード、グリアム全員がそうだ。ボストとの最後の小競り合いがあったのは、俺が確か十五の時だった。あれから六年しか経っていない。戦争の可能性。自分が戦場に赴く可能性が確実にある。 その可能性は確実に首都よりもここの方が高い。
「努力してみるよ」そんなことを考えているうちに、なんだか素直に俺は呟いていた。
「それがいい。私たちはいつ戦場に投入されてもおかしくないのだから」アキは制服の胸の部分に固定された鞘を細い指でなぞる。俺はその様子を見ながら、ラルフ曹長が訓練のときに話していたセルーラ剣舞のことを思い出していた。セルーラ剣舞は基本的に双子の女が一組になって舞うセルーラ民族特有の舞踏だ。アキがそれをやっていたということは、当然アキには双子の姉妹がいるということになる。
「そういえば、妹か姉さんがいるんだろ。ラルフ曹長が言ってた。セルーラ剣舞の舞い手だったって」俺はなんとなしにそう口に出して、先を歩くアキの隣に進む。
「正確に言えば、いる、のではなくて、いた、というのが正しい」アキは表情を変えずに答える。
「?」どういうことなのだろう。いまはいないということなのか。アキの顔をみると、明確ではないにしろ、その話題に触れてほしくないのではないかという感じがしたので、俺はあとに続く言葉を探すのに苦労するはめになった。しばらくの沈黙があって、アキが口を開いた。
「剣舞はまず体のリズムを感じるところから始める」アキがそれとなく話題を逸らしたことに、いくら鈍感な俺でも気がついた。
「リズムというのは心拍や呼吸運動といった止めることの出来ない体のリズムのこと。人間の体はこのリズムに沿うときが一番滑らかに動く」アキは右腕をまっすぐ伸ばして、鞭のようにしならせて跳ね上げる。その動きは滑らかで、まるで真っ白な布が強風で波打っているかのように俺には見えて、その動きには微塵も淀みがなかった。俺は思わず感嘆の小さなため息をつく。
「関節や、筋肉もそう。稼動する範囲の中に、リズムに沿って一番動きやすいポイントがある」アキは、切れ長の目を少し伏せて軍用ブーツを履いた足先に顔を向ける。そして、右腕を動かすのと同じように、次は左足を大きく跳ね上げた。
「慣れると、手足をリズムに乗せて動かすことが出来るようになる」
「凄いな」俺は思わず口に出していた。
「何が?」
「動きだよ。素人の俺でもわかる。剣舞って見たことはないんだけどな。どんな感じなんだ。衣装とか、舞台とか」アキは俺の言葉を受けて、何かを考えているようだった。
「伝統的な剣舞は、満月の月明かりだけで、海岸を舞台にする。月の光が海に反射し始めるのが舞の開始の合図。月明かりでも動きが映えるように真っ白なタームを着ける」俺は、そのアキの言葉からセルーラのやたら透明度の高い海を思い浮かべる。そこに満月が上って、海に光が反射していく光景を。ターム。セルーラの昔からの民族衣装だ。大きな布を体に幾重にも巻き付け、シルドという宝石をあしらった宝飾具でその布を留める。アキがタームを来ている姿を想像して、俺はなんだか少し恥ずかしさを覚える。
「一回、見てみたいな」という俺の言葉に、
「……ほとんどの舞い手はもういない。六年前の侵攻で殺されている。セルーラ剣舞の舞い手はほとんどがジョシュアにいた」と、伏し目がちにアキが答えた。心無しか歩くスピードも落ちているように思えた。
「……悪い」俺は少しばかりの沈黙の後、そう口に出していた。ジョシュア侵攻。セルーラ国境の最も大きな町ジョシュアは六年前にボストからの空爆と陸上侵攻の舞台になり、戦闘前に徹底的に行われたボストの奇襲作戦でほとんどの家屋がミサイルにより破壊され、住民の約七十パーセントが死亡、行方不明になった。
「気にしなくていい」アキはそう答える。そして、歩みを止める。気付くと、目の前に俺たちの兵舎を何倍も大きくしたような建物があった。これが兵員用の食堂なのだろう。
「着いた」そう言って、アキが扉を開ける。建物の中から、肉を焼く匂いや、香辛料の香りが俺たちを包んでいく。
食堂には、安っぽいベニヤ板を天板にした長テーブルがいくつも並んでおり、そこに数脚のこれまた古ぼけた木製の椅子が据付けてあった。入り口からまっすぐ歩いていくと、カウンターを挟んで調理場があり、幾人かの糧食班員が馬鹿みたいに大きな直径五十センチほどの大鍋で料理をしている。俺たちは幾分早く着きすぎたらしく、どこのテーブルもがらがらに空いている状態だった。
「一番乗りはいつもお前だな。アキ」四十を少し過ぎたぐらいの太った軍曹が大きな声でカウンター越しに声をかけてきた。
「今日は一人じゃないのか。誰だそいつ。見ない顔だな」
「カイル・ルフォード伍長。新人」アキは素っ気なく返答する。男はアキのそういう態度には慣れているようで、ただでさえ大きな目を見開いて邪気のない目つきで俺たちを眺めていた。
「本日付けで配属になりました。宜しくお願いします」俺がそういって、頭を下げると、
「なんだ。ずいぶんと丁寧だな。国境じゃないな。首都からきたのか」と言って、鍋の火を止めて、俺たちの方に歩いてきた。
「俺は、ビクセン。糧食班長だ。よろしくな」
「こちらこそ」なんだか軍曹というより酒場の親父みたいだと俺は思った。後でわかったことだが、ビクセン軍曹の実家はまさしく酒場を経営していて、次男だったビクセン軍曹は実家の酒場を長男が継いだあとに、軍に入ったらしい。料理の腕もさることながら、馬鹿みたいに大きな調理器具類を扱える筋力を見込まれてのことだと聞いた。たしかに腹も、腕も、あごにも盛大に肉がつき、筋肉と脂肪が大量に骨にまとわりついている感のあるビクセン軍曹には、ぴったりの配置だと思う。
「今日は、お前の好きなやつだぞ。アキ。セルーラ地鳥の香辛料いためだ」ビクセン軍曹が調理場の大鍋を指差しながら言う。
「我ながらいい出来だ。うちの実家の味付けだけどな」
「ビクセン軍曹の作る料理は私の母の作る味に似ている。容姿は母には全く似てないけれど」アキが俺の方をみて、こころなしか柔らかく感じる無表情で言う。笑った方がいいところなのだろうか。
「楽しみだな」俺はそう答える。前にいた首都警備隊の糧食はいまいち味が悪かった。まあ、首都の部隊にはこんないかにも酒場の親父みたいな糧食班長はいなかったし、レシピを化学の実験の指示書のようにしか扱えない応用力のない糧食班長の元、栄養素だけをかろうじて提供しているようなありさまだった。ビクセン軍曹の腕前は、アキの言葉から推測するに結構な腕前と見た。
「そっちのトレイをとって、カウンターに」アキが俺に指示する。俺は言われた通りにアルミ製のなんだか複雑にへこんだり、傷がついたりしているトレイをカウンターに置いた。ビクセン軍曹がそのトレイに盛大に料理を盛りつけていく。
「がんがん食えよ。若いんだから」盛りつけながら豪快に笑っている。他の糧食班員もなんだかビクセン軍曹に感化されているのか、兵隊というよりも酒場の店員兼調理人見習いのような雰囲気を醸し出している。俺は重量が大幅に増したトレイをもって一足先に着席しているアキの向かいに座った。
「あそこにデザート代わりのフルーツがある」アキが俺の後方を指差す。竹を編んで作った大きな籠に、林檎やら、グループフルーツやら、オレンジやらが大量に積んである。アキは席を立って、そちらに歩いていく。俺もその後に続く。籠の前にくると、果物独特のさわやかな甘い香りがする。アキはグレープフルーツを一つ無造作につかみ取る。そして、
「一人一つ」そう俺に説明する。俺は、幾種類かのフルーツから、大きめの林檎を選んで掴もうとする。すると、アキが俺の腕に軽く触れてその動きを止めた。
「どうした?」俺がそう聞くと、アキは、自分が取ったグレープフルーツを俺に見せながら、
「グレープフルーツは体の筋肉を柔らかくする。ナイフを上達させたいなら、こっちの方がいい」と言った。なんだかやたらと自信に満ちた目つきでそう断言されると、俺は林檎の方がいいだとか、酸っぱいのはあんまり好きじゃないなどとは答えにくく、俺は
「ありがとう」とだけ答えて、グレープフルーツを一つ掴んだ。
「うまい」俺は料理を口にし、そう呟いて、しばらく言葉が出ない。ビクセン軍曹すいません。見くびってました。と心の中で呟く。美味しいのだろうと思ってはいたが、軍の糧食レベルを遥かに超えるその出来に俺は素直に驚いていた。
「外の店よりここがいいという人が多い」アキはそう応じる。一日こいつの表情を見ていると、無表情ながら微妙に変化があるのがわかる。今の表情もお世辞にも表情豊かとは言えず、ぱっと見はやはり無表情としかいいようがないのだが、美味しい料理を喜んでいるのだろうというのは朧げながらわかるようになった。
「糧食を少し兵舎まで持ち帰って、酒の肴にする人もいる」そうだろうと思う。酒が欲しい。香辛料の辛みと鶏肉の脂の甘さが絶妙だ。蒸留酒や、ビールと合わせるとさぞ美味しいことだろう。
「私たちの班はビクセン軍曹と仲がいい。時々、兵舎での飲酒時にこっそり糧食の余りをもらえることがある」アキは酒を欲しがっている俺の心中を見透かしたかのように、少し声の声量を落として呟く。
「それはありがたい話だな」俺はそう答える。
「この鶏肉炒めはビクセン軍曹の得意料理。ビールがあると美味しさが三割増だとラルフ曹長は言っていた」アキは、食べ終わったトレイに、グレープフルーツの皮を乗せる。俺もやたら固いグレープフルーツの皮を剥くのに苦労しながら、その様子をぼんやりと眺めていた。食堂はもう満員状態になっており、一足先に食べ終えた俺たちの回りも込み合ってきていた。
「お茶をついでくる」アキがそう言って席を立つ。
「俺が注いでくるよ。新人だからな」俺はアキを座らせ、調理場カウンターの隅のポットの所まで歩く。このだだっ広い食堂では、ちょっとした距離がある。カウンターに着くと、ちょうど、盛りつけや、配膳が終了した頃で、調理場におかれたぼろぼろのスツールにビクセン軍曹が座っているのが見えた。俺の姿を確認すると、ビクセン軍曹が俺のところまで歩いてくる。
「どうだった。気に入ったか」少し得意げにビクセン軍曹がそう言った。
「はい。正直首都の糧食とは格が違う感じです」俺は正直な感想を言う。
「……酒が飲みたくなりました」そう付け加えるのも忘れずに。ビクセン軍曹はそれを聞いて大きな声で笑う。
「俺は酒場出身だからな。俺の料理が酒に合うのは当たり前だ」そういいながら、ビクセン軍曹は一人でぽつんと座っているアキの方を見た。
「アキと仲良くしてやってくれ。あんな感じだからな。いっつも一人で飯を食いにくるし、班の連中とはそれなりにうまくやってるみたいだが、なんだか寂しそうでなあ」まるでアキの父親にでもなったような口ぶりでビクセン軍曹が言う。確かにそうかもしれない。アキは浮いているというのではなく、人とうまくコミュニケーションがとれないのだろう。俺とそう年が違うようにも見えない。若いうちは少しは感情的になってもいいのではと思う。まあ、何かの拍子に怒り狂ってナイフで今日聞いた話みたいに上官に斬りつけたりしても困るのだが。
「笑ったり、怒ったりってのは誰かが一緒じゃないと出来ないからな」ビクセン軍曹がそう付け加える。俺はお茶を二つのカップに注ぎながら、その言葉にすこし重いものを感じた。セルーラ剣舞をアキが辞めた理由。剣舞は双子の片割れが一緒でないと出来ない。あいつは姉だか妹だかを失ったときに、剣舞を辞めるだけでなく、誰かと何かをするということ自体を最低限の事以外は避けてしまうようになってしまったのだろうか。そんな事を考えていると俺の背中に鈍い衝撃があって、俺は驚いてカップをひっくり返しそうになる。ビクセン軍曹が俺の背中を平手で叩いていた。
「頼むぜ。新人伍長。あいつが誰かつれてくるなんざ初めて見たからな」ビクセン軍曹はそういうと調理場の奥に戻っていく。俺もカップを両手に持つと、アキが一人で座っているテーブルまで戻る。
「何か言われた?ビクセン軍曹に」アキはお茶を啜りながら俺に問いかける。
「うまかったかってさ」俺は仲良くしてやれとかそういう事を言われたということは言わなかった。こいつはそういう風に人に気を使われる事に慣れてないような気がしたからだ。
「そう」アキは俺の前にグレープフルーツをおく。まだ皮を剥いていないやつだ。
「明日の朝、食べるといい。絞って、ジュースにすると寝起きにいい」
「一人一個じゃなかったか?」俺がそう聞くと、
「余っているものは好きに持って帰っていいようになっている」と答える。よく見ると、俺の分だけではなく、自分の分のグレープフルーツもアキは確保していた。俺たちはフルーツを抱えたまま、食堂を出る。兵舎までの道のりを、アキは規則正しい歩調ですたすたと歩いていく。その後をついて歩きながら、せめて勝てないまでも少しはナイフの腕を磨こうと俺は考えていた。手にしたグレープフルーツを眺めながら。