序.罪人と少女
シンファ国バラク領カラムは牢の町と呼ばれる程の大規模な収容所施設がある町であった。
ここには国の王族・貴族に危害を加えた者、何千人もの人の命と財を奪った狡猾な盗賊が収容されている。
今は、罪人と兵士の間で持ちきりの話題の人物がいた。
その話題の男は窓から差し込まれる月光を見つめながらぼんやりと明日のことを考えていた。
男の名はラーフ・アーゼラ。
アーシェ領を治めるアーゼラ一族の者であった。
明日自分は処刑される。
この国で有力な将軍ラバナを殺した罪によって。
ラーフの一族はこれに関して何も言わなかった。
国の決める処置に委ねるとのことで、ラーフの弁護をしなかった。むしろ勝手なことをしたラーフを疎ましく思っているだろう。
元々、発言力の弱い下級貴族である。下手なことをしてアーシェ領を奪われることを恐れた。
国でも数少ない水源豊かで作物が実る土地であるアーシェ領を奪われるのは一族として痛手である。
今はせっせと上層部への貢物はしているが、ラーフの為ではなく領土安堵の為であった。
ラーフは一族の冷たい仕打ちに対して怒りなどなかった。
もう諦めに近く興味もなかった。
ラーフはラバナを殺したことに何の後悔もなかった。
ラバナはラーフにとって憎い仇であった。
奴は最愛の妹・シャロンを奪った。
俺のやったことは間違っていないはずだ。
国ではどう受け取られようがラーフにはどうでもいいことである。
ただ、憎い男をこの手で葬った。
それだけがラーフの達成感であった。
ラバナを殺した直後、警備兵に捕えられ牢へ引きずられてもラーフの気持ちは揺るがなかった。
手足に拘束具を付けられまるで奴隷のように扱われてもラーフにはもうどうでもよかった。
だが、時間が経つと何か違和感を覚えた。妙にぽっかりと抜け落ちたような気分がして落ち着かない。
ラーフは気のせいだと自身に言い聞かせ呟いた。
「悔いはない」
「本当に?」
突然少女の声がしてラーフは慌てた。牢の入り口の方をみた。
そこに一人の少女が立っていた。
空色の髪と瞳を持った十四程の少女であった。身につけている衣装は僧衣であった。上に真っ白な袈裟をかけている。首にかけられている装飾品からかなりの高位に位置するだろう。
誰だ?
少女は真っすぐとラーフを見つめた。
「本当に悔いはないの?」
何を聞いてきているのかすぐにラーフは気づいた。この牢にわざわざ来たということはラーフのしてきたことは把握していると思われる。
「ああ、ないね」
「どうして?」
「憎いラバナはもういない。それで十分だ」
「本当に?」
少女の言葉にラーフは苛立ちを覚えた。
何なんだ。この娘は。
「憎い者を殺してその先はどうなるの? 何か、得るものはあったの?」
「うるさい」
「それで妹君は喜ぶの?」
「あんたに何がわかる!」
知ったような口で言うなとラーフは怒鳴った。自分より年上の男に大声で怒鳴られたというのに少女は微動しなかった。
真っすぐとラーフを見つめていた。
その瞳はどう形容していいかわからなかった。
悲しんでいるようにも見える。だが、それだけではないように見えた。
その瞳で見つめられているとラーフは恐怖を覚えた。
自分の心の中を覗きこまれているような気分に襲われたのだ。
「出ていけ!」
そう叫ぶと少女はすっと目の前から消えた。
「何なんだ。あいつはっ!」
処刑前のラーフを見物に見て冷やかしてきたのか。
そう苛立ちをふつふつと溢しながら少女の言っていたことが頭の中に響く。
「うるさいなっ!」
シャロンが喜ぶかどうかなど知るはずもない。
何故ならシャロンはもういないのだから。
シャロンを奪ったラバナを殺した。だが、シャロンはもうラーフの元に戻ってこない。彼女はもうとっくに死んでしまったのだから。
「くそっ!」
復讐を果たしたというのに達成感を得られたのはほんのしばらくの間だけであった。
今はただ空虚感に押しつぶされそうな自分がいる。それを何とか誤魔化してきたのにそれを見透かしたように少女は囁いてきたのだ。
牢の中でただ静かな時間が過ぎようとしていた。
◇◇◇
翌朝、兵士に叩き起こされラーフはおもむろに起き上がった。
ついに処刑の時が来たか。
ラーフは兵士に鎖を引っ張られるのを待っていた。
だが、兵士は何も言わずラーフの拘束具を解いた。
「なんだ?」
処刑台に行くまで罪人の拘束具は解かれないはずである。一体どういうことだろう。
そう問うが兵士は応えずにただ出ろとだけ述べた。
案内されたのは処刑台ではなかった。
上の階の浴室であった。
「ここで体を清めろ」
説明もなしにそう言われラーフは浴室に入り今までの汚れを取った。湯につかったのは久しぶりだった。
丁度いい熱さで心地よかった。
湯の匂いをかぐと薬湯であるのがわかる。
「処刑前の極楽か」
よっぽど民衆に対しての見せしめにしようとしているのだろうか。
湯にあがると衣装が用意されていた。とても罪人が身につけるものとは思えない。
侍女たちがラーフの髪を整え、衣装のわずかな寸法のずれを直していく。靴も用意された。旅人用の丈夫な品である。
何か、おかしい。
だんだん訝しく感じながらラーフは与えられるものを受け取っていた。
身支度を整えると兵士は何も言わないままラーフを別の部屋へ案内した。
そこはこの収容所の長官の部屋であった。長官の顔は何度も見合わせたことがあるから知っている。
そして見ず知らずの男が傍らに立っていた。
「おい、処刑は」
長官はじろじろとラーフを睨み、ふんとのけぞった。
「お前の処刑はとりやめになった。聖女の慈悲に感謝するのだな」
「どういうことだ?」
国の将軍を殺した罪人が不問となるなど聞いたことがない。
「後はこちらのギーラ殿に任せる」
そう言い長官は部屋から退室してしまった。
見知らぬ男はラーフの目の前に立ち自己紹介を始めた。
「ギーラ・デーヴァです」
「デーヴァ……」
その名前を聞きラーフは驚いた。
国の王でも手出しができないと言われている天山に住む一族の名前である。
聖人や神を祖に持つデーヴァ一族は自身を鍛える為、山で修行を積み呪術と武芸を融合した術を身につけているという。
言い伝えで聞く通り、彼の髪は翠色で瞳の色は青かった。
「そんなたいそうな一族が俺に何の用だ」
「私ではない。レンジュ様がお前をお召しになられた」
レンジュという名を聞きラーフは首を傾げた。
「誰のことだ?」
「私の仕える方であり、この国……いや、世界の宝であるお方。救世神の寵愛を受けた聖女だ」
ますます驚いてしまった。
「救世神ってあの伝説の?」
ラーフの問いにギーラはこくりと頷いた。
この国は言い伝えがある。
――世界が荒れ果て、人々が絶望したとき。
救世神は聖女に自身の力を授ける。
聖女はその力で世界に実りを与え、人々を絶望から救済する。――
子供のときに乳母から何度も聞かされた言い伝えであった。乳母は熱心なキリク教徒であったため本当にその日が来るのを信じていた。
「その聖女様がどこにいるんだい?」
「まだ隣の部屋で眠られておられる」
「は? 人を召しておいてなんだよ」
ラーフは隣の部屋へと向かった。それにギーラが呼び止める。
「レンジュ様はお前を処刑から救う為何日も徹夜をなされたんだ」
「はい、はい。ではそのお礼も兼ねて優しく起こしてあげますよ」
そう言いラーフは隣の部屋に入る。奥の寝台に水色の髪が見えた。
それを見てラーフは首を傾げた。
寝台に近づき聖女を見て驚いた。
昨日ラーフの牢に現れた少女であったのだ。
少女はすやすやと寝息をたてていた。穢れもない無垢な表情をして。