国境編 14章
国境地帯では、地形のせいもあるのか、夏のさなかに突然気温が下がり、まるで春や秋のように涼しさが増す日が来る事がある。今日はまさしくそんな日で、俺は今日が非番でよかった、などと考えながら、私服に着替える。少し早く起きすぎた気もするが、まあ、こういう過ごしやすい日を少しでも長く楽しめることを喜ぶべきなのだろう、と俺は思う。
共有スペースに出ると、クリス少尉がつまらなそうな顔をして、一人で椅子に腰掛けている。実は、かわいそうな事に、クリス少尉だけが休みではない。休みを命令で取り上げられた背景には、ラシュディさんへの尋問がなかなか進んでいないという事情がある。
「おはようございます」
「おはよう」クリス少尉は不貞腐れた子どものような目つきで俺を眺める。
「今日は、もう、みんな出かけてるぞ。お前が最後だな」
「えらく早いですね。みんな」俺はそう答えて、クリス少尉の机の横に置いてある行動予定表を見る。アキはここから少し離れた国境の村へ、ラルフ曹長とルパード、グリアムは部隊本部のジムに出かけているようだ。
「ちょうど一ヶ月だな」クリス少尉がそう呟いて、俺の方を見る。
「リーフたちが来てからですか?」もうそんなに時間が経ったのかと俺は思う。
「だな。ラシュディさんも大分心を開いてくれてるとは思うんだけどさ。まあ、難しいよ。腹の探り合いは。お前とアキが仕入れてきてくれる情報のおかげで、なんとかごまかしてはいるんだけどな。もうそろそろ、ネタ切れだ」クリス少尉は首の後ろで手を組むと、大きなため息をつく。
俺と、アキはクリス少尉が巡回中に酔っぱらって帰ってきたあの日から、リーフやディルとの会話をクリス少尉にほぼ毎日のように報告していた。まあ、他愛もない雑談が殆どなのだが、それらの雑談の細部を大きくし、所々を脚色し、さもラシュディさんが機密に関わりがあるかのようにクリス少尉は報告書を書いていた。一回、見せてもらった事があるが、嘘とは呼べない範囲でありながら、ここまで文章力でごまかせるのか、しかも毎日、と心から感心した。ある意味才能と呼べると思う。
「確かに、そうですね。リーフに、あんまり根掘り葉掘り聞く訳にも行きませんし」俺は最近のリーフの明るい笑顔を思い出しながら呟く。お互いカエタナだという事もおそらく影響していると思うのだが、最近、俺が一番会話を交わす相手はリーフになりつつあった。セルーラでのカエタナの暮らしや、俺の田舎の話、そんな話をとりとめもなくリーフに話していると、俺は、時々、リーフが亡命者ではなく、部隊に昔からいる仲間のように錯覚する事さえあった。食堂から帰ってきて、兵舎の拘留部屋のドアの所でリーフと別れるとき、また明日、などと明るく言われると、ますますその錯覚が大きくなる。おそらく、リーフがアキから借りたセルーラの軍装を着用している所為もあると思うのだが、困ったものだ。
「お前、外出するんだろ。村に行くなら、リーフとディルになんか土産でも買ってきてやれよ。喜ぶと思うぞ」クリス少尉はそう言って、俺をにやにやしながら眺めて、
「リーフちゃんは特に」と付け足す。クリス少尉は最近、こういうからかい方を俺に対してよくするようになった。しかも凄く嬉しそうに。
「お土産の件は賛成ですが、俺とリーフは、クリス少尉がご想像されているような関係ではないですよ。言っときますけど」俺は憮然として答える。
「そうかあ?ビクセン軍曹にこないだ会ったら、ありゃあいい夫婦になるぞと言ってたけどな。いいじゃないか。亡命受け入れられたらそのままお前の田舎に連れて行けよ。親御さん喜ぶぞ。可愛いし」俺は、どうして、いきなりそんな話になっているのか理解に苦しむ。仲がいいのは確かだし、リーフが可愛いのも確かだが、たかだか毎日食事に連れて行っているくらいで、どうしてそんな噂になるのだろうと思う。大体、アキもディルも毎日一緒なのに。俺はため息をついて、クリス少尉を見る。
「いい夫婦になれるかどうかは知りませんが、土産は買ってきます。何か欲しいものはないか聞きたいので、拘留部屋に行ってきてもいいですか?少尉」その言葉を聞いて、クリス少尉は嬉しそうに笑顔を浮かべると、机の引き出しから、リーフとディルの部屋の鍵を取り出し、俺に放る。
「許可しますよ。もちろん。さあ、どうぞ」クリス少尉はふざけたような口調でそう言った。俺はその言葉を無視すると、兵舎奥の、拘留部屋に向かう。
拘留部屋の前まで来ると、俺はドアの頑丈な錠前を外して、数回ノックをする。中でどたばたと結構な激しさで人が動く音が聞こえた後、
「どうぞ」とリーフの返事が聞こえる。俺がドアを開けると、リーフがTシャツと迷彩の短パン、寝癖頭という明らかに寝起きという姿で立っている。袖から伸びる腕や、短パンから伸びる脚の白さがやけに艶かしく見えて、俺は焦って目をそらす。
「どうしたの?」俺の伏せた目を覗き込むようにしてリーフが言う。
「いや、あの、あ、そうだ、ディルはまだ起きてないのか?」俺は内心の焦りを気付かれないよう、部屋の中に視線を移すと、ディルのベッドを見る。どうやらディルはまだ寝ているようだった。
「寝てる。起こした方がいいかな?」リーフがディルのベッドを見ながらそう答える。
「いや、いいんだ。あの、俺、今日、非番で外出だから、なんか欲しいものあったらって思ってさ」俺はなんだかしどろもどろになりながらそう伝える。リーフはその言葉を聞いて、なんだか太陽がはじけたような実に明るい笑顔を浮かべた後、慌てて恥ずかしげに顔を伏せると、
「でも、なんか悪い。ご飯にも毎日連れてってもらってるし」と遠慮がちに言う。
「いや、給料も出たしさ。結構、軍って金使う所ないから、遠慮しなくていいぞ。そんな安月給でもないし。食べ物でもなんでもいいからさ」
「でも、」リーフは、俺から目をそらしたまま、なんだか嬉しいんだか困ってるんだかよく判別のつかない表情を浮かべて口ごもる。
「いいんだって」俺が念を押すように言うと、リーフはゆっくり顔を上げ、俺を見上げて、
「……この間、ディルが、ドーナツもらってたでしょ。おいしいってすごい喜んでたから、なにかお菓子がいいな」と表情を笑顔に戻して答える。
「了解。夕方には帰ってくるから、楽しみにしててな」俺はそう答えて、嬉しそうに笑顔を浮かべるリーフを見る。クリス少尉にからかわれたのは癪なのだが、その計らいには、素直に感謝するべきなのだろうなと俺は思った。とはいっても、やっぱりからかわれると頭にはくるのだが。
俺は共有スペースに戻ると、相変わらずにやにやして、なにか言いたげなクリス少尉の横を通り抜け、鍵をクリス少尉の机の上に戻す。
「仲いいじゃん。やっぱり」クリス少尉はそう言って俺を眺めている。また、盗み聞きでもしていたのだろう。
「盗み聞きはあまり、上官としてふさわしい行動ではないと思います」俺はため息をつきながらそう答える。
「可愛い娘さんの寝起きっていいよね。もしかして、狙ってた?」さらにクリス少尉は畳み掛ける。
「いい加減にしましょうね。クリス少尉」俺は目に力を込めてクリス少尉を睨みつける。クリス少尉は怯えたような仕草を相変わらずのふざけた態度で取ると、肩をすくめる。
「そんなに怒るなよ。いいじゃん休みなんだし。俺なんていまからまた尋問なんだよ。夕方まで。少し、からかうくらい許してくれ」
「俺はまだいいですけど、リーフをからかったりしないでくださいね。あの娘、怒ったら怖いですよ。知ってるでしょうけど」俺は最初に会ったときのリーフを思い浮かべる。
「しない、しない。お前だからだよ。俺、こう見えて女性には優しいし」クリス少尉のその言葉を聞いて俺は確かにそれはそうかもしれないなと思う。土産の件にしろ、食事の件にしろ、心遣いという点では、結構なものだと評価できる。
「少尉は、真面目にしていたら、優秀な上官だとみんな認めてます。ですから、酔っぱらってアキを怒らせたりとか、俺とリーフの会話を盗み聞きしたりとか、そう言う事は止めた方がいいと思います。そのうち、誰か本気で怒るかもしれませんよ」
「そうですか。ありがとうございます」クリス少尉はなんだか嬉しそうにそう答える。単純に優秀という言葉に喜んでいるのだろうと思う。
「じゃあ、夕方には戻ります」俺は外に続くドアに手をかける。勢いよくドアを開けると、涼しげな風が共有スペースに流れていく。
「気をつけてな」クリス少尉のその声を背に、ドアを閉め、俺は外に出る。どんなお菓子を買ってこようかなどと考えながら、俺は、ゲートまでの結構長い道のりを歩いていく。今日はなんだかいい休日になりそうな予感がした。