国境編 12章
二十三時、共有スペースに向かうと、既にアキが装備を整え、俺を待っていた。
「悪い。遅れたか?」
「時間通り。問題ない」アキは、俺の方を見て、そう答える。俺たちは互いの武器、装備を確認し、問題が無い事を確認すると、兵舎を出る。深夜の駐屯地は、静かで、時折俺たちを照らす、回転するサーチライトの明かりと、薄い月明かりのほかは、何も光源が無い。巡回コースを俺は思い出しながら、アキに遅れないように、歩いていく。巡回といっても、延々歩き続けという訳ではない。五カ所ほどの指定された箇所に、それぞれ二十分ほど、待機し、移動していくという形だ。俺たちは最初の待機、警戒ポイントに到着すると、手頃な岩や、石段を見つけ、腰掛ける。俺が、煙草を取り出そうとすると、アキが無言で、その手を抑える。
「どうした?」俺がそう聞くと、アキは少しあきれたように、口を開く。
「タバコの火は、かなり遠方からでも視認される」俺は、その言葉で、いつもの巡回ではなく、これが、実際に戦闘に陥る可能性のある危険な任務である事を思い出す。
「悪い。そうだよな」俺は煙草を取り出しかけていた手を、元に戻す。
「それにしても、静かだな。ここは」俺はそう言って、ライフルの照準を覗く。安全装置、銃身、その他の場所をそれぞれ再度確認する。出発前に確認はしているのだが、なんとなく、気にかかってしまう。もし、ボストの連中と戦闘になったとき、弾詰まりでも起こせば、シャレにならない。
「実際、潜入は難しいとは思う」アキが口を開く。俺が銃から目を離して、アキの方を見ると、アキはナイフの柄や、鞘を点検していた。
「基地外に、特殊作戦群の一部隊を展開させているとクリス少尉は言っていた」アキはそう続ける。
「特殊作戦群って、あの首都に本部があるやつか?」
「そう」
「あいつらが、やられるくらいの相手だったら、本気で危ないな」俺はそう呟く。特殊作戦群というのは、俺たち一般の陸軍兵とは違って、基本的に守備する対象を持たない。俺たちが決められた駐屯地のエリアを警戒するのが主任務なのに対して、特殊作戦群の連中は、軍上層部の指示で国内のどの場所にも数時間で展開できるよう編成されている。俺たち一般兵が、敵を足止めし、空軍が敵を攻撃する、その裏で、敵の背後を撹乱したり、敵部隊の中枢に奇襲したりといった特殊かつ、高度な作戦に従事する連中だ。当然、求められる質は俺たちと違い、かなりハードだ。首都警備隊で俺の上官だった力自慢の軍曹は、酔ったあげく、同じ酒場にいた特殊作戦群の一般兵に殴り掛かったことがあったが、わずか数秒で返り討ちにされていた。唖然とする俺に、その一般兵は、はやくつれて帰ってやりなさい。少し飲み過ぎているようだ。と優しく声をかけてくれていたが、これが、酒乱かつ短気な人であったら、今頃俺も無事じゃなかったろうなと考えた事を思い出す。
「クリス少尉は、二年前まで、特殊作戦群にいた」アキはそう呟く。俺はラルフ曹長はともかくとして、あのクリス少尉がそんなところにいたとはどうしても思えず、思わずそれを口に出してしまう。
「クリス少尉が?ラルフ曹長ならともかく、あの人は似合わないな」
「クリス少尉は作戦立案部門にいたと聞いている」その言葉を聞いて、俺は少し納得がいく。クリス少尉は、性格はともかく、頭は切れる人だ。おそらく、それを見込まれたのだろうと俺は想像する。
「だよな」俺はそう答える。アキは俺の顔をしばらく眺めていたが、ふと立ち上がるとナイフを抜き、何度か素振りをする。そして、俺の方を振り返って、口を開く。
「クリス少尉と、ナイフで訓練した事がある」意外だった。あの人は殆どの訓練に顔を出さず、いつもどこかに出かけている印象しかなかったからだ。
「アキと、か?」
「いや、ラルフ曹長、私、ルパード、グリアムとそれぞれ」アキは何かを思い出すかのように目を瞑る。
「で、どうなんだ、あの人」俺がそう聞くと、アキは目を開いて、小さくため息をつく。
「ルパード、グリアムは数秒で負けた。私は多分二、三分で、ラルフ曹長は引き分け」俺はその言葉を聞いて、驚く。なんだそれは。
「なんだそりゃ。ルパード、グリアムならともかく、お前やラルフ曹長までか。あの人、士官だろう」俺がつい大きな声を出してしまうと、アキはそれを制するように人差し指をたて、自分の唇に当てる。その仕草で俺は巡回中だったことに改めて気付き、声量を落とす。
「無茶苦茶だな」俺がそう呟くと、アキは少し目を伏せ、俺の言葉に同意するように頷く。そして、静かに語り始める。
「最初、私がここに来たとき、班長は違う人だった。その人はあまり優秀な人ではなくて、ラルフ曹長も、ルパードもグリアムも言う事を聞いていなかった」
「そうか」俺は気の毒なその班長に少し同情して、そう呟く。
「しばらくして、その班長は転属願いを出した。その後に来たのがクリス少尉だった」
それから、アキの語った所によると、アキ、ルパード、グリアム、ラルフ曹長は、転任してきたクリス少尉の言う事もあまり聞かなかったそうだ。一見、飄々としていて軽い印象のある人だし、ラルフ曹長に至っては少尉を軟弱もの呼ばわりをして、ろくに口も聞かない有様だったそうだ。そんなある日、週に一度のミーティングで、クリス少尉は皆に提案をしてきたらしい。その提案というのが、いまからナイフで模擬格闘戦をしようといったものだった。
「無能な上官の言う事など聞けん、という君たちの気持ちも解らないでもない。頭で勝負してもいいのだが、それでは、君たちも納得しないだろう」クリス少尉は薄笑いを浮かべて、挑発するようにそう言ったという。負ければ言う事を聞け。君たちが勝てば、好きにすればいいと言われ、アキは正直、この上官は五体満足で明日を迎えられるのかと思ったそうだ。
「でも、違った」アキはそう呟く。最初に試合をしたルパードに至っては、ナイフの試合に負けた後も飛びかかって得意のレスリングに持ち込もうとしたらしいが、クリス少尉の体に触れる前に、鮮やかな回し蹴りで気絶するはめになり、その次にあっけなく負けたグリアムに抱えられ、兵舎で寝込むはめになったと言う。
「後に残ったのが私とラルフ曹長。ラルフ曹長は私に先に行けと言った」アキはその言葉に従い、クリス少尉の前に立ったと言う。
「それなりに私は自信があった。でも、数分しか持たなかった」
「お前が、か?」俺は最初にアキにこっぴどく負けたときのあのアキの動きを思い出しながらそう言った。
「私は負けた」アキは表情を変えずにそう呟く。
「そうか……」俺は、正直、クリス少尉をその頭の優秀さでは認めていたが、格闘戦でそれほどまで優秀だったとは露程も思っておらず、アキの語るそのクリス少尉の姿に驚きを隠せないでいた。
「最後にラルフ曹長。ラルフ曹長はラバーではなく、本物のナイフでやりましょうと言った」俺は思わず唾を飲み込む。殺す気だったのだろうかと思う。
「クリス少尉はそれに乗った」さらに俺は驚く。
「ラルフ曹長と、クリス少尉は、殆ど互角だった」なんでも、延々数十分に渡って決着がつかず、見かねたアキが無理矢理止めたそうだ。アキが止めた頃には、二人ともナイフを持っておらず、殆ど殴り合いに近い様相だったと言う。
「それから、私たちはあの人を上官と認めるようになった」
「そうか。それだけやられればそうだよな」俺はそう答える。俺たち一般兵は、士官に対して、何となくではあるが、一種の反感を抱いている事が少なくない。頭でっかちの秀才みたいな奴も多いし、格技や、銃撃の腕がまったくなってない士官も多いからだ。俺が最初この部隊に来たとき、アキやラルフ曹長の腕を見て、どうして、これだけ腕が立つ連中が、あんないいかげんそうな上官の言う事を素直に聞くのだろうと思っていたが、そう言う事だったのかと納得する。
「でも、良く止められたな。俺だったらラルフ曹長が本気で殴り合いしてる所に割って入るなんて出来ないよ」俺がそう言うと、アキは小さくため息をつく。そして、口を開くと、
「どちらかが死ぬと思った」と言う。なんでも、その後の数日間はラルフ曹長も、クリス少尉も食事をとるのに苦心するくらい顔が腫れ上がり、大変だったそうだ。
「まあ、いい事だよな。上官が有能ってのはさ。俺たちも安心できる」俺はそう呟いて首都警備隊の無能で有名だった秀才ぶった顔の士官を思い出す。
「いい事だと思う」アキもそう同意する。そして、立ち上がると、次の巡回ポイントの方向を指差す。
「次はあっちか」俺は心持ち緊張のほぐれた体で立ち上がりそう答える。アキが無言で頷いて、ライフルを構え、歩き出す。俺はその姿を見ながら、できるなら一度クリス少尉に訓練を見てもらうようお願いしてみようかなどと考えていた。まあ、なんのかんのと理由を付けて、顔を出さない事は明白なのだけれど。