第15話:無料体験セミナーに潜入したら「演出(ドライアイス)」が濃すぎたので、電卓片手に違法建築を指摘してあげた
隣町、国道沿いにある元・ボウリング場。
かつて若者たちの歓声が響いたその場所は今、極彩色の看板と不気味な静寂に包まれていた。
『宗教法人・星の導き教団関東支部』
『本日開催:迷える魂のための無料体験セミナー(※お土産付き)』
「……無料。いい響きだ」
俺、九条ミナトは、入り口の看板を見上げて呟いた。
だが、騙されてはいけない。
「タダより高いものはない」というのは、古今東西の真理であり、消費者庁も警告する詐欺の常套手段だ。
「行きましょう、九条さん。……変装は完璧ですか?」
隣に立つ天王寺アキラが、小声で囁く。
今日の彼女は、いつものパンツスーツではなく、量販店で買った安っぽいベージュのカーディガンに、ロングスカート姿だ。
髪もわざとボサボサにし、目の下にクマ(メイク)を作っている。
どこからどう見ても、「仕事と人間関係に疲れ果て、怪しい宗教に救いを求めに来た崖っぷちOL」だ。完璧すぎる。
「ああ、俺も万全だ」
俺は自分の格好を見下ろした。
5年着古したヨレヨレスーツ。磨り減った革靴。そして、カツ重を奪われたことによる本物の「悲壮感」。
役作りは必要ない。今の俺は、世界の誰よりも「救い(主に金銭的な)」を求めている男だ。
「ようこそ、迷える子羊様……」
自動ドアが開くと、受付の白装束の男がヌッと現れた。
その目は虚ろで、口元には貼り付けたような笑みを浮かべている。
「本日は初めてですか?こちらに記名をお願いします」
差し出された名簿。
俺は躊躇なく『佐藤カツオ』と偽名を書き、住所もデタラメ(皇居の住所)を記入した。
身分証の確認はない。セキュリティゲートもない。
来るもの拒まず。質より量。典型的な「カモ集め」のザル警備だ。
「中へどうぞ。……あなた方に、星の加護があらんことを」
男が恭しくドアを開ける。
その奥から漂ってくる、甘ったるい香りと熱気。
俺たちは顔を見合わせ、魔窟へと足を踏み入れた。
***
「……うわ、クサッ」
会場に入った瞬間、俺は思わず鼻をつまんだ。
元々ボウリングのレーンがあった広い空間には、パイプ椅子がびっしりと並べられている。
窓はすべて暗幕で塞がれ、換気扇が回っている気配はない。
会場全体に充満する「紫色の霧」と「甘い柑橘系の香り」。
そして、天井を見上げれば、業務用サーキュレーターが不自然な角度で設置され、床を這う重い霧を強制的に撹拌していた。
「な、なんですかこの匂い……。ちょっとクラクラします……」
アキラが足元をふらつかせる。
俺は即座にネクタイを緩め、視界を切り替えた。
――解析開始。
俺の網膜に、紫色の霧の成分表が投影される。
『成分:二酸化炭素(ドライアイス昇華ガス)』
『濃度:50,000ppm(基準値の50倍)……危険域』
『微量成分:ダンジョン産・幻覚茸の胞子』
「……なるほど。やってくれる」
俺は呼吸を止め、懐から個包装のラムネを取り出すと、直接口の中に放り込んだ。
胞子を吸い込まないよう、水なしで飲み込む。
脳に糖分を送り込み、思考のクリアランスを保つ。
「天王寺さん、鼻呼吸をやめろ。口で浅く呼吸しろ」
「え……?は、はい……」
「この霧、ただの演出じゃない。ドライアイスの煙に、揮発性の『幻覚成分』を混ぜてファンで拡散してる」
換気の悪い密室で、労働安全衛生法の許容濃度を遥かに超えた二酸化炭素と一緒に、幻覚剤を吸わせる。
酸欠と薬物のダブルパンチで、判断能力を奪う手口だ。
思考がボンヤリしてきたところで、「あなたは救われる」と囁かれれば、誰だってイチコロだろう。
「それに、客層もおかしいな」
俺は会場を見渡した。
参加者は300人ほど。大半は老人や、疲れ切った若者たちだ。
だが――。
『対象:最前列の若者グループ』
『生体反応:覚醒状態』
『所持品:台本』
「……会場の3割は『サクラ(仕込み)』だ」
最前列で熱心に祈っている連中。奴らは薬の影響を受けていない。
おそらく、入場前に「拮抗剤」を飲んでいるのだろう。
周りの空気に流されやすいカモを煽るための、雇われバイトだ。
「薬物にサクラに監禁状態……。宗教というより、ただの悪質なイベント会社だな」
俺が冷徹に分析していると、会場の照明が不意に落ちた。
ドォォォォン……!
重低音のBGMが、腹の底に響く。
『――お待たせいたしました。星の巫女、聖女エルラ様の御成りです!』
スポットライトがステージ中央を照らす。
スモークが激しく噴き出し、その中から、純白のローブを纏った少女がせり上がってきた。
「おおおおおっ!!」
「エルラ様ぁぁぁ!!」
サクラたちが絶叫し、つられて老人たちも涙を流して拝み始める。
少女――聖女エルラは、自身の体をボウッと発光させながら、厳かに手を広げた。
「……よく来ましたね、傷ついた魂たちよ」
彼女の声は、マイクを使っていないはずなのに、脳内に直接響いてくるような反響音を伴っていた。
「……天王寺さん、大丈夫か?」
「あ、あう……綺麗……。エルラ様……光ってる……」
隣のアキラを見ると、目が虚ろになり、半開きの口でステージを見つめていた。
ダメだこいつ。物理耐性は高いが、精神耐性はザルだ。
薬と演出に完全に飲まれている。
俺はため息をつき、アキラの背中をバシッと叩いた。
ついでに、持参したペットボトルの水を顔にかける。
「ぶはっ!?な、何するんですか九条さん!」
「目を覚ませ。あれは『奇跡』じゃない。『物理』と『化学』だ」
俺はアキラの耳元で、現実的な解説を囁き続けた。
「あの発光現象。ローブに塗った『蛍光塗料』に、特殊波長の魔道具ライトを当ててるだけだ。ブラックライトの応用だよ。
声の反響は、天井に隠した『指向性スピーカー』と、壁の反響板のトリックだ。
……全部、高校物理で説明がつく」
「えっ……でも、あの神々しさは……」
「薬で脳がバグってるだけだ。しっかりしろ」
その時、ステージ上で新たなショーが始まった。
車椅子に乗った老人が、エルラの前に連れてこられる。
「哀れな魂よ。星の光を受け、立ち上がりなさい」
エルラが老人の額に手をかざす。
カッ!と眩しい光が炸裂し――。
「……あ、歩けた!わし、歩けるぞ!?」
老人が車椅子から立ち上がり、スキップをするように歩き出した。
会場中が感動の渦に包まれる。
「奇跡だ!本物の奇跡だ!」
「私にも!私にもその力を!」
アキラが再び揺らぐ。
「す、すごい……これは本物じゃ……」
「違う」
俺は即座に否定した。
『対象:老人』
『身体能力:異常なし。筋肉量・骨密度ともに健常者レベル』
「あの爺さん、最初から歩けるよ。足の筋肉がムキムキだ。
……あるいは、本当に痛かったとしても、さっきの手かざしで『高濃度の鎮痛パッチ』でも貼られたかだな」
俺の解析眼には、ステージ袖に積み上げられた「使用済み車椅子」の山が見えていた。
毎回同じ手口で、カモを信じ込ませているのだろう。
「……くだらない」
俺は吐き捨てるように言った。
こんな子供騙しの手品で、俺のスーパーを奪ったのか。
こんな安っぽい演出のために、ヒナの進学費用が消えたのか。
怒りを通り越して、呆れ果ててきた。
帰りにカツ丼でも食べて帰ろうか――そう思った時だ。
ステージ上のエルラの目が、鋭く細められた。
彼女は見逃さなかった。
熱狂する群衆の中でただ一人、退屈そうにあくびを噛み殺している「異物」を。
(……何あれ。薬が効いていない?
私の神聖なステージに、あんなシミは要らない。
……ステージに上げて、信者たちの目の前で『屈服』させてあげるわ)
エルラは瞬時に計算し、慈愛に満ちた(捕食者の)笑みを浮かべた。
「そこの、眼鏡の男性」
ビシッと俺を指差す。
「……ん?」
「あなたは今、とても強い『執着』に囚われていますね?
お金、将来、家族……。黒いモヤが見えます」
スポットライトが俺に集中する。
会場中の視線が俺に突き刺さる。
サクラたちが「そうだ!救ってもらえ!」と煽り始める。
どうやら、俺の放つ「負のオーラ(カツ重への怨念)」が強すぎて、目立ってしまったらしい。
あるいは、見せしめとして公開処刑するつもりか。
「さあ、ステージへ。あなたのその『迷い』を、私が消して差し上げましょう」
アキラが慌てて俺の袖を引く。
「く、九条さん!まずいです、逃げましょう!この空気は危険です!」
だが、俺はアキラの手を振りほどいた。
そして、懐から愛用の武器――「ソーラー式電卓(100均)」を取り出した。
「いや、丁度いい。……文句の一つでも言いたい気分だったんだ」
俺はパイプ椅子を蹴り飛ばし、通路を歩き出した。
怯えるアキラを置き去りにして、カツカツと革靴の音を響かせながら。
ステージへの階段を登る。
霧の濃度が濃くなる。甘い香りが強くなる。
だが、俺の殺意は、どんな薬物よりも鮮明に脳を覚醒させていた。
「ようこそ、迷える子羊よ……」
エルラが両手を広げ、俺を抱きしめようとする。
その至近距離で、俺は彼女の鼻先に電卓を突きつけた。
「……計算、開始」
「はい?」
俺は電卓のキーを、ピアノを弾くように叩いた。
カチャカチャッターン!と、軽快な音が響く。
「まず消防法違反。
この会場、定員オーバーな上に排煙設備が死んでるぞ。
ドライアイスのCo2濃度が基準値の50倍を超えてる。
火災報知器も暗幕で塞がれてるな。……ボヤが起きたら、ここにいる全員、一酸化炭素中毒で全滅だ」
「な……何を……?」
エルラの笑顔が引きつる。
俺は構わず、さらに畳み掛けた。
「ついでに薬機法違反だ。
このスモークに含まれてる成分……ダンジョン産の『幻覚茸』の胞子だろ?
『星の導き』なんて高尚なもんじゃない。ただの『集団ラリパッパ』だ」
会場がざわめき始める。
薬でボケていた老人たちも、俺のあまりに即物的な指摘に、少しずつ正気を取り戻し始めた。
「き、貴様……!ここを神聖な祈りの場と知っての狼藉か!」
エルラの後ろから、屈強な男たち(警備担当)が飛び出してきた。
だが、俺は動じない。
俺の背後には、最強の「盾」がいるからだ。
「天王寺さん。仕事だ」
俺が指を鳴らすと同時に、客席から一つの影が飛び出した。
「――公務執行妨害です!!」
ドガッ!!
アキラが、いつの間にか手にしていたパイプ椅子を振り抜き、警備員の男をなぎ倒した。
物理攻撃による衝撃で、彼女の目から薬物の影響が完全に消し飛んでいる。
「ダンジョン省・特別管理課です!
本施設に対し、消防法およびダンジョン法違反の疑いで、緊急立入検査を行います!!」
アキラが身分証(特別司法警察職員証)を高々と掲げる。
その凛とした姿に、サクラたちが「やべぇ、本物だ!」と逃げ出し始めた。
「さあ、聖女様」
俺は青ざめるエルラに一歩詰め寄り、電卓の「=(イコール)」キーを強打した。
「神様ごっこは終わりだ。
……俺にはな、財務省に850億円ほど貸しがあるんだよ」
俺はニヤリと笑った。
「俺が電話一本入れれば、国税局の査察部がすっ飛んでくるぞ。
お前らが溜め込んだ『非課税の裏金』……骨の髄まで差し押さえさせてやる」




