首都編 3章
運転を交代した俺がハンドルを握る横で、リーフは気持ち良さそうに眠っていて、正確に言えば、クリス少尉も、アキも後部座席で仲良く眠っている。もう既に車は首都郊外の市街地に入った。最初の目的地、参謀府まで、あと三十分程度といった所だろう。セルーラの首都、セルディス。俺が国境に赴任するまでの三年間を過ごした町だ。首都の名にふさわしい高層ビル、そして、それらのビルの狭間に奇妙なバランスで嵌り込んだセルーラの伝統建築の数々が、まるで不格好なモザイクのように組み上がった町。俺は、混雑し始めた幹線道路を避け、参謀府へと続く細道に進路を変更する。
「少尉、もうすぐ参謀府に到着します」俺がそう言うと、少尉は目を開け、狭い車内で窮屈そうに背伸びをする。
「参謀府には書類を出すだけだ。すぐ終わればいいな」クリス少尉の言葉に、俺は頷く。
参謀府は、市中心の官庁街にある。近代的なビルが多い官庁街にあって、古い赤煉瓦の外壁と、コロニアル調の壁面装飾を持った参謀府の建物は一際異彩を放っている。俺は参謀府の建物に隣接している駐車場に車を止め、五階建て、総煉瓦造りの参謀府の偉容をしばらく眺める。アキとリーフも、どうやら目を覚ましたらしい。二人は俺と同じく視線を目の前の建物に奪われている様に見えた。
「さ、いくぞ」クリス少尉のその言葉に促され、俺たちは車を降りる。参謀府の正面玄関を抜け、国境で俺たちが住んでいた兵舎が軽く十棟は入りそうな中庭を歩きながら、俺は周囲の外壁に施された装飾に目を奪われる。ふと、俺の隣を歩くリーフや、前をクリス少尉と並んで歩いているアキを見ると、二人も同じように落ち着かなさげに辺りを見回していた。
「なんだ、みんな。黙りこくって」クリス少尉が笑いを含んだ口調で言う。そして立ち止まると、こんなの古くてでかいだけだろ、と言い放った。
「少尉、誰かに聞かれたら怒られますよ」俺がそう言うと、少尉は、大丈夫だよ、と言って大きく背伸びをする。
「セルーラ陸軍、クリス少尉です。赴任の報告に参りました。ケビン大佐はいらっしゃいますか?」クリス少尉が、姿勢を正して受付にそう告げるのを見て、俺はこの人がこんな真面目な口調で喋っているのを本当に久しぶりに見た気がした。大体がいつもちゃらんぽらんな口調でへらへらと笑っている姿しか思い浮かばないだけに、ギャップが激しい。アキを見ると、アキも驚いたような、それでいて、半ば呆れたような表情をクリス少尉に向けていた。俺たちのそんな感想をよそに、受付の女兵士はカウンターのパソコンのキーを素早く叩き、三階にいらっしゃいますが場所はお分かりでしょうか、とモニタから目をそらさずに言う。どこか態度が横柄な気もするが、階級章を確認すると、俺と同じ伍長だった。俺はここが、軍の中でも選りすぐりのエリートが集う所だという事を今更ながら思い出し、少し憂鬱な気分になる。
歩き出したクリス少尉の後を、俺とアキとリーフはついていく。エレベータで三階に到着すると、開いたドアの向こうには長い廊下が走っており、その両脇に豪勢な装飾を施したオーク材のドアがいくつも並んでいる。クリス少尉は勝手知った家の中を歩くような足取りで、『参謀府 情報局 第二調査部長室』と書かれたドアの前まで歩き、ドアをノックする。
「クリスです」少尉がそう言い終わるか終わらないかというタイミングで、中から低い、それでいてよく通る声で、入れ、という返事が聞こえた。
ドアの向こうには、兵舎の食堂にあった六人用のテーブルと同じくらいの大きさの、どうみても高価な机が鎮座していて、その向こうに背の高い、初老の男が立っていた。白髪が交じり始めたグレイの髪をオールバックにしたその男は、ゆっくりと俺たちの方を振り向き、やがて、柔らかな笑みを浮かべた。
「赴任にあたり、辞令書を持参しました。ご確認をお願いします」クリス少尉はそう言って、出発前に兵舎で乱暴に書きなぐっていた書類の入った封筒を差し出す。おそらく、かなりの上の立場にいるであろうその人は、片手でそれを受け取ると、中身を取り出して一瞥し、汚い字だな、と呆れたように言った。クリス少尉はその言葉を聞いているのかいないのか、真面目な表情のまま、直立不動の体勢でいる。
「そっちの三人は初めてだな。情報局 第二調査部長のケビンだ。こいつの元教官をやっていた」クリス少尉を指差しながら、少尉の後ろで直立不動の姿勢を取っていた俺とアキとリーフに、その男はそう告げた。そして、俺たちは高級感の漂う応接セットに座るよう促される。
「真面目に挨拶も出来るようになったじゃないか」ケビン大佐は、口を開くなり、からかうようにクリス少尉にそう言った。ケビン大佐の横のソファーに腰掛けていたクリス少尉は、そうですよ、といつもの口調で答える。その飄々としたいつもの口調を聞いて、なんだか俺は少し緊張がほぐれていく気がした。
「まあ、つもる話もあるんだが、今日はそっちのカエタナのお嬢さんの護送が先だな。ブルームへの外出許可と、外泊許可を取ってある。すぐに向かうが良い」ケビン大佐はそう言って、何故か、不意に俺の方に視線を向ける。
「お前、こいつの部下で苦労してないか?」俺が、はい、などと即答しそうになるのをなんとか抑え、どっちとも取れるような曖昧な返答を返すと、ケビン大佐は俺のその様子を楽しそうに眺めた後、次はアキに視線を向けた。
「そっちの娘さんに聞いてみようか?どうだね、こいつは真面目に働いているかね」その言葉に、アキは、ときどき、と即答し、ケビン大佐はその返答に大笑いする。
「ときどき、か。まさにその通りだな。こいつはときどきしか真面目に働かん。優秀ではあるのだがな」
「俺は、あなたの教え子ですよ。あなたの教育の賜物でしょうが」クリス少尉から、階級差を考えると普通の兵隊であればとても口には出来ないような乱暴な反論をうけても、ケビン大佐は相変わらず楽しげな表情で俺たちを眺めている。
「まあ、その通りかも知れんな。一番忠実な教え子なだけに、こんな有様になっているのかも知れん」そう呟くと、ケビン大佐は、ソファーの背もたれに寄りかかり、出来の悪い生徒を眺めるようにクリス少尉を見た。
「ですね。その通りです」クリス少尉は、笑みを浮かべながら、楽しそうにそう口にする。
他愛も無い世間話をしばらく続けた後、もう出発しなさい、とケビン大佐が言い、俺たちは立ち上がり、部屋を去ろうとする。その時、何かを思い出したかのように、ケビン大佐がリーフに視線を移し、真剣な表情で口を開く。
「君がリーフ、だね。今回の件、本当にすまなかった。われわれセルーラの力不足で、君を一人にしてしまった」ケビン大佐がそう言って頭を下げると、リーフは傍目に見ても解るぐらいに狼狽し、いえ、あの、などと言いながら口ごもる。ケビン大佐は下げていた頭を上げると、
「君の身は彼らが守るし、セルーラ陸軍には、君をボストにおめおめと渡すような人間もいない。安心して、ブルームで過ごすと良い」と言って、優しげな視線でリーフを眺める。
クリス少尉はその様子をしばらく無言で眺めていたが、やがて、ケビン大佐に敬礼の姿勢を取り、俺とアキもそれに習う。ケビン大佐は俺たち三人を目を細めて眺め、気をつけて行ってこい、と低く、良く通る声で言う。その声を背に、俺たちは参謀府を後にする。外に出ると、既に日が落ち始めていて、涼しげな風が俺たちの周りを吹き抜けて行く。日が少しずつ傾いて行くのを眺めながら、ブルームに着くのは、もう夜遅くだろうな、と俺は思った。