巡り廻る
勢いで書いてみた。後悔はしていない……と思います。
とある夏の日。
蝉がいつもよりうるさかったのを覚えている。
暑い真夏日だったと聞いてはいるが、僕は汗などかいてはいなかった。
別にクーラーが効いた室内に閉じこもっていたわけではない。
だけど全身が冷や水をかけられた様に寒かった。
理由?
彼女が死んだからだ。
彼女は僕を置いていなくなった。
そこにいたのはもやは彼女じゃない。
ただの器。
空の器。
彼女たる由縁の魂はすでにないのだから。
僕は泣いた。
彼女は……涼子は僕の全てだった。
大げさでも何でもない、事実。
たかが十数年しか生きていない僕だけど彼女はそれだけ大事な存在だったんだ…………
そう……だった。
過去形になった。
彼女は病気だった。生まれた時から。
出会った時から細かった彼女の身体は、更に痩せ細っていた。
自慢だった長い黒髪も今は全く艶がない。長い闘病生活の代償の一つの証拠のように。
ある意味では彼女は苦しみから解放されたのだ。
涼子は生まれた時から死ぬ少し前まで闘い続けたのだから。僕はそれを途中から支えた。
彼女が……涼子の事が本当に好きだったから。
愛していたから。
出会った時は自信に満ち溢れていたその笑顔が見れなくなっていっても僕は側にいた。
本当に好きだったんだ。
……彼女もきっと僕の事を好きだったはずだ。
それともこれはただの自惚れなのかな?
答えはもう永遠に聞けないが。
彼女の病気は不治の病ではない。
必ず死に至る、そんな絶望するほどの病気ではなかったが……決して軽いものでもなかった。
医師は言った。
『患者である彼女が生きるという意志がある限り、死ぬことはない……』
昔は不治の病だった。
だが今の現代には特効薬がある。
苦しい副作用はあるが、耐え続けて病気と闘えばいずれ完治する。
僕は薬の副作用で苦しむ彼女を励まし続けた。
その苦しみを本当に理解できるわけでもないのに。もしかすると彼女自身よりも、僕の方が彼女に生きてほしいと願っていたかもしれない。
彼女はそれすらも見透かしていたのか、よく言っていた。
「恭也君の為にも、私がんばるね」
……あの時はそれほど深く考えずに聞き流していた自分をぶん殴りたい。
そんなある日のことだった。
長らく病気と闘っていた彼女が、急に闘うことをやめた。
生きることを諦めたのだ。
まるで今まで生きてきた人生全部を否定するような行動に当初、僕は戸惑い……時間が経過していくほどに怒りが込み上げた。
僕は問いつめた。
何故!?
何故なんだ!!?
小一時間は問いつめた。
時々、嫌になるくらいの沈黙はあったが終始、彼女は弱々しい笑顔を浮かべるだけだった。
その日から彼女は薬を飲まなくなった。
ただ唯一の特効薬。
しかし、肝心の患者自身である彼女がそれを飲まなければ、それは何の意味もない。
医師は言った。
『彼女の生きる意志が失われた』
それ以後、僕は彼女の病室に立ち入り禁止となった。
彼女の意志をねじ曲げてでも薬を無理矢理飲ませるつもりだった僕は激しく抵抗した。
止めようとする警備員を殺す勢いだった僕は、遂に警察沙汰にまでなりかけたが彼女の父親のある行動で暴れるのを止めた。
…………彼女の父親は土下座したのだ。
遥か年下の……自分の娘の同年代のガキに、だ。
ただひたすらに
『すまない……!』
と口にする彼女の父親を前に僕は逃げるように病院を後にした。
外は雪が降っていた…………
それから半年後。
彼女は死んだ。
半年ぶりに入った彼女の病室では、彼女の家族が泣いている。
何故?
悲しいからに決まっている。
しかし僕の心は真逆だった。
ただ怒り狂っていた。
彼女に対してひたすらに!
何故薬を飲まなかった!
何故諦めた!
なぜ?なぜ!なぜ!!なぜ!!?
怒りでどうにかなりそうだった。
悲しいというよりも悔しさで泣いた。
……だから僕は彼女がいた病室を振り返る事もなく出ていった。
後ろから僕を呼び止める声も聞こえたが、構わず無視した。
僕の憤怒のオーラに、誰もが道を譲った。
向かった先は病院の屋上。
蝉の声がうるさい。暑い……けど寒い。
「涼子」
彼女の名を呟く。
もうすでにこの世にはいない彼女の名を。
……現実味がない。彼女は本当に死んだのか?
病室に戻れば生きているんじゃないのか?
適当に町中を歩いていればまた会えるんじゃないか?
そんな妄想を一瞬でもした自分が心底、嫌になる。
こんなのはただの現実逃避だ。
「……涼子」
涼子との出会いは僕が交通事故で足を骨折し、入院したのがキッカケだった。
当時の僕は鬱憤が溜まっていた。
好きなサッカーが出来ない不満で一杯だったのだ。
しかも近々大会があり、せっかくレギュラー入りしていた僕のポジションはライバルに奪われたのだから更に不満は増加。今の僕からしてもあの時の僕はムカつくクソガキだった。普段よりも生意気さは五割増しだっただろうな。
まぁ中学二年生だったから大目に見てほしい。
そんな会えばムカつく奴に無論、見舞い客など寄りつくわけもなく、両親ですら手を焼いていた時期。
僕は運命の相手に出会った。
思春期特有の青臭い思い出だが、当時の僕は本気でそう思っていた。
中々に重症である。
出会った場所は病院の屋上。
長い黒髪に、ネコ柄のパジャマを着た涼子と初めて出会った。
パッと見の印象は病弱な可愛い女の子。当時、165cmだった僕よりも頭一つ分くらいは低いその女の子と、不意に目が合った。
ドキッと心臓がはねた。
慌てて目をそらして何事もなかったかのように冷静さを装ったが、きっと顔は真っ赤だったに違いない。
そんな僕の何に興味をもったのかは未だに謎だが……涼子から僕に話しかけたのが始まり。
「やぁやぁ若人がこんな昼間から辛気くさい顔で屋上にいるなんてどうしたの?もしかして彼女にでもフラれたかなぁ~?」
……第一印象、強制変更。
悪戯好きなんですよって笑顔で涼子が近づいてきた時は一気に警戒レベルが上がったのはいい思い出だ。
「……何でもない」
仏頂面で突き放す僕に、しかし躊躇いも見せずに涼子はドンドン距離を詰める。
同年代と話すキッカケを失っていた僕は(完全に自業自得だが)ついつい時間を忘れて二人で話しこんでしまった。
まぁ話した内容は僕の事ばかりだったが。
何故入院したのか?仏頂面の原因は?
サッカーがすごく好きだって事も、だからこそ他人や自分自身に苛立っていた事も包み隠さず。
不思議なことだが涼子の前でなら素直に何でも話せた。
出会ったばかりの相手なのに。
いやだからこそだったのか?
ただ分かった事は、涼子はとても聞き上手だって事だ。
いつの間にか太陽は西へと沈む寸前まで話し込んでいた。
屋上に上がったのは昼過ぎだったから軽く二、三時間は経過していたという事実に、僕は楽しかったんだと気付いた。
同時に彼女の名前すらまだ聞いてないという事実にも。
見知らぬ女の子の名前を聞くなんて恥ずかしい真似は、当時どころか今の僕でも非常に躊躇う事だ。
だがその時の僕はなけなしの勇気を振り絞った。
「ね、ねぇ!よかったら君の名前を教えてくれない?」
ただ名前を聞くだけなのに、噛まないように気をつけながら僕は彼女の名前を聞いた。
すぐに拒否されたらどうしようとか頭の中に浮かんだが……
「まだ名乗ってなかったっけ?筧 涼子、ピチピチの十五歳だよ!」
杞憂だった。
彼女は…涼子はあっさりと名前を教えてくれた。
ご丁寧に年齢まで。
「ってか年上!?」
「ん?ってことは君は年下?」
「あ、うん。僕は櫻井 恭也。十四歳」
「年下か~、私の方がお姉さんだね」
「……見えない」
「失礼だね~恭也君。お姉さんは傷ついたよ?」
「いやてっきり変な口調の年下だとばかり」
「気にしたら負けかなって思うよ?」
くだらないやり取りをしていたら夕日が完全に沈んだ。
辺りは一秒単位で薄暗くなっていく。
「……やっぱり綺麗だな」
ポツリと呟く涼子は上を向いている。
僕はつられる形で空を見上げた。
そこには星空が広がっていた。
「綺麗だ……」
こんなにじっくりと星空を見たのはいつ以来だろうか?
無意識に僕も星を見て呟いていた。
だからだろうか?
「でしょ?案外ここはいいスポットなんだよ。私のお気に入りベスト3に入る場所なんだから」
彼女がそんな僕の無意識に呟いた内容に応えてくれたことが妙に嬉しかった。
だから口も勝手に動いてくれた。
思った事を考えもせずにただ喋る。
「なら他のベストスポットは?」
「晴れた日の中庭だよ。木漏れ日の下が眠気を誘うんだよね~」
打てば響くように彼女が応える。
「風邪ひくぞ?」
「あったかいんだよ、陽の光が。まぁ看護師さんに見つかると説教コースだけど」
「悪いお姉さんだな」
「いやいやいや!私が悪いんじゃなくてあんなベストポジションにベンチを設置した病院側と太陽が悪いんだよ!」
「壮大なスケールだな。でも……それなら仕方ないかもな」
「でしょ?私に過失はないのだ!」
断言して胸を張る涼子を見て僕は笑った。
「何よ~笑うとこだった今の?私個人にとっては大真面目な件だったんだけど」
「ごめんごめん。まるで年上に見えない仕草だったから」
「ほぅ……私に年上としての威厳はないと?」
本人的には凄んでいるつもりだろうが、それすらも何だか可愛く見える。
だから余計に笑ってしまった。
「ちょっ、笑いすぎ!」
「ホントごめん。でも……こんなに腹の底から笑ったのは久しぶりだったよ。ありがとう」
自然に礼を口にした僕の心は軽くなった。
昼までの苛立ちがそれこそ嘘のように欠片も残ってはいなかった。
「……素直には喜べないけど、まぁ別にいいよ。君の辛気くさい顔も少しはスッキリしたみたいだしね。お役に立てて何より」
「まるでカウンセラーだな」
「落ち着いているって意味かな?」
「いや年寄りくさいって意味」
「……さすがに殴っていい暴言レベルよね?」
「じ、冗談だよ」
ジト目の彼女に両手を挙げて降参ポーズをとる。
「……さて、さすがに寒くなってきたし病室に戻るとしますかね。病院の夕食は早いし」
「マズいしな」
「贅沢言わない」
僕は名残惜しかったので少しでも会話を引き延ばそうと抵抗してみたが……あまり意味はなかった。
あっという間に屋上のドアの前へ辿り着いてしまった。
「風邪ひかないでよ?明日君が風邪ひいていたら私のせいになるんだから」
冗談まじりにそんな事を言う彼女に僕は最後まで軽口を叩く。
何故だかそれが彼女を喜ばせるのに一番いいと思えたから。
「しないよ。それよりも筧さんこそ腹を出して寝るなよ?あったかくなってきたけどさすがに腹をこわすぞ?」
「ちょっ、病弱な美少女の私のイメージが崩れる!?」
「ハッ(笑)」
「鼻で笑われた!!?」
その日はそれで解散。
結局、その日は彼女のことは名前と年齢くらいしか知ることは出来なかった。
以後、僕は彼女と病院の敷地内で会っていく。
彼女の病気のことを知ったのは僕が退院する寸前だった。
理由を聞いたら
「だって……微妙な空気とか私、嫌いだからさ。辛気くさいのは恭也君だけの顔だけでいいし」
「一言余計だ」
「ごめん。まぁ……正直、壁ができると思ってさ。結構今まであったんですよ、恭也君の前にも、さ。こうガキーンって堅くて高い壁ができた経験が……ね。だから私の勝手な都合だけど少しの間でも対等な立場で居て欲しかったんだ。病弱な私を可哀想だって哀れむ視線は私も相手もしんどいでしょ?」
まるで言い訳するよいに喋り続ける彼女の姿に僕はほんの少し苛立った。
だから未だに喋ろうとする彼女を遮るように告げる。
「勝手だな」
僕のその一言に、初めて彼女が泣きそうになった。
やばい、勘違いされているぞ僕の発言!
何だか室内を覗き見ている看護師達の視線が僕を一方的に非難しているがまぁ待て!
ってか仕事しろよ、看護師!
僕は慌てて挽回するように彼女に語りかける。
「本当に勝手だ」
「ご、ごめ……」
追撃した僕の一言に彼女がうつむいてしまった。
あれ?
何この流れ?
「僕をそんな奴等と一緒にするな。僕は常に筧さんを……」
う~ん、何だか伝わりにくいな。
こういう時は下の名前で呼ぼう。
何か苗字だと微妙に距離感を感じるし。向こうも僕のことは下の名前で呼んでるしいいよな?
……可笑しくないよな?
「……涼子さんの事を対等に見ているよ。その証拠に僕は涼子さんを可哀想な奴だなんて哀れんでないぞ。見てみろ、僕の曇りなき瞳を!」
力強く断言する僕を、しかし彼女は見てもくれない。
未だに下にうつむいている。
「ちょっ、涼子さん!僕の瞳を見て!見てください!」
「……見れないよ」
まぁ地面とにらめっこしている涼子さんには見えないわな。
「いやいやそこは無理してでも見てよ」
そして下から覗きこんだ僕の視界には彼女の泣き顔があった。
涙が零れ落ちて僕の頬に当たる。
こういう時に気の効いたセリフが言えればイケメンなんだろうが、生憎サッカーに青春を捧げている僕に恋愛方面の経験値などあるはずもなく……
「……確かに涙で見れないね」
しょうもない事しか口に出来なかった。病室のドアの前では『そうじゃないだろ!』
とか
『そこは黙って抱きしめるだけでいいんだ少年!』
とか看護師達が好き勝手にほざいている。
いやだから仕事しろよお前ら!
むしろ僕と立場を変われや!!
まぁそんなわけにもいかないので僕の独力でどうにかしなくてはならない。
……ここでかっこよさは求められてないよな?
むしろ地でいかないと一言一言が軽くなりそうだし、僕らしくあるがままに、だな。
彼女の涙を指で優しく拭いた。
そして彼女の顔に僕の顔を更に接近させる。
『そこでキスかー!やるな少年!』
『くっ少年を侮っていた!まさかこのタイミングでくるとは……!』
『よし、それが正解よ!一気に押して押して押し倒すのよ!』
…………やかましい外野の声は無視だ、無視。
恋愛経験ゼロの僕がそんな大胆なこと出来るわけないだろ!
僕は目測10cm辺りまで彼女に近づいて止まる。
互いの呼吸音すら聞こえる距離に、しかし彼女は動かない。
ただ僕の先ほどの言葉の効果のおかげか涙の次弾装填はないみたいだ。
今はそれだけで十分だ。
「ほらここまで近ければ見えるだろ?どうだ?僕の瞳は涼子さんを哀れんでいるか?」
首を激しく左右にふる彼女の黒髪が僕の両頬に当たるがさほど気にもならない。むしろいい感触にいい匂いだ。
おっと意識が若干変な方向に逸れた。
軌道修正っと。
「だから言ったろ?勝手だなって。僕をそこらへんの奴等と一緒にするな」
疑った罰だ、と軽く彼女にコツンと頭突きをくれてやった。
すると彼女の目から涙が溢れてきた。
な、なぜに!!?
涙の次弾装填はなかったはず!
「ご、ごめん!頭突きが痛かったのか!?」
僕個人は全く痛くもなかったが彼女にはすごく痛かったのか!?
もはやどうするべきか分からない僕は慌てるが
「ち……がう…の」
「???」
何が……とはさすがに聞けない雰囲気だ。
とりあえず彼女の言葉を待つ。
「あの…ね、私……嬉しいの。嬉しくて……泣いてるの」
しゃくり泣く彼女の顔を僕はずっと見つめる。
中腰という姿勢は体に中々の負担をかけるが今は気にしている場合ではない。
「私の病気の事を知るとみんな心のどこかで壁を作ってしまうの。それが嫌で嫌でたまらなかった!退院していく子達はみんなお見舞いに来るねって言ってくれるけど誰も来てくれないの……一度も来てくれないの……!私だって子供じゃないから社交辞令だって分かってる!だけど…だけどやっぱり悲しいの!……寂しいの…………」
今まで楽し気な彼女しか知らなかった僕はこの瞬間、確かに彼女の本心を耳にしている。
僕に、僕だけにさらけ出してくれている。
僕は彼女の一言一言に哀れみを感じそうになるがそれをすぐに潰す。
僕は彼女を哀れんだりはしない、してはいけないんだと強く心に刻む。
彼女はそんなものを腐るほどに見てきた。
そして僕の瞳にそれを少しでも見つけたならきっと彼女は心を閉ざす、永遠に。
もしかしたら僕だけじゃなくこれから先、誰に対しても。
だから僕は……!
僕だけは彼女を哀れまない!
僕は彼女を対等な人間として見るし、扱う。
同情など僕らの間には無用なものだ!
「僕は会いにくるよ。涼子さんだけに会うために」
「……ホントに?」
疑う彼女だがそれも無理はないことか。今までその約束が守られたことは一度としてないのだから。
「あぁ、本当に。ただし見舞いじゃなくてただ会うためだけに」
「ホントに……?」
「本当に。神様とやらに誓ってもいいよ。まぁさすがに毎日は無理でも週三か四は来るつもりだぞ」
「ホントに?」
三度の確認。
多分、これが最後の確認だ。
だから返す言葉は決まっている。
コンセプトは僕らしく、だな。
「しつこい」
慎重に痛くない程度の頭突きをくらわせる。
さっきよりも更に弱めだから問題ないはず。
「来るよ、涼子さんに会いに。約束を破ったら針千本飲んでもいいぞ!」
破るつもりはサラサラないので言い切れるぜ!
「……恭也君、針千本の語源を知ってる?」
すっかり泣き止んだ彼女が顔を上げる。僕も中腰からようやく解放された。
しかし……針千本の語源?
「約束破った相手に針を千本飲ますって意味しか知らないな」
「…一説では指きりは遊女が相手の男性に愛を不変に誓う証として小指を切ったことに由来するんだよ?針千本は後から付け足されたものなんだから。……つまり恭也君は私に不変の愛を誓うわけだね。困ったな~年下から猛烈なアプローチされるなんて私も罪な女だね~」
マ・ジ・か!!?
「い、いやそんな深い意味は……」
「……つまり約束を破ると?」
なんでそうなる!?何これ、なんでこうなった!
進もうが退こうが詰んでるぞ!
「よし、帰ろう」
幸い帰る準備はできてる。
すぐにここから立ち去ろう、それが一番だ。
「恭也君、逃げる気!?」
「ふははっ昔の偉人の言葉にもこんな一言がある!逃げるが勝ちってな!!」
松葉杖を器用に使いこなし僕は病室を後にする。
その際にドアの前で出歯亀していた看護師の一人に荷物を着払いで送ってくれと頼んでおいた。
手間賃は覗いていたのが代償だ。
サッカー部で鍛えた健脚とバランス感覚を駆使した僕は下手な健常者よりもよっぽど早い。
さすがに病院内なので速度は調整しているがそれでもかなり早い。
たまにおばちゃん看護師に廊下を走るなと怒られたが今だけは勘弁してくれ!
そして病室からやや離れた所で後ろを振り返るが……よし、誰も追ってきてない!
安堵して更に速度を微調整。
早すぎないが遅すぎでもないペースに。
ロビーを抜けて正面出入口の自動ドアを通過。
ここまできてようやく落ち着いて松葉杖をつきながら歩く。さすがに疲れた。
リハビリである程度の体力は取り戻したが最盛期には遠く及ばない。
早く元通りにしないとな。
この時点で僕は完全に油断していた。
彼女が追いかけて来ても逃げ切れる自信はあったのだから当然だ。
だからこそと言うべきか、これから起きる事態を予想出来なかった自分が迂闊だったわけで。
「恭也君~!」
この声は勿論、彼女だ。
声は上から。
病院の二階の窓から彼女が右腕を左右に振っている。
何か嫌な予感がしたので僕は急いで立ち去ろうとした。
だがこれは無駄な抵抗である。
「絶対に会いに来てね~!!私、待ってるからね~!!」
いくら僕でも音速には敵わない。
一字一句、正確に彼女の言葉は僕の耳に入り、脳みそに叩きこまれた。
そしてどうやら彼女の悪戯心が本心を語った反動である意味悪い方向で爆発したのだろう、最後にとんでもない爆弾を僕に投げつけてきた!
「さっきのプロポーズの答えはイエスだよ~!!ちゃんと約束守ってね~!!」
「誤解を招く事を叫ぶなーーー!!」
何だって彼女はあんな恥ずかしい事をこんな公衆の面前で叫べるんだ!!
あちこちから僕を冷やかすような視線は絶対に気のせいじゃない!
『あらあら最近の若い人は大胆ね~』
『リア充め……!爆発しろ!!』
『全く、けしからん!睦言は二人きりの時に語らうもんじゃぞ!!』
うん、これらは全部僕の空耳だ。
きっとそうだ、そうに違いない!
しかし彼女は分かっているのだろうか?勢いだけで行動しては恥をかくのは本人だということを。
絶対に僕が訪れた時に周りは冷やかすだろうし、その時の互いの雰囲気がひじょーにビミョーな空気になることを理解している……わけないか。
まぁ周囲の人々には中学生同士の甘酸っぱい青春の一ページ扱いにしてもらおう。
そしてやはりと言うべきか後日、彼女に会いにきた僕は散々に冷やかされ、めでたく?僕と涼子は病院の公認カップルとなった。
……やはり三日程度ではこの熱気は冷めなかったのが予想通りすぎて頭が痛かったのは秘密だ。
あれから三年も経ったのか……
思い返せばあの時が一番幸せな時期だったかもしれない。
「……過去を思い出すなんてこれも一種の現実逃避かな?」
三十分は屋上にいたはずなのに汗をかいていない。
真夏日だというのに、僕の心と体は冷えきっていた。
「やっほー恭ちゃん」
僕の陰気な雰囲気を気にもせずに誰かが僕を呼んだ。
いやこの軽いテンションにこの呼び方をする奴は一人しかいない。
「……何の用ですか?」
誰かは見当がついていたので僕は振り返りもしなかった。
その人物はそんな僕の反応など気にもしないで近づいてくる。
そして、隣へと立ち並ぶ。
ちらっと横目でその姿を確認する。
薄い茶髪にショートカットの女子高校生。やはり予想通りの人物がそこにはいた。
水無月 華煉。
交通事故にあうまで僕と付き合っていた元彼女だ。
とは言っても通学路を一緒に歩いたり、たまに学校で話したりしていただけの……いわゆるプラトニックな交際相手だった。
僕は放課後はサッカーをやっていたし、彼女は門限が厳しい家柄だったので授業が終わったらすぐに帰っていたのだから進展しろという方が無理な話しだが。
まぁ事故以降は話すことも少なくなり自然消滅した。
僕はサッカーや涼子と会うのに空いた時間を割いていたのでもはや接点は同級生という事柄のみ。
一時期はそれが原因で女子達にハブられたが今なら思春期にはよくある事だと割り切れる。結局僕と華煉は別れるべくして別れた……ただそれだけの事。だが今この瞬間だけは正直、会いたくなかった人物ナンバーワンでもある。
しかもこの場所で……。
この病院の屋上は僕と彼女が初めて出会った思い出の場所だ。
だからこそ、華煉にそんな場所にいてほしくはなかった。
思い出が汚されてしまいそうで……言ってしまえば邪魔なのだ、華煉の存在は。少なくとも今、この瞬間は世界で一番と断言できるほどに。
「彼女、死んだんだって?」
相変わらずストレートな物言いだった。家柄は厳しいくせに口調はいつもこんな感じだ。
家ではいい娘を演じているらしいが……怪しいもんだ。
よく言えば裏表がない。
悪く言えば無神経。
今はその無神経さに特化しているみたいだ。
時間をかけて冷やしていた怒りがまた熱を帯びてくる。
「……随分と情報を得るのが早いな」
僕の隠そうともしない苛ついた声音に、さほど気にした様子もなく静かにたたずむ華煉。
彼女が死んだのは昨夜未明。
僕が知らされたのは三時間ほど前の事だ。
ふと疑問が浮かぶ。確かに彼女と華煉は僕の知らないところで直接会ったことが数回はあったらしい(どんな関係かは僕は知らない。一度だけ彼女に聞いたが友達だよって答えただけだ)……だが彼女の両親がわざわざ電話して知らせるほどかといえばそうでもないはず。
事実、家族以外で彼女の死を知っているのは今のところ僕だけのはずだ。
無論、僕自身は誰にも言っていない。
……何故、華煉が彼女の死をこんなにも早く知っている?
思わず華煉を凝視した僕の顔にそれが出ていたのか、聞いてもいないのに「何となくよ」とはぐらかされた。
そんなあいまいな理由ではきっとない。華煉は彼女が死んだと知ったからこそここに居るんだ。
根拠もなく僕はそう断定した。
「なんで涼子が死んだことを知っている?」
今度はあえて口にだして問いただす。
そんなただ事ならぬ僕の雰囲気にしかし、華煉は動じない。いや気づいていないだけか?
どうでもいいが。
今、気にするべきはそんな些末な事ではない。
何故、彼女の死を知っているかだ!
「彼女の両親から電話がかかってきて知ったのか?」
その可能性はゼロではない。
「違うよ」
しかし華煉はそれを即座に否定した。
ならばどうやって?更に僕が問いつめる前に
「彼女に……涼子ちゃんに会いたい?」
その華煉の言葉に僕の頭の中は真っ白になった。
そしてすぐに怒りが込み上げてきた!!
「僕をからかって面白がっているのか!?あいにく今はそんなタチの悪い冗談を軽口で応える余裕は欠片もないぞ!!」
僕の殺気だった怒りに、しかし華煉は平然としている。
それどころかその表情は心外だと訴えているかの様にも見えた。
「冗談を口にした覚えはないんだけどねぇ……けど今の恭ちゃんの反応が普通だよね」
仕方ない、仕方ないとまるで出来の悪い生徒を言い聞かせるその態度に怒りは瞬時に冷めた。
そのかわりに困惑が先立つ。
いったい華煉は何が言いたいんだ?
さっきの発言は本気なのか?
だってまるで華煉だけが死人にまた会える、会わせられる口振りだった。
しかもごくごく当たり前のように。
死んだ人にはもう会えない。
彼女の体はあるが今はもう空の器にすぎない。
起き上がり、笑顔を浮かべることはもう二度とないのだ。
泣きもしない、怒りもしない、ましてや話すことだって。
「ねぇ恭ちゃん、もう一度聞くけど……恭ちゃんは涼子ちゃんに会いたい?それとも会いたくない?どっち?」
そんな事は聞くまでもないだろ……!
「……たい!」
「なに?聞こえないよ?」
聞こえずとも僕の答えなど分かっているくせにワザと聞き返す華煉に、僕は心の底から叫んだ。
「会いたい!……会いたいに決まってるだろ!!だけど…………そんな事は無理なんだよ、不可能なんだよ!」
僕は願望を口にしながらも同時に絶望も口にしていた。
会って涼子と話したい、抱きしめたい!だがそんなことはもう不可能なんだよ!
「出来るよ、あたしなら」
だが華煉はとんでもない事をサラリと言った。
僕は思わず華煉が正気なのかを疑い、すぐに自分自身が正気なのかを疑った。
彼女が死んだことで僕の気が狂ってしまったのだと危惧したからだ。
だからこそと言うべきなのか?
「はははっ」
僕は面白くもないのに笑った。
乾いた笑いが屋上に響く。
…………何を言っているんだ、この女は?
「お前は神にでもなったつもりか?死人を蘇らせるなんて出来るわけないだろ!?」
「出来るよ」
華煉は断言した。
今度こそ僕は開いた口がふさがらなかった。
華煉はこんな女だったか?
下らない空想を口にするような奴じゃなかった。
どちらかと言えば現実主義だったはず…何があった?
何が華煉をここまで変えた?
「けど正確に言わせてもらえば死人を蘇らせるんじゃなくて、時間を遡るんだけどね」
「時間を……遡る?」
駄目だ、頭の方がもう華煉の言葉に追いつけない。
まるで華煉の一言一言が未知の言語のように理解できない。
「そう、さすがにあたしでも死人を蘇らせるなんて大それた事は出来ない。輪廻の輪のバランスが崩されちゃうからね。けど、まだその人が生きている時間には連れていける……定員制限があるけどね」
「そんな……ことが…」
「出来るよ、あたしなら」
華煉は笑顔で断言した。
その笑みは天使か、それとも悪魔か?
どちらかなんてその時の僕に判断できるわけがなかったんだ…………
先導する華煉の後ろを僕は何も言わずにただついていく。未だに華煉の言葉には半信半疑だがそれでもこうしてついてきている。
現実味がない。
自分の体がまるで他人事のように勝手に動いている感覚。
無論、ただの錯覚だ。
僕は僕自身の意志で華煉の後を歩いているのだから……。
だけど…その割りにはここ数時間の記憶がやけに曖昧だ。
いや、確かに覚えてはいる。
ここまで来た道を確かに覚えている…………なのになんで?なんで僕はここにいる?
どこだ、ここは?
混乱がピークに達するまさにその直前、華煉が立ち止まった。
「さぁ、中にどうぞ」
扉を開けて招待する華煉に、僕は何の疑問も感じずに案内された建物の内部へと入る。
「ここは?」
「ようこそ、黄昏の館へ。ここに入ったのはあたし以外で恭ちゃんが初めてだよ」
「……ここは華煉にとって特別な場所ってことか?」
「あたしと恭ちゃんにとっては……かな?」
「?……どういう意味だ?」
「ついてくれば分かるよ。さぁ、こっちに来て」
華煉が再び先導して館の中を歩く。
向かった先は地下へとのびる階段。
照明はついているがそれでも尚、そこは薄暗かった。
「ちょっと暗いから足元に注意してね」
そう忠告した本人は苦もなくスタスタと階段をおりていく。その足取りに一切の迷いはない。
それだけこの館に頻繁に……それこそ毎日のように来ているのか?
とりあえず華煉に置いていかれないように、僕は階段を一段一段、慎重におりていく。
そのたびにギシッギシッと木がきしむ音がやたらと響いた。
二十段ほどをおりてようやく地下に到着した。
目の前には直線の通路。
距離は約二十メートルはありそうだ。
そして目的地と思われる突き当たりの扉の前には華煉の姿が見えた。
階段同様、薄暗い通路を慎重に進む。
不意にクスクスッと笑い声が聞こえた。地下のせいか、その笑い声は通路によく響いた。
同時に、その笑い声に僕の背筋に嫌な汗が流れた。
笑っているのが華煉だと知っていても何故か落ち着かない。
「何が可笑しい?」
だからだろうか?
僕は強がるようにやや険のある声音で笑った理由を華煉に聞いた。
「だって、おっかなびっくりで歩いている恭ちゃんがまるで子供みたいだったからつい、ね」
そんな事を言われた僕は華煉を黙って睨んだ。
「悪気はないよ、ごめんね」
一応の謝罪。
……華煉の口元はまだ笑っているので一応の扱いだ。
ふと、華煉が扉に視線を向ける。
つられた形で僕も扉を見る。
近くに来るまでは気付かなかったがやたらと重々しそうな扉だ。
鋼鉄製か?
「さぁ、入って」
しかし華煉はその扉をあっさりと開く。見かけ倒しな扉だな。
扉の向こうは……闇。
真っ暗だ。
室内に照明がついていないのか?
「何も見えないんだが?」
「気にせず入って。中は広いし、足場も悪くないから大丈夫」
「……」
そう言われても少し気後れしてしまう。何も見えない室内に入れと言われて躊躇せずに入れる人間はいないだろ。
……かと言ってこのまま立ち止まっていても時間の無駄か。華煉は僕が入るまでは動こうとする気配はない。
若干の不安を感じてはいたが……覚悟を決めて室内に一歩踏み入る。
……室内はひんやりとしていた。
とても夏とは思えない涼しさだ、が。
カビ臭い。
地下の独特な雰囲気そのものだ。
暗闇に多少、目は慣れてきたが相変わらず何も見えない。
突然、扉が閉まる。
通路の明かりも消え完全な闇。
その暗闇に華煉の足音だけがカツン、カツンと聞こえる。
この暗闇では何も見えないだろうにその足音は一定だ。
この部屋の間取りを全て理解している証拠だ。
足音が止まる。
かわりにパチンと何かが切り替わる音。直後に室内の蛍光灯がついた。
暗闇に慣れた目には眩しすぎる光だ。
だが光がある、それだけで無条件に安心してしまう。
闇は人を不安にさせる。
先ほどまでの張りつめた緊張感が自然と霧散する。
そして光に目が慣れて室内の光景を目の当たりにした瞬間
「なっ!!!?」
僕は驚愕した。
「ようこそ、時を遡る為の儀式場へ」
そこは異空間だった。
ここは異界だった。自分はここでは異物だった。
自分のありとあらゆる感覚がそう警告した。
驚愕のあまり固まる僕を尻目に、華煉の口調、声音はいつも通り。
ここは華煉にとっては正常な場所。
普通の部屋なのだ。こんな人間の倫理観が崩壊している空間が。
そこは死体だらけだった。
いや死体しかないのだ。
部屋の壁という壁に死体が立て掛けられている。
そして床も異常だった。
物は何も置いてはいない。
だが見たこともない文字や図形が隙間なくビッシリと描かれている。
「ねぇ恭ちゃん」
華煉に声をかけられて僕の体は無意識にビクッと反応した。僕は怖い。
声をかけた女が。
とても、すごく、コワイ。
「くさくないでしょ?」
「……えっ?」
だから華煉が何を言っているのかが全く理解できなかった。
「だから臭いよ。くさくないでしょ?壁に立て掛けられている死体は全部念入りに防腐処理してあるからね」
まるで自慢するように壁に立て掛けられている物体について話をしている華煉。
そしてこれはやっぱりよく出来た人形とかじゃなくて、本当に人間の死体なんだと強制的に認識させられた。
どうやら華煉は僕に現実逃避の逃げ道を作らせるつもりは皆無らしい。
確かに華煉の言葉通り、室内の臭いはカビの臭いくらいだ。鼻がひん曲がるほどの悪臭ではない。
……この部屋に入った当初はそうだった。
だがこんな光景を見てしまっては脳みそが勝手に死体の臭いを設定したようだ。臭いはないはずなのに……くさい。
ガスの臭い?
卵の腐った臭い?
そんな生易しいレベルじゃない!
もっと生々しい……腐肉の臭い?
思わず吐き気が込み上げる。
死体そのものより、僕の脳みそが勝手に設定した臭いに僕は吐きそうになった。そんな僕の現状など気付きもしない華煉は
「以前はそんな方法を知らなかったから死体はただ腐っていくだけでひどい悪臭だった。かつての生前の面影なんて欠片もなく、ただ腐敗していくだけ。そしていずれは白骨化……骨だけになった方が綺麗だなんて皮肉だな~って思ったよ」
ただ淡々と語る。
「けどさすがに骨だけだと満足できなかった。あ、ちゃんと骨だけになった物も保存してあるよ、この上にね」
華煉の人差し指が上を指す。
……つまり、この館のどこかに白骨死体があるって事か。
「それで色々とネットとかで調べてみたんだ。死体を完全に保存する方法を。それがこの防腐処理。……完全とはいかなかったけど、まぁ形が保たれるのが一番の方法だったから概ね満足しているよ。実はホルマリン漬けも考えたけど、あれは気軽に触れないし、薬品の臭いが強かったからやめておいたの」
この部屋にある数々のコレクションを自慢するように長々と喋る華煉に、僕は何一つとして相鎚をうてなかった。
華煉はそれを気にもしないで一方的な会話を更に続ける。
「どれも会心の出来だよ。ぜ~んぶ細心の注意を払ったから当然だけどね。なんでそこまでするか聞きたい?」
僕は頷くことすら出来ない。
そんな事を聞きたくないし、知りたくもない。
だが華煉は止まらない。
僕の意志など関係ないと言わんばかりに、ただ一方的に。
「だってこれは全部が全部、あたしの愛した人なんだから当たり前でしょ?髪の毛だってちゃんと別に保存してあるし、爪も血液も……あと精子だってちゃんと冷凍保存してあるんだよ!」
狂っている。
わかりきっていた事実だが、華煉は……この女は狂っている。
死体の数は十や二十じゃない。
この広い部屋の壁という壁に立て掛けられている死体の数はそんなものじゃない!
僕は不意に一つ一つの死体を見比べてふと違和感を感じた。
死体の体格がほぼ同じ?
華煉の好みで統一されているといえばそれまでだが妙に……似すぎていないか?僕の死体を見つめる怪訝な表情を見た華煉が突然、笑いだした。
「アハハハハハハハハハッ」
まるで壊れた人形のように笑いだした華煉に僕は思わず後退りした。
「気付いた?気付いたんでしょ?気付いちゃったんでしょ?すごい、すごいよ今回の恭ちゃんは!!だって初めてだよ!?この段階で気付いたのは貴方が初めてだよ恭ちゃん!」
華煉の発言によって、疑惑は確信へと変わってしまった瞬間だった。
「じゃあ……やっぱりこれ…全部が」
だとすると華煉の言葉は全て事実?
本当に可能だって言うのか!?
「そうだよ!この死体は全部、恭ちゃんだよ!!」
嬉々として華煉は断言した。
「時間を遡る……しかもこうして形にまで残せる事が出来る!?」
恐ろしいと思ってしまう反面、僕の心には喜びが沸き上がる。
確かにこんな証拠があるなら時間を遡る事が出来ると信じられる。
なら、彼女に……涼子に会うことだって夢物語じゃない!
「ちなみに説明しておくけどあたしが恭ちゃんを殺した事は一度もないからね」
「えっ?」
「確かにこの場にある死体、全てが恭ちゃんの死体だよ。だけどあたしは何もしていない。恭ちゃんの死体を見つけてただここに持ち帰って処理してるだけ。何度も何度も時間を遡ってね」
「……なら僕は何で死ぬんだ?華煉に殺されたわけじゃないなら事故?事件?」
てっきり僕は華煉が何度も時間を遡って僕を殺していたんだと思い込んでいた。なのに……違うのか?
「自殺だよ」
華煉は短く僕に告げた。
「……全部?」
確認する僕の声は震えていた。
「全部」
返事をした華煉の声はいつも通り。
「自殺の方法は色々あったよ。首吊りに投身、リストカットして出血死。こうやって形に残るのがベストだったけどたまにあったよ」
何が?
…聞くまでもない。
「肉片しか残らないような時や、それこそ骨も残らないような死にかたもあったよ。ちなみに……精液の保存は自殺する前の恭ちゃんを誘惑してからだから安心して。無理矢理じゃなくてちゃんとその時の恭ちゃんとあたしの合意の上だったからね」
これ大事な事よ!
……そう言われて安心できるわけがない。
合意とはいえその時の僕は今の僕ではないのだから。
「こうやって恭ちゃん自身の死体を見せるのはこれで何回……いや何十回目かな?過去一、二回はこの事実に耐えられなくなったのかこの部屋から逃げていった恭ちゃんもいたけど、あとは残ってくれた。今回の恭ちゃんも残っているってことは信じてくれたわけだよね、時間を遡ることは可能だって」
「……信じるしかないだろ」
こうやって形として目の前に証拠があるのだから。
不意にまた華煉がクスクスッと笑った。
「今回みたいなパターンってこれが初めてだったからつい笑っちゃった。ごめん、ごめん」
「パターン?」
「そう、パターン化されてたんだよ恭ちゃんの反応。大抵はここまでの説明をすると押し黙るかよくて否定的な納得の言葉を口にしていたよ。まるで自分自身を騙すように、ね。今みたいな肯定的な答えは初めてだよ」
「肯定的だったか?」
「そうそれ!その反応も初めて!そしてこの部屋の死体を自分自身だと自力で気付いたのは今回が初めて!これは今回は期待できるかもね」
「……華煉は何でそんな何回も過去へ遡り続けるんだ?」
「……答えはすでに出ているから」
……どういう意味だ?
すでに出ている?
「さて、早速時間を遡りましょ!あたしと共に、涼子ちゃんの生きている時間へ」
「あ、あぁ」
華煉が僕に手を差し伸べる。
迷いは一瞬、僕はすぐにその手を掴んだ。
そして部屋の中央へと誘われる。
「そうそう、ルールの一つだから制約を説明しておくよ。いくつかあるからよく聞いて」
「分かった」
説明された制約とやらは大きく分けて二つ程。
正直、覚悟していたほどのリスクではなく肩透かしをくらった気分だ。
「本当にそれだけなのか?」
「うん、これだけ。あと、あたしは過去に行ったら恭ちゃんとは別行動だから。妨害もしなければ助言もしない……いや出来ないと言った方がいいのかな?」
「それも制約とやらか?」
「そういうこと。涼子ちゃんを救えるか否かはぜ~んぶ恭ちゃん次第ということ」
その言葉に知らず知らずのうちに僕の体に力が入る。
時間を遡ってからすべき一番大事なことは何故、涼子が生きることを諦めたかを知ることだ。
その理由が分かればきっと涼子は死なない!
必ず涼子を救ってみせる!
決して死なせはしない!!
「今から気負っても体力がもたないよ?リラックスして、リラ~ックス」
「あ、あぁ」
「それとちょっと失礼」
言い終わる直前に光が一閃。
僕の左腕の皮一枚が華煉の手にしているナイフで切られた。
「なっ!?」
突然の華煉の奇行に動揺した僕だったが
「落ち着いて。儀式に必要なプロセスの一つなんだから」
そう言われては黙るしかない。
そして華煉も自分自身の腕の皮一枚を切り、床に血をたらす。
そして僕には到底理解できない言語を口走る。
淀みなく、流暢に。まるで歌っているかのように。
そしてそれに反応するかのように床に描かれた意味不明な文字や図形が妖しい光を放つ。
時に弱々しく、時に激しく光は点滅している。
そして光は外へ外へと向かっていく。
中央から広がっていくその光景に僕はただ圧倒される。
そして一番外側の外縁部に光が到達した瞬間、僕の意識は途絶えた。
途絶える直前に華煉が呟く。
「恭也、絶望しなさい」
その言葉に込められた意味を、僕はいずれ知る事になる。