第26話:深層グルメは賞味期限7年前 ~S級スパイ(給湯係)が淹れるスライム出汁カレー~
新宿ダンジョン・封鎖エリア(搬入口)。
俺たちの乗ったボロい公用車が到着すると、そこには既に、周囲の空気を凍てつかせる男が仁王立ちしていた。
銀縁眼鏡に、オーダーメイドのスーツ。
魔導特捜部のエース、氷室レオだ。
その背後には、彼の魔力に当てられて霜が降りたバリケードが見える。通称「絶対零度の男」。
「……遅いぞ、九条!」
俺が車を降りるなり、氷室の怒号が飛んだ。
「先発隊として現場を確保していたというのに、貴様はどこで油を売っていた! 予定より15分の遅刻だぞ!」
「人聞きが悪いな。必要な資材の調達に行ってたんだよ。……ドンキへ」
俺は悪びれもせず、ヘルメットを被り直した。
そして、バンの中から「荷物持ち」を引きずり出す。
「ほら、降りろ。仕事だ」
「痛い! 引っ張らないでよ!」
現れたのは、蛍光イエローの『I LOVE TOKYO』スウェットを着た金髪美女、ファントム・ローズ。
背中には、巨大な業務用高圧洗浄機(100kg)を背負わされている。
氷室の眉がピクリと動いた。
「……九条。協力者『カツ丼』(ローズ)がなぜここにいる?」
氷室の目が、蛍光スウェット姿のローズを冷徹に射抜く。
「彼女の活動制限区域は、監視付きでの『地上』のみのはずだ。深層への同行申請など、私は承認していないぞ」
氷室の声は、絶対零度のように冷たい。
ローズは、その威圧感に一歩後ずさりながらも、キャンキャンと吠え返した。
「あんたねぇ! 私だって来たくて来たんじゃないわよ!
あと『カツ丼』って呼ぶな!」
ローズが洗浄機の重みに耐えながら叫ぶ。
「こいつ(九条)が! 私のパスポートデータを人質に取って脅すから……!」
「安心しろ、監査官。彼女は今回の作戦における『生体備品(消耗品)』として登録済みだ。
洗浄機の動力源兼、運搬用ドローンだと思えばいい」
「……ドローン扱いか。貴様も悪趣味だな」
氷室は呆れたように鼻を鳴らし、それ以上は追求しなかった。
使えるものは親の仇でも使う。それが俺たちの流儀だ。
「行くぞ。編成は以下の通りだ。
指揮は俺。防御は氷室。天王寺さんは雑用兼記録。ローズは重機運搬。
……目標、地下45階層。『違法建築』の解体現場へ向かう」
***
地下45階層。深層エリア。
そこは、濃密な魔素が霧のように漂う、異界の領域だった。
周囲の壁は脈動し、有機的な唸り声を上げている。
俺たちは重苦しい空気をかき分けながら進んでいたが、突如、異変が起きた。
グゥゥゥゥゥゥ~~~~……。
盛大な腹の虫が、静寂を切り裂いた。
俺のではない。アキラのでもない。
先頭を歩いていた、氷室の腹だ。
「ッ……!?」
氷室が顔を真っ赤にして、腹を押さえる。
だが次の瞬間、俺の腹も、アキラの腹も、そしてローズの腹も、連鎖するように鳴り響いた。
「な、何よこれ!? さっきカツ丼食べたばかりなのに!?」
「……『魔素代謝』だ」
俺はスマホのバッテリー(85%)を確認しながら、冷静に解説した。
「深層特有の高濃度魔素は、人体の細胞を強制的に活性化させる。
ここに立っているだけで、地上でフルマラソンを走っているのと同じ勢いでカロリーが消費されていくんだ」
「カロリー消費……!? ダイエットには最適ですけど、今は死活問題ですよ!」
アキラが悲鳴を上げる。
ガス欠だ。このままでは戦闘どころか、歩くことさえままならなくなる。
「補給が先だ。……よし、休憩にするぞ」
俺は防災リュックを下ろし、中から「保存食」を取り出した。
それは、パッケージが茶色く変色し、角が擦り切れたアルミパックだった。
「……九条さん。これ、賞味期限が……」
アキラが恐る恐るパックを受け取る。
印字された日付は『201X年』。
元号で言えば、平成だ。
「7年前の備蓄品ですね。……腐っていますよ、これ」
「自殺志願か? 私は遠慮しておく」
氷室がハンカチで口を覆う。
だが、俺はニヤリと笑い、スマホを取り出した。
「素人だな。公務員たるもの、物資は現地で『最適化』して使うもんだ」
俺はスマホのカメラをアルファ米にかざした。
――解析開始。
――対象:アルファ米(ドライカレー味)。
――実行コマンド:『状態復元』。
パァァァン!
微かな光と共に、パッケージの汚れが消え去った。
封を開けると、そこには製造直後のような、乾燥した新鮮な米と具材が入っていた。
「ええっ!? 新品になった!?」
「時間を『7年前』に巻き戻したんだ。
中身の酸化データや劣化ログを削除して、工場出荷時のステータスに戻した」
アキラが叫ぶ中、氷室だけは言葉を失っていた。
「……なッ!?」
カシャン。
氷室の手から、持っていたスプーンが滑り落ちる。
銀縁眼鏡の奥にある瞳が極限まで見開かれ、信じられないものを見るように俺とスマホを凝視していた。
「……『時間逆行』……?
いや、違う。魔力反応がまったくない……!」
氷室が脂汗を流しながら、ブツブツと独り言を漏らす。
「魔法による事象改変ではない……。これは、対象の構成データを量子レベルで解析し、エントロピーの数値を強制的に『過去の値』へ書き換えた……のか?」
氷室の中で、確信が深まっていく。
詠唱も魔法陣もなし。ただスマホをかざしただけで、物理法則をねじ伏せた。
(……やはり、間違いない)
こんな芸当ができるのは、魔法使いではない。
脳そのものをスーパーコンピュータ並みの「生体演算素子」へと置換された、人造人間だけだ。
(……スマホはただの『出力端末』に過ぎない。本体はこの男の『脳』だ……。政府は7年前に、これほどの怪物を完成させていたというのか……!?)
氷室はゴクリと唾を飲み込み、震える指で眼鏡の位置を直した。
目の前の男(九条)は、ただのサボり魔の係長ではない。
国家機密レベルの「特異点」だ。
だが、そこは腐ってもエリート。
氷室は驚愕を理性の奥に押し込めると、聞いてきた。
「……ま、待て、九条。
それほどの芸当ができるのなら、なぜ先ほどから気にしている貴様の『スマホのバッテリー残量』も戻さない?」
鋭い指摘だ。
俺は今、バッテリー残量を気にして省エネモードで動いている。
時間を戻せば、充電100%のスマホに戻るはずではないか。
「……できないんだよ、氷室」
俺はスマホを振り、苦々しい顔をした。
「『エントロピー増大の法則』だ」
「エントロピー?」
「ああ。米のような単純な有機物や構造体なら、データを巻き戻すのは簡単だ。
だが、スマホのような『電子機器』は複雑すぎる」
俺は画面を指差した。
「OSの稼働ログ、通信履歴、通電状態、メモリ内の量子的な電子配置……。
これら膨大なデータの『整合性』を保ったまま時間を戻すには、スーパーコン以上の計算リソースが必要になる。
もし無理やり戻せば、現在のダンジョンシステムとの間にタイムスタンプの矛盾が生じて、スマホが爆発する」
「……なるほど。
単純な『構造物』は戻せても、『情報』は戻せない、ということか」
「そういうことだ。だから俺は、バッテリーという『不可逆な時間』と戦わなきゃならん」
俺はため息をつき、新品になった(はずの)アルファ米を持った。
「さて、米は戻ったが……問題は『お湯』だ」
ここは地下45階。水道なんかない。
だが、俺の視線は通路の端を這い回る、ドロドロした物体に注がれていた。
「……ローズ。あいつを捕まえろ」
俺が指差したのは、ヘドロのような体液を垂れ流す「下水スライム(汚濁属性)」だった。
「えっ……嫌よ。絶対に嫌」
「洗浄機のタンクに入れろ。
ケルヒャー改のボイラー機能で100℃まで加熱し、さらに内蔵フィルターで不純物を濾過する」
俺は洗浄機の改造済みスペックを暗唱した。
「理論上、99.99%の純粋な『熱湯』が精製される。
……スライム出汁付きのな」
「サイテー!!
私がS級なのは戦闘力よ! 給湯ポットじゃないわよ!!」
ローズが絶叫するが、俺は無言で指示棒を振った。
空腹には勝てない。彼女も分かっているはずだ。
数分後。
ローズは半泣きになりながらスライムをタンクに押し込み、ノズルから熱湯を注いでいた。
シュールな光景だ。
S級スパイが、蛍光スウェット姿で、巨大な洗浄機からチョロチョロとお湯を出してカレーを作っている。
「……完成だ」
湯気を立てるドライカレー。
俺たちは車座になり、スプーンを手に取った。
「……いただきます」
恐る恐る、一口食べる。
「……ん?」
アキラが目を見開いた。
「う、美味い!
これ、スライムの出汁が効いてて、濃厚なシーフードカレーみたいになってます!」
「……む。確かに」
氷室も一口食べ、不本意そうに頷いた。
「悔しいが……悪くない味だ。
深層の魔素を含んでいるせいか、食べた瞬間に活力が戻ってくる」
「だろ? これぞ地産地消だ」
俺もガツガツとカレーをかき込んだ。
スライムの滋味深い味わいと、スパイシーなカレーの風味が、疲れた体に染み渡る。
ローズも「悔しいけど美味しい……!」と泣きながら食べている。
「よし、カロリー充填完了」
俺は完食し、立ち上がった。
バッテリー残量、82%。まだ戦える。
「行くぞ。
……不法占拠された魔王城を、更地に戻す仕事(掃除)の時間だ」




