4 甘い聖女
しばらく休んだ後に出発したが、道中の道のりでラーフは目眩を覚えた。
なんだ……急に。
ラーフは次第に視界が歪んでいくのを感じた。
気付いた時には体が重く感じられた。
久々に体を動かしたからだろうと思ったが、違った。
「ラーフ、大丈夫?」
レンジュは心配そうにラーフを見つめた。
周りを見てみればギーラも、トウマも顔色が悪かった。
特にトウマの表情が一番まずい。血の色はなく真っ青であった。
どうやらこの突然の症状は自分だけではないようだ。
「どうやら近くに悪魔がいるようです」
ギーラの呟きにあたりは緊張した。
どうやらトラン村に近づくラーフたちを見つけた悪魔が瘴気をばらまいているようである。
ラーフは心配そうに覗き込む少女に疑問をかけた。
「お前は、大丈夫なのか?」
レンジュは普段と変わらないようである。
「私は大丈夫。この程度の瘴気は平気なの」
つまり救世神の寵愛により、そこらの瘴気から守られているようだ。
「随分と神様から大事にされてるようで」
ラーフは皮肉げに笑った。それにレンジュは苦く笑った。
「無駄口叩く暇があれば武器をとれ」
ギーラは苛立ち槍を手にした。
柄の部分に太陽と月を表した文様があしらわれてる。
デーヴァ一族のシンボルだ。
ラーフはやむなく腰に佩ていた剣を抜き出した。カラムの役人が用意したありあわせの剣である。馴染みのないものであるが、ないだけましである。
「あれー? 思ったよりしぶといなー」
声がすると同時にいやな黒い霧が集まり、中から大きな蝙蝠が現れた。黒い腹から大きな赤い瞳が開いている。ぎょろぎょろとラーフたちを睨み据え、大きな口を開け薄く笑いを浮かべていた。
これが、トウマが言っていたトラン村に災いをもたらした悪魔だ。
「お前がトラン村に災いをもたらす悪魔だな」
それに対して悪魔は心外だと言わんばかりに眼を細めた。
「災いだなんてひどい、ひどい。私はただ仲間たちが住みやすくしてるだけだよ」
「そう。でも、困るものたちがいるからそれは許されないことだよ」
レンジュが前に出てそう言う。
悪魔は珍しげに彼女を見つめた。
「これは、救世の聖女様じゃないですか。なになに、また人助け? ご苦労なことだ」
妙に馴れ馴れしい物言いだ。
悪魔からすれば聖女は天敵であるはずなのに、嫌悪の感情が見受けられない。
「我らが主も言ってます。そんな無駄なことはおやめなさい。悪魔が何もせずとも人は土地を荒らします。欲のまま罪のない獣を殺し、木を奪い、水を枯らさせる」
妙に優しい口調でレンジュに近づく。
ぞっとする声であるが、レンジュは微動だにしなかった。
「それは自然の摂理、人は生きるために糧を得る。住む為に家を作る。暖をとるために火を起こす。でも、人は自然の恵みの限度を知ってる」
だから大事にしなければと思う者もいる。
悪魔はレンジュの応えを心の底から嘲け笑った。
「知らない人の方が多いぞ」
「そんなことはないよ」
レンジュはにこりと笑った。
「やれやれ甘い聖女様だ。その甘さもうちら悪魔にも向けて欲しいよ」
悪魔はそう言いレンジュの前にさらに近づいた。
「聖女様。あなたはいずれ絶望する。人の愚かしさに……がっ!」
悪魔は突然の激痛に悲鳴をあげた。
ラーフが剣で薙いだのである。
悪魔の背中から赤黒い血が流れ落ちる。
それがレンジュの足元に落ちていった。
「ひどいじゃないか。お話の途中に」
悪魔は振り返りラーフを睨み据えた。
「これが人間のすることかい?」
悪魔は横からさらに攻撃を受けた。
ギーラが槍で悪魔の顔面を横から串刺しにした。
「黙れ!レンジュ様を惑わすな!」
ギーラは心底怒り悪魔を罵倒した。
串刺しにされた悪魔は苦しそうに呻いたが、同時に呆れたように囁いた。
「やれやれ、俺もここまでか」
もっと瘴気をばら撒きたかったなと呟くが、特別悲壮感は感じない。そのまま息を引き取るかと思えば、思い出したように悪魔はレンジュに声をかけた。
「そうそう、聖女様。我が主が言ってます。早く傍にいらっしゃいと」
そう言いながら悪魔は空気の中へと消え去ってしまった。
レンジュはじとそれは見つめた。
それはとても悲しそうな表情であった。
「ごめんなさい。人を苦しめるあなたたち悪魔を許すことはできないの」
彼女が発したのは悪魔の死を憐れむ言葉であった。それを聞きラーフは舌打ちした。
なんて甘い聖女であろうか。