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黒と白の虚空

作者: 鳳 翔平
掲載日:2025/11/18

 十八歳の夏、友人が死んだ。不慮の事故だった。


 また明日もオセロをしようぜ――そんな他愛もない約束をした数時間後、彼はもうこの世界にいなかった。


 高校の部室で拾った古いオセロ盤。日焼けした盤面と、欠けた駒。僕らはその雑さが好きだった。白が弱いだの、黒ばかり偏っているだの、そんなことで何度も笑いあった。


 彼が逝った最初の年のお盆。

 僕はなんとなく気になって、物置の奥から取り出したオセロ盤の異変に気づいた。

 ――駒が、増えている。


 五つ目の黒い駒。

 見覚えのない位置に黒が一つ置かれ、その隣の白が裏返っていた。


「……誰が触ったんだ?」


 家族に聞いても誰も知らないという。まあ誰かのいたずらだろう。そう思い、僕もつい白を一つ置いて黒を返した。それで終わりのはずだった。


 ところが翌年のお盆。

 また黒が一つ増え、白が二つ返っていた。


 背筋が粟立った。

 けれど、不思議と怖くはなかった。胸のどこかがひどくあたたかかった。


 ――あいつ、帰ってきてるのかもしれない。


 僕はまた白を置いた。

 それから毎年、お盆になると駒は二つずつ増えていった。

 まるで僕と彼が、無言のまま“夏の続きを”差し合っているようだった。


 しかし、人生は先へ進む。僕は大学に行き、就職し、家庭を持ち、別れ、また独りの部屋に戻った。

 それでもオセロ盤だけは、毎年決まった場所に置き続けた。

 盤を開くたび、十八の夏が胸に蘇った。


 四十六歳になったある秋の日。仕事中に激しいめまいに襲われ、そのまま倒れ込んだ。

 気づくと、病院の天井がぼんやりと揺れていた。


「進行したガンです。……覚悟を」


 医師の声は遠く、体より先に心がしんと冷えていった。

 秋風がカーテンを揺らし、その音だけがかろうじて僕を現実につなぎとめた。


 その夜、夢を見た。


 彼が――いた。

 十八のままの笑顔で、僕を見ていた。


「久しぶり。オセロの続きをしよう」


 彼が盤を置いた。現実の盤と同じく、残りの空きマスは四つ。局面は完全に互角だった。


 彼が先に黒を置く。ぱちん、と裏返る音が胸の奥に響いた。

 僕は何時間も考えたような感覚にとらわれながら、震える指で白を置いた。


「――おめでとう。君の勝ちだよ」


 あの頃と同じ無邪気な笑顔だった。


「実はね、僕の死ってさ、あの世でもイレギュラーだったんだって。予定にない人を死なせちゃったらしくて、向こうで大騒ぎだったらしいよ」


「なんだそれ……」


「漫画みたいな“試練”とかあるのかと思ったけど、何もないんだって。ただ、特例で残りの寿命を誰かに譲ることはできるらしい」


 彼は少し照れたように笑った。


「最初ね、調べたんだよ。僕の家系って無駄に長生きするみたいで、全部譲ったらギネス更新しそうだからやめた」


「やめる理由そこかよ……」


「いや、神様に止められてさ。“管理が大変だ”って」


 僕は笑った。笑いながら泣いた。


「で、肝心な話。君の寿命、明日までだったんだ」


 胸がぎゅっと締めつけられた。


「本当はそのまま寿命を全部あげてもよかった。でもそれじゃ面白くないから、お願いしたんだ。僕と彼が勝負して、彼が勝ったら寿命をあげてくれって」


「……オセロで、決めたのか」


「うん。だって僕ら、ずっとこれで繋がってたろ?」


 その言葉に、涙があふれた。


「僕の分まで、生きてくれよ。

 そして、いつかこっちに来る日が来たら――また一局やろうぜ」


 彼は、秋の風のように静かに消えた。


 翌朝、医師は信じられないという顔で告げた。


「腫瘍が……小さくなっています。手術すれば助かる可能性があります」


 奇跡だと人は言った。

 だが僕は知っていた。それは彼が置いてくれた“もう一手”なのだと。


 ――そして四十年が過ぎた。


 僕は彼の分まで生きた。

 結婚もし、相手は再婚で子持ちだったが、みんな僕を慕ってくれた。

 孫も生まれ、つい先日ひ孫の顔も見た。幸せな人生だった。


 ただ、体は正直だ。足腰は弱り、長く歩けなくなり、最近は縁側の椅子に腰を沈めたまま、秋の光を眺めて過ごす日が増えた。


 あの時、なんとなく物置のオセロ盤が気になったのは――虫の知らせってやつだったのかな。

 そっと振り返った先、書斎の机の上には、あのオセロ盤が今も置いてある。

 

 盤の隅に残された“二つの空きマス”。

 その静かな空白を見つめると、胸がじんと熱くなる。


 ――君に再会できるその日、胸を張って「ありがとう」と言いたい。


 だから僕は今日も生きる。呼吸が浅くなっても、手足が思うように動かなくなっても、残された日々にしがみつくように。

 彼が譲ってくれた四十年が、虚空ではなかったと伝えるために。


 黒と白の、その静かな虚空の向こうで。


 いつかまた、僕らは向かい合うだろう。

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