第4話:世界を救った英雄ですが、ランチ代(3,800円)が経費で落ちなくて絶望しています
その日の午後、13時30分。
ダンジョン省・特別管理課のオフィスは、殺気に満ちていた。
「……書類、書類、書類ッ!! なんで私が全部やってるのよーッ!!」
天王寺アキラは、鬼のような形相でキーボードを叩いていた。
彼女のデスクには、山のような書類が積まれている。
『始末書:Sランク探索者・行方不明事案について』
『理由書:特権行使の妥当性および環境破壊の免責申請』
『経費申請書:現場復旧工事費(概算)』
どれもこれも、たった数分で終わった「あの戦闘」の後処理だ。
Sランクを法的に葬るという行為は、倒すこと以上に、事務的なカロリーを消費する。
「ああもう! この項目の『法的根拠』なんて知らないわよ!」
アキラが叫んで頭を抱えた、その時だ。
オフィスのドアが、カチャリと開いた。
「いやー、食った食った。……死ぬ気で走った甲斐があったよ」
入ってきたのは、九条ミナト。
片手に爪楊枝を持ち、実に満足げな顔で腹をさすっている。
その身からは、芳醇なガーリックと焦がし醤油の香りが漂っていた。
アキラの動きが止まる。
彼女の瞳孔が、スッと細められた。
「……九条さん」
「ん? ああ、お疲れ様。報告書進んでる?」
「お・そ・い・で・す!!」
アキラの怒号が、地下室の壁を震わせた。
「私がここで! 胃に穴が開きそうな思いで貴方の尻拭いをしている間に! 貴方は優雅にランチですか!?」
「いや、俺も戦ったし。Sランク戦の直後に、渋谷の地上を全力疾走して『限定20食』に滑り込んだんだぞ? ある意味、連戦だった」
九条は悪びれもせず、自分のデスクに座る。
そして、懐からクシャクシャになったレシートを取り出し、アキラの書類の山にポンと置いた。
「ついでにこれ、経費精算しといて」
「……なんですか、これ」
アキラがレシートを手に取る。
『溶岩焼きローストビーフ丼(肉増し・温玉乗せ) 税込3,800円』。
「却下です。」
アキラは無慈悲に宣告し、レシートを突き返した。
「は? なんで? 公務中のエネルギー補給だぞ?」
「ダンジョン省の内規では、出張時の食事補助は『上限1,000円』までです。3,800円なんて落ちるわけないでしょう!」
「えっ」
九条の顔から、血の気が引いていく。
さっきまでSランク魔法を涼しい顔で消していた男が、たかが3,800円で絶望に染まっている。
「ちょ、待って。落ちると思って『肉増し』にしたんだけど…?」
「自腹ですね。ドンマイです」
「うそだろ……俺の今月の残り小遣い、あと300円……?」
九条は魂が抜けたように、天井を仰ぎ見て呟いた。
次のお小遣い日まで、あと10日以上ある。
それはすなわち、彼の社会的死を意味していた。
「……九条さん。真面目な話を聞かせてください」
アキラは毒気を抜かれたようにため息をつき、九条の背中に問いかけた。
「あの『黒いカード』は、何なんですか? そして貴方は、本当は何者なんですか?」
「んー……」
九条は、面倒くさそうに答える。
「ただの古いIDカードだよ。昔、ちょっと上の人に貸しを作ってね。『これがあれば残業しなくていい』って言われたから持ってるだけ」
「そんな理由で、あんな超法規的な権限が与えられるわけありません!」
「本当だって。……あ、それより天王寺さん。報告書の3行目、桁が一つズレてるよ」
「えっ?」
アキラが慌てて画面を見ると、確かに被害総額の計算が間違っていた。
一瞬見ただけで、なぜ気づくのか。
「……話を逸らしましたね?」
「逸らしてないよ。修正急いで。定時まであと3時間しかない」
その時、内線電話が鳴った。
課長からだ。
『あー、九条くん? カイザーの件、処理ありがとうね』
スピーカーから漏れる声は、能天気なものだった。
『上層部も喜んでたよ。「九条がまた、例のカード(コネ)を使って圧力をかけたんだろう」って。……まあ、手段はどうあれ、揉み消してくれて助かったよ』
「……ええ、まあ。穏便に済みました」
九条は適当に相槌を打って電話を切る。
アキラは唖然とした。
(コネを使って圧力をかけた……? 違う、彼は実力で……!)
上層部も、誰も、真実を知らない。
九条ミナトという男が、単独でSランクを制圧した事実を。
そして九条自身も、誤解を解こうとせず、むしろ「無能な窓際族」の皮を被り続けている。
(なんで? どうして実力を隠すの?)
一度生まれた疑問は、もう消えなかった。
アキラの中にある「探偵」の本能が、疼き始める。
「……ふふ」
「天王寺さん? なんで笑ってるの? 怖いんだけど」
「いえ。……決めました」
アキラは書類の山を睨みつけながら、密かに決意を固めた。
暴いてやる。
この男の正体も、隠された過去も、全て丸裸にしてやる。
「お疲れ様でしたー」
17時00分00秒。
定時のチャイムと同時に、九条がPCをシャットダウンし、席を立った。
その動きには、一切の迷いがない。
「あ、九条さん! 待ってください!」
「無理。今日は大事なミッションがある」
「ミッション……?」
九条はバインダーを小脇に抱え、風のようにオフィスを出て行く。
アキラは慌てて残りの書類を片付け、鞄を掴んだ。
「お先に失礼します!」
アキラは廊下へ飛び出し、九条の背中を追った。
彼が向かうのは、どこだ?
秘密のアジトか? 闇の武器商人か?
……15分後。
アキラが辿り着いたのは、駅前のスーパーマーケット『ライフ』の青果売り場だった。




