首都編 2章
国境警備隊本部から、約三時間程車を走らせると、荒涼とした岩地に徐々に木々が混ざり、やがて鬱蒼とした広大な森林地帯に入る。この森林地帯をセルーラではファルシアの森と呼んでいる。森には車がやっと離合できる程度の広さの道路が数本走っており、俺たちの車も木陰の作る心地よい空気の中を首都に向かって走っていた。
「ここは気持ちがいいよなあ。俺、基地に赴任するときにここで休憩してさ。いい所知ってるんだよ」クリス少尉が嬉しそうに呟きながらハンドルを握っているその横で、スピード、とアキがクリス少尉に簡潔な注意をしている。メーターを見ると、どう見ても法定速度を大幅にオーバーしている。クリス少尉はアキに注意されて、少しスピードを落としたが、それでも、首都の真ん中でこんなスピードを出したら間違いなく警察に拘束されるレベルのスピードである事は間違いなかった。しばらく車を走らせ、やがて周囲に森の木々以外の何も見えなくなる頃、クリス少尉は車を止める。ちょうど道路の両脇に切り開かれた小さな芝地があり、もう何年もの間誰も手入れをしていなさそうな、古い樫の木で作られたベンチとテーブルがその芝地の真ん中に鎮座していた。クリス少尉は、食事にしよう、と言い、車を芝地の端に止めると、運転席から降りる。
「なんだか、涼しいね。ここ」リーフが車を降り、嬉しそうにそう呟く。リーフの後に続いて、車を降りると、森林の清浄な香りと、木陰の作る涼やかな風が俺を包んでいくのが解る。
「昼飯食べるにはいい所だよな」俺がそうリーフに言うと、リーフが俺を見上げて、微かに笑みを浮かべる。クリス少尉は既にベンチに腰掛け、水筒の水を飲んで、大きく背伸びをしており、アキはその横で、テーブルの上に落ちている木の葉を払っていた。俺とリーフはビクセン軍曹の渡してくれた二つの包みのうちの一つを車から持ち出し、テーブルまで運ぶ。包み紙を開け、中を見ると、使い捨ての箱形容器が四つ入っており、それぞれにご丁寧にも少尉、カイル、アキ、リーフ、と名前が書いてあった。おそらく中身も違うのだろう。俺はビクセン軍曹の趣向に驚きつつ、それをテーブルに並べていく。クリス少尉は目を輝かせながら、自分の名前が書かれた容器を受け取り、芸が細かいよなあ、と大きな声で言った。
弁当の中身は、八割ほどは共通だったが、一品、二品だけメンバーそれぞれの好物が盛りつけられており、俺たちは、とても軍の弁当とは思えない豪華な昼食に驚いた。アキは、自分の弁当に入れられていた手作りのグレープフルーツゼリーを眺めて、少しだけ嬉しげな表情を浮かべ、大変だったでしょうね、と呟く。確かに、朝の十時に俺たちは出発したのだから、これだけの物を準備するとなると、おそらく、かなりの早朝から準備をしなければいけなかっただろう。俺は、ビクセン軍曹の餞別に頭が下がる思いがした。
「……いつかこんな料理作れるようになれるのかな」美味しそうに食事を食べつつも、少し不安げにリーフがそう呟くと、鶏肉を突き刺したフォークを手にして、まさに口に入れようとしていたクリス少尉が、その手を止めて、アキとリーフをそれぞれ眺める。
「ビクセン軍曹が、アキとリーフは筋が良いって言ってたぞ」クリス少尉のその言葉を聞いて、リーフは嬉しそうに笑い、アキはいかにも興味無さげにクリス少尉から目を逸らす。
「確かに、美味しかったですよ。二人の料理」俺がそう言うと、クリス少尉が笑う。
「食堂で、レクチャーされた上に、実技指導まであったってな。俺も食べたかったな。特にアキのは」クリス少尉がおどけるようにそう言って、アキを見ると、微かに恥ずかしそうにアキが目を伏せる。俺はその様子を見ながら、あのときの食堂の様子を思い出していた。なんだか、ずいぶん昔の事のような気がした。
食事を食べ終わると、俺たちは空になった容器を車に片付け、また、ベンチに戻る。クリス少尉が三十分の休憩を提案し、俺たちはおのおの用意していた飲み物などを口にしながら、森林の清浄な空気の中で、体を休める。
「あ、今のうちに話を合わせとくか。カイルの親御さんに話す内容の」クリス少尉がふと思いついたようにそう呟く。
「いいですよ。どんな話をする気なんですか?」俺は、若干の不安を胸に感じながらそう口にする。クリス少尉は得意げに俺とアキとリーフを見回すと、まず、アキを指差した。
「アキ、まずお前は、俺の副官だ」アキは無表情のまま、頷く。次に、クリス少尉は俺を指差す。
「カイル、お前は、リーフの架空の親父さんの部下だった、と言う事にしてくれ。で、俺はリーフの架空の親父さんのもう一人の部下の役だ」クリス少尉はそこまで話し終えると、おもむろにリーフを見つめる。リーフは不安になったのか、クリス少尉から目をそらして、何故か俺の方をみた。
「リーフは、セルーラ陸軍の偉い人の娘さんと言う事にする。で、ここからが、本編だ」クリス少尉はベンチから立ち上がり、さらに話を続けていく。
クリス少尉がそこから話した嘘話を要約すると、次のようになる。まず、セルーラ陸軍の偉い人、この人は架空の人物で、リーフの親御さんという設定な訳だが、この人が病に倒れた、というところから、嘘話は始まる。小さな頃から何度も海外に留学していたという設定の娘さん、つまりリーフは、父親の病の知らせを聞いて、ただ一人の家族である父親を心配するあまり、留学先を退学してセルーラに戻ってきたが、職業柄、危険な目に遭いやすい父親のとばっちりを受ける危険性にさらされながらも、家で一人で暮らしている。そこで登場するのが、俺とクリス少尉だ。世話になっている上官でもある、リーフの架空の親御さんから娘さんのことを頼まれた俺たちは、娘さんの窮状をなんとか救えないかと考えて軍に掛け合い、苦心の末、娘さんを安全な所に身分を隠してかくまう事の許可と必要な予算を得た。予算と許可が出たからといって、簡単にかくまう先が見つかる訳では無い。信用できる先もそんなに多くある訳でもない。ここは、同じカエタナのよしみで、俺の家族に頼もうという事になった。というストーリーだ。
一気にそれを語り終えたクリス少尉は、相変わらず得意げに俺たちを見回す。アキは呆れたようにため息をつき、リーフはとっさには理解が出来なかったようで唖然とした表情をしていた。
「少尉、その話は参謀府の指示ですか?」俺は、沈黙を破って、少尉にそう問いかける。
「ああ、参謀府に俺の元教官がいるって前に話したろ。その人と相談して決めた」
「お偉いさんの病って言うのは俺が母さんに苦し紛れに話した内容ですよね。それも取り入れてる訳ですか」
「取り入れないと、お前の話と整合性が取れなくなるだろ。まあ、この辺の細部は俺が今考えた。お前がでまかせでそんなこと言うから、こういう話になったんだよ」そう言われても、母さんに、娘さんを預かるので宜しく、とだけ言う訳にもいかないでしょう、と俺は心中で抗弁する。口には出さないが。
「……あの、私、留学してたことになってるんですか?」リーフがおどおどとした様子でそう言うと、クリス少尉は大きく頷く。
「セルーラにずっといたことにすると、ぼろがでる可能性がある。リーフはセルーラのこと良く知らないだろ。だからだよ。留学先はどうしようかな、なんか聞いた事も無いような小さな国の方が良いよな。じゃないと、その国の事を聞かれたときにでまかせが言えないもんな」また、クリス少尉は勝手に話を進めていく。リーフは戸惑い半分、不安半分と言った表情で、何かを頼むような目つきをすると、俺を見る。
「少尉、留学してたってことは、それなりに裕福だったり、金持ちだったりと言う設定な訳ですよね?」俺がそう言うと、クリス少尉は、そうだよ、と、当たり前だろと言わんばかりの表情で俺に答える。
「あの、私、お金持ちの子には、見えないと思うんですけど……」ためらいがちにそう口にするリーフに、クリス少尉は大きな声で、大丈夫だよ、と答える。
「リーフは、品があると思うぞ。恥ずかしげにしてればなおさらだ。箱入り娘って感じだからな。なるべくカイルの親御さんと打ち解けるまでは、恥ずかしそうなそぶりで下を向いたりとか、ときどき、食器洗いで失敗して皿を割ったりとかすればいい」俺とリーフは思わず目を見合わせる。
「裏設定もあるぞ」クリス少尉が言ったその言葉に俺は反応する。裏ってなんだよ、と俺は思う。思うだけではなくて、そう口にした。
「裏って何ですか?少尉」少尉は、俺のその言葉に、裏は裏だよ、隠し設定ってやつだ、と答え、さらに続ける。
「実は、お前が、留学から帰ってきた娘さんを見て一目惚れして俺に相談を持ちかけたとか、アキは実は参謀府から派遣された、俺のお目付役だとか、そういう表にでない設定だよ」その言葉に俺は絶句し、リーフは赤面し、アキは険しい目つきでクリス少尉を睨んだ。
「あのな、嘘をつくときはこつがあるんだよ。実際に話す分の嘘しか考えてない奴の嘘ってのは突っ込みが入るとすぐばれるだろ。こういう実際には口に出さない細かな裏まで嘘を考えておくと、どう突っ込まれようが、即答できるだろ。それが大事なんだよ。いいか、カイルの親の立場になって考えると、果たして昔世話になったというだけで、そこまで息子が奔走するかな、と当然考える訳だろ?そこで、お前とリーフがなにか思わせぶりな目つきを交わしていたり、目が合ったときにリーフが恥ずかしそうに赤面したりとかしていたら、どうだ?ああ、息子はひょっとしたらこの娘さんといい仲なのかな?とか勘ぐったりしてくれる訳だろ?説得力がぐっと増すだろ。嘘の」俺は、クリス少尉の熱弁を聞きながら、ため息をつく。まあ、説得力が無い訳でもないが、いろんな事情を肴にして、俺とリーフをからかって楽しんでいるようにも見えなくもない。というか、そう見える。リーフは観念したのか、赤面したまま、下を向いて、無言のままだ。アキは呆れたような表情に若干の怒りを交えた表情でクリス少尉を相変わらずの鋭い目線で睨んでいる。
「アキも、そう睨むなよ。カイルがお目付役ってのも変だろ。しっかりしてないし、優柔不断気味な感じもするし。そこで、お前だよ。しっかり者感に溢れてるだろ。いかにも俺みたいな軽薄な奴の副官にぴったりな感じがするだろ?お前がいなかったら、俺とカイルが結託して親御さんを騙しにきたようにしか見えなくなるよ。お前みたいな信頼感のある奴が横にいるから、つける嘘なんだって」フォローにもなっていないような気がしたが、アキを見ると、なんだか納得しているようだ。呆れてはいたが、怒りはその表情から消えている。
「というわけだ。理解したか?ちゃんと頭の中で復唱しとくんだぞ」クリス少尉はそう言って、満足げな表情で水筒を口に当て、美味しそうに水を飲む。
それから、俺たちはリーフが留学していた先はどこにするかを打ち合わせ、それをアキが発案したルクセンブルグという、俺たちの国から遠くはなれた裕福な小国に決定し、さらに、リーフを金持ちの子に見せるための様々な仕草や、振る舞いについて、検討した。とはいっても、俺もアキも庶民の暮らししか知らず、クリス少尉も、若干裕福程度の暮らししか知らないため、俺たちが発案したリーフの振る舞い案は、庶民が想像するステレオタイプの金持ちの姿そのものだった。
「あの、財布をもつなって、どういう事ですか?」リーフは心底困り果てた表情でクリス少尉発案のその振る舞いに対する問いかけをする。
「あのな、金持ちの家ってのは大抵執事とかメイドがいて、買い物はそいつらがやるんだよ。だから、財布を持ち歩かないんだよ。金持ちの子どもは」いくらなんでもそれは無いだろうと俺は思う。いつの時代の金持ちを想像しているのだろう。
「アキさん、お風呂に入るときは、湯船に石けんを入れろっていうのはあんまりじゃ……」アキは、その言葉に、一回でいい、と簡潔に答える。泡が立った湯船の事を言っているのだろうか。あれはアメリカや、ヨーロッパの風習で別に金持ち特有の風習という訳ではないと俺は思う。
「リーフはそのままでいいよ。あんまり意識するとおかしな事になる」俺がそう言うと、リーフは溺れた子どもが浮き輪を掴んだような安堵の表情で俺を見た。嘘話はそのままで良いとして、仕草はリーフの自然のままでいいでしょう、と俺が宣言すると、クリス少尉は、せっかく考えたのに、と呟き、アキまで少し残念そうな表情を浮かべる。
やがて、休憩時間も終わり、俺たちは車に乗り込む。クリス少尉はまだ運転したいと言い張り、お目付役を忠実に実行する気になっている様子のアキは黙って助手席に座った。俺とリーフは後部座席に並んで座り、スピードを出しすぎるクリス少尉が、アキにその都度注意される様子を見ながら、呆れつつも笑顔を交わす。首都まで、おそらく、あと五時間程度。俺は自分の親の前で、クリス少尉発案のあの嘘話が展開される様子を思い浮かべ、親が妙な誤解をしなければいいが、と考えていた。