第9話:エリートVS窓際。温泉卓球で「計算がおかしい」と言わせる完全勝利
「……おい、背景。何をしている」
「ん?配管の点検ですが」
熱海・ダンジョン地熱発電所。
轟音と熱気が支配するプラント内で、俺は床に這いつくばっていた。
「地面に耳を当てて、何が分かるというのだ。これだからFランクは……」
見下ろしてくるのは、氷室レオだ。
彼は高級スーツの上から、無骨な工事用ヘルメットを被っている。
その姿はあまりに不釣り合いで、まるでコラージュ画像のようだ。
「いやぁ、この振動が心地よくてね。……あ、監査官。メガネ曇ってますよ」
「ッ……!」
氷室が舌打ちをして、真っ白になった銀縁メガネをハンカチで拭う。
蒸気が充満する現場にスーツで来るからだ。現場を知らないエリート様め。
だが、俺が床に這いつくばっているのは、サボりでも趣味でもない。
(……おかしいな)
足の裏と、地面に当てた耳から伝わってくる微細な振動。
『脈動』だ。
この発電所が汲み上げている「熱源(ダンジョン深層のマグマ溜まり)」が、不整脈のように波打っている。
(計器の数値は正常。だが、地脈が怒っているような……。Z社の件でシステムをいじくり回した影響か?)
俺は不安を覚えつつも、笑顔で立ち上がった。
ここで指摘しても、どうせ「無能の妄言」と切り捨てられるだけだ。それに今は、もっと重要なミッションが待っている。
「さ、行きましょう監査官。そろそろ『カニ』の時間だ」
***
18時30分。旅館の大宴会場。
そこは、欲望と甲殻類が支配する戦場だった。
「カンパーイ!!無礼講だぁ!」
浴衣姿ですでに泥酔している課長の音頭で、宴が始まった。
テーブルには山盛りのズワイガニ(脚のみ)。
俺は袖をまくり、臨戦態勢に入った。
――解析開始。
『対象:ズワイガニ(冷凍・解凍品)』
『構造解析:関節の隙間0.5mmにハサミを挿入。テコの原理で外殻を破断』
パキッ、スルッ。
パキッ、スルッ。
俺の手元で、目にも止まらぬ「解体ショー」が繰り広げられる。
剥かれたカニの身が、皿の上に美しい山を築いていく。
「おおっ!すごいねぇ九条くん!まるで機械だ!」
「ええ、昔取った杵柄(居酒屋バイト)でして」
「じゃあ、わしの分も頼むよ!ガハハ!」
課長が俺の皿――苦労して剥いたカニの山を、自分の手元へ引き寄せた。
「あ」
「ん?どうした?九条くんは食べんのかね?遠慮せず、どんどん剥いてくれたまえ」
「……はい、喜んで」
俺は血の涙を流しながら、再び新しい脚を手に取った。
俺の口に入るのは、付け合わせのパセリと、誰も手を付けないサラダ巻きだけだ。
一方、テーブルの向かい側では。
「……で、天王寺。あの件はどうなった?」
「ひ、氷室……今は食事中よ……」
氷室はカニに一切手を付けていなかった。
手が汚れるのを嫌っているのだ。彼はナイフとフォークでサラダをつつきながら、隣のアキラを尋問し続けている。
アキラはげっそりとして、大好きだと言っていたカニを前に箸が進んでいない。
(可哀想に……。まあ、俺も似たようなもんだが)
俺たちは、カニという宝の山を前にして、組織の理不尽(パワハラと尋問)に蹂躙されていた。
***
食後の遊戯室。
昭和の香りが漂う卓球コーナー。
「おい、腹ごなしにやるぞ。天王寺」
氷室がラケットを突きつける。
「腹を割って話そう」という隠語だ。断れば「何か隠しているのか」と疑われる。
「……受けて立つわよ」
試合開始。
だが、勝負にならなかった。
パァン!!
「くっ……!」
氷室の打球は、正確無比だった。
コース、回転、速度。すべてが計算され尽くしており、アキラは手も足も出ない。
「甘いな。動きに無駄が多い。……ほら、どうした?『協力者』に助けてもらったらどうだ?」
「ぐぬぬ……!」
アキラが睨みつけるが、点差は開く一方だ。
見かねた課長が(泥酔状態で)野次を飛ばした。
「おいおい天王寺くぅん!だらしないぞぉ!
……おーい九条!お前ちょっと代わってやれ!」
「えぇ……俺ですか?浴衣はだけるの嫌なんですが」
「買ったら景品の『温泉まんじゅう(箱入り)』やるぞ!」
「やります」
俺は即座にラケットを握った。ヒナへの土産代が浮く。
俺は卓球台の前に立つ。
相手は特捜部のエース。身体能力も動体視力もSランク級だ。
まともに打ち合えば、俺の擬態(無能演技)が崩れるか、ボロ負けするかの二択。
だが、勝算はある。
俺は手にしたラケット――温泉宿特有の、ラバーがツルツルに剥げたボロいラケットを見つめた。
「行くぞ、背景」
氷室がサーブを打つ。鋭い下回転。
俺はやる気なさそうにラケットを出した。
「わっとっと」
わざと足を滑らせ、体勢を崩す。
ラケットが不規則な角度でボールに当たる。
本来なら、回転がかかってアウトになる軌道。
だが、死んだラバーは回転を無効化(ナックル化)し、さらに俺の「滑った衝撃」が予測不能なブレを生んだ。
カコン。
ボールはふらふらとネットを越え、台の角に当たってイレギュラーバウンドした。
「なっ……!?」
氷室が空振りする。
「あ、入った。ラッキー」
「……まぐれか」
再開。
氷室のスマッシュ。俺は適当にラケットを振る。
ボールはまたも無回転で揺れ、今度はネットイン(イン・オフ)でポトリと落ちた。
「な……なんだその軌道は!?計算が合わんぞ!?」
氷室が焦る。
彼の「計算」は、完璧な道具と技術が前提だ。
この「ボロい道具×素人の予測不能な動き」というカオス理論には対応できない。
「いやー、温泉の卓球って魔物が住んでますねぇ」
俺はヘラヘラと笑いながら、エッジボールとネットインだけで得点を重ねた。
結果、11対9で俺の勝利。
「……認めん。こんな勝負、断じて認めんぞ……!」
プライドを粉砕された氷室は、青い顔で崩れ落ちた。
俺は温泉まんじゅうをゲットし、アキラから「性格悪いですね、九条さん」と小声で賞賛された。
***
23時00分。客室。
そこは、カニも卓球も霞むほどの地獄だった。
「グガァ……ゴゴゴ……」
上座(床の間側)では、課長が大怪獣のようないびきをかいて爆睡している。
真ん中の布団では、氷室が耳栓とアイマスクを装着し、死体のように直立不動で寝ている。
そして俺は、入り口の踏み込み(板の間)ギリギリの場所に敷かれた煎餅布団で、小さくなっていた。
(……寝れん)
いびきがうるさい。
そして何より、窓の外から聞こえる「音」が気になって仕方がない。
『ヒナ:パパ、お土産は八ッ橋でいい?』
『パパ:熱海だから八ッ橋はないな。干物かまんじゅうだ』
ヒナとのLINEだけが心の支えだ。
俺はスマホを閉じ、そっと起き上がった。
障子を開け、窓の外を見る。
俺たちの部屋は2階。眼下には、自慢の「源泉かけ流し大露天風呂」があるはずだ。
「……おいおい」
月明かりに照らされた露天風呂。
そこから立ち昇る湯気が、白ではない。
赤黒い。
そして、昼間に発電所で感じたあの「脈動」が、今ははっきりとした地鳴りとなって、建物を揺らし始めていた。
「……やっぱり、気のせいじゃなかったか」
俺はため息をつき、枕元のバインダー(業務セット)を手に取った。
どうやら、カニを食べ損ねたうえ、更なるカロリー消費をさせられる羽目になりそうだ。




