第31話:さようなら、私のブリオーニ(30万) ~最強の魔導スーツが溶けて、透けYシャツ(変質者)になるまで~
BeReal.の強制撮影ミッションを乗り越えた俺たちは、さらに深層へと足を進めた。
魔王城はすぐそこだが、近づけば近づくほど、周囲の景色は「バグ」に侵食されていく。
カクカクと明滅する壁。
空中に浮遊する謎の文字列。
そして――。
『警告:メモリ領域不足。アイテムスロットを制限します』
脳内に直接響くようなシステムアナウンスと共に、目の前に赤いウィンドウが出現した。
「……なんだこれは?」
氷室が眉をひそめる。
俺はスマホの画面を確認し、舌打ちした。
「メモリリークだ。
違法建築された魔王城のデータ量が大きすぎて、俺たちの『持ち物データ』を処理しきれなくなっている。
……このエリアでは、一人あたりのアイテム所持数が『5個』に制限されるぞ」
「5個!? ドラクエの初期装備より少ないじゃない!」
ローズが悲鳴を上げる。
彼女のリュックには、大量の変装道具や化粧ポーチが詰め込まれている。
「断捨離の時間だ。不要なデータは捨てろ。
容量オーバーすると、ランダムで所持品が『ロスト(消滅)』するぞ」
俺は冷徹に告げた。
俺の持ち物は少ない。「ミスリル製ボールペン」「電卓」「スマホ」「指示棒」「財布(中身ほぼゼロ)」。
これで丁度5個だ。完璧なミニマリスト。
問題はローズだ。
「ちょ、ちょっと待って! 選べないわよ!」
彼女は床にポーチの中身をぶちまけ、頭を抱えていた。
ファンデーション、香水、予備の弾倉、そして……ダンジョン道中で拾った「錆びた鍵」。
「ローズ。その『錆びた鍵』を残せ。あとは捨てろ」
「はあ!? この鍵なんてただのゴミでしょ!?
それより見てよこの口紅! 限定色の『ルージュ・エルメス』よ!?
定価3万円もしたのよ! これを捨てろって言うの!?」
ローズが口紅を握りしめて抗議する。
だが、俺は無慈悲に指示棒で鍵を指した。
「その鍵は、この先のエリアで使う『ショートカットキー(認証トークン)』の可能性がある。
口紅で魔王城の扉が開くか?」
「開くかもしれないじゃない! 色仕掛けで!」
「通用するか。相手はAIかモンスターだ」
俺はローズの手から口紅をひったくり、闇の彼方へ放り投げた。
「あぁぁぁぁッ!! 私のエルメスぅぅぅ!!」
ローズの絶叫がこだまする。
彼女は涙目で「錆びた鍵」を拾い上げた。
今はただのゴミに見えるが、これが後々、俺たちの命運を分けることになる。……たぶん。
***
身軽になった(させられた)俺たちは、さらに奥へ進んだ。
すると、天井の岩盤が脈動し、ドロリとした緑色の液体が滴り落ちてきた。
ジュッ……ジュワワ……。
床に落ちた雫が、石畳を溶かして白い煙を上げる。
「……『酸のあぶく(ミドロ)』だ」
俺はヘルメットの鍔を直し、リュックから人数分の「100均の雨合羽」を取り出した。
「着ろ。強酸性の粘液だ。触れたら皮膚が爛れるぞ」
「うわ、ダサっ……。ビニール?」
ローズが文句を言うが、背に腹は変えられない。
俺、アキラ、ローズの3人は、ペラペラの半透明な合羽を頭から被った。
見た目は完全に「雨の日の野外フェス待ち行列」だが、ポリエチレン素材は酸に強い。安物ゆえの単純構造が功を奏している。
だが、一人だけそれを拒否した男がいた。
「……不要だ」
氷室レオだ。
彼はオーダーメイドのスーツの襟を正し、フンと鼻を鳴らした。
「私のこのスーツは、対魔導繊維で織られた特注品だ。
防刃・耐火・耐酸の『三重結界加工』が施されている。
貴様らのようなビニール袋とは格が違う」
「……あー、氷室。忠告しておくが」
俺は言いかけた。
「ここの酸は、魔力を含んだ『特殊酸』だ。
お前のスーツのような『複雑な術式』が編み込まれた素材ほど、酸の魔力と干渉して化学反応を起こしやすいぞ」
「黙れFランク。エリートの装備にケチをつけるな」
氷室は聞く耳を持たず、酸の雨の中を堂々と歩き出した。
その背中は自信に満ち溢れていた。
――最初の3秒間だけは。
ポタリ。
天井から落ちた大粒の酸が、氷室の肩に着弾した。
ジュッ……!
「ふん、弾いた……な?」
氷室が余裕の笑みを浮かべた瞬間。
着弾点から、バチバチバチッ!! という激しいスパーク音が発生した。
「ぬぉっ!?」
酸がスーツの魔力結界と反応し、異常発熱を起こす。
最高級のイタリア製生地が、まるでバターのように溶け始めた。
「あ、あぁ……!! 私の『ブリオーニ』が……!!」
氷室の悲鳴が響く。
肩口から溶け出した酸は、ラペル(襟)を侵食し、美しいシルエットを無残な穴だらけのボロ布へと変えていく。
「馬鹿な! 耐酸加工だぞ!? なぜ溶ける!?」
「言わんこっちゃない。『過剰な機能』が仇になったな」
俺はビニール合羽のフード越しに、冷ややかに見下ろした。
単純なポリエチレン(俺たち)は無傷。
複雑怪奇な魔術加工(氷室)は崩壊。
皮肉な結果だ。
「脱げ氷室! 皮膚まで溶けるぞ!」
「で、できない! このスーツは……このスーツだけは脱げん!!」
氷室は半泣きになりながら、溶けていく袖にしがみついた。
「これは……初任給で買った、私の勝負服なんだ!!
これを着ていなければ、私はただの『眼鏡をかけた不審者』になってしまう!!」
「知るかバカ! 命より服が大事なの!?」
アキラが叫び、氷室の背中を蹴り飛ばした。
その衝撃で、ボロボロになったジャケットが剥がれ落ちる。
「あぁぁぁぁッ!!」
氷室はYシャツ一枚(しかも酸で透けている)の姿で、地面に膝をついた。
その目の前には、ヘドロのように溶け落ちた、かつて30万円したスーツの残骸が転がっていた。
「……私の……アイデンティティが……」
国家の危機には眉一つ動かさない鉄の男が、服を失ったショックで廃人のようになっている。
「……行くぞ」
俺はそっと、予備の雨合羽(透明)を氷室の肩にかけた。
「似合ってるぞ。……一周回って『最先端モード』に見えなくもない」
透けたYシャツに透明なビニール合羽。
それは変質者スレスレのファッションだったが、今の彼にはそれが唯一の鎧だった。
俺たちは、心身ともにボロボロになったエリートを連れ、酸の雨を抜けた。
バッテリー残量、55%。
いよいよ、本当に、魔王城の正門が目の前に迫っていた。




