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国境の空  作者: SKYWORD
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首都編 4章


 俺の故郷でもある次の目的地、ブルームは、首都から南方に三時間ほど車を走らせた先にある。セルーラで最大の流量を誇るルシア川のほとりにある小さな町だ。元々が川辺にある町という事もあって、町には幾筋もの小さな水路が張り巡らされている。セルーラでは、ブルームを水都という別名で呼ぶ事もある位だ。


「あれ、きれいだね」助手席のリーフが外の景色を見ながら言う。ブルームに張り巡らされた水路は、夜には車や人が落ちないようにという配慮もあって、控えめではあるがライトアップされている。生まれてから十八年間をここで過ごした俺にとっては、珍しくも何ともない光景ではあるが、初めてブルームを訪れたリーフは、ライトアップされたそれらの水路や、白い漆喰塗りの壁と青い屋根というセルーラの伝統的な家屋が立ち並ぶ光景を、嬉しそうに身を乗り出して眺めている。

「なんか良い所だよな。ムードあるし。観光地にでもすると人気出るかもな」クリス少尉がそう呟く。観光施設の建設の話はいままでに無かった訳ではないようだが、その度に、静かな暮らしを破壊されたくない住民の運動で、うやむやになったらしいと俺は聞いた事があった。俺が、難しいかもしれませんね、と言うと、クリス少尉は、いいと思うんだけどなあ、と呟き、同意を求めるようにアキを見る。

「多分、このままがいい」アキは小さな声ではあるが、はっきりとそう答えた。クリス少尉はその返答を聞いてしばらく何かを考えるようなそぶりをしていたが、そうかもな、と呟くと、後部座席の背もたれに寄りかかり、目を閉じる。


 町で一番大きな水路沿いに車を走らせて、小規模な商店街の入り口で俺は車を止める。皆で車を降りて酒場以外の殆どの店が閉まっている商店街を歩き、俺が白い漆喰塗りの壁に「ルフォードベーカリー」と書かれた小さな店舗兼住宅のインターフォンのボタンを押すと、二回ほど呼び出し音が鳴って、ドアが開いた。

「あら、お帰りなさい」急いで出てきたのだろう、白い調理服のままの母さんが、笑顔でそう言った。会うのは久しぶりだが、相変わらず元気そうだった。

「ただいま」俺がそう言うと、母さんは、何ヶ月ぶりかしらねえ、などと呟き、俺の背後に並んでいるクリス少尉、アキ、リーフに視線を移す。

「セルーラ陸軍、参謀府のクリスと申します。この度のご配慮、感謝いたします」クリス少尉が、やたら丁寧に挨拶すると、母さんは頭を下げたクリス少尉に、あらあらご丁寧に、と嬉しそうに声をかける。

「とりあえず、中に入っていいかな?挨拶は後でいいだろ」俺がそう言うと、母さんは、この子はちっとも変わらないわねえ、と呟き、中へどうぞ、と笑顔で俺たちを中に入るよう促す。久しぶりに帰ってきた家の中からは、懐かしい、パンを焼く香ばしい匂いがした。


「リーフお嬢様を受け入れていただいたこと、陸軍を代表して深く感謝いたします」リビングと呼ぶのにも気が引ける狭い部屋に通され、そこに置かれた安物のソファーに座ったクリス少尉は、俺の母親にそう切り出す。俺はクリス少尉を見ながら、印象をここまで変えるというのもある種の才能だなと思う。知らない人が見れば、さぞかし紳士な軍人に見える事だろう。実際は紳士どころか、詐欺師すれすれの大嘘つきだ。いきなりお嬢様などと呼ばれたリーフは、顔を赤らめ、俯いてしまった。なんとなく俯きたくなる気持ちは解るような気がする。

「いえいえ、良いんですよ。息子も、そちらのお嬢さんのお父様にお世話になったと聞いてますし」そう答えた母親の姿を観察するに、微塵の疑いも抱いていないようだ。俺は安心しながらも多少の罪悪感を感じる。

「カイル君も私も、あの方に、ああ、すいません。機密に当たるので名前は伏せさせていただきますが、お嬢様のお父上には大変お世話になりました」クリス少尉はそう言って、今までに俺が一度も見た事のない、なんだか普通の上司のような穏やかでなおかつ優しさを込めた視線を俺とアキに向ける。

「あちらの黒髪の女性が、私の副官でアキといいます。カイル君とは同僚になりますが、今回の件では、彼女にも協力をしてもらっています」アキがその言葉を受けて、椅子から立ち上がり、宜しくお願いします、といつも通りの冷静な口調で挨拶をする。


「そちらのカエタナのお嬢さんが、リーフさん?」母さんがリーフの方を見てそう尋ねると、赤面したまま俯いていたリーフが顔を上げ、お世話になります、とか細い声で言う。母さんはしばらく興味深げにリーフを眺めていたが、やがて、俺を見ると、何故かにやにやとした笑みを浮かべる。

「なに?」俺がそう聞くと、母さんは、なんでもないわよ、と表情を変えずに言う。

「お嬢様は、あまり、セルーラに慣れてはおられません。カイル君から、聞いておられますか?」丁寧に、穏やかな口調でクリス少尉が母さんに尋ねる。

「お父様が病気になられた、とは聞いているけれど」クリス少尉は母さんのその言葉に小さく頷く。

「いままでお嬢様はルクセンブルグに留学しておられました。私とカイル君が初めてお嬢様にお会いしたのは一年前に休暇でご帰国された時です。幼少のみぎりから、海外で過ごされる事が多かった事もあって、セルーラでの生活にはあまり慣れておられません」クリス少尉はそこまで話すと、何かを促すようにリーフを見る。自分に視線が集まっている事に気付いたリーフは、明らかに狼狽した様子で、口を開く。

「あ、あの、ご迷惑を、かける事も多いと思うので、気付いたことがあったら、なんでも言って下さい」消え入りそうな声で、リーフがそう言うと、母さんはリーフに優しげな笑顔を向ける。

「気にしなくていいのよ。同じカエタナなんだし。すぐに慣れると思うわ。うちはお店をやってるから、いろいろと騒がしいけど、勘弁してね」母さんのその言葉にリーフは大きく首を振って、とんでもないです、と答える。クリス少尉はその様子を満足げに眺めると、さらに話を展開させて行く。一から十までの嘘話を。

「ところで、ラフォード様はどちらに?よろしければご挨拶をさせていただきたいのですが」クリス少尉が言ったラフォード様という人物が、俺の父親を指している事に気付くのに俺はしばらく時間がかかった。父親はいつも店長とか、パン屋さんとかそんな風にしか呼ばれていないからだ。ラフォード様などと呼ばれたら、父親自身自分の事だとは気付かないだろうと思う。

「ああ、あの人は今日は寄り合いなのよ。商店街の。水神宮にいってるわ」ブルームでは大体毎月九日に、寄り合いという名目で、商店街の店主たちが集まり、水神宮というブルームの水神を祭った小さな祠の前で酒盛りをしている。俺も小さな頃何度か父親に連れて行かれた事があった。

「そうなのですか。ラフォード様も今回の件はご存知なのでしょうか?」クリス少尉がそう言うと、母さんは大きく頷く。

「構わないって言ってたわ。あの人はもともと細かい事は気にしない人だから」確かに、俺の父親は鷹揚というか、無関心というか、もっと端的に言うならぼんやりとした人だ。あの父親なら、今回の件を聞かされても大して動揺しないだろうと思う。

「安心しました。お嬢様のお父上も気にされて居られましたので」クリス少尉は、心からほっとした、と言わんばかりの表情を母さんに向ける。

「あの方の病気がいつ回復するか、正直、医者も解らないというのが実情です。ひょっとすると、お嬢様を預かっていただく期間もかなり長くなる可能性があります。大丈夫でしょうか?」クリス少尉がそう問うと、母さんは不意に俺の方を見る。

「リーフさんは幾つだったかしら?」

「電話で言ったろ。十七歳だよ」俺がそう指摘すると、母さんは、最近物忘れがねえ、と呟く。

「一年でも二年でも居たらいいわ。私、娘が欲しかったのよねえ。こんな感じの可愛い娘さんが」母さんがそう言って、リーフの顔を覗き込むと、リーフは顔を赤らめ、何かを言おうとするが、結局言葉にならず、ただ黙って母さんに頭を下げる。

「もちろん、お預かりしていただいている期間、軍からはそれなりの援助をさせていただきます」クリス少尉がそう言うと、母さんは何かを思いついたような表情をして、クリス少尉を見る。

「あ、その件だけど、うちの人が、お金はいらないっていってるのよね。カイルも世話になってる人だろ、お互い様だ。って言ってたわ」母さんのその言葉にクリス少尉は大きく首を振る。

「そう言う訳には参りません。私があの方に会わせる顔が無くなってしまいます」

「でも、うちの人も、ああいう感じで言い出すと、引かないのよね。クリスさんのほうで、リーフちゃんの将来に備えて積み立てておくというのはどうかしら?」

「そうは言いましても」クリス少尉は本当に戸惑っているという感じの表情を浮かべている。俺はその様子を見ながら、この人は実は結構楽しんでるんじゃないかと思う。しばらくの間、クリス少尉はその表情を浮かべ、何かを考えるような仕草をしていたが、やがてため息とともに口を開く。

「わかりました。あの方にはその旨お伝えしておきます。もし、金銭的にも、なにか他の事でも、困るような事があればすぐに伝えて下さい」クリス少尉のその言葉に母さんが頷き、ごめんなさいね、と言うと、クリス少尉は、こちらの方こそ申し訳ありません、と頭を下げる。


 挨拶も、嘘話も終わり、母さんが煎れてくれたお茶を俺たちが飲み終わると、母さんはリーフに、部屋を案内しとくわね、と言う。何となく俺も一緒にリーフと母さんの後について、かつての俺の部屋に向かう。そして、ドアが開けられた瞬間、俺は絶句する。

「母さん、あの、これ、何?」もともとがベッドと机と小さな本棚だけの殺風景な光景だった俺の部屋は、著しく変貌していた。窓にはピンク色のカーテンが掛けられ、むき出しのフローリングだった床には毛足の長い白い絨毯が敷かれていた。机の変わりに鏡台が置かれ、ベッドは俺が愛用していたブルーのシーツと掛け布団から、カーテンの色に合わせたピンク色のものに変わっている。ご丁寧に小さなぬいぐるみまで枕元に置かれており、俺がリーフの方を見ると、リーフは唖然とした表情を浮かべたまま、固まっている。

「母さんねえ、娘がいたらこんな部屋にしたかったのよねえ」母さん一人が嬉しそうにそう言った。

「あのさ、母さん。俺の家具とか本とかは、」俺が最後まで言い終わる前に、母さんは、納屋に移したわよ、と言う。まあ、納屋に移そうが、捨てようが構わないと言えば構わないののだが、まさか、こんな女の子趣味な部屋に改造されているとは夢にも思わず、俺はしばらく、言葉を発せないでいた。

「リーフちゃん。明日になったら、洋服を買いにいきましょうね」母さんが嬉しそうにリーフに告げると、リーフは我に返ったのだろう。焦りを隠せない様子で、いえ、いいですから、と言う。

「いいのよ。気にしなくて。着せたい服も選んであるの。そんな軍服より、もっと似合うと思うわ」母さんがそう言うと、リーフは縋るような目つきで俺を見た。俺は小さくため息をついて、母さんを見る。

「母さん。リーフは十七歳だからね。フリルやらがついた妙な服を選んだりしないでくれよ」俺は、小さな頃、母さんに無理矢理女物の服を着せられた、煮詰めたエスプレッソよりも苦い思い出を思い出す。

「解ってるわよ。大丈夫」母さんは自信たっぷりにそう断言する。どうやら、俺やリーフが何を言っても聞きそうにない。


 アキとクリス少尉は、帰ってきた俺とリーフと母さんに、それでは、そろそろお暇いたします。と告げる。

「もう夜も遅い事ですし、また、改めて、ラフォード様にもご挨拶にお伺いします」クリス少尉はそう言って、椅子から立ち上がる。

「カイル君、君は実家に泊まってもらって構わない。外泊の許可は取ってある。今日はもう遅いしね。私とアキは近くの軍施設に宿泊する。明日の朝、迎えにくるから、十時には出発の準備をしておくようにね」いままでの付き合いで聞いた事も無いような口調でクリス少尉が俺にそう告げる。この人は俺の親の前ではこの人物設定を貫くつもりなのだろう。

「ごめんなさいね。うちがもう少し広ければ、皆さん泊めてあげられるのだけど」母さんが申し訳なさそうにそう言うと、クリス少尉はさわやかな笑顔で、お気になさらないで下さい、と言った。


 止めてある車まで、クリス少尉とアキを送りながら、俺は、こんな嘘いつまでばれないと思ってるんですか、とクリス少尉に聞いてみる。

「ずっとだよ」クリス少尉は自信たっぷりにそう答える。

「やりすぎ」アキが短くそう言って、ため息をついた。俺も同感だ。

「それにしても、本当に演技がお上手ですね。感心しましたよ」俺が皮肉まじりにそう言うと、アキも頷いている。

「俺、得意なんだよね、ああいうの」皮肉を皮肉とも受け取らず、相変わらず自信に満ちた口調でクリス少尉はそう答える。そして、車まで到着すると、運転席のドアを開けながら、クリス少尉は俺を楽しげな眼差しで眺め、見覚えのある紙製の箱形容器に入った弁当を二箱、車から取りだし、俺に渡す。

「晩飯、食ってなかった。お前とリーフの分だ。仲良く一緒に食べたら良いさ」

「少尉も、アキと仲良く召し上がって下さいね」俺がなかばやけになってそう言うと、そうしますよ、とおどけたようにクリス少尉は答える。助手席に座ったアキが小さくため息をつく。


「明日は十時だからな。仲良くご飯を食べて、夜更かししないように」クリス少尉はそう言い残すと、エンジンを掛ける。二人を乗せた車が遠ざかって行くのを眺めながら、俺は、とりあえずはこれでいいんだよな、と誰に問いかけるでもなく、自問する。俺は、弁当を両手に抱え帰路を歩きながら、まあ、なんとかなるさ、と自答してみた。半ば自分に言い聞かせるように。


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