首都編 6章
翌日、あからさまに眠気を隠せない表情のまま、俺は十時きっかりに迎えにきた車に乗る。運転席にはアキが座っており、安全運転の見本のような正確な動作で車をスタートさせる。
「で、今日の行き先なんだけど」クリス少尉はそう言って、手にしていた書類を俺に放る。受け取ったその書類には、なにやら複雑な地形図が書かれており、俺にはそれがどこなのか一目では解らなかった。
「どこですか、これ」俺がそう言うと、クリス少尉はため息まじりに笑う。
「ブルームと首都の間さ。レーダーサイトがあるだろ。セルーラ国内最大の防空レーダーサイトだ。それくらい察してくれよ」改めて地図をよく見ると、確かに、今走っている首都への幹線道路の両脇を挟むようにレーダーサイトが点在しているのが解る。
「俺たちは参謀府に所属になるが、出勤するのは、首都参謀府じゃない。首都とブルームの間に小さな集落があるだろ?」クリス少尉が言うように、地図の幹線道路を辿って行くと集落らしき記号がある。
「その集落に軍の施設がある。レーダーサイトに付随する小規模なコンピュータ解析施設さ。そこの空き部屋を一つもらった。併設する寮の部屋も二室確保している」
「あの、寮が二室っていうのは……」俺が嫌な予感を胸に抱きながら尋ねると、クリス少尉は俺が予想した通りのいたずら小僧のような笑顔を浮かべて、
「お前は実家から通え。片道で一時間くらいなんだからさ」と答えた。
約一時間後、集落に俺たちは到着した。古い家が二十軒ほど集まっている小さな集落だ。その中心に、場違いな三階建てのビルと、併設した小さな二階建ての建物がある。クリス少尉とアキは荷物を置いてくると言い残し、三階建てのビルの方に入っていく。おそらく三階建てが寮で、二階建てが今日からの俺たちの勤務場所であるコンピュータ解析施設なのだろう。俺は二階建てのビルを見上げる。コンクリート打ち放しの外壁、屋上にたてられた大量のアンテナ。どう見ても牧歌的なこの集落には場違い以外の何者でもなかった。
しばらくして戻ってきたクリス少尉に付き従って、俺とアキはビルに入って行く。入り口の警備兵にクリス少尉が名前を名乗ると、ひどく丁重な態度で俺たちはビルの二階の奥にある一室に案内された。部屋の中には机が六つと、パソコンが数台しかない。殺風景な光景を見て、クリス少尉が一つため息をついた。
「まあ、しょうがないか」クリス少尉はそう呟いて、椅子に腰掛ける。座るよう促された俺たちもクリス少尉の机に隣接した机の椅子に座った。
「さて、今後の話をしようか」真剣な表情でクリス少尉が話し始める。
「我々が置かれている状況はアキも、カイルも知っての通りだ。ポイントは二点、レーダーサイトが狙われているという点、そして、潜入しているというボスト特殊部隊をどういぶりだすかと言う点だ。まあ、あのボスト外務省の男の言う事を信用するなら、という前提つきだが」クリス少尉のその言葉を聞いて、俺とアキは頷く。
「で、今後だ。我々はボスト特殊部隊の侵入が事実であると仮定し、本レーダーサイト内部を精査し、周辺地理の調査を併せて行い、想定されるボスト特殊部隊の襲撃からの防御計画を策定する」クリス少尉は椅子から立ち上がると、壁際のホワイトボードまで歩き、大きな円をボードの中心に描く。
「これが首都の防空圏だと仮定する。防空圏というのは、アキもカイルもご存知の通り、レーダーが効く範囲ってことだ。要はここに入ってきた未確認の航空機は補足できるという範囲だ」そこまで言い終えると、クリス少尉はその円の中に小さな円を一つ書く。
「この小さな円が首都そのものだ。首都をすっぽりと包むこの防空圏を構築しているのが、今、俺たちがいるここ、首都中央防空レーダーサイトだな。ここをやられると、首都の空に何が飛んできても解らなくなる。おそらく、ボストは、レーダーサイトを無力化すると同時に戦闘機で空襲を掛ける気だろう。セルーラの戦闘機が飛ぶ前におそらく滑走路か、格納庫をやられる」俺は、セルーラの戦闘機が飛び立つ間もないまま、爆撃され、破壊される光景を想像する。空軍が頼りのセルーラでそんな事が起これば、おそらく陸軍だけでは支えきれないであろう事は、一兵卒の俺にも解った。
「しかし、だ。ボストのレーダーサイト無力化工作を防ぎきればどうだろう。おそらく、ボストの戦闘機はセルーラの領空には入れない。空軍同士の衝突なら、セルーラの方に分があるからな。空軍の支援を得れば、俺たち陸軍も国境からのボストの侵略を抑えきれる」クリス少尉はそこまでを一気に語り終えると、一息ついて、椅子に座った。
「少尉」アキが口を開く。クリス少尉がアキの方を向いて、質問か、と言うと、アキは小さく頷く。
「レーダーサイトは一つではないはず。他のレーダーサイトは?」アキのその言葉に、クリス少尉が立ち上がり、再びホワイトボードに向き直る。
「セルーラ国内のレーダーサイトは全部で七つ。それぞれに俺たちみたいな参謀府からの派遣参謀がいる。特殊作戦群が国境地帯から戻り次第、各レーダーサイトに均等分割の上、配属される」クリス少尉はホワイトボードに七つの円を書く。
「これが各レーダーサイトだと仮定しようか。このそれぞれに特殊作戦群と、ケビン大佐の配下の参謀府人員が配置されると言う訳だな。実際、ボストの特殊部隊がどの程度の人数でどういう作戦でレーダーサイトを潰しにくるかは解らない。俺たちは出来るだけ迅速に、周辺地理の調査と基地内部の精査を行い、自分が敵だったらどう攻めるかを徹底的に検討する」俺はクリス少尉のその言葉を聞きながら、疑問が頭に浮かぶ。果たしてボストは俺たちが準備を整えるまでぼんやりと待っていてくれるのかという疑問だ。俺がボストであれば、さっさと特殊作戦群の到着前にレーダーサイトを破壊するだろう。
「クリス少尉。ボストがのんびりと我々の準備が整うまで待っているとは思えません。彼らは彼らなりの手段でレーダーサイトを監視しているはずです。警備が厳重になり、部隊配置がなされれば、彼らも勘付くはずです」俺の言葉に、クリス少尉は頷く。
「わかってるさ。カイル、お前、ボストが特殊部隊をいつ頃攻撃させると思う?」突然の質問に俺は戸惑う。その様子をクリス少尉は楽しげに眺めている。沈黙したままの俺にクリス少尉がさらに言葉を続けた。
「ボストの空軍を連携させるために、彼らはセルーラのレーダーサイトを破壊しようとしている。とすれば、奇襲はボスト空軍の準備が整ってからと言う事になる。エイジア、セルーラ双方の主要空軍基地に対する奇襲だ。当然準備は大規模になる。ボスト空軍の使用する兵器はおそらく単体で破壊力の強い気化爆弾か、化学兵器だ。広範囲の地域を一気に潰す必要がある訳だからな」
「その準備が既に終わっているという事は無いのですか」俺のその問いにクリス少尉は自信に満ちあふれた笑みを浮かべて、ない、と答えた。
「ボストは国内にそれらの兵器の備蓄を持たない。ボスト空軍は、空対空ミサイル、つまり、戦闘機を戦闘機で落とすための兵器しか持っていないからな。かといって自前で製造できるかと言えばそれも不可だ。ボストはこれらの武器をどこからか調達してこなければならない。おそらくそれらの武器を提供する国がどこかにあるはずさ。俺はロシアか中国だと睨んでいるがな。アメリカが連邦本部に石油の話を持ちかけているのに、ロシアや中国が黙っているとは考えにくいだろ。多分だが、ボストをそそのかしているのはアメリカと資源を巡って争っているこの二国だよ」
「なぜ、それが、ボストが準備を終えていないという確証につながるのですか」
「中国、もしくはロシアからそれだけ大量の武器を運ぼうとすれば、当然陸路は無理だ。中間にイタリアやギリシャといったアメリカ寄りの国がいるからな。であれば残るは空路か、海路だ。このうち、空路はあり得ない。必然的にセルーラやエイジアの上空を経過しないとボストにはたどり着けないからだ」
「残るは海路と言う訳ですね」
「そう。海路であれば、中間にどこの国も挟まずに、ロシア、中国からの荷を運ぶことができる」クリス少尉はそう言って、俺を見る。
「で、あれば、我々は海路を監視すればいい、という事ですね」
「そう言う事だ。既に海軍の巡視船数船が配備についている。ボストに行くのであればどの船でも通らなければならない海峡、ディナス海峡にだ。連邦がロシアや中国の船船を検閲するのが手っ取り早いといえばそうなんだが、弱小国の運命だな。それは出来ない。外交問題にでもなれば俺たちはひとたまりも無いからだ。だが、ここを通過する日時で、そこからどのくらいの日数でボストまでその船がたどり着くかは解る。いくらボストの特殊部隊がレーダーサイトの警戒態勢に気付いても、その船がこない限りは攻撃できん。船がボストに着くまでに、レーダーサイトをどれだけ固められるかが勝負だよ」
「あと、数日で攻撃が可能になる、と言う所までは解る訳ですね」俺がそう言うと、クリス少尉が大きく頷いた。
「そうだ。今の所、不審な船舶は確認されていない。セルーラとエイジアの巡視船に怯えて、ボストまで行かずに引き返してくれれば、言う事はないんだがな。まあ、そう簡単には行かないだろう」クリス少尉はそこまで話終えると、机の端を指先で軽く叩き、俺たちを見た。
「まあ、どちらにせよ、時間が沢山あるという訳ではない。すぐにでも調査にかかる必要がある。アキは基地内の精査をレーダーサイト職員と連携して進めてくれ。図面入手の上、侵入の可能性がある経路を徹底的に洗え。カイルは地形の調査だ。周辺の地形を諜報部と合同で調査して、アキと同じく侵入の可能性のある経路を徹底的に洗うように。時間は二十一時までだ。二十一時になった時点で交代の参謀府人員が来る。これから毎日、二交代制で二十四時間調査を行う」クリス少尉のその言葉が終わると同時に俺たちは全員立ち上がる。そして、アキはレーダーサイト職員を伴って、そして俺はいつの間にか部屋のドアの前に待機していた暗い目つきの諜報部員と共に、それぞれの仕事に向かった。
暗い目つきをした諜報部員は俺が名前を聞いても名乗らなかった。なんでも名乗る事自体を禁止されているらしい。妙な話だ。年は俺より若干上に見える。おそろしく暗い目つきと、やたらと素早く、気配を感じさせない身のこなしを見ていると、とても気軽に話しかけてみようという気にはならなかった。建物を出て、集落の出口まで、殆ど無言で俺たちは歩いた。
「ええと、どこから、やりましょうかね」集落の出口で、俺が沈黙に耐えかねてそう聞くと、諜報部員は俺の目をまっすぐに見据える。
「……高台の方から、レーダーサイトを見下ろせる位置を探します」諜報部員はそれだけを告げる。長い髪が、眉毛と目をほぼ隠していて、それがよりいっそうこの諜報部員を暗く見せていた。
「あの、ですね。やっぱり名前が無いと、呼びかけにくいんです。何かニックネームとかでも構わないので、教えてくれませんか」俺がそう言うと、諜報部員はにこりともせずに即答する。
「性別は女、年は二五、ということで、Famale(女性)のFと二五を足して呼べば良いのでは。識別コード上はそうなっています」
「F二五さん、ということで、良いんですか?」
「構いません」諜報部員はそう答える。俺は気付かれないように小さくため息をついた。
「この高台からは、迫撃砲でレーダーサイトを攻撃できますね。RPG(携帯型無反動砲)であれば、レーダーサイト本体まで破壊できる可能性がある」 F二五さんはそう言いながら、携帯用に小さく折り畳んだ地図を広げ、蛍光ペンでマーキングをしていく。俺はその様子を見ながら、もし俺だったら、ここから狙撃できるな、と呟いていた。F二五さんは俺のその言葉に少し反応する。
「あなたは狙撃手なのですか?」
「はい。もっとも、最近は狙撃の練習の機会も無くて、腕が落ちていないか心配ですが」俺がそう言うと、F二五さんは少しだけ唇を動かして笑った。
「本当に身に付いたものというものは、なかなか衰えないものです。衰えが少ないうちにできるだけ早く訓練を再開する事ですね」
「そうしたいのは山々なんですけどね。なにぶん、狙撃銃も無いような有様で」俺がそう言うと、F二五は俺に目を向ける。
「用意させます。すぐに。明日中には届くでしょう」
「いえ、悪いですから」そう答えた俺を不思議な動物に出会ったような目つきでF二五は凝視する。
「悪く、はありません。戦闘になれば、必要なものです。不慣れな武器で戦うよりは、慣れた武器で戦ってもらう方が良い。そうでしょう」その言葉に俺は反論できず、はい、とだけ答える。
「制式のDFG-3M狙撃銃でいいのですか」F二五は次に移動する地点を地図で検討しながら、俺にそう聞く。聞き慣れた銃の名前。首都警備隊狙撃小隊にいた時に俺の使用していた銃だ。
「それでお願いします」俺がそう言って頭を下げると、F二五は前髪を掻き揚げて、微かではあるが笑った。前髪に隠されていた目が露になると、性別から年までなんとなく曖昧に見えていたF二五の容姿が、はっきりと女性として認識できる。
「あの、F二五さん?」
「なんでしょうか」F二五が地図から目を上げて俺を見る。
「その髪型とかって、やっぱり、人の印象に残りにくいようにするためのものなんですか?」そう聞いた俺を、F二五は不意をつかれたイヌ科の獣の様な目で見る。
「……まあ、そう言うものかもしれませんね。我々の仕事は存在感を消せば消すほど有利になります」F二五はごまかすようにそう答えて、歩き出す。
「急ぎましょう。ゆっくりしている時間はありません」続けて発せられたF二五のその言葉に俺は無言で従う。
二十一時までに合計十四カ所のピックアップを終え、俺とF二五はコンピュータ解析施設に戻った。建物の入り口でF二五は、それではこれで、と言い残し、集落の出口に向かって歩いて行く。
「ただいま戻りました」俺は部屋でパソコンのキーを強すぎる力で派手な音を立てながらタイピングしているクリス少尉にそう報告する。クリス少尉はモニタから目を上げ、俺の方を見ると微かに笑う。
「どうだ、諜報部の連中は。面白いだろ」俺を楽しげに眺めながら、クリス少尉はそう聞いた。
「悪い人では無いようですが、まあ、変わってはいますね。名前、教えてもらえませんでしたよ」俺がそう言うと、クリス少尉は、あたりまえだろ、と呟く。
「あそこは徹底している。名前から経歴までほとんどを隠してしまうんだ。仕事柄、そっちの方が都合がいいんだろうな」そう続けられたクリス少尉の言葉に俺は頷く。
「それは解りますが。自分には無理そうです。諜報部の仕事は」
「だろうな。だから俺の所に付いてるんだろ。適材適所ってやつだな」クリス少尉が何故だか得意げな表情を浮かべて言う。こんな変人が上官であれば、おのずと下にもそれなりの素質が求められる。適応したくない環境ではあるが、まあ、しょうがないとも言える。
「今日は、これで」黙って報告書と図面を作成していたアキがそう言って部屋から出て行く。俺は、クリス少尉から車のキーを受け取り、失礼します、とだけ伝えると外に出て、車に乗り込む。車中に積んだままの俺の荷物だけが、後部座席に転がっていた。俺は、その荷物を見ながら、昨日、実家で寝る所も無く、リビングのソファーで寝る羽目になった事を思い出す。とりあえず、家に着いたら納屋辺りに寝床を作ろうか、と俺は考える。空いた木箱を積んで、シーツとマットレスでも乗せればベッド代わりにはなるだろう。まあ、寝る所と飯を食う所があるだけ、マシだな、などと考えながら、俺は車を走らせる。ヘッドライト以外明かりの無い、山間の幹線道路を走りながら、リーフが母さんに変な事をされてなければいいんだが、などと、微かな不安が頭をよぎった。