第11話:履歴書が「黒塗り」すぎて、エリート捜査官の誤解が加速した件
翌朝、7時30分。
旅館の朝食会場。
そこは、俺にとって「敗戦処理」の場だった。
「……ない」
俺はバイキングのレーンを3往復したが、目当てのものは影も形もなかった。
カニだ。
昨夜の夕食で剥くだけ剥かされ、一口も食べられなかったズワイガニ。
せめて味噌汁の具にでもなっていればと思ったが、鍋の中にはアサリしかいなかった。
「いやー、昨日のカニは美味かったなぁ!九条くんも遠慮せず食べたらよかったのにな?ガハハ!」
向かいの席で、課長がご飯をおかわりしながら笑っている。
二日酔いすらないらしい。この男の肝臓と神経の図太さは、Sランク級だ。
「……ええ。課長の食べっぷり、見事でしたよ(皮肉)」
俺はアジの干物を無言で突っついた。
昨夜の労働(泥仕事)でカロリーを消費した体には、塩気が染みる。
『館内放送です。大露天風呂は、源泉ポンプの故障により、本日は終日閉鎖となります。お客様にはご迷惑をおかけし……』
「おや、風呂が壊れたのか。昨日はあんなにいい湯だったのに」
「……設備が古いですからね。寿命でしょう」
俺は白々しく答えた。
昨夜のアレは、完全に施設のメンテ不足だ。50年前の配管を使い回していれば、いつか爆発するのは自明の理。
たまたま俺がいる時に起きただけの、不幸な事故だ。俺に責任はない。
むしろ、大惨事を未然に防いだ俺に感謝状とカニを贈るべきだ。
チラリと横を見る。
少し離れた席で、氷室レオが優雅にコーヒーを飲んでいた。
彼は俺と目が合うと、スッと視線を逸らした。
(……昨夜のことは口外しない約束だ。あいつも、エリートのプライドがあるからな)
水風呂に落とされたことや、眼鏡が曇って自滅したことは、墓場まで持っていく気らしい。
平和な朝だ。
俺はアジの頭をバリバリと噛み砕き、カニへの未練を断ち切った。
***
帰りのバス。
九条とアキラは後部座席で死んだように眠り、課長は最前列でバスガイドと盛り上がっている。
その車内の中ほどで、氷室レオはタブレット端末を操作していた。
彼の視線は、窓の外ではなく、後方で口を開けて寝ている九条ミナトに向けられていた。
(……解せぬ)
氷室は、昨夜の光景を反芻していた。
高温の熱泥が噴き荒れる露天風呂。
自分の氷魔法すら蒸発するほどの熱量の中で、あのFランク職員は「無傷」だった。
パニックになって転げ回っていたとはいえ、火傷一つ負っていないのは不自然だ。
(奴の魔力測定値はゼロ……いや、『NULL(欠損)』だった。
だが、もしそれが欠損ではなく、『対魔力・完全耐性』のような特異体質だとしたら?)
無能なのではなく、「魔法が効かない(ゆえに魔法も使えない)特殊検体」だとしたら?
それなら、昨夜の熱泥を生き延びた説明がつく。
「……調べてみる価値はあるか」
氷室は特捜部のIDを使い、ダンジョン省の人事データベースにアクセスした。
通常、他部署の平社員の経歴など閲覧できないが、今は「監査中」という大義名分がある。
画面に、九条ミナトの経歴書が表示される。
『氏名:九条ミナト』
『年齢:38歳』
『最終学歴:帝都理科大学理工学部(中退)』
『職歴:システムエンジニア(民間・中小ソフトハウス)』
ここまでは平凡だ。理系崩れのSE、よくある経歴だ。
だが、その次。
202X年――世界中でダンジョンが発生した「大発生」の年から、数年間の記述。
『202X年~202X年:内閣府・特命■■■■室(詳細開示不可)』
真っ黒に塗りつぶされていた。
エラーではない。最高レベルの閲覧制限、「国家機密」のタグが付いている。
「……Fランク職員の過去が、黒塗りだと?」
氷室の指が止まる。
特捜部のエースである自分の権限ですら弾かれるセキュリティ。
これは、ただのコネ入社ではない。
「政府直轄の『実験体』か……あるいは、公にできない『汚れ仕事』に従事していた工作員の成れの果てか」
氷室の中で、九条への認識が更新される。
「無能なゴミ」から、「政府が飼い殺している、危険な不発弾」へ。
「天王寺。貴様は、こいつの監視役(看守)をやらされているのか……?」
氷室は眠るアキラと九条を一瞥し、静かにタブレットを閉じた。
この旅行で尻尾を掴むことはできなかった。
だが、獲物の臭いは嗅ぎ取った。
***
夕方。
俺は新宿で解散し、そのまま直帰した。
ヒナが修学旅行から帰ってくるまで、あと1時間。
「急げ!証拠隠滅だ!」
俺は旅行カバンから、温泉の硫黄臭が染み付いた下着やシャツ、そして宿名入りのアメニティタオルを洗濯機に放り込み、全力で回した。
パパが温泉でエンジョイしていた痕跡を消さねばならない。
「研修で地獄を見てきた」という顔を作るんだ。
「ただいまー!」
玄関が開く音。
ヒナだ。
「おかえりヒナ!楽しかったか?」
「うん!超楽しかったー!……あ、パパなんか硫黄くさい」
「ギクッ。……い、いや、研修先が地熱発電所だったからな。現場の臭いが染み付いたんだよ(嘘は言っていない)」
俺は冷や汗を拭いながら、話題を逸らす。
「ほら、お土産だ。熱海の温泉まんじゅう」
「わーい!ありがとう!私からはこれ、生八ッ橋!」
平和な物々交換。
ああ、やはり家が一番だ。カニは食えなかったが、この笑顔が見られればそれでいい。
「あ、そうだパパ。これ見て!」
ヒナが通学カバンを見せてくる。
そこには、修学旅行で買ったらしい、いくつものキーホルダーやストラップがぶら下がっていた。
その中に一つ、奇妙な輝きを放つ「石」がついたストラップがあった。
「ん?それは?」
「今SNSで『願いが叶う』って超バズってる天然石!京都にだけお店があるんだって。クラスのみんなで探して買ったの!」
ヒナは無邪気に笑う。
だが、俺の目は笑えなかった。
俺は無意識に、ネクタイを緩める動作をした。
――解析開始。
俺の視界が、その「石」の構造をデータとして分解する。
『対象:下級ダンジョン産・魔石(加工済み)』
『含有術式:精神感応(微弱)・認識阻害』
『危険度:C(一般人の所持は銃刀法違反に相当)』
「……おいおい」
ただの天然石じゃない。
これは、ダンジョンから持ち出された「未浄化のドロップアイテム」だ。
しかも、持ち主の精神に干渉し、思考を誘導する術式が組み込まれている。
「……ヒナ。それ、ちょっと見せてくれないか?」
「え、いいけど。高いよ?500円もしたんだから」
俺は石を受け取ると、ヒナに見えない角度で、指先に力を込めた。
――構造編集。
――術式:全削除。
パチン。
微かな音と共に、石の中にあった禍々しい魔力回路が霧散した。
これで、ただの綺麗なガラス玉だ。
「……うん、可愛い石だな。大事にしろよ」
俺は「無害化」した石をヒナに返した。
ヒナは何も気づかず、嬉しそうにカバンに付け直す。
だが、俺の腹の中では、冷たい怒りの炎が点火していた。
SNSで流行らせ、安価で学生にばら撒く手口。
これは単なる露店商の仕業じゃない。組織的な「実験」か「テロ」だ。
ヒナの石は無力化したが、クラスメイトたちはどうだ?
全員がこれをカバンにつけて学校に通うのか?
「……面倒なことになったな」
学校という聖域に、ダンジョンの穢れを持ち込んだ馬鹿がいる。
俺の平穏(ヒナの学校生活)を脅かす「敵」が、すぐそこまで迫っていた。




