48 救世神
祭壇に戻った後、レンジュは必死にラーフに呼びかけた。
聖女の光をだしラーフの傷をいやそうとした。それを魔王が止めた。
「この傷をお前が代わりに受ければ、お前が死ぬぞ」
今までの傷は致命傷に至らなかったが、これだけは無理だ。
「死んでもいい」
大事な儀式の前に死ねば自分の願いなど叶うわけがない。
レンジュにはそれよりも目の前の愛しい男に生きてほしかった。
自分が役目を果たさねば世界が亡ぶというのに、少女は目の前の男を選ぶというのだ。
魔王は悲しげに笑い、聖壇の天上へ向け語りかけた。
「……聞いているだろう。見ているだろう。聖女と眷属はここまでの道のりを耐えてきたのだ。せめて労をねぎらう為に姿を現せてもいいのではないか?」
魔王としては救世神など畏敬の念もない。憎悪の対象でしかない。
一人の少女を犠牲にしておきながら、与える見返りは消滅なのだから。
全く反応がないのに魔王はため息をついた。所詮神とはこの程度なのだ。
『確かに君の言うとおりだ』
突然聞き覚えのある少女の声が現れた。
その声はレンジュから出てきたのだ。
魔王はレンジュの中に現れたものを認識した。レンジュの体を使いこの世界へ現れた者、この世界を救済する神・キリクであった。
キリクはふぅっとラーフの胸の傷口に息を吹きかけた。
するととめどなく溢れた血がとまり、傷もふさがっていった。絶え絶えであったラーフの息も徐々に落ち着いて行っていた。
ふと目を覚ますとラーフの視界に飛び込んできたのはレンジュの顔であった。しかし、一目みて違うと感じた。
「お前は誰だ?」
キリクはくすりと笑いおもむろに立ち上がった。
「私はキリク。救世神として信仰されている者だ」
それを聞きラーフははっとした。
「ラーフよ。君の働き、実に見事であった。よくぞここまで聖女を守り抜いた。その功からお前の傷をいやした」
キリクは魔王の前に出て言った。
「魔王となったラーフよ。この百年、魔王として人々に恐怖を与え続けた。その罪は到底赦されない」
「ああ、そうだな。だが、後悔はしていない」
その言葉にキリクは悲しげな表情を浮かべた。
それに魔王は心のどこかで慌てた。
姿はレンジュのものだから、レンジュが悲しげにしているようにみえた。
『君の苦しみは確かにわからないでもない。私の与えた業がこうさせたのだ』
ラーフだった魔王がそういう道を辿ってしまったのは自分の作った業だとキリクは認め、謝罪の言葉を述べた。
「なら、ばかげた儀式をやめさせろ。一人の少女を犠牲にして世界を救うなんて」
キリクは首を横に振った。
『それは無理だ。荒廃した世界を元に戻す程のエネルギーを与えるには神である私の依り代が必要なのだ。そしてそれだけのエネルギーを使えば、依り代の肉体は耐えられず消滅する』
「それが納得できないんだよ」
『だからこそ、聖女たちの魂を私が回収し、天上へ召させる。彼女たちには私の分神という地位を与えている。彼女らに天と地の摂理を守らせ、人の世界を見守らせている』
「それは、消滅したあとも神の下で働かされているってことだろう」
さんざんこの世界でぼろぼろになりながらも人々の苦しみの肩代わりをして、その末が死んだ後も使い走りをやられるということか。
『そう見えるか……だが、おかげで私の目の届かない部分を歴代聖女たちが補ってくれている』
それに魔王は鼻で笑った。
「結局お前のためだろ」
『神も万能ではない。私は全ての人が救われて欲しいという願いから生まれた神だ。しかし、私一体だけでは世界を救済するのは難しい』
その為に自分と同じ力を持つ神が必要になってきた。それを歴代の聖女たちに一任させていた。
「レンジュもその、お前の分神にするのか」
思わずラーフはキリクに質問した。
『ああ、そのつもりだった』
その過去形の言葉にラーフは首を傾げた。
『この娘と、この魔王に問いを与えよう。それ次第で決めようと思う』
まずは魔王からだとキリクは魔王へ向き直った。
『君は神が禁じていた術を使用しただけではなく、百年間人に恐怖を与え続け、疫病を蔓延させた。許され難い罪である』
それに魔王は苦笑いした。
確かに自分のしてきたことは許されることでないことくらい承知の上である。
いくら一人の少女を犠牲にしている世界へ憤っていたとしても、罪のない者たちを傷つけてきたのである。
そして、自分のしてきたことはその少女の一番望まないことであったのはわかっていた。
「裁かれよう。地獄なり、どこでも好きな場所へおとせばいい」
『これから私の分神の眷属となり罪を贖い続ける気はないか?』
「分神の眷属?」
『そうするというのならお前に私の力を一時的に与えよう。それで世界の再生を願え。そうすればお前の肉体は消滅するが魂をある神の元へ届けよう』
「つまり魔王の私にレンジュの肩代わりをしろと」
それに魔王は違和感を覚えた。
「俺は邪悪な力を手に入れた魔王だぞ。神聖な救世神の力を具現化していいのか?」
『私の下であれば特別に許す。それに、魔王になってからこれだけの強い肉体を身に着けたのだ。サポートさえあれば十分に救世神の力を具現化できよう』
「その分神はレンジュか?」
『いや、このレンジュではない』
キリクの言葉に魔王とラーフはお互いの顔を見合わせた。
「俺は構わない。だが、俺の肉体が消滅した後は延々とお前たちの眷属でい続ける気がない。役割を果たせば早々に地獄へ送ってくれ」
『そうか……まぁ、その神をみてから決めるがいい』
キリクの意味深な言葉に魔王は顔をしかめた。まるで魔王が眷属になることを選ぶかのような物言いであった。
『さて現代の聖女よ』
キリクはレンジュの肉体に呼びかけた。
『主は自身が犠牲になることをいとわない素晴らしい聖女であった。今までの聖女の中で、ここまで酷い状態の体はなかなかない』
キリクは苦笑いしてレンジュの体を見た。
やらなくても良いことまで身を賭してやり遂げた体を。
『問おう。主はこのラーフという男と過ごしたいか、それとも私の分神になり、これからも人々の救済の為励むか』
そういいキリクはすぅっと瞼を閉ざした。
ぱっと目を開けるとそのときには人格はレンジュのものであった。
「わ、私は自分がどうなろうと構いません」
レンジュは首を横に振っていった。
すると頭の中にキリクの声が響いてきた。
『違うだろう。私が聞きたいのは犠牲になるかどうかではない。ラーフと生きたいかどうかだ』
「私は……」
レンジュはちらっとラーフを見つめた。
自分の願いを叶えた後は後を追って死ぬといってくれた男であった。
レンジュが生まれて初めて愛しいと感じた男であった。
ギーラも、マホも、サーシャも好きである。だが、ラーフはそれとは全く違う好きであった。
「私は、ラーフと生きたいです」
レンジュはつぅっと瞼から涙をこぼした。
ぽろぽろととめどなく溢れる涙をラーフは近づき拭ってやった。
『よかろう。では、これよりレンジュを聖女の任から外す。そして私の遣わす神の加護の下に魔王ラーフをつけよう。今から迎えを寄越す』
三人の頭の中にキリクの言葉が響いた。
するとさぁっと白い光が天から降りてきた。水晶のように美しい光の玉の中に小さな少女がいた。
今から魔王が眷属になろうとする救世神の分神なのだろう。
その神が降りたった時、三人は驚きの表情を隠せずにいた。
真っ白の衣に身を包み、錫杖を手にしたレンジュであった。
『彼女は魔王の世界の救世神の一柱神。今回の為に未来から特別に迎え入れた』
それを聞き魔王は手のひらの小さな光輝く少女神を見つめた。
時として神は時間、時空の概念に捉われず存在し続けている。
過去、現在、未来を見渡しそこに手を張り巡らせることもある。
目の前の神は別の時空で誕生した存在なのだろう。
「お前なのか」
それにレンジュと同じ顔の神はこくりと頷いた。
『これより我が下にて、この者が救世の力を使うことを許可します』
分神は錫杖を振り鳴らした。神に誘われるまま魔王は右手を天に掲げた。
白い光があたり一面を覆った。
今までレンジュが持つ白い光と同じく温かく穏やかなものであった。
その光に包まれる中、ラーフはレンジュの肩を抱きしめた。
もう一人のラーフと、もう一人のレンジュである。
光の中、ラーフはレンジュに囁きかけた。
その声にレンジュは目を大きく見開き、ようやく落ち着いた涙が一層溢れてしまった。
光が消えた時にはすでに魔王の姿も分神の姿もなかった。
『これにより荒廃した世界は再生される』
それを聞きレンジュはほっとした。
『とはいえ、例外の儀式であるため前回程の威力は発揮していない。だが、後は人次第だろう』
それにラーフはレンジュの肩をぎゅっと抱き寄せた。
「ああ、そうだな。ここまでしてくれたんだ。後は俺たち次第だ」
神殿内から清浄な空気が流れている。
外をみるとひどかった瘴気もなくなり晴れやかな空が広がっていた。
「だけど、また数百年後、荒廃のときが来るんだな」
そうすれば聖女が誕生し、また一人の少女が犠牲となる。
ラーフの言葉にレンジュは顔を曇らせた。
『次の荒廃の時、聖女は必要ない』
それにレンジュは顔をあげた。
『今回、魔王の行いは聖女の末路が原因となっていた。だからこそ、次回からは神々で話し合い神の力を具現化する代わりの道具を作っておこう。時間はかかるが、次の荒廃の時までには間に合う』
それを聞きラーフは眉をしかめた。
「そんな道具が作れるなら早く作ればよかったのに」
思わずつぶやいてしまった。
『そういうな。それだけの技術を駆使するには多くの神の協力が必要なのだ。だが、今回のことで他の神々も私の声に耳を傾けよう』
ラーフの声にキリクはそう説明した。
『お前たちの行動がなければ、こうはならなかっただろう。礼を言う、ラーフ。そして、レンジュ』
そのときレンジュは誰かに頭を撫でられたような気分であった。
キリクは口では言わなかったが、その撫でられた感触でレンジュは何を言いたかったか感じ取った。
『歴代の聖女たちが言っている。幸せになっておくれ』
その言葉は優しく慈愛に満ち、少女を見守る母親のような温もりがあった。




