第7話:850億円を奪還したら、財務省から「最高級和牛」が届いて課長が泡を吹いた
カタタタタタタタタッ……!!
静まり返った中央制御室に、異常な打鍵音が響き渡っていた。
俺は塗装の剥げた魔法瓶の蓋を片手に、片手だけでキーボードを叩いている。
中身は、家から持参した薄いインスタントコーヒーだ。だが今の俺には、これが最高級の燃料だ。
画面上では、日本と海外を結ぶ「見えないパイプライン(不正転送ゲート)」の攻防戦が繰り広げられていた。
『警告:外部からの接続遮断試行を検知』
『ファイアウォール:Z社サーバー(推定位置:東欧)』
「……へえ。向こうも気づいたか。流石に動きが早いな」
俺は薄いコーヒーを啜り、鼻で笑った。
モニターの向こう側にいるのは、おそらく国家ぐるみのエリートハッカー集団だ。
俺がゲートに干渉した瞬間、彼らは即座にログを消し、回線を切断して逃げようとしている。
「九条さん! 相手が接続を切ろうとしています! 逃げられますよ!?」
アキラが悲鳴を上げる。
だが、俺の指は止まらない。
「逃がすかよ。……俺の電気代を払うまではな」
俺はネクタイを緩め、「解析」の深度を最大化した。
『対象:Z社バックドア・プロトコル』
『構造解析:旧式暗号化(Legacy Code)。……穴だらけだ』
「おいおい、なんだこのスパゲッティコードは。仕様書も読まずにコピペで作ったな? 変数の定義がバラバラだぞ」
俺はエンジニアとしての軽蔑を込めて、Enterキーを叩き込んだ。
「そんな『技術的負債』の塊で、このダンジョン省の――俺が10年前に組んだ基幹システムに勝てると思ったか?」
ガァンッ!!
俺がコマンドを確定させた瞬間、画面上の「切断進行率」が逆流した。
敵が閉じようとしたゲートを、俺の権限(管理者用バックドア)が無理やりこじ開けたのだ。
『接続:強制維持(Keep-Alive)』
『逆探知:完了。……座標特定、Z社メインバンク・秘密口座』
「つ、繋がった……!? 相手のサーバーを乗っ取ったんですか!?」
「ただの『リモートメンテナンス』だよ。……さて」
俺は残りのコーヒーを飲み干し、凶悪な笑みを浮かべた。
「ここからは徴収の時間だ。
奴らが盗んだ魔素エネルギー総量……時価換算で約500億円。
これに、システム復旧費、慰謝料、そして俺の精神的苦痛(小遣い減額分)に対する遅延損害金を加算する」
俺は新たなウィンドウを開いた。
それはハッキングツールではない。ダンジョン省の「正規請求フォーム(徴収用)」だ。
「えっ、九条さん? 何を……」
「本来なら魔素を取り返したいところだが、物理的に送り返すと配管がパンクする。だから――『現金』で回収する」
俺は敵の隠し口座にある残高を、日本の財務省管轄口座(国庫)へ全額送金するプログラムを組んだ。
名目は『特別賦課金・還付請求』。
「レート変換、実行。……持っていけ!」
――強制執行。
画面上の数字が、凄じい勢いで回転する。
敵の口座残高が秒速で蒸発し、日本の国庫へ吸い上げられていく。
「ちょ、九条さん!? それ国際法違反じゃ……不正アクセス禁止法とか、マネロン対策とか……!」
アキラが真っ青になって震えている。
公務員として、あまりにリスキーな一線を超えているからだ。
「心配いらない。これは『敵性資産の凍結および徴収』だ。超法規的措置だよ」
「詭弁です!! 国庫側だって、そんないきなり送られてきた怪しい金、受け取れるわけがありません! エラーで弾かれます!」
「ああ、普通なら突き返されるな。……だから」
俺はもう一つ、別のウィンドウを展開していた。
接続先は――日本国・財務省、歳入管理システム。
「こっち(受け取り側)の台帳も書き換えて、『収納済み』ステータスで強制受理させる」
「ざ、財務省までハッキングぅぅぅ!?」
アキラの悲鳴をBGMに、俺は最後のキーを叩いた。
「昔、財務省に出向してた時に俺が基礎設計に関わったシステムだ。バックドアの位置は変わってない」
『送金完了:合計 850億4千万円』
『財務省データベース:更新完了』
プンッ。
軽い音と共に、画面上の赤い警告灯がすべて緑色(正常)に戻った。
完全勝利だ。
「……ふぅ。これで来月の電気代も下がるだろ」
俺は空になった魔法瓶を鞄にしまい、大きく伸びをした。
アキラは口をパクパクさせたまま、固まっている。
「……信じられない。たった一人で、国家規模のサイバー犯罪組織を壊滅させて、財務省のシステムまで……」
「壊滅まではしてないよ。資金源を干上がらせただけだ」
俺はニヤリと笑い、最後の仕上げを行った。
「ただ返すだけじゃ面白くない。……財務省への送金データにだけ、こっそり『請求書』を添付しておこう」
俺は送金データの摘要欄に、あえて署名を刻み込んだ。
『担当者:ダンジョン省 特別管理課 九条ミナト(作業工数:プライスレス)』。
敵には身元を隠すが、金を受け取った財務省には、誰のおかげで850億円が転がり込んできたか、骨の髄まで分からせてやる必要がある。
「さ、帰ろう天王寺さん。残業代の申請もしなきゃ」
「あ、あの……これ、報告義務ありますよね……?」
帰り道、アキラが怯えたように聞いてくる。
俺は人差し指を唇に当てた。
「やめとけ。これは財務省公認のシステムの処理だぞ? 下手に報告して藪蛇をつつけば、逆に消されるのは君だ」
「うぅ……共犯ってことですか……」
俺は晴れやかな顔で席を立った。
これで俺の小遣いも、平和な日常も守られたはずだ。
更に言えば、今回の件では「特別報奨金(技術手当)」が期待できる。
規程では、回収額の0.01%が技術者に支給される可能性があるのだ。
850億円の0.01%。つまり850万円。
これだけあれば、A5ランクのローストビーフ丼どころか、牛一頭買える。
俺はまだ見ぬ850万円の使い道について、あれこれと皮算用を始めていた。
――そう、この時はまだ、日本の「お役所仕事」の恐ろしさを忘れていたのだ。
***
数日後。
ダンジョン省・本庁舎4階、総務課長デスク。
俺は地下2階のオフィスを出て、わざわざエレベーターで上層階までやってきていた。
普段、課長は湿気た地下室(俺たちの部署)には絶対に来ない。用があるときは内線ですませるか、こうして俺を呼びつける。
「――Z社からの賠償金支払い、ニュースになってたねぇ」
課長は窓際の明るい席で、コーヒーを啜りながら言った。
ニュースでは『海外企業による設計ミスが発覚、賠償金支払いへ』と報じられ、電気料金の値上げ撤回も正式に発表された。
さらに、「今月分の過大請求額は無効とし、再計算した請求書を後日送付する」という特例措置も決まった。
これで俺の家計は、破綻の淵から救われた。
「ええ。まあ、穏便に片付きましたよ」
俺は謙遜しつつ、持参した書類を差し出した。
「特別報奨金(技術手当)」の申請書だ。
「で、課長。例の申請の件ですが……」
「ああ、これね」
課長は申請書をペラペラと指で弾き、やれやれといった顔で溜息をついた。
「九条くん。この『技術手当』って名目なんだけどさぁ」
「はい。不備がありましたか?」
「君、今回の件、『残業申請』出してなかったよね? つまり、PCの前で作業していた記録がない」
課長の目が、侮蔑の色を帯びる。
「は? いや、成果物(850億円)があるでしょう」
「プロセスが問題なんだよ。どうせまた、例のカード(コネ)を使って、『裏から圧力をかけた』だけなんだろ? 電話一本で」
課長は分かったような顔で頷いた。
彼の中では、俺は「無能だが、親戚か何かに大物がいるコネ社員」ということになっている。
Z社が金を払ったのも、俺が技術で奪い返したのではなく、裏ルートで脅迫して示談させたと思っているのだ。
「それは『政治的解決』であって、『技術』じゃないでしょ?汗水流してない仕事に、技術ボーナスは出せないなぁ。規定違反になっちゃうからね」
「……」
俺の目の前が真っ暗になった。
850億円を取り返して、ゼロ?
俺のあの残業は? 薄いコーヒーで耐え忍んだ時間は?
「でもまあ、君の『コネ』には助けられたよ! だからこれ、僕のポケットマネーからだけど、取っといてくれ!」
課長は引き出しから、キラキラ光るカードを取り出した。
『図書カード NEXT(500円分)』
ピーターラビットの愛らしいイラストが、俺をあざ笑っているように見えた。
「……」
「いやー、漫画でも買って息抜きしたまえ! ガハハハ!」
俺の手から、図書カードが滑り落ちた。
500円。
ローストビーフ丼(3,800円)の消費税にもならない。
「……九条さん」
後ろに控えていたアキラが、憐れむような目で俺を見ていた。
その手には、慰めるように差し出された缶コーヒーが握られている。
「……飲みますか?」
「……ああ。もらうよ」
俺はプルタブを開け、苦い液体を流し込んだ。
世界を救っても、国庫を潤しても、俺の小遣いは1円も増えない。
これが、Fランク公務員の現実だ。
「……帰るぞ、天王寺さん。地下に戻ろう」
「えっ、もう定時ですか?」
「今日はヤケ酒だ。……発泡酒だけどな」
俺がよろよろと課長席を離れようとした、その時だった。
コツ、コツ、コツ。
重厚な革靴の音が響き、フロアの空気が一変した。
入ってきたのは、仕立ての良い黒スーツを着た二人の男。
その胸元には、ダンジョン省の職員章ではない、より上位の――「財務省」のバッジが輝いていた。
「なっ……!? ざ、財務省の方ですか!?」
課長が椅子から転げ落ちんばかりに立ち上がり、揉み手で駆け寄る。
財務省主計局。予算を握る、公務員カーストの頂点だ。
「本日はどのようなご用件で……?」
「貴方には用はない」
スーツの男は課長を一瞥もしなかった。
氷のような視線でオフィスを見渡し、そして――俺の前で立ち止まった。
「……九条ミナト様ですね?」
「え、あ、はい」
俺は空になった発泡酒の缶(妄想)を隠した。
男は慇懃無礼に一礼すると、持っていた「高級そうな桐箱」を俺に差し出した。
「主計局長からです。
『今回の850億円の件、貸し借りはこれで無しだ。
……それと、これ以上ウチのサーバーに悪戯書き(ハッキング)をするな。心臓に悪い』
とのことです」
「……は?」
課長の顎が外れた。
フロア中の視線が俺に突き刺さる。
「えっ、ハッキング!? 財務省のサーバーに!? 九条くんが!?」
課長の悲鳴を無視し、俺は桐箱を受け取った。
ずしりと重い。
そして、木箱の底から伝わってくる、ひんやりとした冷気。
かけ紙の隙間から覗く金色のタグには、『特選・松阪牛』の文字が輝いている。
「……ご配慮、感謝しますとお伝えください。ただの『事務処理』の副産物ですが」
「……失礼する」
男たちは業務だけを遂行し、風のように去っていった。
残されたのは、石化した課長と、桐箱を持った俺だけ。
「く、九条くん……? き、君は一体、何をしたんだ……?」
課長が震える声で聞いてくる。
俺はニヤリと笑い、桐箱を小脇に抱えた。
「言ったでしょう、課長。コネがあるって」
「コ、コネ……そうか、コネか……!」
課長は青ざめた顔で、ブツブツと独り言を始めた。
「君は……君のバックにいる『組織』は、財務省にサイバー攻撃まで仕掛けられるのか……!
ああ、なんということだ……私はとんでもない爆弾を部下に持ってしまった……!」
(よし。勝手に「ヤバい組織の代理人」だと勘違いしてくれたな)
俺は呆然とする課長と、全てを察して呆れるアキラを残し、今度こそオフィスを後にした。
その足取りは、スキップしそうなほど軽かった。
***
19時00分。九条家。
「パパ、おかえりー! ……って、何その箱?」
エプロン姿のヒナが、桐箱を見て目を丸くする。
俺は蓋を開け、中身を披露した。
そこにあったのは、霜降りが芸術的に入った『特選・黒毛和牛サーロイン(1kg)』。
推定価格、10万円オーバー。
「すごーい!! パパ、これどうしたの!? 宝くじ当たった!?」
「んー、ちょっとした『残業手当』かな。……それよりヒナ、電気代の話だけど」
「あ、ニュース見たよ! 請求ミスだったんでしょ? よかったー!」
「ああ。だから小遣いの減額も……」
「もちろんナシでいいよ! 焦ったー、もうちょっとで家計が赤字になるとこだった」
ヒナの笑顔を見て、俺は心の底から安堵した。
850万円の現金は手に入らなかった。
だが、十分だ。この日常こそがプライスレス。
「よしヒナ、今日はすき焼きだ!」
「やったー! でもパパ、お肉しかないよ? ネギとか春菊は?」
「必要ない。俺たちにはこれがある」
俺は冷蔵庫から、お好み焼きの際に余ったキャベツを取り出した。
「キャベツだ」
「ええー? すき焼きにキャベツ?」
「邪道なのは分かってる。 だが、キャベツの甘みは、濃厚な和牛の脂と驚くほど合うんだ(と、ネットに書いてあった)。
名付けて、『九条家流・限界すき焼き』だ」
「もう、パパってば……。でも、お肉が良いから絶対美味しいよね!」
ヒナは笑って、キャベツをザク切りにし始めた。
割り下などない。醤油と砂糖で直に焼く、関西風の調理法で行く。
「……図書カードはヒナにあげるよ」
「えっ、いいの? 500円も?」
「ああ。電子書籍のセールなら、好きな漫画が2冊は買えるだろ」
「わーい! パパ神!」
俺は魔法瓶にお茶を入れながら、小さく呟いた。
「……さて。明日からもまた、平穏な日常を守りますか」
こうして、俺の「電気代との戦い」は幕を閉じた。
世間では天才ハッカー集団の壊滅がニュースになっているが、それを成し遂げたのが、たった一人の「Fランク公務員」であることは、誰も知らない。




