第13話:【物理無双】鋼鉄の出席簿を振るう元エリートと、机の下の最強デバッガー
「くっ……!キリがない……!」
教室の中央で、アキラが悲鳴に近い声を上げた。
彼女の愛用武器(硬化した出席簿)は、鋼鉄の如き強度で霧の触手を弾き続けている。
だが、敵は霧だ。
斬っても叩いても、一瞬で再結合し、質量を変えて襲いかかってくる。
『解析結果:核の移動速度、変化なし』
俺は教卓の横、機材の陰で、冷や汗を拭った。
敵の核は、生徒たちの「恐怖」を同期信号にして、砕け散った数十個の石の間を0.1秒単位で高速移動している。
このままでは、アキラの体力が尽きるのが先か、生徒の精神が崩壊するのが先か。
(……やるしかないな)
俺はイヤモニのマイクを指で押さえ、極力低い声で囁いた。
「……天王寺さん。攻撃をやめろ」
『えっ!?何を言って……!』
「いいから聞け。奴の動力源は、生徒たちの『恐怖』だ。
お前が必死になればなるほど、生徒は怖がり、敵の処理速度が上がる。悪循環だ」
俺はスマホの画面を睨みつける。
「演説の時間だ、元・生徒会長。
まずはその場の空気を支配しろ。……嘘でもいいから、安心させてみせろ」
『……!』
アキラが一瞬、息を呑む気配がした。
次の瞬間、彼女は構えていた出席簿をスッと下ろした。
「皆さん!落ち着いて私を見てください!!」
凛とした声が、教室の空気を震わせた。
パニックになっていた生徒たちが、ハッとしてアキラを見る。
「これはモンスターではありません!
あの石から発生した『特殊な催眠ガス』による、集団幻覚です!!」
「えっ……幻覚?」
「ガス……?」
生徒たちが顔を見合わせる。
恐怖の色が、困惑へと変わっていく。
「なんだ、お化けじゃないのか」「ガスなら吸わなきゃいいのか」という安堵が広がる。
その瞬間。
『警告:同期信号減衰。核の転送速度、低下』
俺のスマホ画面で、真っ赤だったグラフが急降下した。
恐怖というネットワークが途切れ、敵の処理落ち(ラグ)が発生している。
「……ナイスだ。動きが鈍った。移動間隔、1.5秒」
これなら、捉えられる。
俺は脳内で弾道計算を開始した。
核の移動パターン、アキラの腕の長さ、出席簿の重量、スイング速度。
すべての変数を入力し、未来を確定させる。
「天王寺さん。俺がカウントダウンする」
俺は静かに告げた。
「ゼロのタイミングで、『右斜め上45度』の空間を、その出席簿でフルスイングしろ」
『右斜め上……?そこには何もいませんよ?』
「いいから振れ。……そこに『来る』」
アキラは一瞬の躊躇もなく、敵から視線を外し、虚空へ向かって構えを取った。
全幅の信頼。
震える背中が、「貴方に命を預けます」と語っている。
(……重いねぇ。だが、悪くない)
俺はタイミングを計る。
核が次の座標へ飛ぶ、その刹那。
「3、2、1……合わせろ!!」
「はぁぁぁッ!!」
アキラの裂帛の気合いと共に、鋼鉄の出席簿が空を切った。
何もない空間へのフルスイング。
傍目には乱心したようにしか見えない一撃。
だが、その軌道上に、黒い「核」が自ら飛び込んだ。
パリーン!!
教室中に、硬質な破砕音が響き渡った。
まるでガラス細工をハンマーで叩き割ったような、決定的な音。
「ギ……ガァァ……」
断末魔と共に、教室を覆っていた黒い霧が急速に薄れていく。
核を失った魔力体は、形を保てずに霧散し、ただの空気へと還っていった。
数秒後。
そこには、荒れた教室と、肩で息をするアキラだけが残っていた。
「……消え、た?」
生徒の誰かが呟く。
静寂。そして、爆発的な安堵のため息。
「すげぇ……あのお姉さん、ガスを払ったぞ!」
「助かった……!」
ウゥゥゥゥゥ――!!
遠くから、消防車とパトカーのサイレンが近づいてくるのが聞こえた。
現実の時間の始まりだ。
「……天王寺さん。後はお願いね」
「はい。……お疲れ様でした」
俺はイヤモニを切り、ドサクサに紛れて教室の裏口から滑り出た。
ここからは、「公務員」の仕事だ。
***
「はい、下がって!ここはダンジョン省の管轄です!」
アキラは身分証――「ダンジョン省・特別司法警察職員証」を掲げ、駆けつけた所轄の警官たちを制止していた。
「本件はダンジョン法第24条に基づく『特定汚染事案』です。ダンジョン省が指揮権を持ちます。所轄は下がってください」
「は、はあ……ダンジョン省が言うなら……」
アキラは権限を行使し、現場を完全封鎖した。
「原因は、違法ドラッグ成分を含んだ可燃性ガスの漏洩です。
生徒たちは一時的な幻覚症状とパニック状態にあります。救護班へ引き渡してください」
完璧な隠蔽工作だ。
「幻覚ガス」という説明は、モンスターの目撃証言を無効化し、かつ石の危険性を周知させるのに都合がいい。
これで、ヒナたちが「バケモノを見た」と騒いでも、世間は「ガスでラリってたんだな」としか思わないだろう。
その喧騒の中。
救護テントへ向かおうとしていたヒナが、ふと足を止めてアキラに駆け寄った。
「あの!お姉さん!」
「……!」
アキラが振り返る。
ヒナは少し緊張しながらも、真っ直ぐにアキラを見つめた。
「助けてくれて、ありがとうございました!
お姉さんがいなかったら、私、どうなってたか……」
「ううん。あなたが無事でよかった」
アキラは優しく微笑む。
そして、少しだけ言い淀んでから続けた。
「……お父さんも、無事よ」
「え?」
「あの機材係の人……あなたのお父さんでしょ?」
ヒナが赤面する。バレていたのか、という顔だ。
「……はい。でも、あの……真っ先に机の陰に隠れちゃって。
お姉さんが戦ってるのに、情けないっていうか……」
ヒナが唇を尖らせる。
まあ、そう見えただろう。娘を置いて隠れる父親なんて最低だ。
だが、アキラは首を横に振った。
「違うわ。お父さんは逃げたんじゃないの」
「え?」
「彼は……一番全体が見える場所で、君たちの安全を確保してくれていたのよ。
もし怪物が後ろから来たら、彼が身を挺して君を守るつもりだったはずだわ」
「……!」
アキラの大嘘に、ヒナが目を見開く。
アキラは悪戯っぽくウインクし、一枚の名刺を渡した。
「これは私の連絡先。
もしまた変な石を見つけたり、困ったことがあったら……パパじゃなくて、私に相談してね」
「はい!ありがとうございます!」
ヒナは名刺を大事そうに握りしめ、救護班の方へ走っていった。
その背中は、朝よりも少しだけ軽そうだった。
***
夕方。
学校近くの公園で、俺はスーツに着替えてアキラと合流した。
「……お疲れ様、天王寺さん。ナイスフォローだった」
「いえ。……あのタイミング、完璧でしたね。見えてたんですか?」
「計算だよ。それより、あんな嘘をつくなんて、君も『こちら側(隠蔽体質)』に染まってきたな」
俺が缶コーヒーを渡すと、アキラは苦笑いしながら受け取った。
「嘘じゃありませんよ。貴方は確かに、ヒナちゃんを守っていましたから」
「……買いかぶりすぎだ」
俺は照れ隠しにそっぽを向いた。
だが、問題はまだ残っている。
「で、どうするんだ?この惨状」
アキラの手には、書きかけの報告書(始末書)が握られている。
校舎の窓ガラスは割れ、机や椅子は破損。被害額は数百万コースだ。
「正直に『モンスター戦闘により破損』と書くと、学校への説明や補償交渉が面倒なことになります……。私の減給も免れません」
「バカだなぁ。正直に書くな」
俺は赤ペンを取り出し、アキラの報告書を添削した。
「『老朽化したガス管の破損による爆風』。これにしておけ」
「えっ?でもそれだと嘘に……」
「嘘じゃない。『解釈の違い』だ。
ガス管事故なら、ダンジョン省の特定予算じゃなく、国の『災害復旧費』から金が出る。
学校側も設備が新品になって喜ぶし、君の査定も傷つかない。Win-Win(三方よし)だろ?」
「……貴方、本当に悪魔ですね」
アキラは呆れ果てていたが、その表情はどこか晴れやかだった。
***
その夜。九条家。
「ただいまー」
「おかえりヒナ。……大丈夫だったか?ニュース見たぞ」
俺は努めて平静を装い、夕刊を読みながら迎えた。
ヒナは少し疲れた顔をしていたが、瞳には力が戻っていた。
「うん。なんかガス漏れだったんだって。変な夢見ちゃった」
「そうか。無事でよかった」
「……ねえパパ。今日、来てくれてありがとね」
ドキリとした。
ヒナはリビングに入ってきて、俺の背中に向かって言った。
「すぐ机の陰に隠れちゃったけど……。でも、パパなりに心配してくれたんだよね?」
「い、いや!あれはだな!
素人がウロウロすると、天王寺さんの邪魔になるから……戦略的撤退というか、後方支援というか!」
俺がしどろもどろに言い訳すると、ヒナはふふっと笑った。
「分かってるよ。パパは喧嘩弱いもんね。無理しなくていいよ」
「うぐっ」
「でも、あのお姉さんはすごかった!
出席簿でバーン!って!超かっこよかった!私、ファンになっちゃったかも」
ヒナは目を輝かせて、アキラの勇姿を語り始めた。
パパの株は上がらなかったが、アキラの株は天井知らずだ。
「……そうか。よかったな」
俺は安堵のコーヒーを啜った。
まあいい。ヒーロー役はアキラに譲る。
俺は、娘がこうして笑って「ただいま」と言える日常が守れれば、弱いパパのままで構わない。
「あ、そうだパパ。今日のご飯なに?」
「ん?カレーだ。……ただし、肉は特売の豚コマだがな」
「えー、また節約?」
平和な文句が、リビングに響く。
こうして、俺たちの「学校の怪談」は、誰も死なず、誰にもバレずに幕を閉じた。




