第22話:所持金1200円のS級美女に、ドンキの激安スウェット(I LOVE TOKYO)を着せてみた
公園の街灯の下。
かつては煌びやかだったトレンチコートを薄汚し、やつれ果てたS級スパイ、ファントム・ローズは、プライドをかなぐり捨てて懇願した。
「私を日本から逃がして。……このままじゃ組織に消される」
俺、九条ミナトは、眼鏡の位置を直し、冷徹に言い放った。
「いいだろう。話を聞こうか。
ただし、相談料は……そうだな。俺の靴代と同じ、時給3,980円からだ」
俺は右手を差し出した。
ローズは屈辱に唇を噛みながら、震える手でポケットから財布を取り出した。
「……これで、なんとか」
彼女が差し出した手のひらには、千円札が一番枚と、小銭が数枚乗っていた。
「……1,200円?」
俺の思考が一瞬停止した。
時給3,980円どころか、靴下すら買えるか怪しい金額だ。
「はぁ!? 舐めてるのか貴様!
S級スパイなら、裏金の一つや二つ隠し持っているだろう! さっさとATMで下ろしてこい!」
「できないのよ!!」
ローズが涙目で叫んだ。
「カードを使ったら、その瞬間に決済ログがタトゥーになる!
アクセス可能な人間には潜伏エリアが筒抜けになるわ!
都内のセーフハウスは全部特捜部に封鎖されてるし……。
あんたたちが執拗に追い詰めるせいで、私のキャッシュ(現金)は尽きたのよ!」
「……あ」
俺は瞬きをした。
そういえばそうだった。昨日、内容証明郵便で10万円を巻き上げたのがトドメだったのだ。
つまり、目の前のS級スパイは、今まさに「無一文のホームレス予備軍」なのだ。
(チッ……金ヅルになるかと思ったが、これじゃタダの『被扶養者』じゃないか。
……いや、待てよ?)
その時だ。
「――パパー? どっちのアイスにするー?」
コンビニの自動ドアが開く音がして、ヒナの明るい声が響いた。
マズい。戻ってきた。
「ッ……!」
俺は瞬時にローズの前に立ちふさがり、背中で彼女を隠した。
そして、小声で早口にまくし立てる。
「……話は分かった。だが今は娘がいる。
これ以上、ヒナに近づくな。
今夜24時、駅前の『ドン・キホーテ』前に来い。
1分でも遅刻したら、氷室に通報して強制送還だ」
「え……?」
「行け!」
俺の剣幕に押され、ローズは脱兎のごとく闇の中へ消えていった。
直後、ヒナがチョコモナカジャンボを手に戻ってきた。
「あれ? パパ、今誰かいた?」
「ん? いや、道を聞かれただけだ。最近の外国人は日本語が上手いな」
俺は営業スマイルで誤魔化し、ヒナの手を取った。
「さあ、帰ろうヒナ。アイスが溶けるぞ」
***
その日の深夜、23時50分。
俺はリビングでくつろぐヒナに声をかけた。
「悪いヒナ。ちょっと仕事でトラブルがあったみたいだ。
現場のサーバーを見てくるから、先寝ててくれ」
ソファーでスマホをいじっていたヒナは、視線を上げて口を尖らせた。
「えー、こんな時間に? お役所なのに、なんでそんなにブラックなの?
残業代はちゃんと出るの?」
「……出るさ。今回は『特大のボーナス』が出る予定だ」
俺は苦笑いで答え、ジャージの上にダウンジャケットを羽織って家を出た。
深夜の街を、早足で駅前へ向かう。
向かう先はサーバー室ではない。激安の殿堂だ。
***
深夜24時ジャスト。
駅前のドン・キホーテ入り口。
ヤンキーや酔っ払いがたむろする中、異様なオーラを放つ女が立っていた。
薄汚れたトレンチコートに、深々と被った帽子。
寒さでガタガタと震えている。
ファントム・ローズだ。
「……来たな」
「……約束通りよ。氷室には通報してないでしょうね?」
ローズが警戒心剥き出しで睨んでくる。
俺は鼻を鳴らし、懐から手帳を取り出した。そこには、来る途中で走り書きしたメモがある。
「通報はしていない。その代わり、取引だ」
俺はメモを突きつけた。
「金がないなら、体(労働)で払え」
「は?」
「『債務返済労働契約』だ。
今回の『亡命コンサルティング着手金』……。
締めて50万円。これを貴様の『初期負債(借金)』とする」
「ご、50万!? 勝手に決めないでよ! 暴利よ!」
ローズが声を荒らげる。
だが、俺は冷徹に続けた。
「文句があるなら今すぐ帰れ。そして氷室に凍らされるか、組織に消されるか選べ。
……だが、俺の下で働けば、報酬として借金を減額してやる。
レートは時給3,980円換算だ」
「時給……約30ドル?
私の正規の報酬レートは、ワンミッションで50万ドルよ!?」
「それは『S級スパイ』としての相場だろ?
今のお前はただの『無一文の不法滞在者』だ。3,980円でも高いほうだぞ」
ローズは唇を噛み切りそうなほど強く食いしばった。
屈辱。圧倒的な足元。
だが、彼女に拒否権はない。
「……いつまで奴隷をやればいいの?
借金を返したところで、私は帰国できないわ。組織に消されるもの」
「安心しろ。借金を完済した暁には……。
『ファントム・ローズが日本で多大な成果を上げた』ことを証明する『偽造報告書』を持たせてやる」
「……え?」
「日本の役所の『公文書偽造技術(黒塗りスキル)』をナメるなよ?
俺が作る報告書があれば、お前は『任務を達成した英雄』として、堂々と本国に凱旋できる。
……どうだ? 悪い話じゃないだろ」
ローズの瞳が揺れた。
「生存ルート」。
今の彼女にとって、それは喉から手が出るほど欲しい希望の光だった。
「……悪魔」
ローズは震える手で、俺の手帳にサインした。
契約成立だ。
「よし。じゃあ、まずはその格好をどうにかしろ」
俺はローズの襟元をつまんだ。
「S級ならTPOを弁えろ。そんな『私は怪しい者です』みたいな格好で歩かれたら、職質されて俺まで巻き添えを食う」
「なによ、着替えなんて持ってないわよ!」
「だから買うんだよ。……ついて来い」
俺はドン・キホーテの自動ドアをくぐった。
***
店内。
圧縮陳列された商品の山と、大音量のBGM「ドンドンドン、ドン〜キ〜♪」が、ローズの三半規管を攻撃する。
「うっ……頭が痛くなりそう」
「慣れろ。ここが日本の資本主義の最前線だ」
俺は迷わず衣料品コーナーへ向かった。
そして、ワゴンセールの中から、一番安いセットアップを掴み出した。
「これだ。着替えろ」
ローズに投げ渡されたのは、蛍光イエローの生地に、胸元にデカデカと『I LOVE TOKYO』とプリントされた激安スウェット上下(980円)だった。
「…………」
ローズが絶句した。
「セ、センス!!
これを私に着ろって言うの!? 罰ゲーム!?」
「文句を言うな。一番安かったんだ。
それに、そんなアホな格好をした奴がS級スパイだとは誰も思わん。
完璧な迷彩だ」
「迷彩の意味が違う!!」
「あと、これもだ」
俺は無表情で、ワゴンの底からさらに一品を追加した。
『婦人用ショーツ・3枚組(ベージュ・お腹すっぽりタイプ)』。
「ッ……!?」
ローズの顔が、蛍光イエローのスウェット以上に赤く染まった。
「な、ななな……!」
「なんだ。パンツくらい履くだろ?
それとも、ノーパンで任務をこなす趣味があるのか?」
「殺す……! 絶対殺す……!」
ローズは涙目で『お腹すっぽりパンツ』をひったくった。
レジにて。
会計は合計2,000円ちょっと。
俺は自分の財布からクレジットカードを取り出し、支払いを済ませた。
(……チッ。俺の自腹だ。
今月のカード請求、マジでヤバいことになりそうだぞ……。
絶対に、何としてでも「経費」で回収してやる)
俺は店員の「ありがとうございましたー!」という声を背に、固く心に誓った。
***
数分後。
繁華街の裏路地にある、看板の電気が切れかけた怪しいビル。
24時間営業のネットカフェ『サイバーダンジョン』。
「……ここがお前のセーフハウスだ」
俺はローズを連れて受付へ向かった。
店員は、蛍光イエローのスウェットを着た金髪美女(と、それを連れた疲れ切った男)を見ても、眉一つ動かさなかった。
ここでは「詮索しない」ことが唯一のルールだ。
「身分証確認なし、現金払いのみ。
お前のようなワケありにはお誂え向きだろ。
ナイトパック1,500円。これも借金につけておく」
狭い個室に通されたローズは、タバコのヤニとカップ麺の匂いが染み付いた空間を見て、絶望的な顔をした。
「私に……ここで寝ろって言うの?」
かつては最高級ホテルのスイートに泊まっていた女が、今や畳一畳分のブースの住人だ。
「屋根と壁があるだけマシだろ。
シャワーは共用だ。30分300円。さっきのスウェットに着替えて、身なりを整えろ。
……今のままだと臭うからな」
「ッ……!」
ローズが自分の匂いを嗅ぎ、顔をしかめる。
数日間の逃亡生活と冷や汗で、限界だったのだろう。
「明日の夜、仕事がある。
それまでここで待機だ。一歩も出るなよ」
俺はそう言い捨てて、個室を出ようとした。
「ま、待って!」
ローズが呼び止める。
「喉が渇いたわ。飲み物は?」
「フリードリンクだ。飲み放題だぞ」
「……小銭がないと、紙コップが買えないシステムみたいよ、ここは」
「チッ、面倒だな……」
俺は財布を探り、100円玉を一枚取り出した。
それをチャリン、とローズの手のひらに落とす。
「追加融資だ。利子つくぞ」
そう言い残し、俺はネカフェを後にした。
ヒナが起きる前に帰らなければならない。
残されたローズは、薄暗い個室の中で、蛍光イエローのスウェットと、デカパンと、100円玉を握りしめ、天井を見上げた。
「……落ちるところまで落ちたわね」
S級スパイのプライドは、ドンキのビニール袋と共に粉砕された。
だが、生き残るためには、この屈辱を飲み込むしかない。
「……覚えてなさい、九条ミナト。
借金を返したら……絶対に、一発殴ってやる」
彼女の魂の叫びは、隣のブースのイビキにかき消され、誰にも届くことはなかった。




