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国境の空  作者: SKYWORD
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国境編 11章

 クリス少尉が出て行った後の共有スペースは、いつもより静けさを増しているように思えた。俺は近くにあった椅子に腰掛けると、制服の胸ポケットから煙草を取り出し、火をつける。クリス少尉の話が頭の中を巡る。エイジア、セルーラ、ボスト。三国が何らかの思惑で、動いている。それも、俺たちがいるこの国境で。俺はため息を付き、煙草を灰皿に押し付ける。そのとき、小さな足音がして、俺は音がした方向に振り返る。

「準備ができた」アキが白い布とナイフを抱えて、立っている。

「あ、そうか」俺はそう答えて、立ち上がろうとする。

「そのままでいい。先に今日の巡回の話をしておきたい」アキは俺の近くの椅子に座る。白い布とナイフをテーブルの上に置くと、ポケットから紙片を取り出す。

「巡回ルートは基本的にこの兵舎の周辺百メートルの範囲。装備はナイフとライフル。実弾を装填して」受け取った紙片を見ると、手書きの地図に巡回ルートが記載してある。

「時間は、二十三時から三時まで」アキはそこまで話すと布とナイフを再び抱え、立ち上がる。

「不審者を発見した場合は?」俺は立ち上がったアキの背中に向かってそう問いかける。アキは振り返って俺の顔を少しの間眺めると、口を開く。

「通常の巡回時規定に基づく」

「誰何の上、返答がなければ、敵戦闘能力を奪う、か」俺はそう呟いて立ち上がる。アキは立ち上がった俺の姿を確認すると、兵舎奥のリーフとディルの部屋に向かって歩き出す。誰何ってのは、簡単に言えばお前は誰だと聞く事だが、そんな事を聞いている暇が実際にあるのだろうか。俺は国境地帯特有の明かりのない暗い夜の中で、敵がうろうろしている様子を想像して、どうもそんな暇はなさそうだと思う。俺のそんな思いを予想したのかどうか、アキは俺の隣を歩きながら、

「クリス少尉からは、臨機応変に。とも指示を受けている」と言った。


 ディル、リーフは既に部屋のベッドやら、小さな机やらを隅に移動させていて、まあ、一人が踊るには十分かというスペースを作って、俺たちを待っていた。

「このくらいの広さで足りるかな?」リーフがアキにそう聞いている。

「問題ない」相変わらずの端的な返事でアキは答える。アキは持参した白い布をちょうど半分に折って、折り目から肩に掛けると、器用に体に巻き付け、最後に留め具代わりなのか、分厚い書類を留めるときに使う大きめのクリップで布を留めた。大きめの布は、アキの体を殆ど覆い隠していて、時折、黒いTシャツが白布の隙間から覗いている。ナイフを手にすると、アキはリーフたちが作ったスペースまで歩き、軽くステップを踏む。

「ナイフを使うの?」ディルが驚いた表情でそう口にする。

「……剣舞。剣の代わり」アキはナイフを手にしたまま、少しだけ和らげた表情をディルに向ける。

「もしよかったら、音楽、用意できるよ?」リーフがそう言って、小さな横笛を手にしている。この笛は俺たちカエタナにはなじみが深いもので、俺もそれを知っていた。カエタナの伝統的な楽器で、俺の母や祖母もよく親戚の集まりや祝い事の時にこの笛を吹いていたからだ。カームという笛で、作るのも基本的には自分でやる。長さ二十センチほどの細い竹の筒に、音を合わせながら横穴を開けていく。カエタナの女は大抵自分の母親から指導を受けながら、小さな頃にこの笛を作らされることが多い。俺も、小さな頃に母から、あんたが女だったら教えてあげたけどね。と言われた事があった。

「リズムが知りたい。聞かせて」アキはそう答える。リーフは嬉しそうに微笑むと、笛を小さな唇に当てる。小さな頃に聞いた頃のある、どこか悲しげな曲が、カーム特有の少しかすれた音色で聞こえてくる。アキはしばらく目を閉じてそれを聞くと、リーフの方を見て、

「その曲でお願い。あと、灯りは消してほしい」と言った。


 リーフ、ディル、そして俺はアキから少し離れて、並んで座る。そして、リーフが笛を再び吹き始めると、アキの白い手がゆっくりと挙げられ、その手に沿うように、ナイフを持った方の手も挙げていく。伸ばした両方の手を頭の上で交差させると、アキが小さく頷くような仕草で首を動かし、曲に合わせてナイフを滑らかにすべらせていく。窓から時折差し込むサーチライトの明かりが、アキのナイフに反射して、一瞬、俺たちの目を眩ます。曲の物悲しげな旋律に合わせているのかどうか、アキの動きはどこか悲しげに見える。手や、脚の動きに合わせて、体に巻き付けた布がはためく。部屋が暗い所為もあるのだろう、かすかな月の明かりと、時折差し込むサーチライトの明かりに反射して、アキの身に纏う白い布は、まるでそれ自体が微かに発光しているように見えた。表情は、いつもの無表情ではない。細めた目に、長めの睫毛が伏せられ、少しだけ開いた口元で小さく何かを呟いている。もともと、端正な顔立ちだとは思っていたが、今のアキはいつものアキと比べてまるで別物のような印象を俺に与えていた。リーフが花とか、太陽とかに例えられるのであれば、アキの今の姿は、氷河の深くに何万年も凍り付いている透明度の高い氷のようだった。澄み切った、冷たい、硬質な美しさだ。夏の暑ささえ、俺たちの回りから失われていくような気がした。


「アキ、すごい」ディルがそう呟く。俺もそう思う。酒場で踊る踊り子は何度か見たが、アキの踊りは俺が今までにみたそんなものとは明らかに一線を画している。


 どのくらいの時間が流れたのか、俺がその感覚を失い始めた頃、リーフが曲を吹き終える。アキはナイフを床に突き立て、そのナイフに跪くように動きを止める。リーフも、ディルも、そして俺も、しばらく言葉を失っていた。

「終わり」アキがそう呟いて、いつもと同じ表情に戻って、立ち上がる。

「アキさん。凄く奇麗だった。セルーラの踊りなの?」リーフが目を丸くして聞いている。

「剣舞。セルーラの伝統的な踊り」アキは少し照れたのかリーフから目を逸らす。身につけていた布を外し、ナイフを鞘に戻しながら、そう答える。

「そうなんだ。私、あんな奇麗な踊り、初めて見た」リーフはなんだか呆然とした目つきでそう言った。俺はなにか感想を口にしようと思いながら、なんと言ったものか適切な言葉が思い浮かばず、すごい、すごいと言いながら、アキにまとわりつくディルと、リーフを眺めている。

「どうだった?」服装を元の軍装に戻し終えたアキが俺の方を見てそう聞いた。

「え……と、なんか、さ、驚いた。本当にうまいな、踊り」俺はそれだけをなんとか口にする。

「そう」アキはそう呟いて、ディルの頭を撫でる。その横で、リーフは、アキが持ってきた布を、見よう見まねで身に付けようとしていた。不器用なのか、なかなかうまくいかないようだったが、見かねたアキが手を貸すと、さっきまでのアキと同じ服装のリーフが出来上がる。

「似合うぞ」俺はそう言ってやる。リーフは恥ずかしそうに笑う。

「でも、これ、動きにくい。アキさん、良くこれであんなに踊れたね」リーフがそう口にすると、

「慣れ」とだけアキは答える。


 雑談を続けるうちに、就寝時間が近づき、アキは、その旨をリーフとディルに伝える。二人は、まだいろいろとアキに聞きたいことがあるようで、残念そうな表情を浮かべていたが、素直にベッドや、家具を元の位置に戻す。

「ありがとう。アキさん」リーフがそう言うと、

「ありがとう」とディルも言う。アキはその言葉に少しだけ和らげた表情を返す。

「また、明日な。食堂に行くときに迎えにくるから」俺はディルとリーフにそう伝える。

「うん」リーフとディルが頷く。俺はドアに向かって歩き出したアキの後を追う。その後ろから、二人が、おやすみなさい、という声が聞こえた。


「お前がナイフ得意な理由が解ったよ。なんか」俺は共有スペースに向かって歩くアキにそう声をかける。アキは無言で俺の方を見る。

「確かにリズム、だよな。無駄な動きが少しもなかった」俺はそう続ける。

「そう」アキはそう言って、俺から目を逸らす。

「二十三時からだったな、巡回。どうする、共有スペースで待ち合わせでいいか?」俺はナイフやら、ライフルやら、携帯するものを思い浮かべながら、そう問いかける。

「かまわない。できれば、少し寝ていた方がいいと思う」アキはそう答える。確かにそうだ。いきなり戦闘になる可能性もある以上、疲れを少しでも取っておいた方がいい。


 共有スペースに戻ると、俺たちは、ナイフや、ライフルの準備を始める。武器の棚から、ナイフを取り出し、鞘に納めると、ライフルに実弾を装填し、定められた点検箇所を順に確認していく。アキはナイフと違って、銃の扱いはあまり得意ではないようで、分解点検に手間取っているように見える。アキが点検を終えるのを待ってから、俺は立ち上がる。

「お前、ボストの兵隊って見た事とかあるか?」俺は個室に向かう廊下を歩きながら、横を歩くアキに聞く。

「昔、エイジアの連邦首都で見た事がある」アキはそう答えて、立ち止まると、俺の目をまっすぐに見て、

「怖い?」と、付け足す。

「……わからない。俺も軍人だからな。それなりに覚悟はしてる。逃げたりとか、怯えて動けないってのはないと思う。ただ、相手がどれくらい強いのか、解らないのは少し嫌だな。正直言って」

「私も同じ」アキはそう言って、また、歩き出す。そして、顔を前に向けたまま、呟くように、

「同じ」と繰り返した。

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