国境編 18章
土産物や、菓子の紙袋を抱え、半ば放心状態でたたずんでいる俺を、正気に戻したのは、ジムから帰ってきたラルフ曹長だった。どうしたお前、目が空ろだぞ、とラルフ曹長に言われ、俺は初めてラルフ曹長とルパード、グリアムが帰ってきたのに気が付いた。
「すいません。あ、クリス少尉は参謀府に行かれました。戻りは明日だそうです。それまではラルフ曹長が指揮を執るようにとのことです」俺は慌てて敬礼の姿勢を取ると、そう答える。
「ということは、尋問で成果が出た、ということかな」ラルフ曹長は共有スペースの椅子に腰掛る。そして、煙草を取り出すと、旨そうに一服した。吐き出す煙が薄く部屋に漂っていく。
「良かったよねえ、クリス少尉。やっと休みがもらえるのかな」ラルフ曹長の隣に腰掛けたグリアムがそう呟く。
「だったらいいけどよ。あの人も大変だよな」ラルフ曹長に吊られたのか、煙草に火を付けたルパードが、いつもの主がいないクリス少尉の机を眺める。
「まあ、指揮と言っても、休日だ。食事に行けだとか、もう寝ろだとか、そんな物しか無いのが救いだ。アキとカイルは兵舎にてラシュディ、リーフ、ディルの監視、ルパード、グリアムは俺と一緒にサンドシティだ」ラルフ曹長が口にしたサンドシティと言う単語にルパード、グリアムが嬉しそうな笑みを浮かべる。
「飲みですか。ラルフ曹長」ルパードが目を輝かせてそう言う。
「ああ。給料も出た事だ、俺の奢りだ」ラルフ曹長はルパードの肩を叩いて、そう答える。その様子を眺めていたグリアムも、久しぶりの飲みなのだろう。楽しげに目を細めて、笑っている。
ラルフ曹長に、準備をしてこい、出発は三十分後と告げられたルパードとグリアムは、敬礼をした後、自分たちの部屋に戻っていく。共有スペースには俺とラルフ曹長が残される。
「すまんな。お前とアキだけ残してしまって。ラシュディやリーフ、ディルを放っておく訳にもいかんのでな」ラルフ曹長が俺の肩を軽く叩き、そう詫びてくる。俺は思わぬ謝罪に恐縮し、首を振る。
「いえ、気になさらないで下さい」
「クリス少尉から、電話で連絡を受けている。ボストの人間に会ったそうだな」ラルフ曹長は武器の棚からナイフを取りだし、制服の胸に固定された鞘に着用する。
「はい。妙な男でしたが」俺はその様子を見ながら、どうも、ただ飲みに行くだけではなさそうだと考える。おそらく、サンドシティ周辺で何かをするつもりなのだろう。
「帰隊は二時で許可を取っている。すこし、サンドシティを回れとの事だ。おかしな奴が徘徊していないか念のため確認してほしいと言っていた」ラルフ曹長はブーツや、制服、ナイフ、拳銃といった装備を丁寧に確認しながら、そう言った。
「クリス少尉からの依頼ですか?」俺がそう聞くと、ラルフ曹長は無言で頷いて、ため息をつく。
「飲みといっても、酔えるのはルパードとグリアムだけだ。本気で酔っぱらってる奴がいればカモフラージュになる。クリス少尉も芸が細かい事だ」呆れているのか感心しているのか判別の付き難い表情でラルフ曹長が呟く。俺はその様子を見ながら、あれだけ慌てて外出しながらも、指示の細かいクリス少尉に感心する。
「俺とアキはいつも通り食事後、仮眠を取って兵舎周辺を夜間巡回と言う事でよろしいのでしょうか?」
「ああ、それで構わんよ。何かあれば連絡しろ。コール番号二三二四の携帯電話を持っていく」確認の終わった装備を身につけながら、ラルフ曹長が言う。了解しました、と俺が答えると、ラルフ曹長は、ふと、手を止めて、俺の方を振り返る。
「ラシュディの件が落ち着いたら、一回飲みに行こう。アキも連れて」そう言いながら、ラルフ曹長はクリス少尉の机の側まで歩き、引き出しからラシュディさんの部屋とリーフ、ディルの部屋の鍵束を取り出して、俺に渡す。
「今日は糧食班から食事を兵舎に届けるように手配している。ラシュディ一人を残す訳にもいかんしな。リーフとディルはラシュディの部屋に連れて行って一緒に食事を取らせろ」
「ラシュディさんの部屋で、ですか?」俺は意外な指示に戸惑う。
「家族で食事を取らせてやれとクリス少尉からは指示を受けている。解るだろう。理由は」ラルフ曹長はそう言って目を細める。
ラルフ曹長と、ルパード、グリアムが兵舎を出て行った後、俺は共有スペースの隅に置かれた電話機の前まで歩き、受話器を取ると、殆ど数ヶ月ぶりに実家の電話番号を入力する。何度か呼び出し音が鳴り、聞き慣れた母さんの声が聞こえた。俺は、深呼吸をすると、妙な事を口走らないように気をつけながら、会話を開始する。
「もしもし、カイルだけど」
「あら、久しぶりねえ」母さんの声が受話器から響く。のんびりとしたその声を聞くと、なんだかブルームの実家の空気が思い出される。
「実は、さ、ちょっと頼み事があるんだけど」俺は、なるべく平静に聞こえるよう注意しながら、そう切り出す。
「何ヶ月かぶりに電話してきて、いきなり頼み事なの?母さん、元気?の一言くらい聞きたいわ」不貞腐れた母さんの声が聞こえる。
「ごめん。ちょっといろいろ忙しくてさ。国境は首都と違っていろいろあるんだよ」俺はあわてていい訳をする。このまま機嫌を悪くされると、後の本題に響きそうな気がする。いや、確実に響くだろう。
「まあ、いいわ。父さんも母さんも元気だから」どうやら少しは機嫌が直ったような声がする。その声を聞きながら、俺は、さて、どう切り出したものかと悩んでしまう。なんの理由も告げず、上官の娘を預かる事になったから、よろしく。などと言っても普通の親なら引き受けはしないだろう。俺は、まずいと思いながらも無言になる。
「どうしたの?黙りこくって」その声を聞きながら、俺は、殆どやけになって会話を再開する。
「実は、上官が病気なんだ」俺はそう言いながら健康そのもののクリス少尉を思い浮かべる。ある意味、性格は病気ではあるのだが。
「あら、大変ねえ」心配そうな声で母さんが答える。俺は少し胸が痛むのを感じながら、さらに続ける。
「で、その上官に娘さんがいてさ。上官の奥さんは何年か前に亡くなってて、親戚もいないらしいんだ」
「可愛そうねえ。いくつなの、娘さん」
「十七」
「まだ子どもじゃないの」
「そうなんだよ。で、その上官もカエタナなんだ。結構、良くしてもらっててさ。なんどか、家とかにも連れて行ってもらったりしてて、娘さんにも面識があるんだ」俺はそこまで話すと、もう一度深呼吸をする。いよいよ本題を切り出さなければならない。
「で、この間、上官の見舞いにいったら、しばらく、娘を君の実家で預かってくれないかって言われたんだ。養育費はちゃんと出すからってさ。俺、本当にその上官には世話になってるから、なんとかしてやりたいんだ。母さん、俺の部屋まだ空いてるだろ。しばらく、その娘さん、預かってもらえないかな。力になってやりたいんだ」
「……」電話口の向こうの沈黙がつらい。なんとかして受け入れてもらわないと駄目なのに。俺は、どうせ嘘をつくなら、病気じゃなくて、いきなり死んだとかにしておけばよかったなどと考えてしまう。俺は必死で嘘を考えながら、さらに畳み掛けるように続ける。
「上官、なんか、結構病気重いらしくて、家にもしばらく戻れないんだ。娘さん、毎日見舞いから帰ったら、一人でずっと家にいるらしくてさ。俺も心配してる。上官は結構階級が高いから、いろいろ身辺の警護とかも必要なんだけど、娘さんが誘拐犯とかに狙われたら、一人で家にいるってのは危ないと思うんだ。な、母さんもそう思わない?」俺は受話器を掴む手が汗ばんでくるのを感じる。もうそろそろ、嘘を思いつくのも限界だ。俺は、無限に嘘やほらを大量生産できるクリス少尉とは違う。
「わかったわ。今度連れてきなさい。そういうことならしょうがないわ。上官の人とも一回、話しをさせてちょうだい。できれば。挨拶もしておきたいし」母さんがため息まじりに、でも、はっきりと答える声が聞こえる。上官と話をさせて、か。どう答えたものか、俺は受話器を握っている手どころか、背中や、額にも汗が流れていくのを感じる。嫌な悪寒と一緒に。
「残念だけど、上官は、軍病院にいる。軍人ならともかく、家族以外の民間人は面会許可が出ないと思うよ」
「そんなに偉い人なの?」
「うん。ただ、一匹狼な人だから、なんかこういう事を頼める人が他にいないってさ」
「そう。まあ、いいわ。連れて帰ってくるときは、何日か前に連絡して。あんたのあの汚い部屋の片付けもしておかなきゃいけないし」母さんがそう言ってくれたのを聞いて、俺は安堵のあまり、その場に座り込みそうになる。正直、親を騙すというのは心苦しいものだ。
「ありがとう。いきなりこんな事頼んじゃって悪いとは思うんだけど」
「悪いと思うなら、月に一回は電話を入れなさい。父さんもああ見えて心配してるんだから」
「わかった。じゃあ、俺、巡回があるから。また、連れて行く前に電話する」俺は会話を切り上げる。これ以上話していると、そのうち確実にぼろを出しそうな気がする。
「はいはい。気をつけるのよ。あんたは昔から抜けたとこがあるから心配だわ」
「気をつけるよ。じゃあ、また」俺はそう言って電話を切る。切った瞬間、膝から下の力が抜けて、俺は共有スペースのソファーに座り込む。手も背中も額も汗まみれだった。この手の任務よりは、夜間巡回の方が幾分マシなような気がした。
俺が電話の後遺症から抜けきれずにソファーで横になっていると、兵舎の前に車が止まる音が聞こえた。部屋からアキが出てきて、俺に外に出るよう促す。兵舎の外に出ると、糧食班のワゴンが止まっていて、何度か食堂で見た事のある糧食班員の若い兵隊が、食事をもってきました、と元気に敬礼する。そして、俺が答礼するよりも早く、ワゴンのドアを開けた。いくつかのトレイにラップで覆いをかぶせてあるのが見えた。俺とアキはその量を見て、驚く。空いた口が塞がらないとは良く言った物だと思う。トレイ五つに俺とアキ、ラシュディさん、リーフ、ディルのメインディッシュが大量に乗っかっている上に、後二つトレイがあった。一つはフルーツが満載で、もう一つにはジュースやらお茶やらの瓶が並べてある。糧食班の若い兵隊は楽しげに鼻歌を歌いながら、共有スペースのテーブルにそれを並べていく。アキはその様子を唖然とした表情で眺めている。こいつが驚く表情というのも珍しい。
「いいっすね。今日はパーティかなんかですか。ビクセン軍曹、気合い入ってましたよ。作るのに」事情を知らない若い隊員がそう言う。
「まあ、そんなもんかな。ありがとう。わざわざ運んでくれて」俺がそう答えると、若い兵隊はなにやら辺りを見回した後、
「リーフちゃんに会えるかと思ったんですけどね。残念です」と言って本当に残念そうな表情をする。俺はその様子を見ながら、リーフを実家に護送するときは、俺の実家に行くなんて事を絶対に秘密にしていこうと思う。下手したらリーフのファンの兵隊どもに袋叩きにされかねない。クリス少尉にも重々口止めをしておく必要がある。
「じゃあ、ラシュディさんの部屋にまず運ぶか」糧食班員が帰ったあと、俺がそう言うと、アキは無言で首を傾げる。
「悪い。言ってなかったな。今日は兵舎で食事をとるよう命令されてるんだ。あと、リーフ、ディルはラシュディさんの部屋で一緒に食事をとらせてやれってさ」アキはその言葉を聞いて少し目を細める。表情に優しげな色が浮かぶ。
「俺たちはどうしようか。部屋まで持っていくのも面倒だし、ここでいいか。共有スペースで」俺の提案にアキは頷く。
ラシュディさんの部屋の鍵を開け、ノックをすると、しばらくしてからドアが開く。国境で保護して以来、久しぶりに俺はラシュディさんを見た。俺とアキは軽く頭を下げて挨拶をする。
「君は確か、リーフに殴られた兵隊さんだったね」ラシュディさんは苦笑しながらそう言った。
「すいません。あのときは」俺は頭を下げてそう答える。
「構わんよ。今は仲良くしてもらってるそうだね。クリス少尉から聞いているよ。そっちの娘さんはアキさん、でいいのかな。ディルがなついているらしいね」ラシュディさんは穏やかな笑みを浮かべて俺たちを眺めている。
「今日はクリス少尉から、ラシュディさんのお部屋で、家族で食事をとってよいとの指示を受けています。食事を運び込んでもよろしいですか?」俺がそう言うと、ラシュディさんは驚いた様子で、目を丸くする。
「それは嬉しいが、また、突然だね」
「すいません。ああいう上官ですから」俺がそう答えると、ラシュディさんは小さく笑う。
「おもしろい男だね、クリス少尉は。頭も切れるようだし」ラシュディさんはそう呟きながら、テーブルの上を片付け始める。俺とアキはテーブルの空いたスペースに三人分の食事を並べていく。食事を並べ終わって、ではリーフとディルを呼んできますので、と俺が言うと、ラシュディさんが、ちょっといいかなと言って俺を見た。
「ボストに動きがあったのかね、それとも、エイジアかな」鋭い質問に俺は動揺する。
「いえ、それは……」俺は口ごもる。
「クリス少尉はなにも理由無しにこういう事をする男ではないね。亡命の件、良いにしろ、悪いにしろ、進捗があったのかと思ったのだが」ラシュディさんはテーブルの上の食事を眺めながらそう呟く。
「少尉が戻ってきたら解ると思います。実は、俺も何があったかは知らないんです」よくよく嘘を付く回数が多い日だ。俺は答えながらそう思う。
「そうか。まあ、今日はそんなことを考えずにこの晩餐を楽しむべきだろうね。これは美味しそうだ」なにか曖昧な笑顔を浮かべたまま、ラシュディさんはそう言って、椅子に座った。俺とアキは、部屋をでて、リーフとディルを呼びにいく。
リーフとディルは外出の準備をして、俺たちを待っていた。今日は外じゃないんだ、と俺が言うと、二人は少し残念そうな表情を浮かべる。
「でもな、今日はちゃんと料理を運んでもらってる。缶詰じゃない。あと、食事はラシュディさんと一緒でいいってさ」俺の言葉を聞いて、二人の表情が一気に明るくなる。
「いいの?」リーフがそう言って、俺の方を見る。
「クリス少尉から許可がでてるから。問題ないよ」俺はそう答える。ふと、アキに視線を向けると、ディルがアキに抱きついて、ありがとう、と言っているのが見えた。
「お昼ご飯は時々一緒に食べさせてもらってたけど、晩ご飯は初めて」リーフが嬉しそうに俺を見上げて、笑顔を浮かべる。
「俺とアキは共有スペースに行くからさ。久しぶりに、家族水入らずで、いろいろ話してこい」俺がそう言うと、リーフは俺の手に軽く触れて、
「ありがとう」と呟いた。俺は、ラシュディさんとディルはエイジア、リーフはセルーラと言ったクリス少尉の言葉を思い出して、胸が痛む。内心の動揺を感づかれないように、俺は目をそらしたまま、リーフの感謝の言葉に曖昧な返事をする。
二人をラシュディさんの部屋に連れて行ったあと、俺とアキは共有スペースに戻る。楽しげな笑い声が漏れてくるラシュディさんの部屋の方向に視線を向けていたアキが口を開く。
「亡命、決まったの?」俺は、まだ誰にも言うなというクリス少尉の言葉を思い出す。
「わからない」こいつは、こういう嘘に敏感そうだから、あっけなく見抜かれそうだと俺は思う。
「そう」アキはそれ以上追求する事も無く、テーブルの上に並べられた瓶の中から、お茶の瓶を選ぶと、俺と、自分のカップにそれを注ぐ。
「俺たちも食事にするか」俺は料理のラップを取る。湯気が立ち上って、香ばしい香りが広がる。アキは無言で頷いて、俺の前に座ると、同じようにラップを取る。おそらく、アキも、なんらかの事態が起きた事に感づいているのだろう。もしかすると、ラシュディさん、リーフ、ディルが近いうちに離ればなれになる事にも感づいているのかもしれない。
ラシュディさんの部屋からの楽しげな声を聞きながら、俺とアキは殆ど無言で、食事をとる。クリス少尉が帰ってくれば、俺たちも慌ただしく動く事になる。場合によっては既に国内に侵入しているボストの連中と一戦交える事になるかもしれない。俺は目を上げて、冷静な表情のままのアキを見る。実戦経験が無いのは、俺も、アキも、そして、クリス少尉も、グリアムもルパードも一緒だ。俺たちは全員が無事でいられるのだろうか。俺は不安やら、緊張が混ざった、複雑な感情が胸の奥に渦巻くのを感じながら、そう考えていた。