国境編 16章
アキと俺がウェイターの運んできたランチを食べ、食後のお茶を飲み干したころ、奥の厨房から、俺と同じくらいの年のカエタナの男が、大きめのポッドを持って、俺たちのテーブルまで歩いてくるのが見えた。男は背が高く、白い調理服と頭に巻いたバンダナがよく似合っている。ポッドをテーブルに置き、空いている椅子に座ると、男は、俺の顔を眺め、そして、何かを問いたげな視線をアキに向ける。
「同じ部隊の人。カイル伍長」アキが簡潔な紹介をする。どうやら、アキとこの男は知り合いのようだ。
「そうか、カイルさん、か。私は店主のバートと言います。どうでしたか、味は?」バートは人懐っこい笑みを浮かべて俺に聞く。正直、ビクセン軍曹レベルまでは行かないまでも、それなりに美味しい料理ではあったと思う。
「美味しかったです」俺はそう答える。
「ありがとう。アキは、なかなか褒めてくれないんです。なんでも、そちらの部隊にはかなり腕の良い料理人が居られるとのことで」バートはアキを横目で見る。
「一回、部隊まで食べにくるといい」アキは素っ気なくそう呟く。バートは肩をすくめて、俺の方を見ると、
「そんなに差がありますか?」と少し沈んだ表情で言う。
「いえ、そんなに違いはないと……」と答える俺の横から、
「正直に」とアキが言葉を遮る。
「……まあ、うちの糧食班長は特別なので」俺は曖昧な笑みを浮かべたまま、慰めるようにそう答える。その言葉を聞いて、バートはため息を付いて、肩を落とす。
「ソフィアは、褒めてくれるんですけどね。あ、ソフィアっていうのは僕の妹ですけど」おそらく、俺の会ったあの元気のいい店員だろう。
言葉少なに語るアキと、バートというこの店主の話から想像するに、バートとソフィアはアキの幼い頃からの知り合いらしい。アキは時折この店を訪れては、料理に容赦会釈のない評価を下していくと言う事だった。アキはオブラートで言葉を包むという事ができなさそうな性格をしているので、毎度の事ながら結構傷つくのだとバートは語った。なんとなく、同情できる話ではある。ごゆっくり、とバートが挨拶して、厨房に去っていくと、アキはその後ろ姿をしばらく眺めて、俺の方に向き直ると、表情を少しだけ緩めて、口を開く。
「今日は、買い物と食事だけ?」
「まあね。リーフとディルにも土産を買ったし。帰りのバスが来るまで、散歩でもするよ。いい所だしな、ここは」俺はそう答える。
「そう」アキはバートが運んできたお茶のポッドから、自分のカップにお茶をつぎ、ついでに俺のカップにもお茶を注いでくれる。俺は礼をいい、お茶を口に含む。屋台のおばさんがくれたお茶と同じ、さわやかな香りが口に広がっていく。
「お前はなんかあるのか?」
「別に」アキはそう答えて立ち上がり、厨房の中まで歩いていくと、しばらくしてから何やら紙袋をいくつか抱えて戻ってきた。
「お菓子。ディルとリーフにあげて」と言う。
「菓子も売ってるのか?ここ」俺がそう聞くと、
「いや、彼の私物」とアキは答える。
「いいのか?」なんだかバートさんが気の毒になって、俺がそう尋ねると、
「いい」と、なんだかはっきり断言された。
俺は、バートさんにお菓子の礼をいい、店をでる。また来て下さいね、とバートさんは言っていた。その言葉を聞きながら、俺は、今度はルパードやらグリアムあたりを連れて来てやろうと思った。あいつらはある程度以上の味であれば褒めたたえてくれるだろう。アキの容赦会釈ない評価ばかりを聞いていたら、バートさんがそのうち店を閉めるとか言い出す可能性もある。少し位は褒めてあげても良さそうなものだが、古い知り合いという事もあって、遠慮がないのだろう。まあ、もともと、物や人に対する評価が正直な奴ではあるので、しょうがないのかもしれない。
大通りに戻って、バザールを通り抜けようとすると、ソフィアが俺の姿を見つけて駆け寄ってくるのが見えた。俺は立ち止まって、やたら元気のいいフォームで走ってくるソフィアを待つ。
「どうだった?お店行ってくれた?」俺に追いつくなり、息を切らせながらソフィアが言う。
「ああ。美味しかったよ。アキもいたからびっくりしたけど」俺がそう答えると、ソフィアは大げさな仕草で驚く。
「アキ?あんた、アキの知り合いなの?」
「同じ部隊だよ」
「そうなんだ。言ってくれたら、もっと安くしてあげたのに」
「いいよ。十分値引いてもらった」
「そう。でも、ありがとう。兄貴の店、最近客少なくてさ。じゃ、またね」それだけ言い残すと、来たときと同じ、元気のいいフォームでソフィアはまたどこかに走っていく。おとなしく歩いて移動するという事が出来ない娘だな、と俺は思う。なんだかいつも落ち着いているアキとは対照的だ。
俺は荷物を抱えたまま歩くのにも少し疲れ、バザールの横にある人気のない寂れた小さな公園のベンチに腰を下ろす。土産も買ったし、もう、特にする事もない。夕方のバスがくるまで、時計を見ると、あと二時間ほどだ。なんのかんので有意義な休日だったような気がする。休日に暇をつぶすにはうってつけのレストランと屋台も見つけた事だし。俺はそんな事を考えながら、ベンチの背もたれに寄りかかり、目を閉じる。
「カイル伍長、でいいのですかね。少し話がしたいのですが」俺はいきなり背後から発せられた声に驚き、目を開ける。うつらうつらとしていた所為もあって、俺はベンチから落ちそうになる。背後から小さな含み笑いが聞こえる。殆ど誰かが近づいてくる気配など感じなかった。俺はなんとかベンチから落ちずに体勢を整え、後ろを振り返る。そこには、ダークブルーのピンストライプのスーツを着た男が立っていた。男は、ただでさえ細い目をさらに細めて、笑みを浮かべている。年は三五から四十歳といった所だろうか。
「話すのはかまいませんが、まず、あなたの名前をお伺いしたい」俺がそう聞くと、
「ボスト外務省の人間とだけ言っておきましょう。まあ、この国ではあまり歓迎されない肩書きではありますが」と、男は笑みを崩さずにそう答える。俺は男を睨んで、ベンチから立ち上がる。
「言っとくが、俺はこう見えても忠誠心あるセルーラの軍人でね。裏取引やスパイの誘いなら、お断りだ」俺は腰のホルスターに手を添える。男は俺のその仕草をみて、ため息をつくと両手をあげる。
「そんなことはしませんよ。一つ、あなたの上官に伝言があるだけです。とりあえず、その腰の銃から手を離してくれませんか?」男は慌てたそぶりすら見せない。
「クリス少尉にか?」
「はい。クリス少尉に」男はベンチに腰掛けると、俺に隣に座るよう促す。俺は、いざというときに間合いが取れるよう、男から少し離れてベンチに座る。
「我が国のラシュディ、いまはおたくの部隊にお世話になっているようですね」
「……」俺は無言で男を睨む。
「まあ、返答はできないでしょうね。いいです。それは。話を続けましょう」男は楽しげにそう言うと、スーツの内ポケットから、紙片を取り出す。
「クリス少尉に、破壊工作に気をつけろ、とお伝え願いたい。具体的にはこの紙片に記載のあるレーダーサイトを警戒しろ、と」俺はその紙片を受け取り、目を通す。紙片には、セルーラ空軍のレーダーサイトがある場所の住所がいくつか書き付けられている。
「どういうことだ?」
「まあ、信じられないでしょうね。こんなことを私が言っても。ボストに対する裏切り行為に他ならない訳ですから」男は自嘲するように笑う。
「ラシュディに尋問して、彼が機密をしゃべっても、もう遅いのです。ボストは準備を終えてしまった」
「準備?」
「侵攻の、ですよ」男は笑みを消した表情で呟く。
「ラシュディが知っている機密は、我々ボストの新しい破壊工作の技術です。まあ、内容は詳しく言えませんがね。そのあたりは直接本人に聞けばいい。ただ、ボスト内部で、その技術を使わずに、強行的に破壊工作を行おうとする一派が台頭しています」
「強行的?」
「ラシュディの開発した技術で、遠隔的に時間をかけてやるのではなく、特殊部隊を潜行させ、物理的に破壊するという事ですね」
「簡単に潜入なんて出来ると思っているのか?甘く見るなよ」
「潜入は終了していますよ。既に」男は俺を見ると、冷静にそう言い放った。
「あんた、それを俺たちに伝えて、なんの得があるんだ?悪いが、何かの罠にしか思えない」俺は内心の動揺を悟られないように男を牽制する。だが、男は少しも怯む様子はなかった。
「罠、ね。あなた、ボストが一枚岩の国だと思っているのですか?我々は皆が皆、領土欲に燃えた差別主義者と言う訳ではないのです。私の属する一派、詳しくは言えませんが、その一派が目指すのは、連邦との協調と市場開放による経済発展です。私たちから見ると、差別政策も、油田を軍事力で取りに行く事も、長期的に見て、なんらプラスにならない。世界から孤立した愚かな政権の延命カンフルにはなってもね」
「つまり、あんたは、ボストの中の異分子ってわけか」
「私は別に反体制と言う訳ではないですよ。ボストの真の発展のために、軍事費に馬鹿みたいな費用を突っ込む事を止めてほしいと心から願っているだけです。ボストも馬鹿ばっかりいる訳ではないのです」男は淡々と語る。
「先ほどお渡ししたレーダーサイトをあなた方が守りきれば、交戦状態に陥ったとしてもセルーラと、ボストはなんとか国境地帯で均衡状態を保てるでしょう。ただし、あなた方がそれを守りきれなければ、おそらく空軍の支援のないセルーラ陸軍は保って一週間でしょうね」
「……」確かにそうだ。空軍の支援がなければ兵員の絶対数に大きな差がある陸軍だけでは太刀打ちできない。
「エイジアも同じです。陸軍だけではボストに太刀打ちできない。つまりは、このボスト強行派の計画するレーダーサイト破壊工作がセルーラとエイジア双方で成功してしまうと、ボスト強行派は大幅に国境線を浸食することが可能になる訳です。それこそ、トライアングルエリア、ベルトラインを含めてね。そうなると、我々の計画からしても困るのですよ」
「計画?」
「詳しくは言えません。あなたも私もお互いにね」
「一つ聞きたい」俺は男の冷静そのものといった形容詞がよく似合う目を見て、呟く。
「何ですか?」
「あんた、それをどうして俺みたいな下っ端に伝えるんだ。外交官なら、外務省の連中や政府上層部に伝えてやればいいだろう」
「我々はね、それらの人々とのラインを持たないのです。もともと外交なんて知った事かという軍部が牛耳っているような国ですよ。うちは。下手にそんな所に接触を持とうとすれば軍部に感づかれるのが落ちです。それよりは、こうして、休暇を装って、たまたま会った若者と世間話をする風を装いながら、ラシュディの尋問を担当しているあなたの上官、クリス少尉に伝えた方がいい。どうやら、セルーラの軍部では一目置かれている方のようですし。場合によってはラシュディからの情報という事にして、エイジア、セルーラ双方に流す事も出来る。幸い、クリス少尉が取った、ラシュディの隠蔽工作は成功して、ボスト陸軍はラシュディを探しておたくの首都で血眼です。国境にいるという情報をつかんだのは、我々外務省の一派だけですから。ここは監視が薄いのです。ボストのね」
「だからといって、あんたに全く監視が付いてないわけじゃないだろう。ボスト陸軍も馬鹿じゃない」
「いますよ。あそこに」男は目線だけをあげて、公園の外に所在なげに立っている男を見る。
「いますよ、じゃないだろう」俺は少し驚いて、思わず声が大きくなる。
「あの監視の男。我々の一派で家族を抑えています。軍部に私の情報を流せば、あの男の家族は、そうですね、消えてもらう事になる。あの男はよく解っていますよ。その辺を」男は楽しそうに笑いながらそう答える。
「……最低だな」俺は思わず呟く。
「綺麗な手段だけで、うちの軍部のような馬鹿には勝てませんよ。あなたも覚えていた方がいい。目的が崇高で、それをどうしても達成したいのであれば、それが困難であればあるほど、手段を選んではいけない」男は、出来の悪い生徒に楽しそうに説教する教師のような目つきで俺を見る。
「タレコミの次は説教か」俺が吐き捨てるようにそう言うと、男は小さな声で笑う。
「まあ、老婆心ながら、ご忠告と言った所ですね。あなたはまっすぐな方のようですから。寝首をかかれやすいタイプです」
「よけいなお世話だ」俺はそう言ってベンチから立ち上がる。
「ご了承いただけた、という認識でよろしいのでしょうか?」男がそう問いかける。
「クリス少尉には伝える。ただし、どう動くかは少尉次第だ。あんたの言う事をそのまま信じるかどうかもね」俺はベンチに座ったままの男を見下ろしながらそう答える。
「まあ、そうでしょうね。私があなたの立場であったとしても簡単には信じないでしょうから。だから、クリス少尉に伝えていただけるだけで結構です。我々もこれは賭けだと認識している。我々の見込んだ人物が、どの程度まで動いてくれるかという、極めて危険な賭けです」
「賭けをするような人間には見えないよ。あんたは」俺がそう言うと、男は嬉しそうに笑う。
「ですね。私は賭けが嫌いだ。その私がこういう賭けに出ざるを得ないほど、我々も追いつめられていると言う事ですよ」男は立ち上がり、俺の肩を軽く叩くと、公園の外に歩いていく。俺は、男の後ろ姿を眺めながら、握ったままの自分の手が酷く汗をかいている事に今更ながら気付く。体の隅々までが緊張でこわばっている。賭け。男はそう言った。確かに、これは賭けだ。俺にとっても。セルーラにとっても。
俺は、バスが来るぎりぎりの時間まで、考えがまとまらないまま、公園で立ち尽くしていた。